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第二話

 気がつくと日付が変わっていた。時刻は午前一時。


「はぁぁー」


 深く息を吐く。んーっと両手を上に伸ばして思い切り背伸びをする。椅子の背もたれが、ぎしっと軋んだ。ちょっと休憩しようと思い、キッチンへと下りた。



 ∪


 南部沙月みなべさつき。大学受験を控えた高校三年生。それが私だ。

 将来どうなりたいとか、やりたい仕事とか、勉強したいこととか全く見つけられずにいた。

 それが二ヶ月前のとある出来事をきっかけに、やりたいことが急に見つかった。


 それは生活支援員という仕事。その名称も最近知った。私が生活支援員になりたいと思う出来事に遭遇したのは、十月が終わる頃だった。


 うちはシングル家庭だ。実家であるこの祖母の家に戻ってきた。祖母は二年前に他界した。母は仕事を掛け持ちして働いてくれている。


「親の都合で沙月が夢を持てないとか、学校に行けないとか、絶対したくないから」


 それが母の言い分だった。現に夜間の工場作業の短期間バイトで、今晩も家にいない。母には感謝している。だから、私が協力できることはする。といっても、高校生にできることなんて限られている。だから、私は塾に通わず、受験勉強をすることにした。


 そんな母が久しぶりに日曜日に休みが取れたのが、あの日だった。日頃、頑張っているご褒美を兼ねて、昔から行きつけの、うどん屋さんに昼ご飯を食べに行ったのだった。

 注文した後、私はトイレに立った。するとそこには私より少しだけ年上と思える男性がいた。お客さんではなく、従業員のようだった。

 雑巾のような布で、ごしごしと便器を擦っている。

「あの」と声をかけようかと思ったのだけれど、彼の横顔が真剣で、私のことなんて気づいていないようだった。それよりも私が気になったのは、彼のオーラ。

 トイレ掃除に心を込めているような感じがしたのだ。


 私が立ち尽くしていると、レジにいた従業員がやってきて、私に「お待たせしてすいません」と言った後「伶夏れな君。お客さんトイレ待ってる。一回ストップ」と彼に言った。その声で彼は顔を上げた。少年のような可愛らしい顔立ちをしていた。でも、私とは視線が合わなかった。


 私がトイレを出ると伶夏君は、すぐ側に待機していたらしく、再び掃除に戻った。さっき声をかけた従業員の人が待たせて申し訳なかったと思ったのか、私に声をかけてくれた。


「ごめんなさいね。彼、周りの様子を見て行動することが苦手で。でも、トイレ掃除をお願いすると誰よりも綺麗にしてくれるのよ」


 と言った。何と返していいかわからず、私は「はぁ、そうなんですね」と言っただけだった。



 ∪


 その日から伶夏君と呼ばれていた彼のことが、心の片隅に引っかかっていた。何か事情がありそうな彼。でも、彼自身は自分ができることに真摯に向き合う。その実直さが何なのか気になって仕方なかった。


 ある日、ネットを見ていると気になる項目を見つけた。ASD。少し前は高機能自閉症とかアスペルガー症候群とか言われていた、発達障がいの一つらしい。対人関係やコミュニケーションに支障が出るようだ。後、表情が乏しいとか、こだわりが強いとか。

 そう言われてみれば、あの伶夏君もトイレから出て来た私を無表情で数秒見つめ、入れちがうようにして、再び掃除を始めていた。きっと伶夏君は、嫌々掃除をしているのではない。きっと、こだわりを持って、真面目に掃除しているのだ。


 その後もうどん屋さんに行くと、伶夏君の姿を見た。器や食器を下げたり、テーブルを拭いたり。その動きは実に丁寧だ。そんな彼に好感を持ち、彼と同じような人と働きたいと思ったのだ。


 そして、生活支援員という職業を見つけた。



 ∪


 行きたい大学が決まったのがみんなより遅い上、私は勉強が得意ではない。下宿せずに実家から通学できる大学で福祉を学べるのは一校だけだった。

 時々、やっぱり無理なんじゃないかとネガティブ思考に陥る。そんな時は伶夏君を思い出す。

 彼は今日も、うどん屋さんで真面目にコツコツ働いたのだろう。


 電気ケトルがお湯が沸いたことを知らせる。

 キッチンの引き出しから、粉末のカフェラテスティックを出す。そこには、ちょっとしたメッセージが書かれている。いつもは気にしないのだけれど、今日はそれに目が引き寄せられた。


〝ゴール見えてきたね〟


 心にすっと入ってきた。

 ゴール。それは、希望大学への入学だろう。そして、そのゴールの先には新たなスタートが待っている。

 何をしたいのかわからなかった私が、今、夢に向かってがむしゃらに頑張っている。そう、私の人生の一つ目のゴールはもうすぐだ。

 そう思いながら、マグカップに唇を当て、ふぅふぅと息を吹きかけ、一口飲む。優しい甘みが私の体に沁みていった。

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