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第一話

「このくらいの長さで、よろしいですか?」


 私の左右の毛先に触れながら担当美容師の立橋たてはしさんが訊く。


「もう少しだけ短くしてもらえますか?」

「毛先、肩に触れるくらいにしましょうか?」

「それでお願いします」


 そう言うと立橋さんは、しゃくしゃくと再び鋏を動かし始めた。一定のリズムを刻む音を聞いていると、心が落ち着いて眠くなってくる。

 そういえば最近、寝不足だった。秋のバザーの後、お遊戯会の衣装作り、みんなでするクリスマス会。やることは次から次へと湧き上がってくるのだった。

 娘の綺羅きらが幼稚園に入園して約八ヶ月。これから少なくとも十年近くは、学校関係でいろいろな役割を割り振られることになるだろう。ママ友の付き合いも。

 そう考えると「ふぅっ」と深いため息が漏れた。


御蔭みかげさん、お疲れですね」


 鏡の中で立橋さんが労わるような優しい笑顔で言った。



 ∪


 十一月の勤労感謝の日に開かれたバザー。ちょっとした手作りお菓子や各家庭から持ち寄った品を並べた。私はバザーの品物を管理する係だった。

 集まったものを管理するだけでいいと思っていたのだけれど、そんな簡単なものではなかった。新品のタオルとか日用品とかを持ってきてくれる人がいる一方で、いかにもお古というような子ども服やおもちゃを持ってくる人もいた。

 さすがに商品にならなそうなものは返品することになり、持ってきた人に説明するのに骨が折れた。納得してくれる人もいれば、文句を言う人もいた。私の他にも二人、同じ係をしている人がいたけれど、どちらとも面倒なことは、のらりくらり避けて結局、私が対応したのだった。

 人を上手く使う人と、上手く使われる人は生まれながらにして決まっているのかもしれない。


 バザーが終わったと思ったら息つく間もなく、次はお遊戯会で使う衣装を制作する仕事が入った。綺羅のたんぽぽ組は、おやゆび姫をするらしく綺羅は蝶々の役になった。レースがついたスカートと羽を作る必要があるらしく、幼稚園から作り方の連絡がメールで送られてきた。

 私は裁縫が得意ではない。だから、毎晩、家事を終えて綺羅を寝かしつけてから、ひーひー言いながら制作をした。本当に地獄だった。


 頑張って作った割には、お遊戯会当日、綺羅が友達と並んで舞台に立つと、私が作った衣装は比べ物にならないくらい貧相に見えた。恥ずかしくて見ていられなかった。綺羅は頑張っているのに。すごく悲しかった。


 クリスマス会も散々だった。ママ友に誘われる方で、綺羅が仲良くしてみる美月ちゃんのお家にお邪魔した。それぞれ手土産とクリスマスプレゼントを用意していったのだけれど、私以外の二人のママ友は手作り料理を持ってきた。私はいろんなデリを扱っているお店で買ったものを持参した。

 面と向かって嫌味を言われた訳ではないけれど、ママ友達の表情は「非常識」「手抜き」と言っているようだった。



 ∪


「これでいかがですか?」


 と声をかけられ、私は顔を上げた。鏡越しに立橋さんが微笑んでいる。伸びっぱなしだった髪の毛は、すっきりしていた。


「ありがとうございます。いいです」


 私がそう言うと、立橋さんは鏡で後ろ姿を写してくれた。髪の毛は艶々になって輝いているように見えた。

 会計を済ませ店を出る。太陽は空の高いところで輝いていた。それを見ると沈んでいた気持ちが、少し軽くなった気がした。


 今日は美容室に行っている間、夫に綺羅を見てもらっている。綺羅はママっ子なので私が家を出る時は「ママと一緒に行く!」と大騒ぎだった。それを宥めすかして家を出てきたのだった。

 当たり前だけれど、子どもが生まれてから自分一人の時間は、ほぼ無くなった。御蔭舞子みかげまいこという私ではなく、綺羅ちゃんのママという私になった。私というものを時々、見失いそうになる。

 でも、今、一人でこうやって歩いていると御蔭舞子という私でいられる気がした。



 ∪


 家に戻ると部屋の中に人気はなく、しんとしていた。夫にメッセージを送ると、数分後に『公園にきてる。もうちょっと遊んでから帰る』と返信があった。

 どうやら綺羅は夫と上手くやっているらしい。帰ったら昼ご飯用意して、ついでに夕飯の下ごしらえして、お風呂掃除して、と思っていたけれど、ぽっかり時間が空いた。

 焦って家事をすることはないかと思う。せっかくだし、この時間、ゆっくり過ごそう。

 電気ケトルでお湯を沸かし、戸棚に入れているカフェラテスティックを出しマグカップに注ぐ。ふと、カフェラテスティックのパッケージにメッセージが書いてあるのが目に入った。

 それには、一つ一つにちょっとしたメッセージが書かれている。


〝羽を伸ばしていいんだよ〟


 ハッとした。まるで私のことを見透かしているようだ。心がゆるんで口元が綻んだ。そうか、羽を伸ばしてもいいんだ。母親や主婦という仕事には、休日というものがない。私、ずっと頑張っていたんだと気づく。


 マグカップにお湯を注ぎ、スプーンで混ぜる。コーヒーの香りが湯気と共に立ち上がる。

 ダイニングテーブルに座り、マグカップを口にする。ほんのり甘く程よくクリーミー。

 夫が作ってくれた私だけの時間。思わぬプレゼント。

 よし、お昼は二人が好きな具沢山のナポリタンを作ろうと思った。

読んでいただき、ありがとうございます。

もしよろしければ第五話までお付き合いいただけると嬉しいです。

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