第八章 綿津見ホーム
父に弁当を届けるため、治郎は久しぶりに自転車で遠くまで来た。
泥水におおわれたようになっていたカブ高のあたりの道路は、もうほとんどきれいになっていた。浸水があった家から出た、家具や畳やいろいろなゴミが道路わきに積み上げられていたが、それも片付けられていた。ただ、泥が乾いて空気は白っぽくほこりっぽくなっていて、車に追い抜かれるときなど、自転車はやはりつらい。
民家はまだ乾かなかったり臭かったりで、窓やサッシを取り外したままになった家も多く、復旧は遅れているようだ。
カブ高の建物自体は頑丈なビルなので損傷はなかった。浸水の被害も一階まで、職員室や会議室や校長室、あとは一年生が使っている教室で、学校だからだいたいのものは机の上にあったり、棚に収納されている。被害の範囲は広かったから、もとどおりにするには人手はかかるが、被害額はそうでもなかった。
被害がより深刻だったのは、もっと山側の土砂崩れにみまわれた地域だった。
それでも人々の避難は早く、死者は出なかった。大雨のたび、三十年に一度、五十年に一度の大雨と毎度のように言われるのだから、逃げ足も速くなる。が、川もあふれたため、半壊した民家も多く、真夏のこととて作業もはかどらず、特に土砂の直撃を受けて跡形もなく流されてしまった市の施設の『綿津見ホーム』という孤児院のあたりはまったくの手付かずで、災害の恐ろしい爪跡をなまなましく残していた。
というか、孤児院のあとは仮のゴミの集積地のように勝手にされてしまっていて、その見回りのために治郎の父は夕方になっても食事も取らないままに赴いていた。
治郎は、孤児院に来たことはなかったが、うずたかく積まれた雑多なゴミの山を見て、カブ高周辺のゴミもこっちに運び込まれただけなんじゃないかと思った。それほど膨大で、復興どうこう以前に、ひとの気力をそぐような汚さだった。父はしかし、この場に似合わぬまぶしい白いシャツが身体に貼りついたようになりながらも、入り口だったとおぼしい低い石の柱が二本つったっているその後方で、厳しい表情をして立っていた。
敷地は高校のグラウンドの半分ぐらいの広さはありそうだった。建物を別にしても広い運動場があったようだが、子供がたくさんいる場所だから、そういう造りなのかもしれない。それが、すべて押し流され、いまはゴミだらけとは。
治郎はその柱のある入り口とおぼしきあたりで自転車を降り、押しながら父のほうへ歩いていった。
父はすぐに気づいて弱ったような笑顔を見せた。暑い、と全身で言ってるようだった。
「とうさん」
「おう、暑いな。ほい、これ助かったよ」
うしろ手にもっていた治郎から借りたキャップを投げてよこした。
「これ」キャップは胸にバウンドさせて左手で押さえ、右手に持っていたコンビニのビニール袋を差し出す。中はもちろん母手作りの弁当だが、容器もプラスチックで袋ごと捨てて荷物にならないようにしていた。
「なんだ、こんな入れ物にして、捨てれば手ぶらで帰れるって普通はそうだけど、ここは不法投棄の現場なんだよ。おれがゴミを増やしちゃしょうがないだろ」
治郎は母の代わりに反論はしなかったし、だまっていた。
「だいぶ日も落ちたけど、まだ外では食べられないし、どうしようかな」
「何時までいるのさ」
「九時ごろ交代がくるよ。おまえは帰っていいよ」
「うん」
と言ったが、父のうしろのゴミの山を見ると何か言いたくなるし、何も言わないとゴミの山に追いかえされたみたいでなんかくやしい。
「こっちのほうはひどいんだね」
「川があふれて、土砂崩れで、ダブルでやられたからな」
ここであふれてくれたから、市の中心部の流域の地域は無事だったわけだが、それは誰も言わないし言ってはいけない。
川は市内を北から南東へ、ルイ女とはちがう方角へ流れ、繁華街の東側を迂回し、ルイ女の近くとはまた別の湾にそそぐ。ここであふれなかったら、アーケード街やデパートの地下やオフィス街がやられたかもという比較は、弁当を届けるのがめんどくさいとかゴミが出るのがわずらわしいとか言ってはならないのと同様、しない。
だからといって、被害のあった地域をゴミ捨て場のようにしていいわけではない。
ただし、捨てるのは持ち込むことで、運び出したり盗んだりとはまた次元のちがうことだ。物にもよるが、警察は動かないレベルの迷惑行為である。それで、市の都市計画課の職員である治郎の父が、残業の名目で見張りをしているのだった。土木課や水資源課が何をしているかというと、もちろんその仕事である。
「くさいのはなんでなんだろう」
普通に民家を取り壊して空き地になったばかりのところを通りかかっても、かび臭かったりほこり臭かったり木材や何やらの古さから来るのとはちがう、人工的と呼ぶこともできないが、人間の手垢のようなものが集積し堆積したような、不快なにおいがすることがある。それと似てるようで、しかしここではもっと湿っていて、もっと古びた、腐ったようないやなにおいがした。家族とか、そういう小さな単位ではない、人類とか動物とか、そのくらいの巨大なものによって長い時間をかけて蓄積されたようなかたまりとしての臭いが鼻にぶつかってくるみたいに、嗅がされることにわずらわしさがあり、圧迫される感じがある。
「ああ、くさいし、汚いな。おかあさんは嫌うだろうけど、でも、おまえの汚いユニフォームを洗うのは好きだったよ。そろそろまた洗いたいかもな」
治郎は返事に困って、
「カブ高には夏休み明けにはもどるかもしれないって。それまでは共同でグラウンドを使うけど、インターハイがある女子バスケや陸上部やラクロスなんか優先的に使うし。ルイ女、強いらしいから。それと吹部は十月に大会あって、グラウンドでも練習するらしいんだよ」
父はラクロスは知らないだろう。でも、治郎は言い募った。
「そうか」とだけ父は言った。
あきらめが肝腎、ときたま父はそう言う。でもそれは、何かが得られないときに言われることだった。ゲームがほしいとか自転車を買ってほしいとか、そんなことが断られるときには聞いたが、何かが不可能なときには言われなかった。旅行の予定が中止になるとか、そういうときには、謝る人だった。
自分のせいでダメなときには、あきらめろとは言わない。条件を出したり、その変更はあっても、あきらめをしいたり、この人はしない。中二で治郎は気づいたが、そのときには自分でおそいな、と思ったものだった。
だからいまも、自分のことは自分で考えねばならないということはわかっていた。しかし、そう簡単に結論がでないこともあれば、吹っ切れないこともある。
この混沌とした現場よりはましだろうけど。
「車んなかで食べるかな。でも、あの子供らがな……」
言われてみると、小学生くらいの子供が五六人があちらこちらでゴミの山をいじっている。全員男の子だった。
ここの孤児院の子供たちだろうか。しかし、よく見るとゴミを何もひろってない。流されてしまったものをひろい集めているわけでもなさそうだ。では、何か貴重品でもあさりにきた近所のガキどもか? いや、そもそも何もひろってない。
ゴミの山の向こうからまたひとり子供が走ってきて、それをうしろから小走りに追いかけて現れたのは佐藤だった。さっきからいた五人の子供たちが走ってきた子供をその場で止めると、全員で佐藤のもとへ走りよる。なんだか怒られているようで、子供たちはしょんぼりした顔になった。
「あれ? 佐藤いる。あれ同級生だ。」
「ん?」
「おれちょっと行ってくる」
治郎はゆっくりと子供たちの群れに近づいていった。すぐに佐藤も気づいた。
「なんだ天石か。何してんの?」
「おれの親父がここ見張ってる。市役所の役人だから。おまえこそ……」
「ここ、おれんちだったから」
「え?」
「おれここの出身。別に隠してないけど」
「うん」
同級生でも同じグループじゃなかったらよく知らない。というか、よっぽど親しくないとそんな特別な生い立ちの話までしないだろう。
佐藤が仲いいのは、白木たちけいおんの連中のようだった。クラスの中心的な人物というわけでもなく、だから数日前のあの授業中に先生に執拗に反論したのはおどろかされた。
そして、いまもまたおどろくべき事実を知った。が、治郎はそれを出すべきではないと思って会話は続ける。
「こいつらがやばいことやってるからさ」
「ここの子供なのか。ていうか……」弟になるのか、なんになるのか、尋ねかねた。
「ここにもヤクザが出るらしくてさ、土地を狙ってるらしくて、その邪魔をしようって無茶してんだよ。ここでケガすれば、問題になって訴えられるだろうってさ、子供の考えで当たり屋みたいなことやりたがる」
ゴキブリが出るくらいに普通に話し、そしてやっぱり少し怒っている。
「考え方が借金で首が回らなくなった中小企業のハゲ親父だけどよ。利用価値がないなら、社会からは見捨てられるってわかってるんだよ。最近はとくにいびつな社会だから、その縮図で、こんな子供が命をけずってでもカネを得ようとする。子供が自殺したくなる社会も最低だが、ケガしてその分の保険金がほしいって、そんな交換しか思いつかないなんて、どんな地獄の、どんなクソガキなんだよ」
大きな話をしすぎのような気がしたが、治郎は、
「ヤクザってなんだ、物騒だな。ここゴミしかないだろ」
「土地だよ。ここに高速道路が通るかもしれないって噂がある。土砂崩れがあったんで山のほうも工事するだろ。弱い地盤は流されて、トンネル掘る手間が省けたって言ってるらしい。ここからずうっと道が昇っていって、山向こうで高架になって高速につながるんだって。だから、ここをもってればさ、国からがっぽりカネが入る」
苦々しげに佐藤は言う。じゃあ、ここの土地を売って孤児院を新しくしたり移したりできるはずだが……。
「こいつらヤクザにも向かって行きかねんからな」
高速道路のような国の絡む事業には、地方は口を出せない。はじまれば、止められない。続けるという規定路線以外は、いつでもずぶずぶ、ぐずぐずに変更される。既得権の動かないほう、利権の動くほうへである。
一時的な措置とはいえカブ高とルイ女の併設は、両校の校長がすばやく教育委員会に働きかけ、熱心に関係の部署を説得して回り、引き出した英断であった。治郎の父も評価していて、そのついでのように国の悪口も聞いた。
「命を賭けても守りたいってことか」
と、治郎は言った。佐藤が子供たちを怒るのもわかるが、それでもいじらしいじゃないか。
「いや、もっと不利になるかもしれないんだよ。追い出されたりな」
真に迫っていた。
「この子らはいま行くとこあんの?」
「避難所」
「あ、そうか」
「偏見だな。避難所に入れてもらえないわけないだろ」
「いや、おまえが追い出されるって言ったから、つい……」
「近くの商店街の集会所や公民館や、いろんなところにおいてもらってる。困ったときはお互い様でいろんな人が協力してくれるよ」
「なるほどな」
とだけ言って、治郎は子供たちに目を移した。さっきからゴミをひっくり返したり、じっとしてない。佐藤もちらちら見ているが、怒りはしない。
「ちなみにだけど、校長もここの出身だよ」
「軽野校長?」
「そう」
「出世したんだな」普通につぶやいただけだ。なのになんか目が怖い。嫌味で言ってないのくらいわかりそうなもんだが。しかし、さっきから佐藤は会話の内容以上に、当たりがきついように思う。なんかつんけんしてる。
「あのさ、校長はなんで馬に乗れるんだ?」
「は? なに言ってんの」
「馬。ルイ女のチャペルで結婚式やるときの馬車のさ、馬がいるだろ白い馬、あれだよ」
「それは知ってるよ」
「その馬だよ、乗ってるぞ、朝とか」
「見たことないけど」
「いや、乗ってた。通勤に使ってるのかってくらい普通に乗ってた」
「ははは。ま、校長ならありえるかもな。たしか若いころはいろんなとこを放浪してたって話だから、たとえば北海道とか行ってたら、馬も乗りこなせるだろうな」
と、軽く突拍子もないことを言う。
「おれのテナーサックスも、子供のころ校長に買ってもらったんだけどな」
「ふうん」同じ孤児院の先輩というのなら、同期は兄弟のようで、それでいてすごく年の差はあってもそれも年の離れた兄というか、そういう存在であってもおかしくはない。
「楽器屋のショウウインドウに飾られてるピカピカのテナーサックスがほしくてさ、子供のころのおれは毎日眺めてたんだよ。こんな環境だから、買えるわけない。でもどうしてもほしくてな、雨の日も風の日も楽器屋に通って、サックスをながめながら、店からもれ聴こえてくるジャズに耳をかたむけながら、憧れをどうしてもあきらめられなかった。そうしたら、ある日、真っ赤なでっかい外車で軽野校長が通りかかった。校長は急に降りてきて、おまえ毎日いるな、買ってもらえないのかって訊いてきて、買ってくれる人なんかいないよって言ったら、なんでって訊かれて、おれは綿津見ホームの子だっていったら、なんだおれも同じだよって言って買ってくれたんだ。ああ、馬は知らないけど、外車には乗ってたよ」
「へえ」と話の整理が付かずとりあえず答えると、
「ウソだけどな」と佐藤は平然と言った。
「え?」
「あと、ルイ女の校長もここの出身だよ。校長同士仲いいのは幼馴染だからだ。これはほんと」
「ああ」治郎はわけがわからない。
「ちなみにマイコもここにいたことある」
「マイコって、帯刀舞子?」
「ほかに誰がいるんだよ。マイコのママがちょっとのあいだ預けてたんだよ」
それも知らなかった。というか知る由もなかった。ルーミンの連絡先は知ってるし、メールもしてる。でも、ほかのふたりのことはブロックされてるというか、ふたりにさけられてるのでなくルーミンがその手前にいる感じで、あまり近づけないようにされてる気がしていた。窓口になっていると言えなくもないが、ホームページには三人の身長も体重もスリーサイズものっていて、そのオープンさとの落差は感じざるをえなかった。
そのくらいだったから、深い情報など知りようがなかった。
「マイコのママは貧民窟の生まれだったんだ。この言い方もかなりやわらかくしたものだが、いかがわしい店で生まれ育ったから、自分も疑問も持たずそういう仕事をするようになった。それも一種の芸能で、そしてママにはある才能があった。歌だ。ツアーの途中、立ち寄った店で偶然聴いたママの歌にほれこんだバンドマンと一緒に、ある日街を出て行った。だが、その男も芸能の世界によくいる、いわゆるヒモだった。ママの稼ぐギャラでクスリにも手を出した。ママも付き合わされるようになった。不幸な子供時代からは逃れられたが、結局その日暮らしになって、また先が見えなくなった。男はクスリのトラブルでケンかに巻き込まれ、あっさり死んだ。またひとりになったと思ったママだったが、そうじゃなかった。おなかにはマイコがいた。やがて生まれたマイコを綿津見ホームに預けると、ママはもう一度夢をかなえるため、歌の世界にもどった。しかし、その夢はとうとうついえてしまった。売れなかったんだな。そして、ママはこの街にもどってきた。いま、そんなママの積年の夢を託されてるのが、マイコってわけさ」
ヒンミンクツって知らない言葉だ。コンテキストからはなんか悪い意味らしいけど。
クスリって、覚醒剤とか麻薬だろ。そんなのやってて、おなかの子供は、マイコは大丈夫なのかよ。
バンドマンが父親? 母親が歌手? その夢を託されたら歌って踊ってアイドルやるのか? 握手で客の気を引く、いかがわしいアイドルか? でも三人組でほかのふたりもそれに付き合うか? そんなわけあるのか?
「まあウソだけどな」
「おまえ、なに言ってんの」
「マイコのママが売れない歌手だったのと、マイコがここにいたのはほんとだよ」
「それでなんでウソつくんだよ」
「不幸は売りになるからな」
にらみつけられた。やはり、なんだか知らないが怒ってるようだ。なんだか知らないが。
「あいつは他人の不幸に敏感なんだ。あんまり勘違いしないほうがいいってことだ」
今度は嫌味を言われたように思う。やっぱりちょっと、むかつく。何か言い返したいが、おまえらほど不幸じゃないよ、とは口がさけても言えない。どんな勘違いをしてるって言うのか、こっちにはわからないが。
説明しよう。
ほら話をトールテールと、アメリカではそう呼ぶ。西部開拓時代からあるフォークロアである。
荒野で巨人を見た話。太平洋で巨大魚を釣った話。リスの大群が川に飛び込んだが板に乗って大きな尻尾を帆のようにして無事に渡りきったのを見て喜んでた人が自分の仕事場の木材置き場がからになってるのを発見してへたり込む話。都会で行方不明になる娘の話。リンゴの木を植え続けた男の話。引退した詐欺師がむかしの腕を活かして金庫に閉じ込められた子供を助けてやって正体がばれ捕まりそうになるがなぜかその日だけ保安官が非番でいなくて街を出て行く話。いんちき賭博に引っかかった話。
ヨーロッパの炉辺話。あるいはジプシーいやロマのむかし語り。はたまた教会の説教、逸話、教訓話。それらが移民たちによって運ばれ、伝説のつねとして変形され歪曲され、そしてまた都市伝説が加えられ、形成されていった。だいたいマーク・トゥエインの短編のようなものと思えばいいだろう。
ジャズもそのような道をたどり、生まれたということができる。
アフリカのポリリズム、ヨーロッパのトーナリティー、そのなかでもロマのヴァイオリン、ラテンのブラスとギター、それらの総合的な発展がジャズである。もちろんそれ以前に、アメリカに移り住んださまざまな人たちが彼らの背景をもとにフォークやカントリーといったさまざまな音楽を生み出していたわけだが、おっと、セックス、ドラッグ、ロックンロール、はまだないのである。
そしてこれは一九六〇年代までの話で、七〇年代からは産業ロックの時代になり、ある潮流は詰んでしまう。
つまり、マスプロダクション、マスターベーション、ロックンロールである。
ジャズも変化はまぬがれなかった。ロックよりももっとなまぬるいジャンルもあったが、それは措いておいて。
トールテール、ドラッグ、ギャンブル、セックス、ジャス、となり、初期はジャスと濁らなかったことと共に、アドリブで何かを挿まないではいられない性質が最初からあり、やはり変拍子になっている。
だから、不幸を売りにした女性歌手もいたのだが、半分は冗談だったのだ。過酷な時代、特に黒人たちにとって残酷で冷酷で、虚無的にならざるをえないような時代への、抵抗にもならない自嘲。それがジャズメンたちにほらをふかせた。
赤い布をもたないマタドールを想像するといいだろう。ただしアメリカのことゆえ、牛はバッファローで、手にはフィドルの弓で。世界最古の冒険小説をほうふつとさせる滑稽さを見よ。
ここで佐藤はたしかに当たりがきつい。しかし、ジャズメンとしての節度は守っているだろう。ウソを言うのに節度が必要なのかという問題はあるが。
「いや、だれにも言うつもりないよ」治郎はぶっきらぼうに言った。
「おれのことは別に隠してねえし。そんな深い話にならないだけだし」
マイコを思ってのことなのはわかった。
「仲良ければ何かできるわけじゃないけどさ、知ってればどうにかなることもあると思うけどな」
「気をつかわれるのいやなんだよ。世間には虐待もあるし、家庭崩壊したまま暮らしてる家族もいるだろ。いないってだけで何も壊れてねえし。死んだってだけで何もされてないし」
正論だった。
「マイコはアイドルをやろうとしてる。アイドルは未熟なもの、不完全なものと思われてる。でも完全なものなんてねえだろ。単に未完成なのともちがうけどな」
「マイコのことは言わないと言ったら絶対言わないよ」治郎は断言した。
ぴくりと佐藤は眉をあげた。
子供たちがよってきて「マイコのこと話してるの?」「マイコがどうかした?」と、しきりに佐藤に訊いている。
「なんでもない。こいつ同級生だから。こいつもマイコの知り合い」佐藤が笑顔をむりやり作っていたみたいだったので、治郎も付き合うように子供たちに笑顔を見せた。
誰をなだめているのか、佐藤は子供らの頭をぽんぽんと叩いている。
潮時だと思い、佐藤にもほかの子たちにも軽く挨拶すると治郎はその場を離れ、父親がいるところまでもどった。
父は外の道路のほうを向いて立っていた。
「やっぱり同級生だった」
「ふうん」振り向いてもそんな返事だった。
「なんか、ここが高速道路になるって噂があって、孤児院のことを心配してたよ」
「はあ、もう噂になってるか。子供まで知ってるんじゃだいぶ広まってるな。まあ、まだ県のレベルまでも降りてない話なんだが、ちょろちょろ動き出してるのがいるってことか。そうか、まあそうかもなあ」
「高速道路か、じゃなかったらゴミ捨て場になるってこと?」
「極論すぎる。なんでも抜け道ってのはあるもんだよ。地盤がくずれることもある……」
ゴミの山を見やって、父の史明は続けた。
「でも、システムが変わらないと同じことがくり返されるだけだからな。
おれが言うことじゃないんだけど、おまえらの世代に期待したいな」
父は汗だくで、日が暮れても暑さは厳しかった。