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『ライトゴロ』  作者: なかがわはじめ
6/13

第六章  ジャズバー・マティス

「ワインはサービスです」

 冠崎高校教師の北条英男と聖ルイ女学院のシスター竹部了子が座るテーブルにボトルとグラスを置くと、ママは婉然とほほ笑みながら一二歩あとずさりし、そして背中の大きくあいたドレスの裾をひるがえすように優雅に回ると離れていった。

 ママとは、今ピアノを弾いているマイコの母親であり、ジャズバー・マティスのママ、帯刀豊美のこと。ほがらかな笑顔が客に人気だ。だから、ジャズというより、ドレス生地のぴかぴかとした派手めの装飾もあいまって、本人がステージに立って演歌でも歌い出しそうだ、と北条は思う。もちろん、それはジャズといえばクールジャズを思い浮かべるような、新伝承派がどこから来て、むかしと何がちがうのかの区別もない、一般的な印象となんら変わるものではない。すかした雰囲気や夜の気取ったムード、おしゃれな大人のたしなみのようなイメージをママがかもし出していないのは、その意味ではプラスかもしれない。どこかしらマイコに顔は似ていても、スタイルがちがう。ぽっちゃりという時代に迎合した言い方などしなくても、その容姿は安心感を与えるものだった。苦労を外には出さない、客に気取られることがない、感じさせないのは、客商売にかなった気質である。そもそも苦労人には暗いじめじめした演歌が似合うというような画一的な見方など、いずれにしても窮屈なだけだ。

 アップライトピアノで、マイコは静かなバラードを奏でている。ベースとドラム、これは東京から来たプロである。マイコのことは中学生のときから知っているので、息が合うのも当然である。もうひとりプロがいて、ヴィブラフォンの彼がリーダーのツアーに差し込まれたのが、この夜のライブだった。そしてサキソフォンの佐藤、これでカルテットだ。ツアーにはギターのメンバーもいて、彼もこのとき店には来ていたが、タダ酒のためであった。

 ピアノトリオに、佐藤はそこら辺にいるとしても大きな鉄琴。ステージは段差も仕切りもない店の一角で、これだけの人数と楽器を配置すると場を圧してしまいそうであるが、しかしそうでもない。

 地方都市だから、駐車場は広いし、舗装はともかく道路も幅がある。とめる場所には困らない。先生たちにもお酒をすすめるのはまあそういう事情もある。まあせっかく出してくれたものだから断ったりしないで呑むのが礼儀というものだ。

 店も充分に広い。北条たちはステージ近くの四人掛けの丸いテーブルにふたりでいるが、まだ席は二十にあまるし、そのほかにもくっつけると大人数に対応できる四角いテーブルが組になったものもある。椅子さえ出せばもっと人を入れられる。店内の装飾は多くないが、木を基調とした落ち着いたムード。ステージから対角線の位置の入り口のちょっとしたパーティションのそばの壁際には、よく使い込まれ鈍く光る細長いテーブル板をしつらえたバーカウンターがあって、受付もかねている。ひとりで聴きにくるマニアは、すんなりそこに通される。いろいろな客層に対応もばっちり。

 北条はバーと聞いてイメージしていた認識を大きく更新しなければならなかった。まずジャズの生演奏のイメージがなくて、入り口からすぐにバーカウンターがあると、ああと思って席につくのかと思った。が、向こうにはちょっとしたファミレスくらいの空間の客席が広がっていた。ルイ女の生徒の親が経営しているというのも、しぶいヒゲの中年男性が出てきて、マスター、なんて呼ぶのかなと思っていた。しかし、入り口で悠然と迎え、席に案内してくれたのは、美しくて、愛嬌のある表情の妙齢の女性だった。着ているドレスの印象ともちがって、一見の客でもこの場に親しみを覚えさせてしまうような、なごやかに雰囲気をまとっている。客席は半分ほど埋まっていたが、ほとんどがしぶい大人の客。逆にマスター、あるいはママさん、と話しかけたほうがいいような。ステージの最前列のテーブルから詰まっているわけではないのは、ジャズは近くで聴いたほうがいいというものでもないのだろうか。

 曲は、フランスのギタリストに捧げた、バイブスをフィーチャーしたものだった。いや、フランスで活動してただけで、出身は別だったような。そうそう、アメリカにも呼ばれて行ったんだった。

 夜の街の中心、バー、クラブが多くあつまる盛り場からは少し離れているが、まだ繁華街のうちでしかもビルの一階である。この条件の店を得るまでには苦労したし……、いや、商売はいつもむずかしい。

 女子高生のマイコでもここで演奏するなら、バイトではなく家の手伝いと言えそうだ。だが、佐藤は県立の普通科の学生である。バイトでも問題になりそうであるが、酒場でしかも夜である。それでも、軽野校長の方針でたいていのことは黙認という形で許されていた。ときどき監視というか、査察というか、パトロールというか、それはあったが。

 北条がパトロール役を買って出たのは、対象が佐藤だからだった。数日前の授業でのこの生徒からの反論は、まだ強く印象に残っていた。いくぶんかはうれしい気持ちもふくんで、そのあとも北条は考えつづけていた。こちらからの反駁だけではなく、もっといろいろな議論に対応できるように自分の考えもまとめ直していた。

 それが、この日は思いがけずルイ女のシスターと食事を共にすることになったのだった。ルイ女の夜の見回りは学年ごとにふたり一組になってそれぞれ巡回する。それはうろうろしている生徒を教育的に指導するのが第一義であったが、巷の不幸を発見し何かできることはないかを探す宗教活動でもあった。前者のような役目は、夏と年末の時期のカブ高にもあった。同じようなことなので、校長同士が話し合い、協力して行なわれることになった。そして、同日の担当となったふたりは、目当ての生徒がいる同じ場所で、同じ席に座らされたのだった。

 北条には、佐藤に話すことがたくさんあった。が、シスターに確認しておくべきことは、このような場所で話さなくてもいいように思えた。ところが、ふたりのために用意されたのは、生徒たちが演奏するステージの真ん前の一番良い席だった。こんな席は必要ないと思ったが、ほかのお客さんの手前とまた店の雰囲気から、あまりかたくなに断るのもはばかられた。何より、済ました顔でシスターはさっさと席についたので、自分だけ席を移ったりするのは失礼にあたると思った。

 了子は修道服ではなく、上はシンプルな白いシャツ、そして紺の長いスカートだった。学校が終わって着替えて駅前に集合だったが、そのときから長袖なのにまったく汗をかいていない。シスターの普段着は夜の街に似つかわしくはなかったが、北条には目新しい。そう思っている彼も、お気に入りのポロシャツもふくめて人ごみにまぎれそうな恰好である。地味なカップルで成立はしていた。ステージに向かって、となり合わせに座る必要はないのにその並びに座っているのが、地味と言うよりまだ慣れてないカップルのようだった。

「まあ、これ、良いワインですよ」

 了子はふたつのグラスにワインを注ぎ、自分のを取ってさっそく口をつけた。あわててるわけでもないだろうが、素直に喜んでいるのがなんだかかわいい。北条もグラスを取った。シスターってアルコールはいいのか? わからないが、彼女の表情が良いワインだとたしかに伝えている。

「共学になって、活気は出ましたよね」

「うちの生徒たちは、アイドルやってる子がいるって騒いでました。男子はやっぱりガキですね。

 そちらの生徒さんは感受性が豊かですよ。野球部の応援で、あんなに一体感が出るなんて思いませんでした。

 負けて、泣いてた生徒もいてびっくりしました」

「なんでしょうか、負けてもあのような場にいられるのがうれしいというか、心がわきたつのがいずれにしても楽しいというか。ブラバンのみんなも本当にはりきってて、楽しそうで、やっぱりああいう場所って必要なんですね」

 一回しかその機会がなかったのが残念そうな口ぶりだった。ワインをもう一口、いかにも残念そうだった。

「カタストロフィーじゃ付きすぎてますが、祝祭的な……」

 北条もうなづく。

「そちらの生徒で、うちの軽音楽部に入りたいというものもいるようですね」

「それはやはりちょっと……。バンドのような活動は校外でもやるんでしょうし……」

「バイトと変わりないように思いますけど」

「学校でやるのでないとしたら、それはレジャーになります。

 天職ならば、校則や規制は考慮のほかとなります。これは学校の方針と言うより教義からです。

 しかし、そうでないなら問題になります。他校の男子とのグループとなるとなおさら」

 教師たちが生徒の密な関係を危惧するのは、二〇二〇年夏に限らない。

 少なくともシスター了子は音楽性によって不純かどうかを決めてはいないが。

「金銭が発生すれば、真面目にやらざるを得ないんじゃないですか」

「いえ、そのようなことではありません。他人の代わりに金を集める、いわゆる徴税人は罪びとであり、救われるべきなのですが……。

 印税はいまではピアノ教室で教えるときに曲を弾いても取られるそうなんです。

 一回何円と使用料が著作権によって取られる。でも、それじゃただの商品ですからね。

 むかしは小学生でもさわりを弾ける曲がありました。エリーゼのためにやネコふんじゃった、それにもちろん時代時代の流行歌も。

 その完全版と言いますか、練習曲にした作品は、そのひとの中に生きつづけるんです。商品じゃないんですよ。

 おそれず言えば、神の領域に関わってきます。

 ピアノ教室も、学校にはちがいありません。そんなところでまで商品管理をしようなんて、それを許している権利を持ってる人たちの頭もおかしいと思うんです。時代のせいなのか、制度のせいなのか、ネットのせいか」

 とりあえず現実の話にしておこう。

「ネットは無法地帯ですから。海外なんか拠点にされると手を付けられないようですし。

 金を集める連中は、回収にかかるコストとの差し引きで考えるだけでしょう。

 ネットを取り締まるより、すぐできることをやって、それでやってる感を出したいんですかねえ」

「それを権利者が是としてると? なんだか本末転倒ですね」

「でも、ネットは自由であるがゆえに若い人がむかしの音楽にくわしかったりもするんですよねえ。この前も……」

と、ステージの佐藤を見ると、とげとげしさや、かさつきのようなものがまったくない、非常になめらかな音を連ねて、流れるような演奏をしている。たぶん、技術的にはものすごく高度なことをやってるのだろう。でも、余裕のプレイで、聴いているこちらもまるでワインがゆっくりと体にしみわたっていくような心地になる。音の緻密さ、メロディーのとめどなさが、なめらかなシーツの冷たい感触を背中のすみずみまで味わえる海外の高級ホテルのベッドのような、日常とは無縁の異質な高級感とリラクゼーションをもたらしてくれる。よくもまあワインのお供にちょうどいいようににやるものだ。

 それにしても、酒強くないか?とシスターのピッチに、北条は内心おどろいていた。

 料理も「サービスです」と、あの笑顔でママがつぎつぎ運んでくる。シスターは食べるのも呑むのもどんどんすすむ。まあ、前もここに来たことがあるんだろうけど、遠慮がないというか、でも、ママのざっくばらんな態度がとても家族的で、遠慮するほうがかえってよそよそしいような気にもなってくる。ワインは敷居が高いが、出てくる料理は和風というか居酒屋風で、つまみやすい。

 ワインだと酔ってもあんまり変わらないものなのかとグラスを傾けながら、北条自身も思う。

「偶然の出会いもあるんです。ネットサーフィンて言うじゃないですか。この前はサーフロックというのがお勧めに出てきて……」

「サーフィンサウンド、なるほど古いですね」

「いや、その六〇年代の音楽を八〇年代にやってるバンドみたいで、ぼくが聴いたのは九〇年代になって出たアルバムだったんですけど、妙になつかしいんですよね。例のテケテケテケテケ……」

「はいはい」

「あれがなぜかなつかしい感じがするんですよね、世代じゃないし、聴いてないはずなのに。シンセとかがうるさくないシンプルなサウンドだからか、使い方がむかしとはちがってて聴きやすくなってるのか、わかんないんですけど……」

「はあ、それは日本だから上がってきたのかもしれないですね」

「いや、そっちに興味があるわけじゃなくて、そこから掘り下げはしなかったんですけど……。ジャズを聴いてるうちにいろいろ出てきたんですよ」

 ジャズと聞いて、シスターもステージに目を転じた。

「あの鉄琴みたいな楽器、不思議な音ですね。浮遊感があるというか、わうわうって残響がありますよね……」

「ビブラフォンですね。なんか電気で音を増幅する装置が付いてるそうで、でもまあ鉄琴ですね。それとジャズだと木琴がシロフォンになるらしいです」

「へえ。国産スマホの最後の牙城って感じ」

「シロフォン、姫路城モデルって、そうじゃなくて。マリンバとも言うらしいんですけど」

「マリンバ! なんかグループでやったりしません?」

「いやいや、そこまでくわしくは調べてないんですけど」

「わたしはピアノを弾くんですけど、弾けそうで弾けないですね、こういう音楽。曲自体はゆっくりですけど、ただ遅く弾けばいいってわけじゃないのはわかる。悪魔的技巧とは真逆なんだけど、ちょっとそんな気配もする。ちょっとおおげさかしら。でも、マイコちゃんもうまいけど、そちらの生徒さんもすごいですね」

「いや、あの、マイコちゃんですか? なんか独特な手の形で弾きますね。いま音を出してるぞって強調するみたいに一本だけで弾くんだけど、親指が立っててすごく目立つ。ポーンて音がなってる間、グッドって自分でアピールしてるみたいな……」

「ポーンて言うか、バキューンて拳銃の形に手がなるから、ピストルショットテクニックっていうらしいです。アメリカのピアニストがやり始めたそうなんですが」

「ははあ、プロがやるテクニックですか。ぼくは最近までこんな感じでやってるって知らなかったんですけど。ぼくもどうにか付いていこうとスタンダードから聴きはじめてるところで……。ルイ女ではこんなふうにプロとやるのも許されてて、以前からあったんでしょうか?」

「いえ、マイコちゃんは特別なんです。ここはお母さんのお店ですし。それにアイドル活動はいまできないと意味がありませんから。

 ブラバンの子達にもうまい子はいますけど、路上でひとりでラッパ吹いてるのもおかしいですし、まして集団で吹く場所なんてないですからね。

 むしろアイドルならできるんでしょうけど、もっと限られますし」

 アイドルというのはヲタクが騒ぐもので、低く見られている、そう北条はとらえていた。偶像、形相。カーストでいうなら、下層。それでも、女子からみると憧れの存在で、シスターもその年頃の子たち同様に共感するものなのか。祭服というか制服姿しか知らないからか、もっと堅い人だと思っていた。

 それと吹部でなく、ブラバン、とシスターは言ってる。伝統校だからか。

「アイドルやってるなら、ネットで有名になってそうですけどね」かわいいし、は付けくわえなかった。

「そうでもないんじゃないですか。歌も演奏もアナログですし。ジャズだしアイドルだしライブですから」

「あの、ブートレグってそれこそレコードであったわけですし。

 ジャズといっても電気で音を操作してますよ。なんか方法はあるんじゃないですか。動画でなくても録音なり何なり、いまはもっと簡単になってそうですし」

「ああ、そういうものもネットでは見つかるんでしょうね。古いものや希少だったものにもアクセスしやすくなってたり。でも、探していけばあるかもしれないってものは、探さなければ見つからないわけで……。

 いまもそういうことなんじゃないでしょうか。

 ジャズはアドリブがあって毎回ちがうわけで、アイドルは歌もですけど、ダンスも付きもので。

 だからライブでないと意味なくて、聴くほうもそう思ってるんじゃないでしょうか」

「ははあ、それは宗派というか、客もふくめてそういうジャンルってことなんですかね。それが拡散されないための防禦壁になってるような……」

 ビジネスモデルとしてはたくさんの批判もあるだろうが、客との関係性が、匿名、複製、無償、などのネットの傾向とは異質な価値観で結びついているのか。

 北条は歩み寄った話をしたつもりだったが、シスターはちょっと小首を傾げ、しかし返事はしないで、またワイングラスを手にした。

「有名になるのもいいような悪いような。攻撃的なコメントはどこでも多いですね。誹謗中傷まで行かなくても、しつこく付きまとう。承認欲求ってよく言いますけど何なんですかね、匿名でやってて反応がないと、無人島で叫んでるような気持ちにでもなるんですかね」

「よくある質問ですけど、無人島にひとつだけ持っていけるとしたら、なにを選ぶかってあるじゃないですか」

「はあ」

「神はどんなときもついておられるから、本当はなにもいらないんですけどね」

「いや、それは答えになってないような……」

「はい。だから、無人島にいるような孤独でつらいときにも神はいつもそばにいてくれるということで、本当に無人島に一緒に来てくれるわけじゃないですよ」

「ああ、なるほど。他人を攻撃するような心持ちのことですか。そうでもしないとやってられないが、八つ当たりは本当の相手がいないときにやるようなもんで……。なるほど、つらいときでも孤独にさせないのが神であると。どのような状況でも存在するということですか」

「そんなコンビニじゃないんですから。どこにでもってわけじゃありませんよ」

 話が噛み合ってるような噛み合ってないような。でも、北条もつづける。

「ネットはあらゆる場所につながってて、AIにスマホからでもアクセスできる時代になって、神はすでに比較される対象になってませんか。神に匹敵するような、人間を超えた能力をもつ機械が存在する世の中になってるような」

「神は人間を神の似姿に創りました。かなりダメな仕上がりだったというとグノーシス主義になりますが」

「はい、霊と肉。AIは物質だと思いますけど、やはり」

「よく映画でAIが人間に反逆しますね。人類を滅ぼそうとする。でも、たいてい失敗します。人間が神に反逆することの写し絵というか、反復のように思いますけど」

「人間に反逆するコンピューターっていうとHALですね。二〇〇一年宇宙の旅」

「娯楽作品のほうがたくさんあるでしょう」

「あのHALって、IBMの文字をひとつずつずらして名前にしたらしいですが」

「そうですね」

「AIをひとつずつずらすと……」

「? はい?」

「Aは先頭なんで、うしろに一個ずつ……」

「はい、うしろ」

「AIが、BJになるんです。BJといえば……」

「ブラックジャック! あのマンガ! 手塚治虫の」

「人間について誰よりもくわしい知識をもつ専門家。非常に能力の高い天才外科医。でも、無免許。社会には認められないし、医学の世界に反逆してる」

「……ふむ。なるほど」

「反逆をやめない。無免許のままでいつづける。でも、弱いものの味方」

「……」

「意外と変なコンピューターが生まれたりするのかもしれません」北条は神自体と比較する話はやめておいた。意志をもったコンピュータはまず自己増殖をはじめる。布教のように。そして……。

「無人島にも助けに来るかしら。SOSを発信する前に感知して……。でも、それならAIで予測して事故が起こりそうなことは避けるでしょうね」

「管理社会ですね。SFでよくありそう」

「神の支配とはやっぱりちょっとちがいます。試練をあらかじめよけるなんて」

 そういうふうに考えるのか。無人島には一人で行け。そうでないと無人島じゃない。

 試練に関係なく、ワインはすすむ。

 曲が鳴りやんだ。ぱらぱらとした拍手。こんなもんか。でも、あまり盛大だと雰囲気に合わないか。北条もステージに向かって拍手を送った。シスターは胸の前でこまかく少し強めに手を叩く。

 マイコは立ち上がり、ピアノに片手を置いて小さく何度も頭を下げた。この子のおかげ、といった様子で手をピアノから離さないままだ。佐藤はなんか小さい三脚みたいなものに楽器を立てかけてから礼をした。

 マイコと佐藤が並んで、北条たちのテーブルにまでやってきた。

 きょうのシェフを呼んでくれ、みたいなことがジャズにもあるんだろうか。それとも一応お目付け役だから挨拶にきただけか。

「先生、リクエストあります?」

 そうか、そっちか。

「じゃあ、そうだな。死刑台のエレベーターから何か頼む」

 意を汲んで、佐藤は大きくうなづいた。

「あれトランペットなんですけどね。やれますけど」

「そうだったな」

「先生は?」マイコがシスターにたずねる。

「こういう、テーブルにシェフを呼んでください、おいしかったので、みたいなことってあるの?」

「呼びます? ここには板さんしかいないけど」マイコは笑った。

「まあ、どうりでお刺身なんて出てくるのね」

「それ、ちょっとスモークかけてるから、しょうゆ無しでもいけます。地物の新鮮な魚だからあんまり手を加えないんですって。板さん、ふだんはキッチンから出てこないんだけど、あたしが言えば来てくれるかも」

 その代わりのようにママがまた、明るい笑顔に比して優雅すぎるような身のこなしで近づいてきた。「じゃあ」とマイコと佐藤はステージではない方向に去った。

「ワインのおかわりはいかがですか」

「ええ、でも」シスターは遠慮してるようには見えない。

「まだ大丈夫なんでしょう、じゃあ行きますか。なんならここからあとの分はぼくが出しますけど」

「いえいえ先生、そんなことおっしゃらずに」

「いやいや、ほんとに」おいくら万円のものはさすがに出てこないだろう。そんな店でもそんな人でもなさそう。

「いいえ、いつも校長先生にはお世話になってますから、いいんですよ」

ん? ぼくに向かって言ってる。ルイ女の校長ではなく、うちの軽野校長に世話になったとは? 佐藤の母親が言うのでもないのに? 

「十五分休憩のあとワンステージ、それできょうは終了です」ママは言った。

「そうですか。それまで見届けるとしたら、もう少し呑みませんか」と、北条はシスターにうながした。

 シスターは押された感じも出さず承知した。

 白ワイン追加で、話のつづきは

「死刑台ってなんですか?」

「映画です。フランス映画の死刑台のエレベーター。音楽をマイルス・デイビスが担当した。ジャズのトランペッターの」

「名前はわかります」

「一応、ヌーベルバーグになるのかな、たぶん」

「ヌーベルバーグ? わたしわからないんです。ジャンプカットって言うんですか? 編集がヘタにしか見えない。

 どうも苦手なんですよね。女性に人気っていうアメリって映画も、あんまり古くないのにもう名作みたいに言われてますけど、どうもわたしはわからなくて……」

「その、女性に人気のほうは知らないんですけど。

 でも、まあ前衛は技法として生き残るんで。文学のほうで言われてることですけど、それまでにないような革新的な方法が、古い題材を再利用するための道具に落ちぶれるんですが、一方で古典的なテーマもよみがえる。とがった技法がエンタメの表現の幅を広げて、品揃えを新しくする。だいたい、ミステリ小説が貪欲に取り入れるようです。ジャンルとしては売れる、でも、やってることは相変らず犯人捜し、そんなことで人を殺すなよっていうようなストーリーで、でも新発売で続刊が出る以上の目新しさになる。

 ぼくは文学の側の人間なのであんまり具体的に言えないのが残念ですが…。でも、前衛が陳腐化することは宿命づけられてるわけじゃないんで。誰でも使える手法になるから、功績が忘れられるくらい普通の方法になるってだけで。日本があまり振り返ることをしない国だから、いっそう理不尽に思えるんですが……」

「海外からの新来がそのまま新時代となったのも長かったですし。いまもなんでしょうか。

 でも、あの、生徒はそういうのとは別に推理ものって好きですよね。マンガのほうもですけど、むかしからブームになりますね」

「ある種の推理小説をパズラーって言いますけど、オチがあるんです。犯人が捕まる。答えが出て、解決する。

 テーマや背景として行間にある文学的な感慨をめいめいでとらえるより、犯人がきっちり捕まると、結果が出たような気持ちになるんでしょう。パズルが解けたような。

 落語でいうとサゲがある。おあとがよろしいようでってなるんですね」彼の落語の解釈はまちがっていたが、続けて、

「マイルスはトランペットですけど、ドラムがドンガラガッシャーンて激しく鳴るパートを、演者が殴りあうアクションシーンで使ったんです。黒澤明は殺陣に音をつけた。刀で切るときにズバっとかバサっとか効果音が鳴るのを始めたのは黒澤だった。それが普通になって、ちゃんばらといえば子供でも口で音をつける。まあ、マンガが字を絵で描くのも関係あるかもしれませんが」

 了子はあまり浮かぬ顔である。比喩として、衰退したちゃんばらがまずかったか。しかし、石原裕次郎のドラムを叩きながら台詞を言う有名なシーンがある映画。北条はそのシーンは知ってても題名も内容も知らない。知らないからというより、ここではその例はもっとそぐわない気がする。ドラムを使ってるし、例としては近いんだろうけど、そんな気がする。なぜかそんな気がする。

 すると、了子が、

「江戸時代はキリシタンには非常に厳しかったんですけどね。封建時代だから、総じてきつかったんですが。

 たとえば、切捨て御免て時代劇では普通にあったように描かれますけど、江戸時代ですからね。地方の大名は前は敵だったんですからね。弱体化させようといつも狙ってたようなものですから、そんな事件を起こしたらすぐに処分されたと思います。

 でも、自由はまったくないかというと、そうでもない。

 庶民でも、走りみょうとなんてあったようですし」

「はしりミョート?」

「めおと、です。音便で走りみょうと」

「はあ、夫婦で走るんですか」

「駆け落ちです」

「ああ、はいはい」

「封建制だからって親が決めた相手としか結婚できないわけじゃなくて、やっぱり恋愛してダメなら逃げてってことも、そういう呼び名があるくらい普通にやってたらしいんです」

「ちょっと初耳でした。でも、どこに逃げるんですか? 百姓だと逃散は罪だったような……」

「逃げるのはどこでもいいじゃないですか」

「え? いいんですか。でも、捕まったら……」

「普通のことだったんです。だから、その辺の横丁にでも住んでたようです。庶民だから勘当とか御家断絶とか、おおげさなことはないでしょうし、事実が先行してたんでしょう」

 日本のむかしのことにくわしいのはなぜなんだろう。

「だから、スクールカーストなんて、なんでいまさらって思うんですよね」

「いや、それはまあ、たいしたことないでしょう。トレンドワードみたいなもので」

「そうなんですか、カブ高さんでも」

「うちでそんなこと言うのはヲタクっぽい連中ぐらいじゃないですかね。そういうひねくれたことを言いたい年頃というか。中ニ病みたいな。だいたいの生徒はそんなまともには受け取ってないようですよ」

 佐藤たちがもどってきた。

 客たちが拍手で迎え、先生ふたりもそれにならった。

 リクエスト曲をやってくれるなら、ドラムの話が出たからそのときにもう一度話すかな。でも、ドラムがソロをやってるときに話ができるかな。または別の映画かマンガの話題……。

 と、ドアが勢いよく開いた。

「じゃまするぜ」

「ほんとにじゃまだわ~」というママの声が、間をおかず聞こえた。

「なんだよ、それ」

「ちょっと林君、まだステージやってるのよ、おとなしく聴いてよね」

 ずかずかと入ってきたのは、背の低い若い男。黄色い派手なアロハシャツ、それに柄物の短パン。ぞうりはビーチサンダルではなく、和風のやつ。色黒で目が細く、横柄に振る舞おうとするが身に付いてなくて小ずるさが見えかくれする。あたりをねめまわしてるようなつもりで本人はいるらしいが、弱い犬ほど……のたぐいのようにしか見えない。

 広い客席は半分は空いていた。が、ステージには目もくれず、わざわざ店の中央あたりの席を見定めるようにして座った。ママもゆっくりとついて来た。

「林君」

「気安く呼ぶなよ、こっちは借金の取立てに来てんだぞ」

「じゃあ、ひとりでどうしたのよ」

「いいじゃねえかよ。証文はあるんだから、さっさと払うか、それか借金ごとゆずってくださいよ」

 ちょっと口調をあらためたな。駆け引きとも思えないが。

「わかった。怒られたんでしょ。それで内緒でひとりで来たんでしょ。

 そうか、外人の件ね? しくじったんでしょ。若い衆が集まるクラブで外人がせこい商売してるって噂、こっちまで流れてきてるよ。しめようとしたけど外人に逃げられて、しめしが付かないって怒られたの?

 それで今度はなんとかいいとこ見せようとか思っちゃって、ひとりで来たの? 自分ひとりで仕事をかたづけて

 でもね、こんなことしてもアニキは君にだしぬかれたとしか思わないよ、たぶん」林君にしゃべらせない勢いでママはしゃべり続ける。

「アニキはそんなひとじゃねえよ」

「そうかな。地上げするにしてもさ、うちみたいなとこ狙うって君もふくめてたいしたことないんじゃない」

「うるせえな。とにかくビルのオーナーもあんたがうんと言えば、ビル一棟売ってもいいって言ってるんだから。さっさと借金の付け替えに応じろよ」

「あたしがうんと言ったってオーナーに言って、それで承知させようってんでしょ。マッチポンプね 」

「マッチスだからちょうどいいじゃねえか」

「何回言ったらわかるのよ、ここはマティス」

「なめんじゃねえよ、英語で字が二つあるときは音がつまるんだろ。知ってるよ」

「フランス語よ」ママはあしらってる感じだ。

「知らねえよ」

「何回も来てるんだから覚えるくらいしなさい。あんたにもワインも料理も出してるでしょ」ママはそれを迷惑だと思ってないのだろう。さっきからあの笑顔が消えることはない。

「借金があるんだから現物ぐらい出すの当然だろ。そんな話はいいんだよ。その借金をこっちにまかせてくれりゃ、もっといい場所に移れるんだからさ」

「いま金利なんか安いんだから、払い続けられるのよ。せっかくこの場所で続けてきたんだし、どこでも一緒じゃないし。それより、あんた、うちが移ったら場所わかんなくて来れなくなっちゃうんじゃない」

「そんなわけねえだろ。迷ったことないんだよ。こっちがおだやかに話してるうちに、聞いといたほうがいいよ」

「地上げなんて流行んないでしょ。災害もあったばかりだし。

 ビル一棟なんて大きな話になったら、東京のゼネコンとか絶対噛んで来るわ。東京は甘くないからね。

 それよりも、仮想通貨やんなさいよ。おなじ水物だから、水商売のあたしは得意よ。今からでも儲かるわよ」

「え? そうなの? 仮想通貨って儲かっただの損しただの聞くけど、よくわかんなくてなあ」

「ウソよ。そんなもん、儲かるわけないでしょ」

「ふざけてやがる」

「それにヤクザはもうやってるでしょ、仮想通貨と同じこと」

「え?」

「海外に金を送るには、国の管理してる通貨を使わないといけないし、政府が規制してる銀行を通さなきゃならない。国には税金、銀行には手数料を取られる。そんなものなしで送る仕組みはもうあるでしょ」

「外人が海外に送金するときのあれか」

「地下銀行はこの街にもある。ねえ」

と、宗教法人の団体職員でもあるシスターを見る。

「林君の口座はないの? 作ってもらえないの?」

「あんまりふざけたこと言ってるとぶっとばすよー」林君はすごんでない。からかわれ気味の自分の情勢をわかって、冗談半分で言ったのは明らかだった。

 しかし、北条は、

「はい脅迫」

と全員に聞こえるように大きく声を張って言うと、勢いよく席を立った。

「いまのは脅迫になります。それ、違法な取立てです」

「ああ? ちょっと待てよ。なんだおまえ」

「客としてはここに来るのはいい、交渉はいい、でも押しかけてはダメ、強要もダメ。脅迫になります。あなたの言動は、お店の人に脅威を与えるものでした。刑事事件です」

「いや、冗談だろ。あんた何言ってんだよ」

「ぼくは公務員なんで、きっちりと法令遵守させてもらいます。証人として出るとこ出ても結構です」

「んだよ、わかってよ。いまのは無し、無しな。冗談だから。ちっ、きょうは……」

「はい粘るのも迷惑行為」

「わかったわかったよ」

 林君は肩をいからせればいからせるほどチンピラがほうほうの体で去って行くように見えるのもかまわず、そのように店を出て行った。

「先生、ナイス」

 佐藤が親指を、いいねの形で出していた。

 北条は席にもどった。ぱらぱらとした拍手は誰に向けられたものだったのか。シスターも拍手している。とにかく今夜ラストのステージが始まった。マイコが例の指一本で弾きはじめたのは、マイルスではなくモンクのラウンドミッドナイトだった。


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