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『ライトゴロ』  作者: なかがわはじめ
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第四章  来てよ

 野球部の練習はない。間借りしてるグラウンドだし、公式戦が終わった以上、ほかの部活が優先される。

 新チームになって、主将になったのは二年生エース国府田常彦だった。治郎と同じクラスである。

 まだ走り込み各自でやってる。ぼちぼち走ってる。

 海沿いを巡って帰ってくるコースのランニングは気持ちよさそう、と聞いただけで思った。

 ルイ女の校舎に移ってきてからの練習では、ホームランを打てば海に届くんじゃないかと、競争になった。女子高だから塀は巡っているが高いフェンスはない。その気になりそうだが、海に面しているのはグラウンドの南側の一角だけで、学校は少し高台になったところに建っていて、敷地の塀から先も崖があって空き地があって、さらに道路もあるから、そんな打球が飛ばせるわけはないのだが、ホームランとは夢を見させるものなのである。たまにまぐれで、グラウンドを飛び出していく当たりもあった。そうなるとボールを失くすのは厳禁なので、球拾いの一年生は、正門までぐるっとまわって外に出て道沿いにグラウンド方向にまたもどって取りに行くか、南側の塀を乗り越えてかなりの勾配の斜面をすべり落ちるように降りて取りに行くかである。高校生なら当然、後者を選ぶ。

 三年が抜けて人が少なくなったから、みんなで拾いに行くことになるか。それもおもしろそうだった。

 部員が少ないから、一二年生も前から入れ替わりでいろんなポジションについて練習していた。レギュラーの競争にはなるが、秋の新人戦までは間がある。一回戦で負けたからだが。

 治郎はランニングには参加しない。まだ各自だから。

 練習に出づらいという気持ちはあった。まだ気持ちの整理はつかない。

 それとなく察してか、国府田は練習に誘うようなことは言わない。もっとも教室とグラウンドではカーストの変動があるから、野球部だけで集まることはなく、グループはまた別に形成される。野球部やサッカー部は、体育館を使う部より立場は上で、外のランニングのときも山のほうへ走るきついコースは体育館の連中に割り当てられたりする。ランニングの効果などは二の次で、良さそうなものは先にグラウンドを使う部がとる。しかし、教室ではその差も関係なくグループになる。むしろ、部活の話は廊下に出て野球部だけになったときか、ほかのクラスの部員も加わったときにだけする。なぜかと言われてもそういうものとしか言えない。あるいは、秩序がひとつしかないといろいろ融通が利かないから、あらかじめさけているのか。

 駅までの道とはちがう、繁華街のほうへ、でもみんなで行くときには通らない道を選んで、治郎は歩く。

 この辺のゲーセン知らないし行ってみるかな。大盛チャーハンの店があるって言ってたけど、どこだっけ。ワイファイ使えるかな、無理か。ソシャゲは野球部で流行らないな、ひとりでポチポチもつまんないし一年からも対戦しかけてこないし。旧世代のテレビゲームおもしろいんだけど、兄がいないやつはやらないから。エミュでやってるって誰か言ってたけど、どこでもセーブとか便利そうだけど、それチートじゃん。

 足の向くまま、治郎は歩く。

 音楽が聴こえてきた。自然と引かれて歩く。公園があるが、そこからではない。もっと先、大通りに出るほうへ。

 ドン、ドン、と低い音が鳴ってる。近づくにつれ、ブンブン、シャンシャン、トゥクトゥクトゥク、ジャッジャッ、パァパァァァ、雑多な音が混じってくる。エレキギターがふざけてるような音で鳴った。いろんなリズムが鳴ってて、ボーカルも何人かいるようだ。メロディーを歌ってる人の後ろでシャウトしてる。洋楽だ、古い洋楽。しぶいオッサンの声、いや、単に黒人が歌ってるだけか。いや、何人もいる、女の声もする?

 建物の間の狭い道に曲がろうとして、治郎は立ち止まった。女の子がふたりガラス張りになった壁に向かって踊っていた。身長より高く、足元から全身まで鏡のように映る姿を見ながら、そろったダンス。

 踊ってみた、か? 練習なんだろう。音楽は細長い赤いラジカセから鳴ってる。

 治郎は知らないが、そこは区民会館で、一階のガラス壁が夕方まで光線の加減で鏡のようになるため、その界隈では知られたスポットだった。狭い道で後ろはとなりのビルの壁で、「映えない」ということで、撮影スポットではなく練習スポット。よって知る人ぞ知る。

 ルイ女の制服だった。

 ルイ女にアイドルやってる子がいるという噂は聞いていた。

 そういう情報は、アイドルヲタクやeスポの連中などが嗅ぎつけるのは早いのだろうが、そういうグループと運動部は接点がない。

 ただ、お調子者の一年生の馬鹿コンビが野球部にはいるので、その手の事情にも意外と疎くはないのだった。

 ルイ女に通うようになって数日後にはもう、一年から画像がまわってきた。野球部だけではなく、ほかの部にも教室でも出回っていた。

 個人の感想にしても、これがアイドルはないだろうとみなが口をそろえて言った。

 カワイイの噂はすぐに広まる。拡散は早い。しかし、情報は錯綜する。

 この年齢ではまだターゲッティングが甘い。好みが固まっていないから、揺れやブレが個人のなかでもある。

 だいたい、ルイ女のスカートの短さにみなが目をくらまされすぎていた。最初はバスケ部にいる子がアイドルやってるっぽいという情報が駆けめぐった。何のことはない、背が高いひとのスカートがより短く見えて、釣られただけだった。しかし、今回は個人の感想がどうこうより、オッパイでかいだけで選んだとしかみなされなかった。

 グラビアアイドルとのアイドル違いなどは、言いわけにもならなかった。パケ写詐欺になぞらえた「ウソ、おおげさ、まんぐりがえしい」が、おかげでしばらく野球部が話題にのぼるときの代表的なワードになってしまった。

 いま、目の前に見てるこのふたりは、しかしアイドル確定だろう。

 二人ともがかわいい。ひとりはパッと見でかわいい。まず顔が小さくて、いまふうにかわいい。その小顔に比すまでもなく目がとても大きい。いや、相対的にどうこうではなく、瞳の輝きが際立っている。なんか、きらきらしてる。ポニーテールにしてるから顔面を隠しようがないし、その上触角もなくて、踊ってじっとしてないからじっくり見るひまもないのに、激しい動きのなかにときおり見せるきらめくような笑顔に目を奪われてしまう。

 鼻筋はとおってその下に口も小さく収まってるように見えるが、目が大きいのに比較して小さく見えるだけで、美しい顔の中心を占めるだけの幅を利かせた高い鼻である。そして、くちびるは厚いしリップも塗ってないだろうになんだか色つやがある。歌いながら踊っているからか、よく動く。

 画像だと、どこを修正してるのかわからなくても、なんとなくぼやけたような、いやにシャープなような、ごまかしてる感じがどこか残るものだ。あるいは踊ってなかったら、フィルター抜きでもかわいいという、おおざっぱな言い方でいいかもしれない。だが、ダンスの動きのなかでも、美しいポーズを連続しているかのように見えるほど、スタイルの良さがある。それを静止画だけで語っては、控えめに言いすぎだろう。背は高くはないのに顔が小さくて何頭身とかはわからないが、アイドルと言うよりモデル感がある。いや、やはり顔のかわいさが、しなやかな動きよりもプロポーションよりも無論、こまかい部品などよりも先だ。愛らしい。かわいいは正義という、よくあるアイドル評がはじめて腑に落ちた。ネットでのそんな常套句が、ダンスの練習がメインらしく、ほとんど歌ってなくて踊ってるだけの状況なのに、口パクという悪口よりも圧倒的に先に思い出された。

 もうひとりも、普通にかわいい。いや、普通ではないからかわいいのだが。身長は少し低いが、その分アジリティーが高いというか、こっちはモデル感よりもアスリート感がある。ダンスがそうだった。となりがかわいすぎるし、それでこなしてるから、もう一方がそれ以上だったとしても普通に見えるだけのような。こっちのほうが動きはかなり敏捷なはずだ。

 普通にかわいいほうがリードして、圧倒的にかわいいほうにダンスを教えている? いいのか? 別にいいか。

 曲は知らない。張りのある男の声が英語で歌ってる。やっぱり女も歌ってるし、どっちも黒人ぽい太い声だ。子供もいる? ノリのいい、ダンスミュージックなのはわかるが。

 音は鳴り続けたままだが、いったん動きを止めて、普通にかわいいほうが直前の振りをもう一度やって見せているようだ。教えてもらってるほうの子がガラスに映った姿を見ていた目線を相手に直接向けたとき、こちらにも気付いた。ポンポンと肩を叩き、水平にした手のひらに、下からもう一方の手を垂直にして指先が当たるようにつけた形を胸の前で作った。タイム、タイム。

 治郎は、練習を中断させてしまったのは、自分が勝手に覗いてるみたいになったからかと思い、立ち去ろうとした。

 しかし、彼女はなぜか治郎のほうに近寄ってきた。まっすぐこちらに歩いてくるだけだが、軽やかな足取りなのでダンスの続きのようにも見えた。

「めずらしいね」と話しかけてきた。

「え?」

「男子って群れるでしょ?」

 なんとも返しようのない、質問でもない断定。かわいい声。目デカッ。汗まできらきら光ってる。少し気おくれしたが、

「女子のほうでしょ」と、治郎は返事した。

「でも、野球部の有名人じゃん」

「えっ?」と、治郎はおどろいた。

「壮行会のことおぼえてるよ。うちの吹部が応援の予行演習を体育館でやったとき……」

「ああ……」

 急遽結成されたカブ高ルイ女合同応援団は、地方大会の本番を前に、練習の仕上げの意味も込め、野球部の壮行会を行なった。体育館に両校の生徒教員が集まったなか、野球部はステージに上げられ、吹奏楽部とチアガールたちはステージ下に陣取り、そして試奏した。

 しかし、披露されたのは、士気の鼓舞や、応援の掛け声と演奏の一体化のための伴奏というより、ただの演奏会だった。やってるほうにその気持ちはあったのかもしれないが、ルイ女は言うまでもなく、カブ高ももとから強豪校ではなかったので、野球部の監督も部長もただの先生で、応援団の有りようを誰も知らなかったのである。曲のなかに応援団が声を出す隙間を設けていたはずだが、フレーズまでは決めていなかった。むしろ、特にルイ女のひとたちは、誰かに声援を送るときに定型句を使っては意味がないという考えであった。

 演奏に合わせ、かろうじてダンスは行なわれたが、そのほかのひとは座って聴いてるだけになった。

「ビッグバンドだから。演奏重視、テクニック重視なのよ。で、いいとこ見せようとすると、ガッツリやっちゃうのよ」 

「ふーん」ブラスバンドではないのか。

「でもノリは良かったでしょ盛り上がったし。結局、本番はうまく行ったし」

「まあ……」

「あたしたちとしても踊りやすいのはマーチよりあっちだけど、まあ変更はしょうがないよね。器楽パート、声出しパートの繰り返しで単純なほうが合わせるのは楽だし、全員参加した気になれるし。たしかプロ野球はトランペットだけでやってるよね」

 話の後半は耳に入らず、じゃああのときのチアガールにいたのか、と思う。ステージの上から、楽器を持った集団の向こうに後頭部だけ見えても、気付けないな。

 たしかにあれは壮行会ではなかった。応援より、応援団自身の好きな曲をたっぷりやっただけだった。静かな曲もあったし、曲も長かった。我慢して聴いていたわけではないが、実際はルイ女のひとたち以外は盛り上がってなかった。チアガールのダンスは、まあかわいかったが。

 野球部の顧問はただの英語の先生で、指導はしないが口出しもしない。サッカー部にも専任のコーチはいない。ほかの部も同様に教員が担当している。応援の修正の必要は感じても、あの場で演奏を止めさせてまでするほどの急務とは誰も思ってなかったろう。

 しかし、そんななか、ひとりの体育教師が、なぜか抗議のような意見を述べたのだった。

 「青春」だの「汗と努力」だの「感動」だのと、マスコミが初期設定したストーリーを鵜呑みにしてるようにしか見えないのに、まるで自分だけの世界に入ってるかのようにしゃべり続けた。壮行会としては、たしかに誰かが何かを言い出しそうなくらいにはまずかったから、一同は聞くだけは聞いていた。

 だが、自分の考えでもないのに自分語りのような話がいいかげんうるさくなって、治郎は一歩前に出ると「でも、うるさいだけよりはいいです。プロ野球の応援みたいに義務感があるとめんどくさいと思うんで。これがルイ女のやり方なら、いいんじゃないですか。ちょっと上品すぎるけど」と言った。

 誰でもいいから早く反論しろと思っていたのか「いんじゃね」と野球部員たちは同意した。ぱらぱらと拍手も鳴った。

 それでも、まだ体育教師は話を続けようとした。甲子園に行った場合まで持ち出した。極論に飛ぶのはもうマウントされましたのサインなのだが、引こうとしない。それもまた誰も指摘しない。

 ステージ上から彼の青々とした襟足を見下ろして、治郎は「お上品なほうがありがたいです。甲子園なんて全日本剃り込みナンバーワン決定戦みたいなとこあるから、普通の県立なんて負けます。それより応援団が賞をとるほうがいい。この人たちなら、与えてあげるほうだからって閉会式でわざとらしい美辞麗句をながながと並べたてる新聞社や官僚のクソジジイが下品に見えるだろうし」と言った。

 まだ体育教師は、負けることを考えるのは弱気すぎるなどと言い募るが、反論はもう誰も募集していなかった。

 構成や編曲には変更が加えられることになったが、吹部のレパートリーが替わることはなかった。

「ビッグバンドジャズって、ダンスミュージックだったの。だから、野球のときスタンドではうまく行ったけどさ、座って聴くものじゃないから。今のクラブでかかってるようなものよ」

「そうなんか」と言ってはみたものの、クラブになど治郎は行ったことがない。

「試合は惜しかったけどさ、でもいい試合だったし。点、取り返したもんね。応援のし甲斐があったってものよ」

「うん」

「女子も盛り上がったんだよ。野球部のファン増えたかもね」いたずらっぽく笑う。それが彼女によく似合う。

「それはないだろ」

「いやいや、ほんと」

「まあ放っといてほしいけどな」

「え? いいじゃん。応援してもらうのうれしいでしょ」大きな目がまん丸になって、芯から不思議そうな顔だ。

「いや、負けたし。やっぱり」

「勝ち負けじゃないでしょ、何にしても」

「悪い評判で有名になってもさ……」

「……。もしかして、悪名は無名にまさる、とか思ってる人間だと思われてる? 売れれば勝ちみたいな? やっぱりアイドルだから?」

「いやいや、そういうわけじゃないけど」やっぱりそうか。ダンサーじゃない。ダンスと歌の練習だ。かわいいもんな。アイドルだよ、そりゃそうだ。

「名士って通念が廃れたからね……。楽士も普通の言い方だったんだけど知らないかもね」

「名詞?」それに変な方言みたいなことも言った。アイドルだからテレビもよく見てて、めっちゃ、なども普通に使うのだろうか?

「有名になりさえすればいいんなら、歌やダンスのレッスンなんかやる意味ないから。SNSじゃないけど、誰でも言いそうなコメント出して何か言ったつもりになるのか、誰でもいいから叩いて大声出したいのか。何でもいいのかって話よ。クソ曲なんかいらないし、それならカバーで名曲やる。クソ客もいらない。シャウトしたいならジェットコースターでも乗っとけっての」

 急にヒートアップした。

「それか鏡に向かってやってろって話」その冗談を治郎は聞き逃した。

「名刺って、サラリーマンが交換する小さい紙に名前書いた……」

「ちがうちがう、名士。武士とか文士とかの名士。名家の出身とか、名門校に行くとかって……」

「ああ、名門で、名士と。名士? 名士って言う?」

「言う。大学行かないと学士とか修士とかないじゃん。だから、有名人ってだけじゃダメで、いいことしないと名士じゃない。悪いことで有名になっても名士じゃない」

 そんな定義はどうでもいいが、さっき彼女が言った「悪名が…」のくだりははネットで見たことがあった。治郎の、件りの使い方はまちがっていたが。

「広告や宣伝が悪いことみたいに言われるじゃん。そのせいだよね。でも、知られないと始まらないってこともやっぱり事実だし」

 より良いものをより安くよりたくさんの人に。資本主義は、入り口はほとんど民主主義だ。

 個人から少しずつ集め合ってひとりじゃできないような大きな事業に充てる。マンガ雑誌が日本中どこでも小学生のお小遣いで買えるのは普通にいいことだ。が、ここから道は分かれる。子供のお菓子のパッケージは同じままで中身を減らして利潤を得ることを恥と思わなくなったら、思想は消える。

 入り口も間口も広く。それだけでも、まだ自由は存在するように見えるかもしれない。が、資本主義というプログラムにはリターンで終わる文法がある。人が資本と同じように従えば資本主義世界の内部では回るようになっている。それだけである。結果が有利になったとしても、その場でぐるぐる回ってるだけを自由と呼ぶのか。これは文法ではなく、行為についての問題である。

 もちろんアイドルはこんなことは言わないが、世のアイドルたちの活動について賛否があるのは承知しているから、もっといろいろと言う。

 CDを何枚も買わせるようなことはうちはやってないから。

 形態的に日替わりの音源のほうが価値がある。ブートレグのデータが金銭を伴って流通してても、こっちには回ってこない。でも、うちらのホームページの広告をクリックするのはただでもできるし、ヲタクでなくてもやる。この遠回しの交換は、人として正しい行為だ。

 ファンはほしい。ヲタも武器も、多いに越したことはない。

 総選挙? 選挙ならひとり一票でやれよ。

 もうひとりの普通にかわいい子は話には加わってこない。壁の反射で鏡越しのようにこっちをときどき見てるが、ラジカセから流れる音楽のリズムに軽く乗っている。こっちの話に同意なのか否定的なのか興味がないのかすら知りえないが、手持無沙汰というわけでもなさそうだった。

「応援してもらったけど、試合は終わったし済んだことだし。甲子園の季節だけマスコミが取り上げるから騒ぐとか、ネットで話題だから騒ぐとか、ファンじゃないし、そのときだけだし。なら噂なんて早く消えろとしか思わないよ」

「またがんばれって思ってくれてるひともいるよ。それでまた応援してくれるよ」

「野球は好きでやってるからまたやる。望んでやってる。でも、こっちは楽しくやりたいのにさ、がんばれって言われ続けるのも迷惑なもんだよ」

「なんで。うれしいじゃん」

「ありがた迷惑だよ。もういいって。終わったことなのにがんばれって応援じゃないし、ほっといてくれってなるよ」治郎は、そんなわだかまりが自分の中にあるとは思っていなかった。すらすらとしゃべってる自分が不思議でもあった。

「来てよ」と、唐突に言われた。

「え?」

「来てよ、コンサート」

「え? なに? コンサートってつまり……」

「無銭だから大丈夫」

 なんだ無線って。ワイヤレスの話かとは思っても、リモートや配信だとは二〇二〇年夏ではないので思いもつかない。

「試合終わったんだからひまでしょ。ぶらぶらしてるし。今週の土曜の午後だから」

 場所も告げられた。県立体育館に次ぐ、市内では大きなホールの名前を言った。東京からくるバンドがライブをやるような、売れてる有名なミュージシャンだと何日間かやるような大きな会場だ。

「マジであそこでやるの? すごいんだけど。アイドルのコンサートて……」

「ああ、場所はそうなんだけど、まあゲストっていうかサポートっていうか。うちらの主催じゃないけど、でも単独のステージもあるから」

 治郎にはよく区別がつかなかったが、相手は立てつづけに

「まあ、うちらの客ではないんだけど、でも絶対いいライブにするから。無銭だから誰でも入れるから、だから、来てよ」

「無料ってこと? それなら……、いや、おれアイドルのコンサートなんて行ったことないから、ヲタクが集まってなんか……」キモイ……と言いかけて治郎はやめた。

「大丈夫よ、あたしたちがやるのファンクだし。本当はジャズなんだけど、その日はおもにファンク。ディスコみたいなものよ。でも、ダンスの練習もいらない」

 ファンクは言葉しか知らないが、ジャズダンスとかディスコとかで、でもダンスはいらないと。少しイヤな予感がしたが、まっすぐに目を見て言うから、すぐには断れない。かわいい顔で訴えられると、無下には断れない。つまり、治郎は断れない。

 すると、三人目が来た。

「どうしたの」

 この子もかわいい。どうなってんだ。そんな話は聞いてない。

 アイドルのグループでこんなに連続でかわいいってあるものなのか?

 この子は、モデル感の子のかいつまんだ説明でも一瞬でいまの事態を把握したようだった。そう言うと賢くて優等生タイプのように思えるが、計算高いという悪口を浴びる可能性もある。ポンコツでいろいろとうまくできないことを、か弱さと取らせ、守ってあげたいと勘違いさせてなんぼのジャンルでもある。

 ほかのふたりより、少しだけやせてて、少しだけ色が白い。モデル感、アスリート感と来て、女優感と言うには、かわいいが勝ってる。一番背が低くても、それはアイドルというジャンルではアドバンテージである。それでも、ほかのふたりがふたりだけに、理知的な印象は相対的に冷たさととられるかもしれない。あるいは、あざといと言われ、隠してるものを探られるとか。いや、謎を秘めたかわいさとは、つまりは尽きない魅力と同義ではないか。

「ふーん」

 ちらっとこっちを見ると三人目の子は、あれこれ想像されているのを見透かしたかのように、いきなり連絡先を交換しようと言ってきた。

 魅惑的。これが振り回されるというやつか。すばやい行動の果断さも含めて、治郎はそう思う。当然、素直にスマホを出す。

 その子のスマホの液晶がバキバキなのがなんとも言えない不安な気持ちにさせるが、それが悪い印象ばかりでないのが不思議だ。というか、自分でもちょっとおもしろくなってきた。

 チケットはホームページからダウンロードして印刷してもいいし、ライブの告知のページをスマホの画面で見せてもいい。登録をしなくてもいける、なんなら、当日「DDを観に来た」と言えば、困ったらとにかく「DDです」で会場に入れると言う。なんだかよくわからないシステムだ。アイドルにはありがちなのかもしれない。

 どこへ行くあてもなく歩いていた治郎は、決して断れない笑顔の誘惑が存在することを知った。

「来てよね」

 最後に、一番かわいいあの子がもう一度言った。そして三人でガラスの壁の前へゆく。ちょっとだけ間をおいて、あの子だけが振り返ると、にこっと笑った。まだ治郎が立ち尽しているのをわかっていたかのように。

 治郎は歩み去った。治郎は歩く、先ほどまでとは少しちがった足取りで。

 入れ替わるようにほそい路地の向こうの角を曲がり、佐藤がやってきた。

「なんだよ、マイコ」

「ずっと聞いてたおまえはなんだよ、ヤス」と、ルーミンが代わりに答えた。神秘のかけらもない直截的な文句。

 不満そうに佐藤は無視した。外国資本のネット経由の配達屋のようなでかくて四角い背中のリュックが重荷に見える。入ってるのは主にサックスなのだが。

 マイコも返事をしなかった。ミクもなにもしゃべらない。

「おまえらから誘うのめずらしいだろ」佐藤は言った。でもやはり誰も答えない。

 ミクがラジカセを操作し、曲の頭出しをした。

「じゃあ、おれ先に店に行ってるから」佐藤はやはり不満そうに言って、もと来た角を曲がって行った。

 帯刀舞子、宗像美紅、葛城瑠美。DDというのはまたの名の略称であって、この三人のグループ名はのちに語られるであろう。


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