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『ライトゴロ』  作者: なかがわはじめ
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第十三章 軽音

 学級の連絡網はインターネットに移ってずいぶんと経つ。そこに流されるのはほとんどが教師からの伝達事項で、保護者からの返信もない。了解、ではなく、生徒に実際に持たせるものの確認であれば子供に言うまでのことであり、不審者の情報などは何かあっては困るから流すのである。

 インターネットと言いながら情報が交わされることもない。ただ、生徒同士はまた別の手段を持ってはいるらしい。それを裏サイトなどと呼び、ことさらに問題視するのはマスコミのスキャンダリズムで、そんなところまで統制が執れていたらそっちのほうが問題である。

 そんなふうに思っていたから、生徒のほうから連絡がきたのは北条にはおどろきだった。しかも、校内でのことである。

 だが、その内容は、今度はけいおんにルイ女の生徒が来ているというものだった。

 これも草食系男子とかいうものだろうか。

 『けいおん』というテレビアニメーション番組がヒットしたのは二〇〇九年だった。

 ということは、二〇二〇年の高校二年生は当時は五歳、六歳なので、そんな深夜アニメを見てるわけがないのだが、東京で放送された時期から地方が遅れるのはよくあることで、さらにヒット作品ということで再放送も何度かされた。

 何より、女子高生が主人公で、彼女たちににわかバンドブームをもたらした形で流行したので、それに男子たちが付いていかないわけはなく、その淡い期待が時を越えて引きずられていたのである。なにしろ、男子がバンドを始めるきっかけ第一位は、洋の東西、時代を問わずモテたいためである。

 よって、部活の表記は「けいおん」のままだった。

 それでも、残念ながら、カブ高の女子部員は史上ゼロだったのだが。

 いざ、女子が来たとなるとおどろいてしまうのだろうか。

 北条がけいおんの部室に到着すると、開け放したドアから、音楽が聴こえてくる。だが、エレキギターでなく、アコースティックギター? けいおんは楽器は部員たち個人の持ちもので、ドラムセットも解体すればひとりで運べたので、さきの豪雨の被害はさけられた。ルイ女側からうるさいと言われないのをいいことに、早々に活動再開した連中だった。連日のように、うるさくエレキギターが鳴っていたものだが。

「うん。おもしろい。変なチューニングだとまたイメージ変わるな」ギターの田中勝彦がうれしそうに言った。

「リードギター任せられるな」ベースの熊野皆人がぼそっと言った。

「待て待て、それじゃおれがサイドギターかよ? じゃ、ほかのことがんばっちゃうよ」

「歌をがんばれよ」

「いやだ、コードじゃかじゃか鳴らして歌うだけなら普通のバンドみたいじゃん。いやだ。スリーピースだからいいのに、そっから外れるんならチャラくなるしかないよ」

「外れてはないだろ。なんで急にチャラいキャラがメインになっちゃうんだ」

「ばかやろう、モテるためにやってんだろうが。ちょっとでもマイナスになることあったら、モテる要素をプラスするだろ」

「なんでおれが怒られんの?」

「あのう、女性ボーカルだからって真ん中じゃなくてもいいと思う。それも普通っぽいし」おたくさんも本気の喧嘩とはとらえてないようで、一応のとりなしだった。

 言い合いしてる? 女子の加入にとまどってるという感じでもなさそうだ。採用面接か、あるいは女子も合わさって全体会議をやってるようだが。

「あ、先生。このひとです、ルイ女の子が入りたいそうなんですけど、ぼくはちがうと思うんですよ」

「は?」

と、おたくさんが思わず声に出した。

 北条はうなずいただけで言葉はさしはさまず、見守った。

「SSWをつづけなよ。そのほうがいい」

「……ギターがダメだった?」

 男子ふたりは揉めるのを止めた。白木はつっ立ったままだ。

「おたくさんはここじゃないと思う。

 ヲタサーの姫と、けいおんのマドンナはちょっとちがうんだよ」

「そういうつもりないんだけど……。いつもは路上でやってるし、サークルなんてないし」

「うん、わかるけど。ていうか、その路上でなんかあってここに来たんだろうと思うけどさ。

 つながり目的っていうと、アイドルのヲタクみたいだけど、まあ、接触ていうか、それよりは本人のためと思ってアドバイスしてくるひととかいるんだろ。接触よりはましどころか、忠告みたいなつもりで」

「ああ、あれか。SSWおじさんか」田中が笑いながら言った。

「ヲタクって中傷するものっていうか、妄想するのが本質みたいなものらしいし。そんなのまともに聞く必要ないし、流してればいいと思うんだけど」

「流しだけに」と田中が言ったが全員無視した。

「そんなひともいるけど、でも、あたしはちがう音楽がやってみたくなっただけだし……」

「なら、アイドルでもいいよね。それならルイ女でも参加できた」

「ええ……」おたくさんは顔をゆがめた。

「ジャズでもいいよね。一緒にできたはずだよ。ジャズやりたいって言えば、あの子らはいつでも歓迎するだろ」

 おたくさんが小さくうなずいたので、白木も一息つくと、

「ただのサイドギターなら、田中に弾かせてサンプリングしたの足せばいい。最近いいループマシンが手に入ったんだよね」

「いやだよ、三人でシンプルな音でやろうぜ」と、田中。

「そういうわけだから断るよ」白木は、自分のせいでもなく、おたくさんのせいでもなく、田中のせいだといった軽い調子で言った。

 おたくさんはまだ迷ってるようだった。白木は言葉を続けた。

「何か弾いてって言われて、やったのが持ち歌じゃなかったじゃん。

 カバーやったよね」

「でも何ができるか見せるのは当然じゃない? バンドやるんだし」

「どんなミュージシャンか知りたいってときに、自作曲あるならやってほしいでしょ。一緒にやれるかこっちを試すのでもいいから」白木はちょっと笑って「熊野なんて音痴なのに曲つくってきたらまず大声で歌うよ」

「そうなんだよ、音痴に聴かされたもんを覚えて歌いなおすボーカルの気持ちわかってんのか」これは田中。

「いまおれの話じゃねえよ」これは熊野。

「選んだ曲もマニアックだったし。けいおんやバンドよりも、やっぱひとりでやる用じゃん」と白木。

「音楽観を見せるにもテクニックを魅せるにもいいレパートリーだったから」おたくさんはまだ食い下がった。

「うーん。なんかこだわるとこがちがうっていうか、見えてこないっていうか。なんか、したてに出てない?」

 おたくさんは不思議そうな顔をした。  

「逃げてるとは思わないけど、いや、変なSSWおじさんとかからは逃げてもいいんだけど、なんか、こっちがすかされてる感じがするんだよ。したてに出れば波風立たないと思ってるのかもしれないけどさ、それでバンドに入ったとして、やるのは音楽だよ。やり合いだよ。ほかのバンドとの勝負以前に、中でもやりあうわけじゃん。曲を作り上げてく中で、ああでもないこうでもないってやり合うわけじゃん。

 弾けますよ、できますよ、技術はありますよって、そういうことじゃなくて。

 そんならループマシンでいいってなるし。

 へたくそでも同じレベルでやりたいじゃん。気持ちだけでもバトルしたいじゃん。

 レベルっていうか、ちがう楽器でも対等にやり合うのがジャズだけど、ロックだって気持ちは一緒っしょ」

「そうそう、熊野は歌はヘタクソだけど曲はいいんだよ。自分で歌ってみるまでわかんないけど」

「おれの話はやめろ」

 どうやら彼らは、女子生徒の入部は断るつもりのようだ。それで連絡をよこしたのか。波風立てないようにしたいということか。

 北条は、この女子生徒が路上で歌っているということをどうとらえるべきかを考えていた。それもバイトになるのだろうか。ただの課外活動ではないが、しかし、シスターは天職と言っていたが、そういう行動は容認するのがルイ女の方針のようだった。

 最近、変なうわさがあるのは気になるが、ルイ女の募金も街中で歌うことにはちがいない。

「先生、eスポにルイ女から参加するのも断って、でも、ルイ女にコンピューター部ができたんですよね。なんかそういうふうにできませんか」白木が話を振ってきた。

「そうだな。eスポーツ部もゴスペルはやってたんだよな。これからもそういう交流はあると思う。この……。ええと、名前……」

「一城紫陽花さんです。おたくさんて、みんな呼んでます」

 もめてるようで親しくなるの早いな。そういうものなのか。

「けいおんはゴスペルみたいなものはやらないんだろうけど、でも、ゴスペルは募金活動の役には立ってるからな。そのう、君が路上で歌ってるのも無駄ではないと思うし、ここよりルイ女のほうがそういう活動には向いてるような気がするな。なあ…」

「いや、先生。ゴスペルもやりますよ、できますって。ソウルやロックのいわばDNAですよ。ゴスペルの素養はありまーす」

 田中がやおらギターを抱え、

「あ、熊。ストラップ貸して」

 北条がストラップという言葉に引っかかって、ちょっと考えてるうちに、田中は受けとったベルト状のものを取り付けたギターをさげると、爪弾きはじめた。

 北条の頭のなかには、さらに疑問符が浮かんだ。

 聴いたことある。なんかちがうが、これ知ってる。話の流れからゴスペルだな。

 単音での、悲しげなメロディー。短い音をつらねて、ギターが切々と歌っているかのようだ。けいおんがいつもやってる、うるさいのとは程遠い音だ。ロックではない、ゴスペルだとしても、エレキギターがものすごくテクニカルなのが、素朴な宗教性とは相容れないような。

「聴いたことあるぞ、これ。でも、なんだろう、こんな悲しい曲だったか?」

 白木は音に注意を取られている北条にわからないようにおたくさんに手で合図をし、耳元に顔を寄せるとほかのひとには聞こえないような小声で、腕は見せたいんだよ、と言った。

 おたくさんが小さくうなづくと、ちょっと鼻に付くけどさ。でもそれくらいでないと。と、白木は付け加えた。

 おたくさんはちょっとだけ笑った。

 ほとんどギター一本でやってるが、電気のかん高いような、か細いような音が頼りなくて、ひとりで歌うときの気を張った自分の意気込みにくらべて、拍子抜けのように聴こえる。

 熊野はすでに椅子に座ってベースを弾き始めていた。静かな、ギターを支えるような演奏だった。おたくさんから離れると、白木はドラムの席につき、簡単に音に合わせた。やはり静かにシンバルを軽くきざむ。

 けいおんというよりジャズだな、と北条は思った。そして、やっと思い出して、

「そうだ、あれだろ、テンポが遅いからわかんなかったが、テレビゲームの会社の歌だ」

 全員が、

「は?」

となった。それで曲は終わってしまった。

 あせったように北条は、

「あれかな、黒人音楽だからそんなふうに悲しくなるのかな」

「いやいや、先生。悲しいってより、祈りだから」

「そうです。祈りは厳粛なものですけど、悲しいものではありません。願いが叶うかどうかはともかく、かならず神は聞き届けてくれますから」

「いや、音楽の話なんだけど。あれだよ、黒人だからバスケがうまい、ブラジル人だからサッカーうまいみたいな、そういうことじゃなくてさ、そうだ、じゃ、あれ行こうぜ、白木。外ではオリジナルしか求められないやつ。あれやろうぜ」

 言いおわらないうちに、田中はコードをじゃっじゃっと規則的にゆったりと繰り返し始めた。

 返事もしなかったのに、とことことこ、と手数の多いドラムで白木が応える。

 なめらかに、それでいていちいちキューン、ドゥーンと音から音へ行くまでもが何らかの音を鳴らすベースも加わった。

 見せたがりというか、単純に弾きたいだけなんだな。おたくさんはまた小さくうなずいた。そして、そのままリズムを取り始めた。

 今度は歌もあった。

 しかし、北条はやはりこの曲もどこかで聴き覚えがあるという思いに引きずられ、

「ジャマイカのずっと内陸のマンデビルの近く

 森を抜けて 丘のてっぺんに

 土と木だけで立てた小屋があって

 ジョニーBグッドって土地の若いやつが住んでた」

と、名前が出てるのにまだ気づかない。

 国境がないのが音楽だなあ、と、おたくさんはのんきに聴いている。のんきにさせるジャンルの音楽なのだ。

 ゴーとジョニーの間が長いので、その部分に差しかかっても北条はまだわからない。

「汽車のガタンゴトンよりもっときざんで弾いてやれば

 通りがかりの人らは立ち止まって、そして言ったもんさ

 この子は何者だい。こんな田舎に上手いやつもいるもんだ」

のあと、ギターソロがはじまった。田中は調子に乗って、ロックンロールバージョンをかき鳴らした。

 それでやっと北条も、

「ああ、あれだ、BTTFでやってたあれか。でも、こんなにもったりしてるパターンもあるのか?」

「国境がないのが音楽です」と、おたくさんが説明した。

 いまの音楽でこの子も納得したのなら、自分にはよくわからなくても、それでいいのではないか。

 どうやら話はおさまりそうだと思っていたところに、窓の外、校庭から悲鳴のような声が聞こえてきた。

 北条はぎくっとしたが、つづいてよろこんでいるような笑っている声もあがる。

 それで少し思い直して、何の騒ぎだろうと、生徒たちもみんな窓に近づいた。

 見ると、グラウンドを縦横無尽に犬が走り回っている。

「おい、男子、行こう」と北条はすぐに言った。

 グラウンドにいる連中はきゃーきゃー騒いでいるが、恐慌状態というより、おもしろがってる様子もある。あまり緊迫した空気になってないのは、走り回っている犬がブルドッグだったからだろう。野犬にはいないタイプ、犬種だ。目立ちすぎて、あるいは特徴がありすぎてすぐに捕獲されるだろうし、なにより、愛嬌のある面構えだ。その犬種の本来追うべきもののように人間を追っているというより、広い場所で駆け回るのがうれしいといったところか。つまり、じゃれついてるつもり。

でも、アクシデントであり、騒ぎにはちがいない。

間借りしている手前という考えでもないだろうが、あるいは女子にいいところを見せるチャンスだからか、田中を先頭に男子生徒たちは教室を飛び出していった。おたくさんも加勢にとの声もかけられなかったが、とにかく一緒に出た。

 グラウンドに面した旧校舎に残っていたカブ高の生徒たちも、体育館からも、続々とひとが出てきている。人数は増えるが、懸命に犬を追いかける運動部の生徒もいれば、おもしろがっている文化部の見物組もいる。いくら期待のホープの陸上部員でも犬に追いつけるわけもなく、いろんな方向にころがるように走り回るのはアジリティーのトレーニングのようで、体育館のなかでバスケ部が行け、いやバレー部が行け、という争いも起きて、騒ぎを嗅ぎつけた犬がまたそっちに向かってきて、体育館に入られることだけは阻止しようとまた騒いで、とにかくみんながそこらじゅうで、はしゃいでいる。

 北条から真っ先にグラウンドへ出たが、さてどうしようかと立ち止まった。田中は北条の横をすり抜けそのまま走ってゆく。


 掃除当番のあいだは、だれもそんなにしゃべらない。だから、佐藤に感じた当たりの強さも胸にしまっておいて、治郎はもくもくと作業をした。掃除が終わると、単独行動が多い佐藤はさっさと教室を出て行った。

 治郎もこのごろはひとりで下校していたので、ちょっと遅れて出た。一階のフロアに下りて、校舎の端の玄関へ向かおうとしたところで、校庭のほうから、悲鳴のような声が聞こえた。

 前を歩いていた佐藤が立ち止まった。治郎も止まる。廊下は校舎のあいだの通路に面しているので、グラウンドのほうは見えない。教室を隔てた向こう側だから、耳だけが頼りだ。

「なんかあっただろ」治郎から話しかけた。

「でも、笑ってるみたいだぞ」佐藤は天井を見るように顔を上げ、聞くことに集中している。

「恐怖のあまり、笑ってしまうとか」治郎は自分でも言い過ぎてると思ったが、言ってみた。

 佐藤はちょっと苦笑して、

「行くか、マイコはこういうことはほっとかないし」

と、言いおいて走り出した。

 渡り廊下の下、一階部分にも校舎の出入り口があり、その延長線上のふたつの校舎の中央あたりにも、それぞれ出入り口はある。校舎をつらぬくように土足で行き来できるエリアになっている。教員や外部の者だけでなく、生徒が運動靴を持ってグラウンドに出るのにも使う通路である。

 治郎も目の前を通り過ぎた佐藤のすぐ後ろからつづいて、廊下を曲がる。

 佐藤は、その出入り口の手前にかばんを投げ捨てると、上履きのまま外に走っていった。治郎もそのまま走り出る。

 

 ラクロスの部員は、クロスという網のついた棒を持っていたが、犬を捕まえるには小さすぎた。たとえブルドッグといえども。

 女子サッカー部や、陸上部もいた。でも、動物を蹴るわけにはいかないし、短距離の選手といえど追いつけない。追いかけるのが逆効果と見て、ゆっくりと近づいて行くものもいた。そうすると、犬が逃げるのをやめるので、首輪をしてるのも確認して、でも、首輪は身体にめりこんでいるような状態で、近寄ったとしてもどこをつかんでいいのかわからない。ずんぐりむっくりな身体で、でもやっぱりすばしっこくて、たくさんの生徒のあいだをドローンの類のようにすりぬけてゆく。

 途中途中で小さな叫び声を上げる生徒もいる。女子、男子に限らずである。それに反応して犬も跳びはねたり、追いかけてきたりする。追いかけられて逃げた方向でまたびっくりして悲鳴を上げる生徒がいると、集団で追い立てられた形になり、まるでハーメルンの何とかである。

 なかには「ジョン、ジョン」と呼んでる女子もいるが、何人もいるということは飼い主というわけでもなさそうだ。

 ルイ女の正門はつねに開かれている。物騒なご時世になぜなのかといえば、なんじの隣人を愛せ、の教えからである。

 どうやら、ジョンがこんなふうに現れるのは初めてではないようで、そういえば、悲鳴より嬌声のほうが多く聞こえる。

 いや、犬が怖いという男子も当然いて、声を出すのを我慢してる分、いつもより余計に喜んでるような声が多くなっていて、間借りしてる分ひとも増えたし、ジョンはいっそう張り切ってしまうのだろう。

 なかなか犬は捕まらず、グラウンドに出て来るひとは増えつづけて、とうとう軽野校長までやってきた。

 

 外に出ると、佐藤はグラウンドのはじで立ち止まった。

 となりに立った治郎は、マイコを探してるのかと思う。すぐには駆け出さない。校庭に犬が入り込むのは、カブ高でもあることだった。ブルドッグなのはめずらしいが、なんのことはない騒ぎだとわかったからだ。

「校長、どうどうって言ってないか?」治郎は気がついた。

 ひとしきり生徒たちと追っかけっこをし、つくねんとたたずむと、なぜか犬は気まぐれのように校長に近寄っていく。校長はさすがに年で、捕まえようとはしないが、何か言うと犬はまた逃げる。かと思うと、また寄ってくる。

 佐藤がだまっているので、

「どうどうって、馬に言うやつだろ。馬が基準なんじゃね」変なことを言ってると自分でも思う。佐藤に対するとどこかで構えてしまう自分がいる。だが、だまっているのはなんとなくしゃくだ。

「そんなら犬が馬のほうに行くんじゃね。ブルドッグだし」

 自分の発言がおかしいことも意識するくらいだから、そう言った佐藤にも反発できると思った。なんで馬と牛が一緒なのか。でも、カウボーイは馬に乗って牛を追うよな、と、また変なことを考えてしまう。いやいや、そんなトークやってる場合かと、かろうじて自分を押しとどめる。

 すると、犬が近寄ってきた。

 ブスな犬だなあ。愛嬌はあるけど。顔だるんだるんだ。すばしっこそうに見えないが、やっぱ捕まえるのは無理かな。佐藤は……?

 佐藤は硬直したように動かない。

 それを察するのか、犬は佐藤の前で座りこむ余裕を見せる。

「おい、ブル」治郎は近づく前にまず呼んでみた。

「ブルじゃねえよ。ジョンだよ。こいつジョン」

 呼ばれたと思って、ジョンはちらっと佐藤を見た。

 それを見て、

「ジョン。おいで、ジョン」と言いながら治郎が一歩進むと、犬はやおら立ち上がり、また走って行ってしまった。

「ふー」

と、佐藤は大きな息を吐いた。

「……もしかして、おまえ犬怖いの」

「そんなわけねえだろ」すばやく、大きく佐藤は否定した。

 いや、校舎を勢いよく飛び出したわりに、びたっと止まったし。おまえの目の前で犬は座って休んでて、おまえはなんもしねえし。犬がどっか行くとほっとしてるし。

 でも、治郎は何も言わなかった。

 

 騒ぎはつづき、グラウンドにはとうとうシスター了子もやってきた。

「あっ、シスター、危ないですよ」

「あら、北条先生。大丈夫ですよ。まあ、ジョンじゃない。しばらくね」

「は? この犬はルイ女の犬なんですか?」

「いえいえ、たまにね、現れるんですよ。どこから来るのか、でも、そのたび全然だれも捕まえられなくて、また逃げてくんです。ゆうゆうとね。それで、ほら、ジョンブル根性って言うじゃないですか。だから、だれからともなくジョンって呼ぶようになったんです」

「はあ……」そのナントカ根性はあとで検索しよう。とにかくこの犬を知ってるってことだし、首輪もしてるし、大したことではないんだろう。

「あらあら、軽野校長まで追いかけて……。まあ、活発な方ですし、いい運動にはなるでしょうね」


 けいおんでは、田中がやたらはりきってるが、やせっぽっちのギタリストはブルドックの好みではないようで、まったく寄ってこないし、追いつけもしない。

 ほかのふたりと、おたくさんは、犬のほうは田中に任せて見物の衆のなかにとどまっていた。まだ八月で、夕刻でも陽射しは強いままだ。特に白木は日陰にいたかった。

 白木は、

「おれもへたくそなツッコミをさけるために、自分からデブネタを言うことはあるよ。

 いじりの加減がわからないやつっているからな。

 でも、いじめなんてことじゃなくて、スベリを強要されるのがイヤなんだけどさ。

 いじめはエスカレートしたら、反発しようとも思うだろうけど、全然ウケないのにいじられ続けるのは地獄だし。そいつがすべってるだけでなく、やられてるほうまで悲劇の主人公みたいになるしさ。笑えないし、悲しくもないやつな。助けられないし助ける気も起きない、逃げられないし空回りを見てるだけで、すーんってなるしかないみたいな。

 だから、したてに出るっていうか、まず先回りしてイヤなことをさけるのもわかる。

 でも、SSWおじさんになんか言われるからってさ、ほっときゃいいよ。同級生とバンド組むのにそんな変なやつを気にするとか、いらねえよ。なんか、おっさんの思う壺じゃないか。そんなやつ、音楽のこと言いたいんじゃなくて、とにかく文句を言いたいだけだろ。ネットの中傷するやつみたいにさ」

と、どさくさにまぎれて、そんな会話を始めた。

「でも、当たってることもあるよ、言ってることで。大人だし、音楽には興味あるんだろうし、だからいっぱい聴いてるだろうし」

 おたくさんも素直にしゃべってるようだった。

「関係なくね。音楽のジャンルはたくさんあっても、おたくさんがやりたいのはひとつなんだし。それさえわかってればいいだろ。たとえば、おっさんだからってジャズ聴いてるひとは少ないし、逆に、ジャズファンはけいおんなんて眼中にないだろうし。でも、おれらには関係ないし」

「そんなふうにさ、はっきり自分を持ってるならそう思えるんだろうけど……」

「いや、関係ねえし。ダメな音楽はわかるじゃん。ダメな意見かどうかはどうかはわかんなくても、ダメな大人はなんとなくわかるじゃん。それと自分がうまく行くかどうかは別だよ。少なくとも変なやつが付いてくるかもしれない負い目みたいに思ったりしなくていいよ」

「そこまでじゃないけど……」

「うん、遠慮とかいらないってこと。たとえば、おれらとバンド組むことになったとして、みんな意見は言うよ。バトルみたいにやり合ったりするだろうけど、それはセッションだし、バンドの一員としてやりあうんだし。まあ、実際に聴いたひとの声だから、ファンの意見なら辛口でもありがたいときあるけど。それ以外、文句いうおっさんはノー。現場にいても、ちがう世界線のひとでいいんじゃね」

「そうか。そうなのかな」

「まあ、歌でだまらせるのが一番だけどな。バンドはやらないほうがいいと思う。曲提供なら、熊野も田中もいつでもやるよ。もちろん、おれもそれに……」

「そうか」

 おたくさんには、ツッコミと悪口が紙一重なのはわかっていた。 


 カブ高のサッカー部が強いかというと、野球部と遜色無しといったところで、しかし一番の差は女子マネージャーがサッカー部にはいるということであった。

 これは、この年ごろにとっては大きな問題である。ただ、野球部は自主性を重んじるという伝統があり、それが男だけでやる理由となっていた。

 いまは、グラウンドには男子サッカー部はいない。ルイ女のサッカー部とラクロス部の練習の日であった。ルイ女サッカー部はとくに強豪というわけではない。だから、全国レベルのラクロス部にくらべて扱いが悪いかというとそんなこともなくて、そのあたりは教育的な配慮がなされ、いまも一緒に犬を追いかけている。

 治郎と佐藤は、グラウンドにはマイコの姿は見えないのに、

「マイコは売れると思うよ。アイドルとして、歌手として、売れる要素は充分にあると思う。でも、売れるかどうかはわからない世界だから。

 どうでもいいような歌手でも、押され方次第で売れたりするし、売れて当然のマイコでも、売れないこともあるかもしれない」

 そんな話になっていた。

 相手が乗ってきそうな話を選ぶにしても揉めそうな話題を出すあたり、犬が怖いのをごまかしきれていないが、治郎は乗った。

「むしろ、売れないわけがないと思うけど」 

 マイコがいない、ふたりになったときの歌とダンスも、とても魅力的だった。

 三人そろって美形でスタイルもいい。歌えるし踊れるし、ダメな要素を探すほうがむずかしい。でも、ああいう舞台でやってることは公言できないだろうから、そういう心配はあるかもしれない。佐藤にも言っちゃまずいか?

「いいものだったら売れるは理想だよ。

 いい曲でいいメンバーだから、人気が出る、広がる。そうなるのは理屈だが。

 でも、知名度さえ上がれば、人気があるものと受けとられるってことも普通にあるからな。

 つまり、知名度があるものにさえすれば、人気があることになって、結果、売れてしまうってことだ。

 そういうメディアの力ってもんがあるよ」

 冷静というより、非情な分析だった。

 治郎もその辺の裏事情はわからないわけではなかった。でも、そういううがった見方で言うべきことはなかった。

「誹謗中傷が問題にされるけど、ムカつかせるほうが早いからな。

 内容は関係なく話題を集めるなら、神回でもハズレ回でもいいわけで。

 トレンドに乗るのが目的なら、どっちでもいいわけ。

 ねらってやってるとしても、そんな露悪趣味には限度があるわけで、だから一部しか盛り上がらない。

 昔だと、そういう一部で批判されるのは、炎上みたいに広がらなかったから、そのまま評価の低さに直結するだけだった。だけど、いまは、ネットで話題だからってことがまたニュースになるからな。

 前なら、テレビでやれないような話題はうさん臭いことだったけど、いまはテレビがぬるいメディアで、ネットでは本音で言われてるようなことになってる。

 いや、勝手なこと言うのはテレビもだけど、まだいろんなひとが出てる。お笑いタレントがいじられる専門みたいになってて、そのひとに振って成立するならいいけど、いじられるひとがやられてもひどすぎる話題だと、逆に振ったほうが悪いってことにもなる。笑えないってことでは計れなくても、ひどすぎる、異常だってことにはなる」

 治郎もその気持ちはわかった。言いたくはないが。

「あいつらだと、ルーミンがそこんとこ考えてるけどな。

 アイドルがやるものまねと言ったら……」

 佐藤は治郎の返事を待っているようだった。

「いや、わかんね」

 拍子抜けしたように佐藤は、

「クレヨンしんちゃんだろ。

 まあ、ルーミンがそんなつまんないことさせないけど」

「アニメか……。歌真似とかかなと……」

「それもパターンある。

 女のシンガーソングライターの曲で、高音で引っぱるサビがあるタイプな」

「ああ、なんとなくわかる」

 治郎にも何人かの名前が浮かんだ。あと、ドリカムとかか。

「昔のドラマで不良少女ものとか多かったのも、それだから。

 不良は言い方が決まってる。口が悪いが、悪口が達者なわけじゃなくて悪口のフレーズを多用するだけ。台詞も短くて単純で、覚えやすい。それは関係ないけど。

 とにかく、定番のパターンがある。ものまね芸人のネタの真似みたいに、不良の役をなぞればいい。

 アイドルとホラーの組み合わせもよくある。怖がる顔が決め顔みたいなものだ。特技が変顔っていうつまんないアイドルが、その程度のことをやればいいってだけ」

 そんな昔のドラマは知らないし、オカルトも興味ない。そんな治郎は、しかし言い返したい。

「でも、ジャパンホラーって評価されてんじゃないの。よく聞くじゃん、心理的に怖いみたいな」

「評判を鵜呑みにできないって話なんだが……」

 治郎は虚をつかれた。わからない、知らないではすまない話だった。

「うん、でもさ、マイコたちがあたらしい前例になることもあるんじゃないか」

「そうならないように、足引っぱるやつもいるんだよ。

 いまのままのほうが都合がいい、保守派な。

 そういうやつは孤児院にいたことも嗅ぎつけるよ。それをいかにもマイナスなことのように、マイコ自身が悪いことをしたみたいに広めるよ」

「そんな人の不幸をあばきたてるようなことが……そうか、それがネットか」

「そうなったら、こっちも対抗するよ。フェイクでもなんでも、おれはやる。孤児院にはいたけど大家族みたいだった、そんな感動スペシャルをやる。ホームのみんなを狩り出して、臨時の大家族でもなんでも作る。そんでマイコの邪魔するやつらの鼻をあかしてやる」  

 なんだ、そのつまんないハートウォーミングな話。おれにはだまってろって言ったのに。

 治郎はまた腹が立ってきた。


 人数が増えたからか、シスターも出てきて、さらにかおり校長がやってきて年甲斐もないなどと言われるのを見越してか、軽野校長は姿を消した。

 シスター了子はグラウンドに入ってこず、話をしている両校の生徒に気が付いた。

 体育館の床までの地面からの段差のぶんの階段の、四段しかないから特等席みたいになっているが、しかしコンクリートがむき出しのところの、それでも建物から延びる陰のなかに、なかよくならんで座っていた。

 運動部の連中は走り回りたいから出払ってて、けいおんのひとりをのぞくみんなと、おたくさんも座れたのである。

「あれは、おたくさん……。そう言えば、そちらのけいおんに入りたいわが校の生徒の話、されてましたね」

「ああ、そうです、となりにいるのはけいおんの部員ですけど、彼なら大丈夫ですよ。ぼくの担任の生徒ですよ」

 北条は、うけあった。

「おたくさん、ときどき思い切ったことするって聞いたことあるから、ちょっと心配ですが……」

「いや、彼女の入部を断ってたみたいなんで。ほんとに大丈夫です。

 あいつはぽっちゃりしてるからか、カレーは飲み物、カーストは水物なんていうやつなんですよ。スクール・カーストから逃れられてるというか、そういう視点を持ってる生徒なんです」

「やっぱり、そんなことが言われるんですね。ちまたの学校では……」

 ちまたとは市中のことで、まあいいか。

「まあ、言い方ですよ、ただの。リア充とかいうのと意味は変わってないと思います。すぐ揺れ動きますしね。価値というか、重要性というか。年頃の生徒たちなんで付き合ってる相手がいることがもっともリア充かというとそうでもなくて、友だちが多いことが一番いいやつって思われるようです。それさえクラス替えで一年でがらっと変わったりしますし、カースト制度じゃなくて、カーストって言い方で値打ちを出そうとしている。

 友だちになるのはいいと思うんです。合同の部活は禁止でも。部活のというか、学校という制度の目的ですから。それでも、彼ら自身が入部を断ったみたいなんですよ。

 おたくさんには合わないって。そのまま自分の活動を続けたほうがいいって、そういうことも言えるやつなんです」

「でも、けいおんだったら女子もいそうですし、そのひとたちも一緒ならeスポーツ部のときとはちがった対応でもよかったと思うんですが……」

 北条は、首を振って、

「それがうちのけいおんは男子だけでして」

「まあ……」

「面目ないです」

「いえいえ、そんなことはないんですけど……」

「ロックが流行らないですから。日本だけまだ盛んなようですが、若いひとはやっぱり離れてるようで。

 テレビ離れじゃないですけど、音楽も細分化してるようです。

 もちろん、ジャズをやるひとも出てくるって意味では、ジャンルの縛りなんかはなくなって良い面もあるんでしょうけど」

 そういえば、佐藤と天石がめずらしい組み合わせで一緒にいるな。

「ロックの反抗的な、なんて言うんですか、シャウトとかメッセージとか、そういうのが中ニ病みたいに思われて敬遠されてる部分もあると思うんですけど」

「それ、よく聞きますね。なぜ二年生をことさらに言うんでしょう」

「さあ、まあ、二年目のジンクスとか言うじゃないですか。だから、初心者ではないが、かと言って卒業を目前にしてるわけでもない。そういう」

「じゃあモラトリアムと思っていいんでしょうか」

「そうですね。それも言い方ですし。西洋のほうの。

 反抗期だって、西洋では父親殺しの古い言い方なんでしょうし」

「心理学ですか。あれは生物学的な修飾にすぎないというのがカトリックの見方なんです」

「いいと思います」と、北条は言ったが、神も父で、とつづけるのは止めた。

「なんでもリビドーのせいにするのは単純すぎるし、すべての人間が神経症的だなんて、定義もできない病気なら、だれでも思い当たるふしがあると思わせるのも容易ですし。

 反抗期がないと子どもの成長に悪い影響があるというのも、どんな条件かで変わるはずなんです。

 アダルトチルドレンなんて言い方。ロマン主義の悪しき末裔みたいでいいかげんにしてほしいですよ」

 メディアのスキャンダリズムもいいかげんなものだが、アカデミズムのいいかげんさは、扇情的な部分がないため見過ごされがちだ。だが、子どもの心は些細なことにも引っかかって、余計な悩みまで抱え込んでしまう。中学二年が終わっても、まわりと少しでもちがったところがあると、隠さなければと思ったり、自分でそれをつぶしてしまう。

 教師として生徒にこたえる前に、まず雑念のようなマイナスの情報を取り除かなくてはならない。インターネットの細分化された専門家たちのレスバトルに、

 キリスト教の戒律があることは、悪いことではないと北条は考える。少なくとも、良い予行演習になる。

 だが、実際にしゃべっているのは別のことで、

「生徒の成長は、われわれの成長でもありますしね。

 先生に反抗するのもいいじゃないですか。家でできないなら学校でやってくれていい。

 そのときは、殺される父の役というより、倒される王様の変わりになるんでしょうね。

 あるいは、剣を持つものでなく法衣をまとうものの代わりか。

 それが自然の摂理というか、循環をうながすことだと思います。世代を超えて、世界を超えて」

「……そうですね。循環は大事です。

 新陳代謝というか、動脈硬化というか、そういうものは組織を腐らせます」

 同意するのか、と北条はある種の感慨を覚えた。

「心理学が本当なら、犬が怖いって思ってる男女は、この騒ぎで恋に落ちてしまいますもんね」

「ああ、それなんでしたっけ」

「釣り橋効果、なんていうみたいですけど。不安定な釣り橋が揺れて動悸がするのを、好きな人だから胸が高鳴るのと混同して好きになってしまうって……」

「ああ、そうでした」まあ、俗説だが。

「そんなドキがムネムネしたからって好きになるなんて、ちかごろの小学生でもあるわけないです」

「は?」

「だから、小学生なら足が速いのがかっこいいとは思っても好きになるひとは別でしょう。高校生にもなって、有るわけないです」

「あのう……。動悸がどうしたとか」

「……ドキがムネムネ……。胸がドキドキ……」

「ああ! なるほど。いや、なるほどってことはない」

「うふふ」

「……なんだか、けいおんともども面目ないです」


 地面から体育館の床までだから四段しかないコンクリートの段差は、満潮のため下のほうは沈んでしまった海に向かっている桟橋の階段のようだった。片方だけ開け放たれた体育館の側面にある両開きの金属製の大きなクリーム色の扉に背中をつけると、一瞬は冷たいが、すぐに熱を持つ。

 浮島式の桟橋は上下するが、海面が上がってくるような階段は舷側の低い船を上下させてもやうためにあるのだが、承知のように縄から自由になっているのは、いまは犬であった。

「……あたしにはバンドは無理かな?」おたくさんは心残りのように言った。

「無理ってか、ひとりが似合ってると思う」白木は普通の調子で答えた。

「一匹狼はかっこいいよ。

 おたくさんは、ただ突っぱねるだけじゃない、よけることも考えられるひとみたいだし。

 アコギ女子って多いけど、やっぱフォークがさ、男がやると日本じゃなんか陰キャって言うか貧乏くさいって言うか、なんかみすぼらしいんだよな。

 まあ、昔のひとが悪いよ、昔やってた大人たちのせいなんだけど、アメリカの影響受けてるのに、フィドルが入ってきてないんだよ。パクるんならさ、かっこよくやれ、いいもんは全部パクれよって話でさ。

 フォークがそうだから、ジャズ・ヴァイオリンも日本じゃあんまいないんだよな。ヴァイオリンって言うとなんか悲しい、ビオロンの響きのレトロな感じになっちゃうか、お嬢さんが上品にやるものしかない。

 フルートもそうだよ。金持ちの病弱なお嬢さんが細い腕でか細い息でも吹けるみたいなものになってる。

 アコギ女子はそんなイメージを変えつつあるだろ。人数の上からも、フォークのメインになりつつある。

 この前のフラッシュモブ、おれも見てたけど、おたくさんはソロじゃん。それでいいと思うよ」

 おたくさんはちょっと明るい顔になった。かっこいいと言われて女子が喜ぶのは、昔のフォークの頃とは真逆の心性であろう。

「でも、ルーミンのフルートは聴いたことないんだけどね」 

「今度ライブあるし、もっと聴けるよ。おれもサポートやるし」

「え? ジャズだけじゃなくアイドルのバックもやるの?」

「うん、まあ、次のライブはちがうけど……。だから、おれらもバンドに縛られてるわけじゃないし。テナーの佐藤がこっちに入ることもあるし」

「あのサックスのひともジャズだけじゃないんだ」

「うん、佐藤は高校生なのにいろんなセッションに顔出して腕もあるんで、おれらもやりやすくなってんだよな。高校生だからって、なめられない。あいつのおかげだ。

 あいつ、カネにならないことはやらねえっていつも言ってるけど、野球部の応援のブラバンにも参加したりさ、とにかく頼まれればいやとは言わないんだよ、音楽に関するかぎり。

 おたくさんもデュオとか誘ってみたら。

 あいつなら路上でもやるよ」

 路上でも、に他意はないだろうが、おたくさんは笑ってしまった。

 白木はその意を汲まず、満足げに笑い返した。

 おたくさんの肩越し、グラウンドには入らず見物してるなかに、その佐藤を白木は見つけた。

 あれ? なんか変なやつとからんでるな。あいつ脳筋きらいなのにな。

 すると、ジョンを追って田中もまたその方向へ走る。

 またまた佐藤の前で、ジョンはしばしの休息といった様子で座り込んだ。後ろ足で首輪のあたりをかこうとするが、五回に三回は空振りしている。そのうち一回は空振った勢いで前のめりになるのを、前足でたたらを踏むようにこらえている。しかし、そのいずれにも佐藤は反応すらしない。

「ヤス、ビビってね?」田中は犬の前に突っ立っている佐藤に声をかけた。

「そんなわけねえって。いいから早く捕まえろよ。それか門のほうに追い込め」

「指示だけは的確だな」

と言って、その内容をを感じ取ったようにまた走り出したジョンを追って、田中は走った。

 白木たちの位置、五十メートルくらい離れたところから見ても、佐藤は犬にビビっているように見えていた。

「しょうがないよ。ジャズメンはキャットだから」

 おたくさんが言った。

 白木はほほ笑んだ。


 佐藤はまったく笑っていない。

 治郎はそれについてもだまっていた。

「なんだよ、おれは前からジョンは知ってるんだよ。だからビビってねえよ」

 治郎は返事をしない。

「あいつはいろんなとこをほっつき歩いてるんで、ホームにも入り込んできたことがあるんだよ」

「ホーム? ああ、ホーム」

 さっきのはけいおんのやつだった。白木は部員だが、佐藤はちがったような。だから話してないのか。犬が怖いのも、飼うような環境にいなかったから慣れてないのか。

「マイコに一番馴れてる。そのくらい何回も来たことあるよ」

 そうでもないのか。

 ジョンについて話が広がることもなかったので、またマイコでも売れないかも、という話題にもどった。

「テレビの大家族スペシャルに出て、大人数が雑然とひとつの家で暮らして、汚い家だけどにぎやかでいい、人数が多くてカネはないけど和気藹々と暮らすのが一番の幸せって、よくあるパターンのお涙頂戴やるのは良いが、そのときはジョンも出るのか、犬が走り回るともっと騒がしくなっていいんじゃね」

 このくらいの皮肉は言いたくもなる。しかし、

「おまえにはジョンは見向きもしてないし。もし、そんなことになってもおまえもジョンも出なくていいから」

と、佐藤はまだ負け惜しみを言う。

「動物は本能で生きてるからな。勝手に入り込んでくるんじゃね、きょうみたいに。おまえの目の前に居座って動かないと、番組の狙いは外れちまうな」

「だからいいって言ってんだろ。そんときはおれが追いたてる」

 できもしないくせに、とは言わず、佐藤がむきになるのがちょっとうれしい治郎であった。

「おれだってやるよ」

「なんだよ、そんなにジョンと一緒に出たいのかよ」

「おれさ、DDなんだよ」

 佐藤は、ん?という顔になった。

 それで治郎は意気揚々とつづけて、

「マイコたちはUPRの集会でライブやってる。

 新興宗教が開いた音楽の集会のステージに立ってる。

 変な宗教に関わってることのほうがマスコミ的にはまずいだろ。問題になったときは、おれが信者のふりして反論する。マイコたちをかばうよ」 

「おれもいたよ」

「え?」

「この前の祭りだろ。おれもいたんだよ、地上の音楽の感謝祭」

「あのときステージで演奏してたのって……」

「そう。地上の祝祭バンド、あそこでおれ吹いてた」

 それはまったく予想外ではなかったが、しかし、治郎は考えにはなかった。あんなうさん臭い場所でやるだろうか、このつんけんしたやつが。そう思っていた。だが、マイコがあんなとこに出てれば、当然ではある。それでも、

「でも、おまえも関係者ってことになるじゃん。内部の人間だろ。じゃあ、契約なりルールなりあるだろ。外野でないと教団に逆らうのはむずかしいんじゃないか」

「いや、まあ新興宗教が怪しく思われるのはしょうがないけど、まあ、キリスト教だってできたときには新興宗教だったわけで。たぶん、おまえが思ってるほどひどい話じゃないんだよ」

「いや、それがすでに組織に取り込まれてることかもしれない。

 おれならこれからだから、これから入るから、体育会系のわけわかんない信者になれる。まぎれこんでしまった、組織のことをなんもわかってない新入りになれる。そしたらわけのわかんない体育会系らしく、教祖をぶんなぐって、むちゃくちゃにしてやる。大混乱だ、マスコミもわけわかんないくらいのな」

「むちゃくちゃだよ。なんだよ、まぎれこんでって。ジョンじゃないんだよ、そんなのいれるかよ」

 治郎もそれはそうだと思ったが、組織にも佐藤にも反抗するのをやめられなかった。

 だが、佐藤はまたまたジョンが近づいてきたので、それどころではなかった。

             



  えらいこっちゃ 校庭に ブルドッグ

  門はいつも開かれてるからさ

  愛と平和の女学院のことさ

  悪い虫はいつもいるもんさ

  犬なら まず不審者に吠えろ

  

   そいつ ジョンと呼べ

   ワンと言わないよ

   ジョン、ポチ、ペスとか その辺だろ

   ジョンて言い聞かしとけ

   

   

  もし おれが世界の王様なら

  天国を信じさせてやる

  信じるのはバカーか

  あとはババアか アホー

  真っ暗な世界で(鼻は利く)

  

   ジョンと呼べ

   ワンと言わん

   ジョン、ポチ、ペスとか その辺だろ

   ジョンて言い聞かしとけ

   

   

  有能な生徒 いやレイディーズ

  ラブは舶来品

  愛と名付けた その先人の偉大さ

  ストレートに通じる 世代間

  ストレートに通じろ 犬のジョン

  

   ジョンと呼べ

   ワンと言わん

   ジョン、ポチ、ペスとか その辺だろ

   ジョンて言い聞かしとけ


   ジョンと呼べ

   ワンと言わないよ

   

   ジョンと呼べ

   ワンと言わないよ

   

   ジョンと呼べ

   ワンと言わん

   ジョン、ポチ、ペスとか その辺だろ

   ジョンて言い聞かしとけ

 


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