第一章 野球場で
第一章 野球場で
第二章 登校・1
第三章 北条先生の授業・1(なぜか「男の…」となってる)
第四章 来てよ
第五章 昼休み
第六章 ジャズバー・マティス
第七章 eスポーツ
第八章 綿津見ホーム
第九章 登校・2 フラッシュモブ
第十章 音楽室
第十一章 DD ダビデズ・ドーターズ(ここもダビデだけになってた)
第十二章 シスターの授業・1(数字抜け)
第十三章 軽音(ひらがなだった)
ここまで出来てた。以下は予定。
第十四章 ジャズバー・マティス・2
第十五章 放課後 フラッシュモブ・2
第十六章 来るよね
第十七章 SSW
第十八章 懺悔室
第十九章 北条先生の授業・2
第二〇章 ライブ!!
第二一章 ジャズバー・マティス・3 大乱闘
第二二章 ゲーム対決
第二三章 結婚式
地方球場の、夏の甲子園の予選一回戦にしては、応援席は多くの人でにぎわっていた。
県立冠崎高校がゲリラ豪雨の被害を受け、一時的に他校に間借りしなければならないような事態となったのは不幸なことだった。しかし校長同士がもともと親しかったことからも、併設先はすぐに聖ルイ女学院が引き受けてくれて、野球部の活動もつづけられた。そして、さっそくの初戦にもかかわらず、加勢のブラスバンドやチアガールもふくむ、急造の大応援団となっていたのだった。
試合も一回戦にしては盛り上がっていた。全国大会どころか県大会でも一回勝てるがどうかの、普通の県立高校の、部員も多くはないし少数精鋭でもない野球部が、相手もまた同じようなレベルの一回戦とはいえ、序盤に思わぬ5点を取られながら、次第に追い上げ、しかしさらに三点を追加され、それでもあきらめず反撃をつづけ、とうとう9回、一点差にまでに追いすがっていたのだった。これを大味な展開と呼ぶのは可哀そうと思うべきである。すわ逆転サヨナラ勝ちか、という9回裏2アウト二三塁のチャンスを今まさに迎えていた。
共学のカブ高よりも、ルイ女の生徒たちのほうがやたらと興奮しているのは、フラッシュモブなどに慣れた何かとイベント好きの世代のせいでもあろう。熱中症でなくとも頭に血がのぼって倒れそうな黄色い声を出すものもいた。ノリがいい、ノリだと意識している、そこに差はなく、状況の把握であり対応の違いだけである。とにかく女子が盛り上がれば、男子も釣られるのは世の習い。つまり、乗り遅れるものも、躊躇するものもいない。スタンドは一体となって盛り上がっていた。
打席の天石治郎は、カブ高2年、レギュラーの二塁手。きょうもスターティングメンバーだが、七番打者で、特筆するような戦力ではない。しかしこの試合、無難に守備をこなしエラーはなかったし、一本タイムリーヒットを放っていた。9回のこの場面、最後のチャンスに、応援席もそして当然ベンチも期待をこめて、打席に向かう彼を見つめていた。
治郎は、幾分か顔色は白くなっていたが、冷静さも保っていた。
うちのエースに比べたら、たいしたことない。一本打ったしな。
マウンドで投手を囲んでいた選手たちが守備位置にもどる。治郎は打席に入ると、相手ピッチャーを威嚇するでもなく、にらむ。坊主でもないし、怖い顔をしてもイキってると言われるのはわかってるし、まず草食系といって差し支えない自分だから、ビビらそうってことじゃない。ただ、自分に集中していた。ピッチャーは開き直ったように、あるいはそれを装ってか、ちょっとボーっとした顔で突っ立っている。
追い込まれる前に勝負を決めたい。ヒットを打ったのはまっすぐだった。あとは勝負できる球はスライダーしかないのはわかってる。さっきのは棒球だった。向こうも気を付けてくるはずだ。カーブはゆるいだけでタイミングを狂わされるような球じゃない。スライダー狙うか。
相手ピッチャーはまだプレートにつかない。相手のほうが明らかに緊張している。それを見て、治郎は自分のほうが優位だと思おうとする。それでも、バットを二三度握りなおし、気合が入り過ぎないようにする。息は大きく吐かない。それに釣られて相手が息を整えてしまうのもよくある。自分のペースで構える。
ピッチャーはあせったようにモーションに入り、投げた。
ウソだろ。
魅入られたように、ど真ん中に打ちごろの球が来てる。
ウソだろ、またこんな棒球。
いい球すぎて「打てる」と身体も気持ちも前のめりになる。テイクバックした手だけが置いてけぼりになりそうで、足に、バットを握る手に、肩に、力が入りそうになるのをこらえる。
スムースにバットを出すんだ。それで行ける。いい球だ、行ける。
治郎は、思ったとおりスムースにバットを振り抜いた。ボールを捉えることができた。堅い木が硬いものに一点で衝突するときの、金属のように鋭い、しかし耳障りではない高く澄んだ音が響きわたる。
打球は速い球足で一二塁間を抜け、ライトにまで到達した。
やった、ヒット、やった、逆転……。
叫び出したいような気持ちで走り出した直後、 治郎はコケていた。
威勢のよかったブラスバンドの音が、めいめいで、てんでばらばらに鳴り止む。ウッドベースの女子生徒など、巨大な楽器に支えてもらっているように見えるほど、意気消沈していた。カブ高の男子も、けいおん部など楽器を扱える連中は混じっていたのだが、やはり沈んでいた。応援スタンドは水を打ったように静まりかえった。
「アウトだ」
「アウトだな」
「死んだ?」
「死んだ」
「どういうこと? 外野まで飛んだのに?」 ミッション系の女子高生には情況がわからなかった。
「死んだ死んだ」 男子はこの言い方でもわかるが、女子はわからない。
「死んだ?」シスターもわからないから、
「死にました」カブ高の教師がそう言う。
「試合終了みたいだけど」
「そうだよ」
「なんで? こけたから? こけただけで」
「こけてヒットが成立しなかったんだよ」
「こけたらダメなの? 打ったのに」
「こけたらダメじゃね」それは、女子もそう思う。
「こけたらダメだろ」
「死んだの」
「死んだ死んだ」
そんな応援席をよそに、両校の選手はホームベースをはさんで試合終了の挨拶を終え、それからそれぞれの側のスタンド前に整列し、一礼した。いずれの応援席にも、拍手するものや、よくやったと声をかけ、ねぎらうものがいた。が、突然の幕切れをまだよくわかってない人も多かった。
やおら冠崎高校の軽野博校長がその長身で立ち上がった。集団の中での立ち姿が板についてかっこよく決まっている。たくさんの女子生徒たちを背景にした様子も、映画スターがファンに囲まれているような華やぎがある。高齢ではあるがその世代にしては身長が高く、そのわりに顔が小さくてスタイルがいい。恰幅はいいが昔は筋肉質だった人に少し肉がついた感じで、若いころのやんちゃな面影を残したいい男。ナイスガイだった。
「いい試合だったろ」
校長先生の朗々とした透る声にみなが注目した。
静かだったカブ校側のスタンドがざわつきはじめる。だが、校長の明るい口調のためか、さっきまでの、試合終了か?の疑問、不信、負けたのか?の緊張の空気が、のんきな雰囲気に変わっている。充分な声量で、しかも調子っぱずれなくらい甲高い声なので、聞いてる者は気が抜けてしまうらしい。いくぶん興奮気味に話しつづけるのが、また年甲斐もないというか、可愛気と思える。若い頃は荒くれ者でとおってたのかもしれないが、今だと笑っちゃうくらい元気なジジイなのである。
「よくがんばったじゃないか。勝ち負けじゃないよ。そんなことは二の次だ。
だいたい、いつも同じやつが勝つのがおかしいんだよ。高校野球もそんな世界になっちまったがなあ。
負けなんかたいしたことない。大事なのは、どう立ち上がるかだ。
あの豪雨災害のあとでも、ルイ女のみなさんのおかげでこうして試合に出れた。よく戦ったよ。相手のピッチャーも一五〇トン投げてたのに、よく打ち返したじゃないか。七点も取り返したんだから。え?一五〇キロ? ちがう? そんなたいした相手でもなかった? まあいいさ、ここまでやったんだから、たいしたもんさ。それに、学校外の人にもこんなにたくさん応援してもらった。楽団のみんなも一生懸命演奏して、この大人数をよくまとめてくれた。
暑いなか、みんながんばった。お集まりのみなさんに悔いがなければ、選手たちもそう思ってくれますよ。
みんながんばった。よくやった。だから最後に応援してくれたみなさんにありがとうの意味も込めて思う存分ジャガジャガ吹いて、負けた気分も吹き飛ばしてだな、ここらでお仕舞いってことにしようじゃないか」
しかし、感情の起伏が試合展開に引きずられたままの吹部の女子たちは、感謝される立場をすんなり受け入れられず、かえって可哀そうな雰囲気がぶり返してきて吹けない。
ルイ女のシスター長つまり校長の外崎かおりは、軽野校長のとなりに座っていた。西欧風の修道服に身を包まれながら、日本的な美人のたたずまい。といっても軽野校長と同年輩である。面影が、である。校長が演説をぶってる途中、ときおり彼の短パンのすそをひっぱったりして注意もしていた。数字の間違いや、ついつい自らが調子よくなってしまうことを。だが、話に対する周囲の反応は、拒絶の空気もなかったが芳しくなかった。少し悲しい気持ちを、試合とは別にもうひとつ抱えたように、シスターかおりはそのまたとなりに座っている若い教師、シスター了子に
「良いことは言ってると思うんですけどね。あさってのほうに突っ走ることも多いけど」
と、こぼすように言った。理知的な雰囲気のシスター了子は「青春とは、不断の酔い心地であり、それは理性の熱病だ」のたぐいのことをいつもなら返しそうなものだったが、二〇二〇年の夏に言えるわけがない。あいまいにうなづいた。彼女も制服のせいで年齢不詳に見えるが……などという表現も二〇二〇年だとどうなのか。
それはともかく、そんなやり取りにはまったく無頓着に軽野校長は、
「よーし、おい佐藤! 行け!」
女子たちの楽団のなかには何人かの男子生徒も混じっていて、そのひとり、テナーサキソフォンを首からさげた文科系ぽい地味な顔のやせた男子が、乗り気のない様子でゆっくり立ち上がった。その表情とは裏腹に、サキソフォンは金色に陽射しを跳ね返して光を降りそそぐようだ。
「何やるんですか」カブ校二年、佐藤保彦はぶっきらぼうに言った。
「何っておまえ、アドリブで考えろ。この場にふさわしい曲だ」
考えているようないないような顔で、佐藤はつっ立っている。
すると、チアガールの列のなかから飛び出して走っていく女の子がいる。かわいくリボンを結んだポニーテールで、丈の短い原色のノースリーブに同じ配色のミニスカートの量産型のコスプレのような格好に惑わされず見ると、顔面は目を引くような美型である。
帯刀舞子はローカルアイドルグループのエースだから、チアガールの衣装程度は着こなす。
衣装の問題など越えて、スタイルもいいし、美人要素のほうが強い。むしろ、アイドルっぽくない格好だと大人っぽくなりすぎる、と余計な心配をしそうである。マイコはすばやく大太鼓のもとへ駈けよった。
「ちょっと貸して」
「マイコ」
スティックを受け取るやいなや、大きくひとつ、小さく三つ、ゆったりと大きくリズムを取りはじめた。
またひとり、チアガールが走り出した。Tシャツのすそを結んでへそを出している、この子は単にかわいい。
同じアイドルグループのメンバー、宗像美紅だった。
いかにも活発な身のこなしで小太鼓へ駈けよりスティック二本を受取って叩き始める。太鼓の面、太鼓のふち、それぞれにあるいは同時に、裏拍で叩く。そのうち大太鼓の小さい音が間を変えたり続けて鳴ったりと変化を始めると、それに呼応したテンポで音をきざむ。二台目の小太鼓も女子生徒にねじのようなもので調整され、となりにすえられた。シンバルを持っていた太った男子生徒が、ミクが叩きやすい位置で空中に水平に構え直すのも、息ぴったりだ。
二台の小太鼓は音がちがっていた。シンバルが入るとさらにアクセントがついて、大太鼓との絡み合いは身体をムズムズさせるようなムードをかもし出す。次に来るものがわかっている、やるべきことが決まっている、繰り返しが来る、そんな試合中にやっていた一定のマーチのリズムとちがって、変幻自在の浮き浮きとしたリズムがブラスバンドのみんなだけでなく、サヨナラ負け直後の客席をさえ包み、揺らし始める。
「ヤス!」大太鼓のマイコが叫んだ。
佐藤は、やれやれと首を振り、しかしサックスをくわえると一気に吹き始めた。
テナーサックスの野太い、豪快なブローで、スタンドの空気がさらに一変する。
こんな奴いたか? 試合中にこんな音鳴ってなかったが。試合は終わってるのにこのボリューム?
激しく上下左右にぶん回すように、暴れるように、音階を駆け上がって行く。ときに小さく鳴り、ときにひずんだりかすれたり、風貌に似合わぬ激情的な演奏が吹き荒れる。しかし、マイコたちのリズム隊がソリッドに支えて、やけくそな、負けたせいの投げやりな演奏とは思わせない。マイコはときどき声を上げるが「イヤッ」は「嫌っ」ではなく、YEAHを短く言っただけなのだ。リズム隊のほかの面々もすでに合わせて来ている。ダブルベースに背の低い女の子が取り付くようにして弾いているが、指ではじくだけで腹の底から揺さぶられるようなこんな重低音がなぜ響くのか、気づいた人から魅き込まれていく。鐘だの鈴だのタンバリンにトライアングル、ほかのパーカッションもにぎやかに鳴った。これには誰でもごく気軽に乗れる。
佐藤のソロににひっぱられるようにスタンドのあちこちから拍手が起こり、太鼓に合わせてだんだんと大きなリズムを形成し始め、応援席全体が思い出したようにまた盛り上がって行く。
すると、楽団のなかからフルートを構えたままの女子が立ちあがり、
「ワン! トゥー! ワントゥーさんし!」
カウントをとった。きょうは葛城瑠美はフルートだった。
ブラスバンドがいっせいに吹きはじめた。ビッグ・バンド・ジャズのもっとも有名な曲だから、スタンドの誰もが知っている。手拍子、足拍子ができるなら言葉などいらない。さはあれど意味がないわけではない。
死んだ? 死んだ? 死んだ死んだ
ヒット打ったはずが死んだ
ラン、ラン、ラン、はーしーれー
なんでコケた人に言うの
死んだ、死んだ、死んだ死んだ
打った 思った瞬間 死んだ
なーんーでー おいおいおい
なんでずっこけたんだろう
球は飛んで 一二塁間
打った人は地面にダウン
ほんとなら サヨナラ
勝ってたら ヒーローだ
死んだ、死んだ、死んだ死んだ
エブリバディ きょとんとしてる
誰が 悪いって
誰が言えるってもんだろ
その音楽も、治郎には聞こえていなかった。いな、それ以前の喧騒すら聞こえていなかった。
あの打席、ライト前に達したはずの打球が一塁に送られるのは見た。地面に伏しながら。
というか、あまりにも近くに地面が見えた瞬間、すべてを悟っていた。そのあとは、いつものように一塁までは走った。そしてまたもどって来て、チームメイトがホームベースをはさんで作っている列に最後に加わった。
一礼し、相手チームと握手をした。
ぎゅっと強く握手された。でも相手は見なかった。
相手チームの校歌が流れているあいだのことも、治郎はよく覚えていない。ずっと泣いていたのは三年生たちで、でも自分には慰めの言葉をかけてくれた。すいませんと小さな声で言ったら、なんでだよと言われた。
球場を出たあと、外で集まってのキャプテンの最後の挨拶は、よく俺についてきてくれた、よくがんばった、このチームでよかった、といったような途切れ途切れの短いものだった。個別に語りかけるのは三年生に対してだけで、話の間じゅう涙が止まらないようだった。
監督は英語の先生で、野球はくわしくない。試合で何か指示を出したわけでもなかったし、結果についても残念だったとしか言わなかった。ただ、いつもの皆にはっぱをかけるときのフレーズ「ユーエイント、ハード、ナッシング、イェット」を最後に言ったくれた。
そして、新キャプテンに選ばれた同級生の挨拶もやはりとても短く、「お疲れさまでした」と「いいチームでした」「これからも伝統を守りがんばります」だけだった。