塀の外へ
※シリアス回
※ゲス姉注意
※ヒロインが浄化の炎で焼かれる描写があります
「あああああぁぁぁぁぁぁ――――――っっ!!!」
浄化の炎は実際に人間を焼くことはない。だが、その炎に包まれれば誰しもが苦痛を受ける。術者が焼こうとしたものを、焼き尽くそうとーー
果たして、役立たずは浄化できるのか。そんなことは分からない。だが、特別な存在である光子がそうしようとしたのなら、きっとその浄化の炎はそれを実行するのだろう。
10分ほど私が痛みでのたうち回り、やがて浄化の炎が沈静化すればケラケラと鈴の音のような笑い声が響いた。
「これで、少しは役立たずも治るかしら?ふふふっ」
「ひ、光子、さすがにまずいんじゃ」
「お黙り!私のやることに文句でもあるの!?」
「い、いや、ない。光子はさすがだなぁ。役立たずまで浄化できるなんて」
さすがにどうかしていると桃矢が言いかけるが、光子が不機嫌になれば、とたんに光子を持ち上げる。
「ふんっ、浄化してあげたんだから、少しは役に立ちなさいよ」
どすっ
光子の足が腹に食い込む。
いつもは悲鳴も押し殺すのだが、さすがにそんな力は残っていなかった。
「げほっ、ごほっ」
「汚っ!私の着物についたらどうするつもり!?」
「光子、新しい着物をプレゼントするから」
「これ、お気に入りなのよ!」
そう言うと光子は私の頭を蹴っ飛ばし、ぷんぷんと怒りながら桃矢と去っていく。
あぁ、やっと終わった。
しかし、光子が去ったからと言って安全が保障されるわけではない。さすがに動くこともままならず、ずっと廊下に倒れ伏していれば、やがて夕餉の仕度をするために使用人たちが動き出す。
「邪魔よ、役立たず」
「いつまで寝ているつもり?」
「本当に役に立たないわね」
そう言って使用人たちが罵倒しながら廊下を行き来する。それだけならいい。使用人によっては、私の腹を蹴ったり、わざと頭を蹴り飛ばすものもいるのだ。
そうして動けずにずっとその場に横たわっていても、役立たずの私に手を差し伸べるものなどいない。やがて邸全体が寝静まって暫くして、ようやく身体を起こすことができた。
だが、立ち上がり歩くことはできない。のそのそと、四つん這いになって歩き、厨房へ向かい自分で水をくみ、口に含む。
「けほっ、こほっ」
咳き込みながらも、必死に水で喉を潤す。もう、残飯のひとつも残っていない時間。すきっ腹は限界だが、今晩の食事は諦めた方がいいだろう。
再び四つん這いになってよろよろと自身に与えられた物置小屋のような部屋に戻れば、何者かに窓が壊され、夜風で部屋が冷え込んでいた。
恐らく光子か、その命令を受けた使用人がやったのだろう。少し前までは廃材で塞いでいた窓が木っ端みじんに粉砕されて残骸が部屋に散らばっている。
このまま、外に飛び出そうか。
逃げ出せるだろうか。
幸い、私の部屋は1階にあった。2階や3階などは、光子のような特別な存在に与えられる。1階は使用人の部屋などがあつまる区画で、私の部屋は文字通り物置部屋。使用人の部屋よりも狭く、ぼろぼろの質素なベッドがあるだけだった。
何のために生きているのかもわからない。
それに、このアッシュブラウンの髪に、青い瞳。
ずっと感じていた違和感。
春宮家の当主は紫の髪に深緑色の瞳。当主夫人は娘の光子と同じダークグレーの髪に紫色の瞳だ。当主夫妻の娘としてこの屋敷で暮らしてきたが、いや、生かされてきたが。
私のこの色は、いったいどこから来たのだろう?
ずっと胸の内で抱えてきたこと。
私は本当にこの家の娘なのだろうか?ならば、この家にこのままいる必要があるのだろうか?逃げ出したい。ここから逃げ出したい。
不意にそんな気持ちが大きくなっていく。逃げ出した先に何があるのかわからない。屋敷の外にさえ、碌に出たことがなく、ずっとずっとこの屋敷の中で飼殺されていた。それなら、いっそのこと自分がいなくなった方がいいのではないか。
そんな思いが大きくなり、私はよろよろとだが自分の脚で立ち上がる。大丈夫。少しだけなら歩けるかもしれない。
意を決して窓のへりに足をかけ、裸足のまま外に飛び出す。足の裏に感じる、土はひんやりとしているがどこか柔らかく優しい気がした。
そのままのそのそと、木に手を添えながら歩いていく。どこへ向かえばいいのか。塀の外。屋敷の塀の外に出なければ。途中で拾った木の棒を杖のように使いながら塀に向かって歩いて行けば、不意に塀の一部に小さなほころびを見つけた。
小さい。けれど今の私ならくぐれそう。ここを出る以外に道はなさそうだ。春宮家の立派な塀は、どこまでも頑丈に続いている気がしたし、塀をよじ登るなんて芸当は自分にはできそうもなかったから。私は地を這いながら、必死の思いでその塀に空いた小さな穴をすり抜ける。
春宮家の塀を抜ければ、そこはもう外だとわかった。私は、やっと春宮家から出られた。
けれど、このままここにいたら連れ戻されるかもしれない。でも役立たずの私を誰が連れ戻そうとするだろうか?いや、光子の鬱憤を晴らすために連れ戻されるかもしれない。
もう、あんなのは嫌だ。まともに立ち上がる体力が、そろそろ限界にきている。
よろよろと必死に歩いても、脚の力が不意に抜けて冷たい地面に横たわる。
遠くに、ゆらゆらと揺れる篝火が見えた。そして馬のひづめの音。せっかく抜け出せたのに、私はもう死ぬのだろうか。
それなら、もう、一思いにーー
だが、いつまでもその瞬間は訪れなかった。馬のいななきと共にひづめの音が止まり、誰かが駆けてくるのが分かった。
「おい、大丈夫か」
虚ろな目が捉えたのはーー私を見降ろす篝火が、2つ。