思い出はトダナの中に
僕は思い出のアルバムを、トダナに収めた。
何時もと同じように、何時もと同じ位置に戻す。
雪の様に積もっている白い防腐剤を隅に押し込み、本を真っ直ぐに立てかけられる様にする。
「それじゃあ、言ってくるよ」
座っている妻に、そう言い残し家を出た。
それが、僕の朝の日課だった。
まだ、水平線から顔を出した程度の日差しだったが、既にアスファルトは熱くなっていた。
輻射熱で生暖かくなった打ち水が、ゆらゆらと蜃気楼を作り上げている。
その光景を見た途端、僕の手は鉛の様に重くなり、会社に向かう足も鈍っていた。
どうしても夏は好きになれなかった。
僕は社内で書類の整理をしていた。
物を片付けるという行為は、心の奥を鎮めてくれる感じがして、とても好きだった。
ふと、同僚に軽く肩を叩かれた。
「よう、元気か?」
「……」
「なんだ、まだダメなのか」
「……」
「もうアレから一年だろ。そろそろ、吹っ切って元気出せよ」
そう言い残すと、同僚は何処かに行ってしまった。
「思い出があるから大丈夫だよ」
僕の呟きは届かなかった様だった。
帰宅後、僕は真っ先にトダナを開けた。
白い薬剤をかき分け、ビニール袋に包まれているアルバムを取り出した。
そして懐かしむ様に、僕は思い出の写真を眺めたのだった。
頭の中に残っている記憶は時間と共に薄れていく。
だが、こうやって一枚でも形に残っていると、その時の情景が手に取る様に思い出せる。
忘れてしまうこともあるが、思い出は何時だって身体の中に残っているのだ。
僕は妻と二人で、夜遅くまで過去を語り合った。
深夜三時を回った辺りで、僕はアルバムを閉じた。
楽しい時間というのは、あっという間だ。
後ろ髪を引かれる思いはあるが、もうすぐ会社に行かなければならない。
僕は妻の灰色の手を握りつつ、仮眠の準備を始めたのだった。
まずアルバムを防菌加工されたビニール袋に入れておいた。
次に、トダナの中から古い防腐剤を取り出し、真新しい布巾で掃除する事にした。
とは言っても、力任せにゴシゴシと拭くと傷が付いてしまうので、ソッと皺に沿って動かしていく。
有機物である以上、直線ということはありえない。
出来る限り、柔らかいタッチで拭いていく。
そうしていくと、徐々に雑巾の白い部分が、薄汚れた茶色に変化していった。
そうだ、忘れてはいけない。
僕は前もって買っておいた防虫剤を鞄から取り出した。
内側はかなり乾燥しているので、この水分量が多い防虫ジェルをわざわざ取り寄せたのだ。
しかし、新製品を使っても、塗り終わるのに手間がかかってしまう事となる。
想像以上に中が乾燥していたらしい。
僕は、こんな事になるなら、次掃除する時にはシールタイプを買っておこうと決めておいた。
僕は新しい防腐剤を詰め直し、最後にアルバムを戻した。
続けて腹部に通してある麻布の紐を、思い出がこぼれない様に堅く締める。
そして、トダナを布団の上に寝かせて、耳元で甘く囁いた。
「それじゃあ、次は君の身体を拭かないとね」