プロローグ
有楽町 赤沢ビル エントランス
ああくそ、傷が深いな。両腕はとれかけてるし、腹から流れ出た血は水たまりのようになっていやがる。俺を殺そうとしたあの白スーツの男はいないな。さっきかすかに救急車っぽい音も聞こえたし。まあ、それもそうか、ここまでされて死なない人間などいるはずがない、少なくともあいつは見たことがないだろうな。そのうえ奴は俺に右肩を撃ち抜かれている。胸のバッヂを見る限り保察の人間のようだったからな。代わりに捜査を行う人間の要請もしなければならないだろう。ならなおのこと無駄に居座る必要はない。正解だ。
相手が回復できる【異能】持ちの俺じゃなければだったが、な。
「あーいてぇ、今回は本気で危なかったな。」
軽口をたたきながら俺は起き上がる。既に傷口はふさがっており、その痕跡すらも残ってはいない。
地に伏す三つの体が息をしているか確認する。よし、きちんと死んでいるな。
さて、仕事は終わらせたから、依頼人に報告しに行くか。だがその前に血で汚れたこの服はどうするかな。血で服が汚れたのなんて久しぶりだな。
大手町 赤沢家 自宅
数時間後、ゴッホの「星月夜」にダリの「記憶の固執」、ドラクロワの「民衆を導く自由の女神」等、額縁に収められた絵画が至る所に飾られた部屋に俺は立っていた。
「お疲れ様。で、どうだった、坂本 暦さん?」
飾り気のないいかにも事務的な椅子に腰かける、金髪の女が尋ねてくる。彼女が俺の今回の依頼主でもあり、この日本の3大財閥の一つ、〈赤沢電機工業〉のご令嬢である、「赤沢 済生」である。
「目標の赤沢 斎祥、お前の父はしっかりと殺した。」
淡々と答える。
「あら、常に【異能】持ちの護衛が二人以上はついている彼を殺すなんて、殺し屋としての実力は噂通り本物らしいわね。」
「お褒めの言葉は素直に受け取っておくよ。だが、保察に目をつけられた。」
というより、死にかけたんだがな。まあ依頼人に余計なことを話すべきではないだろう。
「あの治安維持部隊ちゃんたちに?よく戻ってこられましたわね。ええ、こちらとしてはそれは全然大丈夫よ。私が関わったという証拠はほとんどでていないのですからね。」
赤沢は俺を労うような声を上げる。どうやら報酬は問題なく支払われるようだ。
ほっとした。昔、保察に見つかったと報告したときに、依頼の失敗とみなされて殺し損だったことがあったからな。
「そうか、依頼の失敗と言われなくて良かった。」
「仕事が達成されているのですから、そんなことは言いませんよ。今回はありがとうございます。報酬は後であなたが指定した口座に送っておきますよ。また頼むこともあるかもしれませんが、その時はよろしくお願いします。」
例え決まり文句でも大企業のご令嬢がこんなことを常習的にやろうとしているかのような言動はやめてほしいものだな。
「またのご利用がないよう祈っているよ。それでは。」
俺は彼女に背を向け、部屋を出た。
俺はこうして、人を殺して生きるしかなかった。4年前、自らの手で姉を殺したその日から…。
数日後 霞ヶ関 平和保護観察特殊部隊-保察本署 長官室より
私が長官室で事件の事後処理の書類を片付けていると、扉を叩く音が聞こえた。
「入れ。」
私がそう言うと、ネクタイを緩めた細身の男がフラフラと入室してきた。
「国の平和を保護する立場の者が、服装を乱すなと何度私はお前に行っただろうか、祀。」
私は彼にそう言ったのだが、
「かっちりし過ぎるのも良くないと思うんですがね~。ちなみに言われたのは四十八回目です。まあんなことはどうでもよいのですよ。ところで、岩倉のやられた現場に行ってきました。」
軽く流されてしまった。やはりこいつはもう一度、新人研修を受けさせたほうがいいのではなかろうか。しかし岩倉の一件とは、たしか赤沢家の当主が暗殺された事件のことか。こいつの服装の件についてはまた後でとして、まずはそちらを聞くことにするか。
「そういえばあの事件についてはほとんど何も報告されていないな。容疑者は岩倉が傷を負いながらも殺害したとは本人から聞いていたくらいなのだが、どうだった?」
「不可解な点が三つありましたね。一つは、その容疑者の死体が消えていたということです。」
死体が消えた、と。
「死体が運ばれたのか、それとも死んでいなかったのか。」
「血だまりだけが残っていて、引きずられた痕跡も動かされた痕跡もありませんし、死んでいなかったんじゃないですかね。」
ふむ、それは本当に不可解だな。岩倉からは両腕をほぼ切断し、腹部にも3発ほど弾を撃ち込んだと聞いていたはずなのだが。たとえ異能持ちでも、そこまでの重症が死ぬ前に治るとは考えにくい。
「あそこのビルの監視カメラに何か映っていたか?」
「現場付近のカメラは容疑者と岩倉の戦闘で全部壊れてしまったうえ、、事件もビルのエントランスで起きましたから、他のには映ってませんしで、マジで状況証拠以外がほとんど残ってないんですよ。」
「そうか、残りの二つは?」
「赤沢斎祥及びその護衛の遺体の一部が白骨化していたことと、現場がビルの他の階に比べて明らかに老朽化していた点ですね。」
「遺体の白骨化と現場の老朽化か…。」
なんだろうな、この感覚。自分の中の知識が結びついていくような…。
「死後十数時間しかたっていないはずなのに、遺体がそこまでなってるのもおかしいですし、ビルも四、五年前に建てられたものなんで、老朽化、あまつさえ部分的にそれが起こるなんてありえなくないですか、って聞いてます長官。」
祀の話ではっきりと何かが私の中で繋がった。まさか。だがそうであれば本来であれば確実に死ぬであろう傷を受けて生き延びたことも説明がつく。それの確証を得るために、私は今回の事件の犯人と同じはずである【神貸者】の祀に聞く。
「最後の一人は反転した力だったな。」
「あ~、そうですね。最後のひとりはデメテルの…。あ、もしかして。」
祀はわざとらしく手のひらをこぶしで打つ。彼も同じ結論にたどり着いたようだ。
「やはりか、最後の【神貸者】のはずだ。血だまりの跡からDNAをとれ、わずかな痕跡も逃すな。必ず探し出せ。」
「了解しやした、伊佐木長官。」
そうして祀が退室した後、
「まさか最後の一人がこんな形で見つかるとはな。」
私は一人こうつぶやいたのであった。