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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

誰も知らない物語

作者: 鷹村紅士

 朝鳴き鳥の鳴き声に、少女は目を覚ます。

 小さな彼女は大人用の大きな寝台で身を起こし眠い目をこすりつつ、ぽふぽふと自分の横にある空きスペースを叩く。

 何もないことにムスーッとした少女は転がって寝台を降りると軽快な足取りで家の玄関まで移動すると、思い切り戸を開けた。


 ごっ!


 鈍い音とともに外にあった白い何かが勢いよく転がっていき、すぐ傍に生えている木にぶつかって停止した。

 それを見て少女は満面の笑みを浮かべる。


「もーエッちゃん、また外で寝てるー」


 その声に反応したのか、木に激突した白い何か──巨大な卵に布きれがくっついたそれがピクリと動いた。

 卵の下と左右からニュッと小さな突起が出ると、それは意外にも柔軟にぐんにゃりと形を変えて、


「おはようでありますぞーマナどのー」


 起き上がって喋りだした。

 その卵──エッちゃんと呼ばれたそれは側面から出ている突起(腕?)のすぐ上、人間でいえば肩に相当する部分にハンカチーフサイズの布をくっつけ、腰にあたるであろう部分に突起のついた三角形の飾りをつけ、顔に当たる部分には縦長の格子状のお面らしきものをつけている。

 初めて見た人間は大体がこういうだろう。


 あれ、なに?


 と。

 そんな珍生物(?)エッちゃんを見つけてご満悦なマナは、エッちゃんの手を引いて家の中に入っていった。


 *****



 カルバ村はキュケル王国という国の領土の端にある。

 近隣は山と森に囲まれ、住人たちは日々農業や酪農に勤しみ、周辺の自然の恵みを得て自給自足の生活をしている。

 一応、特産品という訳ではないが近隣の山や森からとれるキノコや薬草などが都では高く売れるようで定期的に商人がやってきて交流したりはしているが。


「ぷーちゃん、はいどー」

「ぷご」


 各々の家には厩舎が併設されており、そこで家畜を飼っている。

 牛や馬、山羊に鶏。

 どれも生活に欠かすことのない労働力であり、貴重な財産でもある。

 朝になれば放牧場や畑、開墾場所などに連れ出される光景が広がる。

 マナの家も父親が牛を引き連れて放牧場へと向かうその傍らで、マナが一匹の動物を連れ出す。

 大きな体にこげ茶色の体毛、大きく張り出した二本の牙をもつその生物の名はぷーちゃん。巨大な猪だ。

 大人たちが縄を引いているのに対し、ぷーちゃんはマナを上に載せてぷごぷご言いながら歩いていく。


「ぷーどのはえらいですなー」

「ぷーちゃんえらいー」

「ぷご!」


 マナを乗せ、エッちゃんとともに歩くぷーちゃんの行く先は、村の水源である近くの川だ。

 村では毎朝、その日に使う水を川から汲んで来なければならない。

 それは女子供の仕事だ。

 少し前までは朝から汗を流して何往復もしていた重労働だったが、今ではぷーちゃんのおかげで大分楽になっていた。

 村にある小さな荷車をぷーちゃんに繋ぎ、川から汲んだ水を一度に大量に運搬できるからだ。

 今日もせっせと荷車に載せた水がめの中に水を入れ、ぷーちゃんの馬力(猪力?)にモノを言わせて少ない回数で水くみを終了。

 その後は母親たちは洗濯に勤しみ、子供たちは一斉にぷーちゃんへ群がって労いを込めて水洗いだ。

 それと同時にマナはエッちゃんも水洗いする。


「もー、えっちゃんきたないー」

「もうしわけないですぞー」


 灰汁や植物油で作った手作り石鹸で洗われる大猪の横で巨大な卵が洗われている光景は、何とも言えない珍妙さだが皆にとってはもはや日常の一種だ。


「なんでよくそとでねるの?」

「わかりませんぞー」

「へんなのー」


 外で寝ていたせいで土埃に塗れたままのエッちゃんだが、丸洗いすれば陽の光を浴びて艶々するまさに卵肌が姿を現す。

 布で拭けばキュッキュッと小気味よい音をたてた。

 そのまましばらくエッちゃんは天日干しで乾かしつつ、マナもぷーちゃんの洗濯へ合流する。

 洗い終わればぷーちゃんも天日干しで、エッちゃんの横に移動してまったりする。

 一仕事終えた子供たちはそのまま母親たちのお手伝いに行き、


「さっぱりしましたな、ぷ-どの」

「ぷご~」


 卵と猪はまったりしていた。


 *****


 陽が中天に差し掛かる頃合いになると、村人たちは広場で一斉に腹ごしらえをして、それから男たちは再び農作業などに精を出し、女たちは繕い物や内職などに取り掛かり、そして子供たちはというと──。


「おまえら~、あんま遠くまでいくなや~」

『は~い!』


 年老いて現役は退いたが、未だに元気に動ける元狩人に引率されて自然の恵みを分けてもらいにきていた。

 子供たち用に編まれた籠を手に思い思いの場所へ駆けていく。

 村の周囲は山野に囲まれ、人の手が入っていない大自然しかない。

 そこには溢れんばかりの山の幸があるが、同時に野生動物の楽園でもある。

 さらには人に敵対的な存在である魔物も多く生息している。

 魔物は野生動物と同じように獣の姿をしたものと、人と同じように二足歩行するものがおり、人間を見れば例外なく殺しにかかる凶悪さを誇っていて出会えば殺すか殺されるしかない。

 その肉は食用に適さず、骨は硬いが加工も難しくてあまり利用価値もないくせに執拗に追いかけて来て戦う羽目になるという、とても迷惑な存在が魔物だ。

 古より存在して、遠くにある都の偉い学者がそのルーツを研究しているが、いまだに解明はされていない。

 まぁこんな田舎の村人からすればルーツなど関係ないが。

 ともかく、危険がそこら中に潜んでいる山に入るには狩人は必要不可欠で、そんな場所に子供たちを向かわせるのはどうかと思うが、田舎では子供たちも重要な労働力であり、なおかつ幼い頃から村周辺での行動を教えておかなければ、大人になった時に何もできなくなってしまう。

 だからこそ危険を承知で子供たちに山野での行動をさせるのだ。


「えっちゃんいっぱいさがそー」

「さがしますぞー」


 籠を手に、マナはとっとこ歩いていく。

 それを追うようにえっちゃんも歩いていく。


「でも、けものきたらあぶないよー」

「そだよー」


 マナのすぐそばにいる子供たちがそう言うが、木の実を採取する手は止めない。


「だいじょうぶですぞー! みんなはわがはいがまもりますぞー!」


 子供たちが獣や魔物のことを危険視する言葉に、えっちゃんは左腰(?)あたりにくっついている三角形の板に取っ手のついたそれを持って、まるで剣のように天に掲げた。


「わがはい、これでもきしですぞ!」

「えっちゃんかっこいー!」

「えっちゃんすごいー」

「それほどでもないですぞー!」


 子供たちと謎の珍生物のやりとりに、元狩人は微笑んだ。

 えっちゃんはマナとその父親が崖崩れで出来た洞窟の中に入った時に発見され、村にやってきた。

 それからは特に危険性も見当たらず、子供たちに交じって遊ぶ姿から村人たちに受け入れられ、今ではこうして当たり前のように一緒に行動している。

 そうした中、村に定期的に訪れる商人たちが子供たち向けに色々な話を聞かせるイベントで騎士の英雄譚を耳にしたあとから、


「わがはい、きしになりますぞー! みんなはわがはいがまもりますぞー!」


 そう言って村の皆を守る騎士を自称し始めた。

 大人たちは子供が物語の登場人物に憧れるようなものだとして微笑ましく見守っていた。


(おらも昔はそうだった。村から出て名を上げてやるってなぁ。ま、でっかくなったらおちつくべ。……えっちゃんはでかくなるんか?)


 気にはなったが、あまり深くは考えない。

 彼は狩人として長く、普通にしていても周囲の警戒は怠らない。

 何かあればすぐに動かなければならないし、ここ最近、村の周囲は妙にざわついているからだ。

 何かが周辺の山野にいる。

 定期的に来る商人たち曰く、ここら一帯は人が少ないせいか賊だったり犯罪者だったりが身を隠し、潜むには絶好の場所で、結構な人数がやってきていたらしい。

 さらには平地のほうにいた魔物が討伐隊に追われ、逃げ込んでもきているらしい。

 そうなると危険度は跳ね上がっているはずなのだが、村人たちは普通に生活している。

 何故なら、その逃げ込んでいたはずの賊や犯罪者たちがボロボロの状態で麓の巡回をしている者たちが見つけやすい場所に打ち捨てられている場合が多いのだ。

 また、夜中に山鳴りか、地滑りかは不明だが大きな音がしたかと思えば、そこには何かが暴れたような跡と魔物の死骸が転がっている惨状が広がっていたりする。

 何かが、いる。

 魔物も、賊も、一切を排除する何かが。

 村の者たちは山の守り神が守ってくださったと言って拝んでいる。


(……昔はなかったべな)


 元狩人は首を傾げる。

 彼が子供の頃はそんな異常な事態が起こったことはない。

 この現象はここ最近のものだ。


(……そういや、えっちゃんが来たあたりから?)


 ふとそう思う。

 もしそうならば、


(えっちゃんは本当に皆を守ってい──っ!)


 笑って済ませられるような結論に至ろうとしたその時、彼の警戒意識に何かが引っかかった。

 すぐさま弓に矢を番え、引っかかった方へ向ける。

 何かが草木を揺らしていた。

 それの気配が遠ざかっていく。


(……いなくなった)


 構えをとく。

 その後、いきなり弓を構えた元狩人の動きに驚いて固まっていた子供たちに謝りつつ、周囲に何者かの気配がないことを確認して子供たちにそのまま採取を続けさせる。

 その隙に元狩人は気配のあった場所へと近づく。


「こりゃあ……」


 草木をどけてみたその場所には、足跡があった。

 獣のものではない。

 それは、


「小鬼か」


 小鬼。

 魔物の中でも最も多く見られるもので、やせ細った小さな子供のような外見をしている。肌は土汚れや垢に塗れて黒く、素っ裸で動きがやけに早い。爪や牙があって飛び掛かられると厄介で、しかも大抵が複数で行動をしている。

 妙に憶病な性格をしていて、真っ向勝負はしない。仕掛けるときはいつも奇襲だ。

 こちらが大勢でいたり、先に見つけられて警戒されたりすると即座に逃げ出す。


「でも、こいつは……」


 足跡は、多くて三匹分。

 もし襲い掛かるならもっと多いはずだ。


「はぐれか……」


 たまに仲違いをして一匹か二匹くらいでさ迷うはぐれという個体もいて、そういった場合は傷つき、死が近いものが多い。


「一応、気を付けとくか……」


 元気に採取を続ける子供たちの姿を見やり、元狩人は現役の狩人たちへこのことを伝えようと決め、踵を返す。



 ──小鬼。検索。

 ──結果。魔導生物イグルスの俗称。

 ──斥候と判断。

 ──指揮官級の発生の可能性。大。

 ──目的の推論。カルバ村の襲撃。

 ──周辺地形の魔導波調査開始。

 ──軍勢の待機可能地点、把握。

 ──排除推奨。


 狩人が離れたその場所を、えっちゃんがじっと見つめていた。


 *****


 陽もとっぷり暮れた時刻。

 村人たちは一日の作業を終えて家に戻り、


「おいしーねー」

「ですぞ~」


 もっちゃもっちゃと夕飯を食べ、身を清めた後は、


「おやすみー」

「ですぞ~」


 父と母に挟まれて、えっちゃんを抱き枕にマナはご満悦に目を閉じる。


 そして、夜も半ばを過ぎた頃。


 えっちゃんはにゅぽんっ! とマナの抱き着きから脱出すると、静かに歩き出す。

 灯もない暗闇の中を何ら躊躇することなく進み、えっちゃんは扉を開けて外に出る。


 外は煌々と月が世を照らしていた。


 えっちゃんはそのまま歩き、村の門へと向かう。

 門には狩人の者たちが交代で見張りを行っているが、たまに野生動物が現れては矢で追い払われるくらいで普段は特に緊張感もなく、見張り中に居眠りをしていることもしばしば。

 今宵の見張りは篝火のすぐ近くで居眠りをしていた。

 眠りは深く、えっちゃんがすぐ傍に来ても気付かずにゆらゆらと舟をこいでいる。

 それを確認したえっちゃんは門を越える。


 ──魔導機関、出力上昇。

 ──省力形態解除。

 ──戦闘形態へ移行。


 門を越えたえっちゃんの身体がスパークと蒸気に包まれたかと思えば、一瞬にして成人男性を超える巨躯へと変貌する。


 現れたるは、全身を甲冑に包まれた、騎士。

 まるで大樹のように太く雄々しき四肢、大岩の如き胴。

 左腕に持つは質実剛健、分厚く大きな凧型の盾。

 腰に佩くはこれも大型の剣。

 背中には二枚の布で構成された外套がはためく。


 ──軍勢の待機可能地点へ進軍開始。


 兜のスリットから鬼火のような青白い光を漏れさせながら、騎士は脚を進め、


 ──推進器、起動。

 ──跳躍。


 脚の装甲にあるスリットから光と風を噴き出し、空へ舞う。


「ふぇあ?」


 突風に驚いて見張りが目を覚ますが、その時にはもう誰もおらず、彼は首を傾げ、また目を閉じた。



 *****


 草木も寝静まる夜。

 人の手が入ったことのない大自然の山奥。

 不自然に木々が伐採された場所があった。

 そこに、不浄なる魔物の軍勢が集っていた。


 軋むような、耳障りな雄叫びを上げ続ける、小鬼たち。その数、無数。数えるのも馬鹿らしくなる程の群れ。

 それらに交じって騒ぎ、小鬼たちをたまに小突いて弄ぶのは大鬼。その数も無数。小鬼たちよりも少ないが、成人男性なみの背格好の大鬼は知能も高く、力も強いために脅威度も小鬼とは段違いだ。

 それを睥睨するのは大鬼たちよりも屈強な肉体を誇り、しかし小鬼たちと同じく醜悪な相貌を持つ、戦鬼たち。その数、十。数は大鬼たちに劣るが、その戦闘能力は一体で並の戦士たち十数人にも勝る上位種は整然と立ち並ぶ。

 その背後には、大岩に腰掛ける、巨人。

 筋肉の鎧に覆われ、醜悪ながらも雄々しい風格を持つのは鬼将。瞳に理性の輝きを灯し、されど荒々しい戦意も燃えているその存在は、これから起こす戦の高揚に笑みを浮かべている。


 鬼と呼ばれる魔物──いや、魔物と呼ばれる生物全般たちは人に仇なす。

 生まれ落ちた時から人という種への憎悪に塗れ、殺し尽くすことを命題としている。

 そう設計されている。


 鬼将は大岩から立ち上がると大きく鼻息を噴き出す。

 それに敏感に反応した戦鬼たちが一斉に大きく唸る。

 びくりと大きく身を震わせた大鬼たちが黙って鬼将たちのほうへ向き、知能が低いために未だ騒いでいる小鬼たちを殴って黙らせる。


 ────────っ!


 鬼将の雄叫びが山野を震わせる。

 開戦の合図だ。

 これより鬼の軍勢は戦をしかける。

 まずは近場の人の集落を落とし、景気づけとする。

 大地を踏みしめ、鬼将が先陣を切る。

 向かうはカルバ村。

 これから蹂躙し、人の血肉を啜り食らい、血沸き肉躍る戦いへの高揚に鬼将が舌なめずりし──、


 満月を背に、騎士が着弾する。


 轟音と土煙が鬼の軍勢の進撃を止める。

 何が起きたのか分からずに戸惑う小鬼たち。

 土煙の向こうに青白い灯が揺らめいたかと思えば、暴風が吹き荒れた。

 土煙とともに十数体の小鬼たちが吹き飛び、さらに多くの小鬼や大鬼たちにぶつかって絶命していく。

 現れたのは、巨剣を片手で振りぬいた騎士だ。

 たった一振り。

 それだけで軍勢の一部を消し飛ばす。

 だがそれもほんの一部。


 ────────っ!


 戦鬼たちが咆哮し、大鬼や小鬼たちが騎士へと殺到する。

 本来ならば一撃で同胞を殺されれば速やかに逃げだすものだが、上位種がいることで下位種は命令に背けず、統率される。


 ──上位種確認。

 ──守護対象:マナ、ひいては村への脅威度、極大。

 ──殲滅確定。


 迫りくる鬼たちを前に、騎士はより強く青白い光を瞬かせると剣を振る。


 轟剣、一閃。


 まるで爆発したかのような衝撃波が剣より放たれ、小鬼どもを砂煙の如く吹き散らし、大鬼どもすら小石のように吹き飛ばす。


 ──推進器、起動。


 独特な甲高い駆動音が醜悪な鬼どもの悲鳴や怒号を消し飛ばす。

 瞬間、騎士の姿が消えた。

 それを認識する暇もなく、巨体そのものが武器となって鬼どもを駆逐していく。

 推進装置を使った体当たりだ。

 天よりこの戦場を見ていれば、まるで墨で真っ黒に塗りつぶされた絵画に、清浄なる白の線が一直線に引かれていくかのような光景であった。


 小鬼も大鬼も十把一絡げ。


 騎士の目的はただ一つ。

 上位種──鬼将の首だけだ。

 そもそもこの鬼どもが軍勢となったのは鬼将というリーダーが生まれたからだ。強大な頭が自分より格下を力で束ねているに過ぎない。

 故に、鬼将を滅すればこの軍勢は瓦解する。

 戦鬼という存在もいるが、鬼将ほどの力量もないためこのような大群を構成することはできない。

 そもそも、生かして逃がす訳もなく。


 ────────っ!


 有象無象を蹴散らして一直線に進んでくる巨体の騎士へ、鬼将が咆哮する。


 殺せ! あれを殺せ!


 それに応えるのは側近のように集まっていた戦鬼たち。

 その名の通り戦うために進化したそれらは、常人相手ならば一体だけで数十人は軽く虐殺できる災厄だ。

 実際に遠くの国ではたった一体の戦鬼に多くの村落が落とされ、討伐に出た国軍の過半数を犠牲にやっと仕留めることが出来た、という話もある。


 しかし。


 戦鬼たちは身近な岩を投げ付けたり、己の身体を持って騎士を迎撃しようとするが、


 轟剣、再び一閃。


 体当たりをしかけた戦鬼の一匹がやすやすと両断され、瞬き一つ分の差をおいて放たれた衝撃波によって汚らしい臓物や血しぶきすら騎士にぶつけることもできずに消し飛ばされる。


 衝撃波は投げられた岩すら弾き飛ばし、勇んだ他の戦鬼たちすらたたらを踏ませる。


 騎士が見据えるのは、悠然と立つ鬼将のみ。


 容易く戦鬼たちを突破した騎士は大上段に剣を振りかぶり、


 鬼将の嗤う顔を見た。


 放たれたのは、力の奔流。


 大気を歪ませ、周囲の地面すら抉るそれはたっぷりと助走をつけて迫った巨体の騎士を叩き、爆音とともに吹き飛ばす。


 着弾。


 鬼の軍勢相手に着地した場所よりも遠く、端の方にまで吹き飛ばされた騎士は、糸の切れた人形のようにただ地面に倒れ伏す。

 ひどい有様だ。

 月光を浴びて輝いていた鎧は土で汚れ、分厚く、傷つけるにも一苦労なはずの胸部は大きく陥没し、歪んでいる。

 吹き飛んでいる最中でも手放さなかった剣だが、今は握ることもできずに地に転がり、外套も叩きつけられたことでボロボロになっている。

 鬼どもを見据えていた青白い光も、今はもう見えない。


 鬼将が嗤う。

 大きな声で、心底可笑しいと言わんばかりに。

 騎士を吹き飛ばしたもの。それは鬼将の手にある筒。人間ならば脇に抱えて持ち運ぶ、まるで丸太のような筒だった。

 その筒は耳障りな駆動音と蒸気を出しながら縮んでいく。


 魔導兵器、携帯式攻城破槌。


 超古代に栄えた魔導科学文明の遺産。世界各地に眠る朽ちた遺跡より発掘されるものを解析し、現代技術の粋を結集して復元した強大な力を持つ兵器だ。

 これの機能はその名の通り、簡単に持ち運びできるサイズの攻城兵器だ。

 城塞の堅牢な門を砕く威力だ。

 騎士の鎧など紙切れ同然。

 本来ならば各国で厳重に管理されているものだが、国家転覆の野望に憑りつかれたとある凶悪な犯罪者が奪い去り、この広大な山野にて態勢を立て直そうとしたのだが運悪くこの鬼将に見つかってしまった。

 その時に大鬼相手に犯罪者はこの魔導兵器を使い、戦鬼によって殺されて魔導兵器は鬼将へと献上された。

 それ以来、鬼将はこの魔導兵器を愛用している。

 単体でさえ天変地異と同列で語られ、恐れられる鬼将に、凶悪な兵器。


 これが人の世に出たとしたら、もはや言語を絶する悪夢でしかない。


 騎士は動かない。

 大鬼や小鬼は一定の距離を取って静観し、それらを踏みつぶしながら悠々と歩を進める鬼将。それに追随する戦鬼たち。


 鬼将は愉悦に満ちた笑顔で地に倒れ伏す騎士を見下ろす。


 鬼将にとって、力を思う存分揮うことこそ至上の快楽。

 一撃であらゆるものを粉砕する魔導兵器は好みの道具。

 そして、軍勢を率いて今宵より始める予定であった戦こそ生まれ落ちてからの悲願。

 血を、肉を、悲鳴を、嘆きを、阿鼻叫喚の地獄絵図を。

 想像するだけで絶頂してしまいそうな楽しみを、突然現れて邪魔をした巨体の騎士。

 配下を軽々と殺し、戦鬼すら歯が立たない力を持つ謎の敵。


 しかし、鬼将には敵わない。

 たった一撃で動かなくなった。

 それが可笑しくて仕方がない。


 けれど、未だに原型を留めているのが気に食わない。


 だから潰す。

 魔導兵器はすでに次弾が発射準備完了している。

 鬼将は魔導兵器を振りかぶり──、



 ──自己診断、開始。

 ──損傷度合:軽微。

 ──胸部装甲、修復開始。

 ──内部機構、再度診断。

 ──魔導流体経路、衝撃により流体瘤の一部除去を確認。

 ──流体循環機能、改善。

 ──出力調整。出力が二コンマ一から四コンマ三に改善。

 ──魔導剣への流体経路復活。接続。

 ──魔導盾への流体経路復活。接続。


 ──殲略級魔導人形:エッグディクティンバー。

 ──再起動。



 攻城破槌が叩きつけられた。



 爆音。



 大気が、大地が震える。

 対軍勢用の強固な城塞を砕くための凶悪な一撃が、人か定かではないが単体に使われたのだ。

 普通ならば、塵一つ残らない。


 だが、この騎士は普通ではない。


「!?」


 凶悪な攻城破槌は、青白く輝く光の壁に遮られていた。

 揺蕩うように、中心から波紋が広がる半透明のそれ。


 ──魔導盾、最低出力で起動中。


 盾を翳し、自己修復を完了した騎士は再び面の奥から青白い光を放ちながら破槌を押し返す。

 鬼将はそのまま対抗しようと腰を落とすが、乾いた音とともに破槌がひび割れたのを見て慌てて手を離して後退る。

 空中に浮いた破槌は光の盾に押し出され、その衝撃でひび割れが加速。すぐにバラバラに砕かれ、破片が乾いた大地に散乱する。


 ──兵装破砕光盾、機能確認。

 ──魔導剣、起動。

 ──雷塵剣。


 青白いスパークが剣を伝ったと思えば、それは溢れんばかりの稲光で剣身を覆う。


 鬼将の顔が嗤いではなく、恐怖で歪む。

 絶叫しながら鬼将は後方へ大跳躍。

 砲弾のように跳んだ彼を尻目に、騎士は背中から爆風を噴き出しながら起き上がり再び大地に立つ。


 目の前には鬼将が逃げた上、見るからに危険な稲光を纏う騎士の姿にどうしていいか分からず狼狽えるばかりの鬼たち。


 ──殲滅。


 騎士の剣が天に掲げられる。

 雷を纏い光の剣となったそれを、騎士は振り下ろす。


 雷光、鉄槌。


 雲一つない満月の夜に、雷が吠える。

 天よりではなく、巨躯の騎士から放たれた轟雷は闇を駆逐し、大地を爆ぜさせ、狼狽えるばかりの鬼たちを食らい、灰塵へと変えていく。

 小鬼も、大鬼も、戦鬼たちでさえ抵抗する間もなく、消えていく。


 跳躍から着地を失敗して大地を転がった鬼将は土で汚れたまま急いで顔を上げ、放たれた雷光を直視してしまい、苦悶に呻く。

 それでも、あの騎士の、剣が放った光。

 見た瞬間に悟った。

 あれは自分を殺し尽くす。

 鬼の中でも上位の知性を獲得した──してしまったがために、理解してしまった。

 恐怖を。

 脅威を。

 ちらつく視界の中、何かが動いた。

 下から、上へ。

 釣られるように上を見上げた。


 青白い光を纏った騎士が、天上より大地を睥睨していた。


 ──面制圧。


 輝く光の盾が、爆発的にその面積を広げる。

 濃紺に銀の砂粒をまき散らした夜空が、青白に染まる。


 ──圧殺。


 騎士が光の壁を大地に叩きつける。

 それだけで、千にも達する鬼の軍勢が潰れ、汚らしいものをぶちまけながら肉塊へとなり下がる。


 自身が玉座の代わりにしていた大岩に背を預けた格好で、鬼将は思考する。

 どうしてこうなった?

 あれはなんだ?

 何故? 何故? 何故?

 目の前に突風とともに着地した騎士を見上げ、答えの出ない疑問に翻弄される。

 鬼将は解らない。

 この騎士が、たった一人の少女に危害を加えようとしたから自分たちを排除したことを。

 このまま山を下り、人里へ襲い掛かれば手出しはしなかったことを。


 斬。


 何も理解しえぬまま、雷光によって鬼将は塵一つ残さず消え去った。


 その光景を遠くから見つめていた戦鬼は、安堵の息を吐いた。

 彼は騎士が雷光を放ってからすぐに逃げだし、戦場から離脱した個体だ。

 鬼にも個体差というものは存在している。

 この個体は目端が利き、自己の生存本能には特に素直な奴だった。

 だから上位種がいようとも、自分に危機が迫るならば即座に逃げ出せる。

 仲間を守ろうなどと言う意識はない。

 遠く離れた場所で自分以外の鬼が殺し尽くされても、自分が生きていればそれだけでいいのだ。

 鬼将を討ったことで騎士は満足しただろうと戦鬼は考え、このまま息を潜め、騎士が去ることを待つ。

 そうして、自分が生き残るためにまだ山野にいるであろう小鬼たちを纏め上げ、やがては自分こそが鬼将、そしてさらに上位の王へと至り、永遠に──、


 騎士が盾の尖端を戦鬼のいる方向へ向け、三日月状の光を放つ。


 下卑た笑みを浮かべ、悦に浸る戦鬼の身体が両断され、臓物と体液をまき散らしながら上半身が大地へ落ち、やがて下半身もふらついて倒れる。


 ──魔導波調査。

 ──敵勢力、壊滅を確認。

 ──戦闘終了。帰還する。


 騎士は突風とともに浮かび上がると、カルバ村へと飛翔した。


 *****


 僅かに白んできた時刻、騎士は村の上空から静かに着地をすると、膝をついた。


 ──警告。

 ──残存魔動力、危険域。

 ──戦闘形態の維持不能。

 ──即時、省力形態への移行を推奨。


 戦闘にて力を使い果たした騎士はよろよろと、先程とは打って変わって弱弱しい足取りで歩を進める。

 一歩、一歩と、彼の帰るべき家へ。

 マナの眠る家へと。


 そして、


 ──警告。

 ──省力形態へ強制移行。


 激しく蒸気を噴き出し、力尽きるように騎士の姿が縮んでいく。

 巨躯が人並みに、やがて子供のように、最後には幼子よりも小さくなり。


 卵のような姿へと──えっちゃんに。


 ──大気中より魔動力吸収開始。


 ころりと転がった卵は家の玄関の一歩手前で制止し、ぴくりとも動かなくなった。


 それからしばらくの後。


 ごっ!


 勢いよく開かれた扉にぶつかって勢いよく転がっていき、すぐ傍に生えている木にぶつかって停止した。

 それを見て少女は満面の笑みを浮かべる。


「もーエッちゃん、また外で寝てるー」


 ──守護対象:マナの起床を確認。

 ──起動。


「おはようでありますぞーマナどのー」


 えっちゃんは元気よく挨拶をした。




 大自然に囲まれたカルバ村には、守護者がいる。

 普段は卵のような珍妙な姿をしているが、一たび村へ、いやこの村に住む小さな少女の身に危機が迫るのであれば、巨躯の騎士となって全てを払う、超古代より復活した単騎で世界を相手取ることが可能な存在が。


 だが、それは、誰も知らない。

 これは、誰も知らない物語である。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 読後の余韻が素敵です。 [一言] 面白かったです。 何故少女の元へ来たのか不明な点は有りましたけれど タイトル通りに誰も知らないままが良いのでしょうね。
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