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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

主人公=読み手についての考察、その他諸々

【はじめに】 

 

 紙媒体の小説や、Web小説などで覚える違和感に「主人公が何を考えているのか分からない」、「主人公の行動や思考に共感出来ない」と言ったモノがあります。物語を描くのは良いが、客観的な事実(展開)だけを描いている所為で、登場人物達の思想や行動原理が意味不明、主人公の行動を称えたり、または、あからさまに罵ったりするだけの人形のような扱いになっている。神の視点(俯瞰的な視点)から物語を楽しみたい人にとっては、それらは不満以外の何ものでもないでしょう。「主人公も含めた登場人物の内面を描かない」と言う事は、「物語の中で動く人間」ではなく、「物語に沿って動く人形」を描いている事です。それでは、感情移入もクソもありません。読み手の共感を煽る内容ならまだ、感情移入の余地もありますが、そうでないのなら、最悪は「置いてけ堀」を食らうでしょう。自分とまったく関わりない主人公も含めた登場人物達が、自分とまったく関わりない物語(世界)の中で動いても、それが余程に面白くなければ、とても疲れてしまいます。人によっては、苦痛すら感じるかも知れません。

 自分も(どちらかと言えば)、主人公の内面や行動原理を書いてくれた方が有り難いし、また、自分の作品でも、できる限りは主人公をはじめ、登場人物達の思考や感情などを書くように心掛けているつもりです。その方が、書き手としても情報を伝えやすいですからね。思想や感情などに矛盾が少なければ、「それ」に違和感を覚える事もなく、より自然な創作物上の人物を描く事ができます。彼または彼女は「これこれ、こう言う人物だから、これこれ、こう言う行動を取ったのだ」と、読み手の方もすぐに分かるでしょう。「登場人物の内面を掘り下げる」と言うのは、それだけ重要な事だと思います。ですが、それでも登場人物達の内面描写を省く作品がある。作品の作者様が「そう言うのは、面倒くさいから書かない」と言う場合は別ですが、あえて意図的にそうしているのなら、そこにはどう言う狙いがあるのか? 本作品は、自分なりにその意図を考察し、そこから生じる利点や欠点を推測したエッセイです。



【考察と推論】 作者様が主人公の思想や行動原理を省く理由。


 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。言葉にすると簡単ですが、これは紛れもない事実でしょう。人の人生は、人の数だけあります。どんなに似通った人生があっても、まったく同じ人生はありません。人間は、たった一つの人生しか歩めないのです。それがナンバーワンだろうと、オンリーワンだろうと、その原理からは逃れられません。人間の人生は、唯一無二なのです。だからこそ、ここで考察の内容が出てくる。「作者様が何故、主人公の思想や行動原理を省くのか?」が、「そこにどう言う意図があるのか?」が、です。作者様は、(主人公に自己投影している場合は別ですが)主人公の内面描写を怠けているわけではない。そうする事で、あらゆる人生に対応しようとしているのです。作者様は超能力者でもない限り、読み手の人生をすべて把握する事はできません。統計的な数値からある程度の共通点を見出す事はできても、どんな人生にも通じる万能な人生は描けないのです。これでは、主人公=読み手の物語が描けません。その主人公しか味わえない体験、境遇が存在する時点で、読み手との乖離ができてしまうからです。「あれ? これって、自分の事じゃなくない?」と、現実の世界に引っ張り戻してしまう。読み手の疑似体験を主目的としている作品には、とても厳しい反応です。これが決定打になって、作品の世界から抜け出す読み手もいらっしゃるかも知れません。

 読み手が作品の世界から離れるのは、書き手としては絶対に避けたい事です。どんな書き手も(基本的には)、最後まで自分の話を読んで貰いたいですからね。その上で感想や評価を貰ったら最高、承認欲求も大いに満たされます。書き手が主人公の内面や行動規範を省く理由は……既にお気づきかも知れませんが、主人公=読み手の物語を書く上で、最も有効的な手段だからです。主人公の境遇や感情は、読み手が自由に思い描く、若しくは、補ってくれる。そうする事で、自分自身があたかも物語の主人公のように思えるのです。作中で描かれない前世の記憶や境遇などは、各々がその空白に自分自身を当てはめれば良い。「前世は善人だった、あるいは善人ではなくても、不遇ではあったが、人道に反するような人間ではなかった」とすれば、大抵の人は「それ」に嫌悪感を覚えないし(作中での行動が、「それ」とあまりにも乖離している場合は別ですが)、たとえ嫌悪感を覚えたとしても、その内容をすべて否めるのは、「難しい」と思います。「善人」と言うのは、基本的には人から好かれるモノですからね。それを嫌う人は、あまり居ないでしょう。自分が余程の捻くれ者か、悪人でもない限りは。主人公の設定に「善人」が付けられる動機も、そこから来ているのかも知れません。


【利点】


 前段でも述べましたが、主人公=読み手を描く最大の利点は、「主人公との一体感を高める事で、物語のプレイヤーになれる」と言う事です。作品の内容が既に決められている創作物は、読み手が創作物の中身を弄くれない以上、その主人公も操る事はできません。観客の一人として、彼または彼女の動向を見守るしかないのです。彼または彼女が、この先に一体何をするのか? 一つの画面越しにずっと見続けるしかない。そこに読み手との乖離が生まれます。俺だったら、こう考えるのに。私だったら、こう思うのに。その不満を完全に無くするのは不可能ですが、主人公=読み手の作品では、その不満をある程度減らす事ができます。主人公の内面描写を排する事で、「読み手の能動性を保たせつつ、物語自体には受動的でいられる」と言う、能動と受動の良い所取りができるのです。自分の主体性は残したいが、面倒な所は受動的で良い。

 主人公=読み手の作品は、読み手が主人公の設定を(ある程度)自由に弄くれる映像ゲームと同じ、「そう言う感覚の読み手に向いている作品だ」と思います。だから、余計な心理描写も不要。書き手の方も「そう言う読み手が満足する作品を書きたい」と思ったら、この方法を採った方が良いかも知れません。書籍の本(特に文庫本)はゲームソフトよりも遙かに安く、ソーシャルゲームのような課金システムもありません。初期費用の購入費だけで済みます。Web小説のような無料で読める小説なら、その購入費すらも掛かりません。その意味では、主人公=読み手の作品は映像媒体の娯楽作品よりも、ずっと安い娯楽用品です。これは文章作品の大きな利点なので、活かさない手はありません。


【欠点】

 

 これはもう、言わずもがなでしょう。前段で述べた利点こそが、そのまま欠点にも成り得るわけですから。既にお気づきの方もいらっしゃると思います。主人公=読み手は、確かに便利な手法です。物語の中に読み手を導く事で、細かい心理描写を省ける事はもちろん、客観的な雑音も消し去る事もできます。「普通に考えたらおかしい」と思われる点も……言い方は悪いですが、上手く誤魔化す事ができる。矛盾の有無をイチイチ考えている人は、そんなには居ない筈ですからね。大抵は、「こう言うモノだ」と受け入れる筈です。ですが、読んでいる人は、ちゃんと読んでいる。物語の矛盾はもちろん、主人公の行動にも厳しい指摘を述べます。「そこは違うんじゃないか?」と、客観的な意見を述べてくる。主人公=読み手の欠点は、正にそれ、客観的な意見に対応しづらい部分にあります。主人公と一体化していれば、その欠点にも気づきにくくなりますが。客観的な視点(俯瞰的な視点)から物語を楽しんでいる人には、その欠点がどうしても気になってしまう。

 主人公はAの事が好きな筈なのに、何の描写もなく、Bの事を突然好きになっていたら? 大抵の人は、驚きますよね? 僕もたぶん、驚くと思います。主人公=読み手では、これが往々にして起こりやすいのです。主人公の内面が描かれないから、突然の心変わりも納得できない。その場、その場の展開に従っているだけの人形か、瞬間的な感情(本能)に任せるだけの人間としか思えなくなってしまいます。本能は誰しもが持っていますが、通常はそこに理性が働いて、人間的な判断下すのが普通です。余程の事がない限り、本能の赴くままには有り得ません。普通は、本能と理性との間に葛藤を覚えます。その葛藤を排した主人公は(そうするだけの明確な意思がある場合は別ですが)、一種の異常者として見られるでしょう。主人公=読み手の物語は、その怖さが現れやすくなり、また、作品自体を批難される要因にもなります。別にサイコパスでもないのに、サイコパスのように見られてしまう。読み手を物語のプレイヤーにできる主人公=読み手ですが、こう言った負の部分も考えに入れないと、逆に不満を抱かれやすい作品となってしまうも知れません。


【まとめ】


 長々と語ってしまいましたが……結論から言えば、自分の書きやすい方を選んだ方が無難です。僕は登場人物の内面に迫った作品が好きなので、自分の作品もそう言った感じにしています(自分ではそのつもりですが、そう感じられなかったら申し訳ありません)が、それが読み手の負担になる事もあるため、ある程度は「仕方ない」と思っています。主観読みが好きな人も居れば、客観読みが好きな人も居る。自分にもまだまだ至らない所はありますが、色々な作品を読んできた中で、何となくではありますが、自分なりにそれを学ぶ事ができました。全方向狙い撃ちの作品を作るのは難しい。創作の世界は奥深く、それ故に苦しい時もありますが、このエッセイが創作活動のヒントになってくれれば、幸いです。

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