第一章 龍の牙 八
「れん、かこまれておるぞ」
またたびの一言で銀と蓮が咄嗟に刀を抜いた。かんすけが怯えて足に縋りついたのを確認し、辺りを警戒しながら自信に満ちた声で言う。
「かんすけ、俺から離れんなよ」
「うん」
頼りがいのある始末屋に惚れてしまったかんすけが、蓮の袴をぎゅっと掴んだ。生き延びる唯一の術だ。これを逃すときっと後悔する。蓮にくっついていると不思議と先程までの恐怖感は消え去り、力が湧いてくるような気がした。
「またたび、お前は戻りなさい」
「あいよ」
銀の命令で式神がポンっ!と消えた。
「来るぞ」
蓮が柄を握り直した瞬間、四人の男達が木々の影から勢いよく飛び出してきた。忍び装束を身に着けた男達は一斉に躊躇なく、始末屋2人に刀を振り下ろし、両名ともふわりと躱す。
「おいおい、お約束の時間よりも随分早いじゃねえの」
蓮は左足に絡みついているかんすけをひょいと抱き上げ、後ろに飛び退いた。
「うわあッ!」
戦闘経験のないかんすけが情けない声を漏らすのを尻目に、
「てめえら俺になんか文句でもあんのか!」
殺意を露わにしている敵に向かって吠えた。
「文句などはない。ただ親方様が望んでいる」
冷静に答えた忍びは四人揃って蓮に向かって走り出す。
「香我美の人間を殺すのみ」
蓮がチッと大げさに舌打ちをし、かんすけを素早く地面に降ろした。狙いは俺か。
「銀、下がれッ!俺がやる!」
「はっ」
銀が地面を力強く蹴り上げ2m上空に跳躍し、忍びよりも先に蓮を軽々と飛び越えた。彼女の背後ですくんでいたかんすけの盾となったと同時に、刀がぶつかり合う。耳をつんざく鉄の音が森の中に響いた。
「てめえらが俺に勝てるとでも思ってんのか?」
敵の攻撃を受け止めた蓮は、深く両膝を折り込んで踏ん張りを利かせる。
「女に負けるはずがないだろう」
「聞いたか銀。ずいぶん舐められてるもんだな」
蓮はニヤリと満面の笑みを浮かべ、
「――っぉぉぉらっ!!」
刀を押し返した。
前のめりに忍びの懐へと飛び込んだ蓮は、刀を外回りに振り回す。忍びが一歩引いた。切っ先が忍びの顎先ぎりぎりの空を切る。
「あんた達は泰孝さんの依頼に背く気か?」
「依頼?知らねえな。ガキを見殺しにしてくれ、つう依頼は受けてねえ」
空を切った勢いを止め、逆の弧を描きながら左腕で忍びの頬に裏拳を打ち込んでやった。あっけなく忍びが倒れる。
「はい次ぃ!」
血が騒ぎ出す。楽しい。高揚を抑えきれずに蓮が叫んだ。
「馬鹿にするなあ!」
逞しい体の持ち主が不安を振り切るかのように突っ込んできたが、蓮は愛刀を天に掲げ、一瞬光を反射させると彼の右腕を斬り落とした。ひいっ!、と恐怖の悲鳴が聞こえた瞬間に口角が吊り上る。鮮やかな血飛沫が顔にかかった。
「おいおい、肩慣らしにもなんねえぞ!」
すぐさま三人目の獲物の背後にまわり彼の背中を斬り付け、力なく倒れる身体に蹴りを入れる。黒髪を靡かせ、四人目の攻撃を優雅にかわした。そして腹を突き刺す。
「話になんねえほど弱いな、てめえら。ほんとに忍びかよ」
愉快そうに笑う蓮。襲いかかる敵をわずか四手で全てねじ伏せた。命は取らない。戦闘不能にするだけだ。
僅かに意識を保っていた黒装束の男が弱々しく手を伸ばし、返り血で染まった蓮の袴を鷲掴んだ。蓮は男の頭を足で踏んづけて、忍びの背中に切っ先を突きたてる。
「ば、化け物め」
「だから」
蓮が刀を自分の肩に乗せ、ひれ伏す忍びを見下した。
「俺は人間じゃないんだっつうの」
「蓮っ!何してるの!?」
姉の慌てた声が響き渡り、蓮は髪をなびかせて振り返った。
蓮の背後、森の奥から蘭が駆け付けた。後ろから武蔵と2人の子ども達が遅れてついてくる。倒れて動けなくなっている忍び衆を見つけ、事の顛末を大方把握した蘭はため息をつく。
「おう、おせえぞ蘭。全部倒しちまったじゃねえか」
蓮が顔に付着した血糊を袖で拭った。銀は刀を鞘に戻し、おかえりなさいませ、と蘭に一礼する。
「またあんた一人で!」
「戦闘の時くらいちゃんと来いよ。・・・それよりこいつら誰だ?」
武蔵の影から2人の子ども達が一目散にかんすけに駆け寄り、銀の足元で抱き合った。
「かんちゃん!」
「みんな!!」
「無事で良かった!」
次々と歓喜の声を上げ、感動の再会だ。
「こういう事よ」
「お、おう・・・」
少しばかり戸惑った蓮を見て、気を緩めるのはまだ早い、とばかりに蘭が妹に肘鉄砲を食らわせた。
「ちょっと、ぼうっとしないでよ。これで終わると思った?」
「はあ?」
「これは香我美狩りよ」
「だろうな」
「生贄の風習もでっち上げだったわ」
「ああ。またたびから聞いた。ちなみにかんすけは香我美の子どもだ」
「ふうん、だから感知出来なかったのね」
簡潔に事態を整理している双子に、武蔵が情報を付け足す。
「それと、ここ最近、夜になるとものすごくひんやりするんだとよ」
「・・・ん?それって・・・」
「妖怪が絡んでいるという事ですね」
銀の言葉に蓮が反応する。
「どういうことだ?」
黒い影が空を覆った。灰色だった雲が漆黒に変わり、
「・・・なんだ・・?」
一気に空気が冷たくなる。
「おい、分かりやすく説明しろ!!」
蓮が刀の血を袖で拭い、次の戦闘に備える。
「香我美狩りを目論んだ泰孝は、妖怪と契約を交わした。そうですね?」
銀の問いに蘭が深刻そうにうなずく。蓮が眉間にしわを寄せて舌打ちをした。あの野郎、面倒くせえ事してくれたな・・・
「僕たち、どうなっちゃうの?」
怯え始めた子ども達を見て、武蔵が両膝に手をついてかがみ込み、優しく微笑んだ。3人の子どもとしっかり目を合わせる。
「大丈夫だ。ちゃんと守ってやるから安心しろ」
蓮が大きく息を吸い込んで、威勢良く声を張り上げた。
「泰孝ァ!!いるのはわかってんだ!さっさと出てこい!」
「………」
「―って言って出てきてくれたら楽なんだけどなあ・・・」
かがみ込んだまま武蔵がぼやいていると、かすかだが草を踏みしめる足音が近づいてきた。男達が同時に刀を抜き、子ども達は小声で悲鳴を上げて武蔵の影にすばやく隠れた。銀は先頭に立つべく音の鳴る方へ歩みを進め、双子が後を追う。
「おいクソ坊主!聞いてんのか!」
足音は止まることなく続き、一同の目の前に貫禄ある男が遂に姿を現した。村を取り仕切っている僧侶、泰孝だ。正装に身を包んだ男は昨晩対面した時の平静さを保ったまま、どう猛な笑みを口の端に掠めた。
「聞こえておるぞ、蓮殿。お待たせして申し訳ない」
「あら、ずいぶんもったいぶって登場するじゃないの。どこで油を売ってたのかしら」
挑発するかのように蘭が余裕の笑みを浮かべて顎を引いた。若い男ならこの程度の上目遣いでイチコロだぞ、と蓮は鼻を鳴らす。
「おやおや。貴女様には興味がない故、下がって頂けますかな、蘭殿。それとも”元”龍の娘、と呼んだ方がよいか」
「んなッ・・・!」
始末屋一行が揃って息を呑んだ。顔を引きつらせ硬直する。
何故部外者である坊主が一族の秘密を知っている・・・?
「・・・お前・・・その話しどっから仕入れてきた?」
「もちろん、香我美一族の者からですよ蓮殿」
不気味に口角を吊り上げた泰孝が、両手を広げて声高らかに言った。
「あなた様に用があって参りました。天童家で男として育てられた、真の”龍の娘”」
「!?」
一族の者しか知らない事実を次々と喋る泰孝に、始末屋が揃って睨みを利かせた。
蘭は15歳まで確かに”龍の娘”の後継者だった。しかし、妖刀”龍の牙”に拒絶され、その代わりに次女である蓮が先代から力を受け継ぎ、正統な後継者となっている。その事情を知り得る者は、香我美一族の人間だけだ。
「”龍の娘”にどのようなご用件でしょうか。我々はあなたの様な悪党に時間を割けるほど暇ではないのです」
「理を正すため、”龍の娘”を討つ」
「はあ?何ほざいてんだてめえ。意味わかんねえぞ!」
「”龍の娘”の首を差し出せば、あのお方はさぞお喜びになるだろう」
「あのお方・・・?」
僧侶の後ろから見覚えのある四人衆が現れた。双子は目を大きく見開き、武蔵が強くを歯を食いしばった。
「あいつらは・・・!?」
銀だけが表情を変えずに三白眼で目の前を見据える。
「西の始末屋・・・アヤメが率いていた、今は亡き始末屋ですね」