第一章 龍の牙 壱
香我美一族。
それは戦乱の世、龍の血を引く人間だと畏怖される存在だった。
生まれ持った身体能力や妖力を生かして世間の揉め事を解決し、血に塗れて人々を救う。始末屋は国の便利屋として重宝されていた。
男として育てられた蓮は、双子の姉の蘭、付き人の銀、武蔵とともに一族の呪いを解くための旅をしていた。
なぜ龍の血を受け継いだのか。なぜ生きねばならないのか。
これは”龍の娘”と謳われた蓮の、乱世を生き抜く戦国奇譚。
刃から緋色の血が滴り落ちる。一粒、また一粒。音もなく。
俺に斬れないものはない。
最期の足掻きも
神への祈りも
全て無意味だ。
昼下がりの茶屋で一休みしていた“香我美一族始末屋一行”は新たな任務の突拍子もない情報に眉をひそめていた。寂れた店内には3人の男女しか客がいない。
“血に飢えた化け狐が明日村を襲う。力を貸してほしい。”
「なんだこれ」
蓮がみたらし団子を頬張りながら、依頼の文を姉に向かって放り投げた。頭上で一つに束ねている黒髪が揺れる。勢いよく団子を頬張ったせいで、たれが紺色の袴に飛び散ってしまった。思わず顔をしかめ、舌打ちをする。
「妖怪みたいな過去の遺物がいるんなら、もっと前から俺らの耳に届いてるだろうに」
店主があらかじめ用意してくれていた手ぬぐいでたれの汚れと格闘しながら、猫のような大きな黒い目をわざとらしく細めた。
「いたずらか?からかってんのか?」
「さあね。わからないわ」
向かい側に正座していた蘭が口に運んでいた湯のみをそっと降ろした。双子の姉は蓮よりも髪が長く、色気もある。二人の顔立ちはよく似ていて、すっと控えめに通った鼻筋と薄い唇は同じ形をしていた。違いと言えば、まつ毛の長さと身に着けている衣服だけだ。
蓮は一般的な貴族が好んで着用するような紫色の水干を緩めに着付け、はだけた胸元にさらしを巻いていた。対して、姉は深紅の布地に白の花柄が描かれた着物を上品に着こなしている。
「化け狐っていうのが妖怪とは限らないしね。彼らなりの何かの呼び方なのかも」
「あーなるほどな。行ったことねえ土地だしな。どうする?」
蓮が手ぬぐいを床に置いた。どうやら汚れ落としは諦めたらしい。
「やめるか?」
「そうねえ・・・銀、あんたはどう思う?」
蘭が淑やかに付き人に投げかけると、壁際に胡坐をかいて刀の手入れをしていた青年が品よく微笑んだ。大人の雰囲気を醸し出している青年は顔立ちも良く、紳士的だ。蓮とお揃いの紺色の袴が、彼の銀髪を際立たせていた。美男子とはこういう男の事を指し示す言葉である。
「始末屋宛てに依頼の文が届いている以上、お応えしなくてはいけません。一族の名に恥じぬよう、解決しにゆくのが良いのではないでしょうか」
銀が色素の薄い目で主人を冷たく見据えながら、顎先に手を添える。
「まぁ、私に言わせれば、龍の血を受け継ぐ蓮様に、妖怪は過去の遺物だという類の発言を控えていただくのが先ですが」
「なんだと」
「口を慎しみなさい」
その通りね、と蘭が鼻で笑うのを蓮は見逃さない。
「仮にも“龍の娘”の称号を持つお方なんですから、少しは自覚を持っていただきたいものですな」
「おい、こら、喧嘩売ってんのか」
「喧嘩ではなく忠告です」
「みんな!馬の用意が整ったぜ!」
陽気で明るい青年の声が割り込んだ。茶屋の暖簾超しに童顔がひょっこり現れる。銀とは対照的な黒髪で、背丈は双子と同じくらいだ。純粋で人懐っこい目は、主人に仕える犬のようで、雑用をこなすことも苦に思っていないようである。見た目通り、主に逆らうことのない、快活で忠実な僕であった。
「武蔵、ご苦労だった。これから東に向かうぞ」
「おう、兄貴の”またたび”も眠らせておいたよ。ぐっすりだ」
「よし。日が暮れる前に村に到着したい故、ゆっくりとはいかぬ」
「うっす」
蘭が立ち上がって伸びをした。
「うん、行きましょう。ほら、蓮、早く刀持って」
「蓮様、出発のご支度を」
銀は手入れしていた蓮の刀を丁寧に鞘に納め、主に近づいて彼女の腰に括り付けようとした。蓮はすかさず手を払いのけ刀をもぎ取る。眉間に皺を寄せてあからさまにガンを飛ばした。
「触んじゃねえ、準備くらい自分でするっつぅの」
「その男言葉もお止めなさい。いつになったら女らしく行動できるのですか?」
「俺は一生直さねぇぞ」
「蓮、黙って早くしなさい」
蓮は姉には頭が上がらない。分かりやすくしかめ面をすると、茶屋の暖簾を乱暴にくぐって外に出た。