5.
真亜子と一緒に駅に向かいながら、真亜子がポツリと言った。
「キタハラ先生は独身だったけれど…、どうも女性がお好みだったようね」
私は真亜子が何の話をしているのかわからず、首を傾げた。
「お相手?」
「そう、今だったらパートナーとか言うのかしら…、だけれど…、一度は結婚をされて、そのあと一人になられたと…」
「へえ…。知らなかった…」
私は小学校の頃に、先生の身の上についていろいろ考えたことなどないような気がした。
「そうよね…。やこもやこのお母さんも、世間のそういう、うわさとかとは無縁の人だったわよね」
「そう?」
「そうよ。中学になった頃から、それがなんだかつまらなくて、あなたと疎遠になってしまったけれど、今になって思うの。それは、単にそういう環境で暮らしていたということで、別に気取っていたり、話を避けて来たりしたわけじゃないのね、きっと」
「どういう話を?」
「だから、キタハラ先生のうわさ話のようなことよ」
「どういう意味?」
「つまりあなたの辞書にない言葉だからね、きっと。理解できないことがあるということよ」
「それって遠回しな言い方だけれど、つまりあたしが世間知らずで…、無知だと言いたいわけね」
普段は聞き流してしまうようなことが、なぜか耳に引っかかって、私はおもしろくない気分になっていた。
「だって…、お母さんだってずいぶんと優雅に暮らしていらっしゃるもの。下世話な世界とは無縁なのね…」
「優雅…」
「汚い物には触れないで、漂うようにしていらっしゃる。あたし、最近、そんなあなたのようにいろいろなことに無縁でいたいと思うようになってきているの」
「汚いって、あたしだって、排せつもするし、子どもだって三人も育てて来たのだから、汚い物には触れているわ」
「じゃあ、あなたにとっての汚い物って排泄物なの?」
「さあ。きれいとは言えないでしょ…」
「ごめんなさいね。たぶん、こういう話自体、あなたはしたくないのでしょうね」
私はものすごく不快になった。私の頭の中には何かが詰まっていて、真亜子の話は頭の中にまで入って行かないのだ。そういう風に感じることは今までにもよくあった。それはいったい何なのか? まるで耳の入り口にフィルターのような物があるように、言葉は心まで届かないことがある。
どうしてもその言葉を飲み込まなければならない時、私は具合が悪くなってしまうのだ。
「馬鹿みたいだけれど、まだ生きているお母さんのお相手ができることや、それを苦にもせず、ケーキなんか買ってうれしそうにしているあなたのことが、あたし、妬ましかったみたいね」
「あたしもあなたが妬ましいわ」
とあたしは言った。
「あら、珍しいことを言うのね」
「珍しくもなんともないわ。会いたいからって会いに来て、そして自分の思うことを思うままにずけずけと言えることが妬ましい」
「やだ。怒ってるのね!」
「怒っていないわよ。あたしは、そこまで考えられないの」
と言って、私は耳をふさいだ。
その様子がおかしかったようで、真亜子はケラケラと声を立てて笑った。
「うちの母はすごい人だったわ。いろいろな物事をなんでも笑い飛ばして、いつでも陽気にふるまっていたけれど…、本当は痛いところがあったのに痛いとも言わずに、全部自分の中に留めて置いて、病気になって…、そしてさっぱり、こちらには何も残さず綺麗に行ってしまったの」
「それはすばらしいことだわ」
「そうね。私もそう思う」
「それはほんとうに羨ましいわ」
「ふふふ。羨ましいと妬ましいって裏表みたいな気持ちなのかしら」
その日、渋谷で真亜子と別れてから思った。何年も会わずにいて、その長い間にたった二回しか会っていないのに、こんなことまで話してしまうなんて、友達というのは本当に不思議なものだ。
だが、それだからといって、真亜子とまた友達関係が復活したかというと、そういうことはなく、ぷっつりとまた連絡が来なくなった。
一週間があっという間に過ぎ、また少し寒さが増したように思った。
私は迷いつつ、また辛子色のセーターを着て行くことにした。
小雨が降っていた。
母のホームのある駅で、いつものようにケーキ屋さんに寄ると、今日は私もナポレオンパイを食べたいと思って、二つ買い、ホームに向かった。
小雨のせいだろうか、なんだか気分がふさいでいた。




