いわゆる転生っての
何にでも順位がある。いわば優劣だ。
兄弟も美醜とか財産だとか役職に始まる社会的地位とか全部。
でもさ。自分が所属するコミュニティで頂点だとしても、そこから出れば立ち位置が変わる事を忘れちゃダメだよね。
驕り高ぶるなとでも言っとく?
そんな気は無くても生れながらに気が付けば階層の頂点に位置する者もいるわけで。
それが当たり前の己の世界という環境で育った者の事ね。
紛れもなく今それが俺。
線路に落ちて多分死んだ。そんで転生したってやつだ。もう何百年か忘れたけど大分前の事。
今、体長は成体で三メートル以上あるか。全身は黒緑の長めの毛で覆われ、四肢に備わる重厚な爪は鉄をも裂くといわれている。
裂いたことはまだない。
雄々しい姿に見合う目は深淵の暗闇の中から先を見据えるような金色。
この体格の強さと寿命の長さ、知能の高さから界隈の獣の頂点にいる。
俺、犬畜生に転生。
しかも異世界。
最初はショック過ぎたけど四足も慣れたもんだ。俺は獣として育った。今、完全獣で年齢的には犬のおっさん。
そして黒鉄魔狼っていう魔獣で霧の森の頂点にいる。
いるはずだった。
「……」
「……」
一人の薄汚れた男が目の前にいた。
俺は夜行性だ。夜中に狩りをして駆け回るから、住処でのんびり惰性な昼寝を貪っていたはず。
男から視線を外し微動だにせずゆっくりと周囲を窺う。何処かの森には違いないが、明るいし臭いが違う。
霧が立ち込める縄張りの森じゃ無い。
身体の下を囲むように地面には青白く光る模様が円形に見て取れた。
何だこれ。
伏せて寝ていた頭を起こすと男はビクリと身構え唱え始めた。
「闇黒を支配する黒鉄魔狼に命ずる。契約の印章のもと我が僕となりてその力を我のものとせん」
男が言い終えると身体の下の青白い光は更に光度を増し閃光ともいえる白が立ち昇った。
眩しい。
俺は昼寝をしたいのに。
誰が闇黒を支配しているんだ。
勘違いも甚だしい。
「……成功した、か?」
男は恐る恐る近づいてくる。
さて、どうしたものか。
怯えの中に喜びや期待の色が見えた男の目を見て考える。
これは所謂アレだろうか。召喚とかティムするってやつ。
まだ冒険者とか魔法使いがいるんだなぁ。力の優劣を生活の糧にして生きる人間。
・・・威嚇でもしてみるか。
視線を合わせ鼻筋に皺を寄せ牙を剥き出して唸ってみた。
グルルルルッ
「?!」
男はビクリと身体が跳ね、震えながらも触ろうとした手をそのままに固まる。段々と血の気が引いたのだろう。顔色や手の先は見る間に蒼白になった。
召喚やティム契約に失敗したとなれば結果は言わずとも知れる。対象はただの獣だ。人なんぞ敵意を持ち捕食するか、斬り刻み玩具にする程度の存在。
この世界じゃ余程腕に力に自信がないと人間は獣に近付きもしないからな。この男はただの自信家か実力派か。
前者か。召喚できたのは其れなりに力があるのだろうが俺に契約の印章は効いてない。
のそりと立ち上がり男にこちらから近づいていく。
「…ぅ、わ、わ。失敗した!お、俺は、やっぱりダメなんだ!ダメダメだ!あ、あぁ」
へたりと尻餅をつき後退りしながら頭を抱えて喚きだした。
しかも鼻にツンときた。漏らしたな。
二歩三歩緩慢に進み足を止め男を見つめる。
男も視線を外さないのは恐怖からか。下から睨めるように顔を上げ近づいた。
臭いな。
「あ、あぁ、う…うあぁあ、死ぬ、俺は死ぬ、あああ…」
しかも全身で震え泣き出した。
上も下もよくもまあ出るものが出るもんだ。はぁと長い息を吐き出し、仕方無しに声を出す。
「おい、ここはどの森だ」
「あぁぁ…、あ、あ?…ええっ?!」
「どこの森だ。住処の方向が知りたい」
「しゃ、しゃべってるうぅう!」
「……」
泣いて喚いて忙しい人間だ。
黒鉄魔狼の生態も知らずに呼んだのか。
獣でも長命なのは古の種。それらは知能があるし昔は人とも馴れ合ってたものだ。時世とは儚く情けないものだな。
アホらしくなって後ろ脚でくだらない召喚陣に砂や小枝を掛けたら、男は充血した目を見開いた。
「あ、ぁあ!三日間の集大成があぁ!」
「……昔の魔導士は一時間で書いた」
「…は?」
「一時間。それでグルガナの森は」
「…え、一時間?グル、ガナ?」
「炎赤竜の住む山の麓、霧森はどっちだ」
同じ質問を繰り返し流石に苛ついた。
俺の尻尾が垂れたまま左右に揺れだした。
男は炎赤竜と聞いてはっと思い出したようだ。
「と、隣の大陸、かと」
「……隣、だと?」
「……隣、です」
「そうか」
まさか大海を超え召喚したのか。驚いて揺れる尻尾が止まる。この男は力はある様だが、残念な事に印象は阿呆だ。
契約義務も無いし早く住処に帰ろっと。
耳で川の流れを聞き、鼻で湿った空気を辿る。河口に出れば海だ。俺のこの魔力のある脚なら海だろうと渡れる。
さあ我が住処へ帰ろうと脚を進めた所、ぐんっと尾が伸びた。
「……何をしている」
「あ、あ、あの!俺を食べないのですか!」
男は震えながらも膝立ちになり、しっかりと両手で尾を持っていた。