閑話・余命一週間の思い出
その日、私はとっくの昔に授業が終わったにも関わらず教室に残っていて、教室の窓からは昼の時間の終わりを予感させる沈みかけの太陽の赤い弱々しい光が差し込んでいて、そこにいるのは私とメガネだけで、ふたりして外からときおり聞こえる部活の掛け声に耳を傾けていた。私は鼻と唇のあいだにシャープペンシルをはさむアヒル口チャレンジを繰り返していて、それは結局うまくいかなかったのだけれどそんなのはどうでもいいことで、頭の中では自分に残された一週間という時間のことを考えていた。私に残された最後の時間だ。
そもそもの始まりは定期テストだった。
当時の私の頭はお世辞にも出来が良いとは言えなかった。それはおそらく生まれつきのもので、「ならばその分頑張って勉強をすればいいのだ」というのは何もわかっていない人間の言うことで、人生のかなり早い段階で人間というものは平等に生まれるわけではないという真理に到達していた私は、努力することをスッパリ諦めていて、そのまま大変残念な子としての道を歩み、ゴールに近いところまでたどり着いていたのだった。
日常生活においてはさして支障がでるものではなかったが、たとえば学校のテストのときに、私の頭の残念さは遺憾なく発揮された。テストの問題を見てもまったく何もわからない。それは問題が難しくて解けないという意味ではなく、何をしている問題なのかすらわからない、なんなら問題文が読めないという種類の「わからない」だった。問題が難しいのかどうかもよくわからない。
定期テストのその時、私の目の前に広げられたテスト用紙には、まだ何も解答が書き込まれておらず、これからも書き込まれる予定のない、真の空白だけが広がっていた。そして、テストの終了時間は刻々と迫っていた。
どうにか白紙での提出は避けたい私は自らの知識を総動員し、テスト用紙の余白に、ルカによる福音書第6章37節を引用し、自分は赦されるべきだという主張を書き記した。これによりテストの採点をする教師は過ちに気づき、ひとを裁く権利は誰にもない、できるのはただ相手を赦すことだけだと悔い改め、汝の隣人を愛したうえで出来の悪い生徒は特によりいっそう愛することに努めるはずであり、つまりそれこそは私なのだという未来予想は完全に覆され、激怒した教師に荒々しく肩を掴まれ、指導室へと連行されることとなった。
教師の剣幕に気圧された私は指導室へと連行されるあいだに号泣し、母親を呼び出すと言われて号泣し、呼び出されてやってきた母親を見て号泣したのだった。その間何を言われたのかは覚えていない。
そうして母親は先に帰り、心配して残ってくれていたメガネと合流して今にいたるのだった――。
机にうつ伏せになった私が「来週追試だって……」と力なくつぶやけば、メガネは「追試があるんだね! じゃあもう一回チャンスがあるってことだよね!」と前向きな発言をし、私は「そういう言葉を聞きたいんじゃないんだよ。呪おうぜ。理不尽な行いをする教師に呪詛をぶちまけようぜ」と思ったのだが、追試を受けるのは私であってメガネではなく、それならばメガネは教師に対して呪詛をぶちまける理由がないし、そもそも教師の行動はそれほど理不尽なものでもないということはわかっていたので何も言わなかった。ただ、行き場のない怒りはたしかに私の胸の中にあったのだ。
私はため息をつき、メガネに秘密を打ち明けることにした。「ねえ、誰にも言わないで欲しいんだけど……」と静かなトーンで切り出せば、メガネは真剣な表情で頷き、「うん、誰にも言わない」と応じた。「実は、私病気なんだ」と言えばメガネは「えっ、そうなの?」と首を傾げ、「現代の奇病。ものすごく珍しい病気だから、治す方法も見つからないんだって……」という私の言葉には驚きを隠せないようだった。「安静にしていればあと何年かは生きられたはずなんだけどね……」と思わせぶりな発言をすると、「ええっ、それってどういうこと……」と思い通りの反応をするメガネに気を良くした私は、とっておきの設定を語ることにした。
「勉強をしたらね、急激に病状が悪化するんだ。病状が悪化して、直ちに死んじゃうの。だから勉強できないんだ。病気ならしょうがないよね。そう思うよね」
「あっ……はい……。そうだね……」
メガネは困惑を隠しきれないようだった。
しばらく無言の時間が続いた。
仕方なく、「私、思うんだけどさ」と新たな作戦を切り出すことになった。
「追試を受けるってことは言われたんだけど、『誰が』っていうのは言われてないんだよね。ってことは、私が受けなくてもいいってことになるよね?」
「ならないよ」
とメガネは首を振る。
メガネの言葉は聞かなかったことにして、「よみちゃん、私の代わりに追試受けてよ」と両手を合わせれば、「ダメだよ。そんなのすぐにバレるよ。顔を見れば別の生徒だってわかっちゃうよ」とまた首を振る。「大丈夫だよ。よみちゃんの顔を見ても誰だかわからないよ。よく考えてみて。先生はよみちゃんの顔を覚えてないんだよ」とたしなめれば、「覚えてるもん!」とほっぺを膨らまして少々立腹したようだった。
メガネの顔はメガネしか特徴がないのだから、私ならともかく学校の教師などは覚えているはずはなく、唯一の特徴であるメガネを外せばそれはもはや「そこに何かがある」というモヤモヤとした概念的な存在にしかならないはずで、替え玉受験にはうってつけの人物なのだが、メガネが珍しく立腹しているのであればこの作戦に拘泥する必要はなく、私は膨らんだほっぺをちょいちょいとつついてみたりするしかなかった。
「はあ……絶対何かあるはずなんだよね。勉強をせずにテストで100点をとれる一発逆転の方法がさあ」と言えば「うん」という同意の言葉が得られ、「病状が悪化するといけないから勉強をするわけにはいかないんだよね」という発言にも「うん」という同意が得られた。「もうちょっと、追試を受けるギリギリのタイミングになればいいアイデアが浮かぶかなあ」と言えば、やはり「うん」という答えが返ってくる。
メガネの様子をよく見てみると、うつむいて私の話を聞いているというわけではなく、膝の上に乗せた雑誌をこっそり眺めていて、その雑誌には毎度お馴染みのセツナの写真が掲載されているのだった。
「よみちゃん、私の話、聞いてる?」
「うん」
「本当に?」
「うん」
「本当は聞いてないよね?」
「うん」
「……セツナのこと嫌い?」
「大好き!」
とメガネは答え、雑誌を閉じて、顔を上げた。その視線の先では壁掛け時計が時を刻んでいて、その時計が指し示す時刻は、下校時間をとうに過ぎたものだった。
「ねえ、勉強しようよ……」
とメガネは言った。
それは正義の名のもとに声高に叩きつけられる、慈悲も共感もない、私が戦うべき一方的に押し付けられる言説ではなく、宙ぶらりんで、どこか諦めにも似た、ふとした瞬間に消えてしまうような問いかけだった。「勉強したら病状が悪化するから……」という台詞が頭に浮かび、しかしそれは字幕となって、動画サイトのように右から左へと流れていき、口にすることなく消えていった。私は「うん、そうだね……」と頷いた。そうするしかなかった。そして、教室を後にして解散という流れとなった。ここまでずいぶん時間がかかってしまった。無駄な時間だった。
しかし、メガネと別れてひとり自宅への道のりをとぼとぼと歩けば、だんだんと「勉強なんてやってたまるか!」という気持ちが復活し、家に帰ったあとに始まるはずの母親との戦いに、私は闘志を燃やし始めた。
ミサイルの実験を繰り返すばかりで実際の行動を起こすわけではないやりたいことのよくわからない国と違い、アメリカというのはそれらしい理由が見つかれば容赦なくミサイルをぶち込む国であり、中東でさんざんやらかしていることはよく知られている。その国を代表する諜報機関であるCIAとは、まさに私の母親のことであるのだから、その母親が帰ってきた私に何の慈悲もなく正論を叩きつけて、不平等な条約を結ばせようとするのは明らかだった。戦う相手として不足はない。
勢いよく玄関のドアをバンと開ければ、私を迎えたのは拳でも罵声でもなく、金だけは持っているお騒がせ大統領でもなく、「お帰り、遅かったね」というCIAの落ち着いた声だった。「これはどういうことだ?」と私は戸惑い、さらに「オヤツ買ってきたから、食べな」という言葉に慌ててテーブルを見れば、そこにはたしかにカステラがひと切れ置かれているのだった。飲み物を用意しなければと思った瞬間、「はい、ミルクティー」とペットボトルを渡された。私は依然として戸惑ったままだったが、カステラを食べないわけにはいかない。何か罠があるのかもしれないと覚悟を決めながら、カステラを頬張り、ミルクティーを飲み、そのふたつの味わいのマリアージュを楽しんだのだった。
「アンタねえ……」とCIAが言う。続けて、「あの先生、熱心なキリスト教徒なんだから、聖書を引用してあんなふざけたことを書いたら、怒るに決まってるでしょ」と言われて、私は「ああ、なるほど」と納得した。いくらなんでもあの教師の怒りっぷりは普通ではないと思っていて、その理由が明らかにされたからである。また同時に、「やっぱり宗教をやっている人間はろくでもないな」と自分のやったことを棚にあげた感想をいだき、「そもそも拷問されている奴の像を飾って熱心に祈りを捧げるってどういうことだよ。ヒゲ面の男をいい加減助けてやれよ、あと、ヒゲを剃ってやれよ」という、キリスト教教師が聞いたら絶叫しながら殴りかかってきそうなことを考えたりもした。
そして、ふと思いついたかのような調子でCIAは、「アンタもちょっとは勉強しなさいよ」とつぶやき、それはアメリカからのテロ組織に対する無慈悲な勧告などではなく、先程のよみちゃんの台詞によく似た印象の、優しい私の母親からの言葉だった。
私は「ふぅん」と頷き、自分の部屋へ戻った。そして、なんとなく教科書を机に広げてみた。私の身の回りには、一方的な正論を振りかざし、私を叩き潰そうという敵はいなくて、ただどうしようもなく優しいひとたちがいるだけだった。だから反発する相手もいなくて、ほかにやることがなくて、なんとなく、教科書を広げてみる羽目になったのだ。
ノートを開き、勉強をしてみるような態勢を整え、教科書に目を落とせば、すぅーと意識が薄れていくのが感じられた。「ああ、そうか、自分は現代の奇病にかかっていたのだ」と思い、そのまま意識がなくなり、私は初めての死を迎えることになった。翌朝目を覚ました私は蘇り、それからの七日間は特に何もせずに追試を受け、その後無茶苦茶に怒られることとなった。
結局私は反省などしない人間なのだった。ただ追試にまつわる一連の事態を通して感じられた周りの人間の優しさは、思い出すたびに、なんとなく唇を尖らせて、「ふぅん」と言いたくなるような、ちょっぴりむずむずする記憶の1ページとなって、私の頭の中で大切に保管されている。