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CIAが失ってしまったもの

「それでね」と地味メガネは「怖い話」の続きを語り、その表情はまるで何かにとりつかれているかのようで、私が「やめてえええ」と言っても話をやめてくれる様子はなかった。

「死んじゃったおばさんのからだはグチャグチャだったんだけど、それだけじゃないの」とメガネはそこでひと呼吸おいて、「からだ中を何かにかじられてたの。ネズミか何かに。見つかったときには顔の肉はほとんど食べられていて、死んでいるのが誰なのか、最初はわからなかったくらいなんだって。グチャグチャになってたから、きっと食べやすかったんだよね」と言った。いくら言ってもメガネは怖い話をやめてくれないので、私はメガネに当たらないように慎重に狙いを定めてメガネのほおにビンタをした。手を振り抜くとベチンといういい音がして、次に「やめてよおおお!」と私は叫び、ビンタの衝撃と私の声にメガネははっとした表情になり、「えっ、えっ? 違うの違うの。そういうつもりじゃないの。ごめんねえええ!」と私の手を握った。おばさまと私の関係、つまり私はおばさまの大事にしている巨大ウサギを見つけた恩人であり、おばさまはそれを歓迎するティーパーティーを主催するはずだったということを地味メガネは知らないのだから、ただ近くで起きた私たちにまったく関係のない不気味な事件の話を披露しただけのつもりで、私に嫌がらせをするつもりなんてなかったのだろうし、そもそもメガネがそんなに悪いやつではない、というか悪意の欠片もない人間だということを私は知っていたから、「いいよ、私もビンタしてゴメンね」とすぐに手を握り返し、「でも次に怖い話をしたらメガネを叩き割るからね」と念を押した。メガネは素直にうなずいて、「うん、もう言わない」とあっさり自分の存在証明を懸けることを受け入れ、小指を絡ませたのちに私たちは和解したのだった。和解までの時間は1分もかからなかった。

 しかし授業が始まっても、メガネから聞いた話は私の頭から離れず、腐ってグチャグチャというかフワフワになったおばさまの肉を、あの思考回路の存在しないそしゃくマシーンである巨大ウサギがかじる光景が浮かび、巨大とはいえウサギだからその食べるペースは遅く、授業が終わるころになってもまだモゴモゴと口を動かし続けているのだった。

 おかげでずっとお腹の奥がうずくような気持ち悪さを感じながら、何かが繋がりそうな予感を感じ、いままで起きたことを整理するうちに、私にはわかってしまった。きっとおばさまはなんとなくウサギに指を食べさせていたわけではないのだ。人間の肉の味を覚えさせていたのだ。それは来るべき日、つまり自分が死んだあとにウサギに肉を食べてもらうための準備であり、近所付き合いがほとんどないというのも、あるいはそのための周到な計画の一部だったのかもしれない。そして、それは実行された。おばさまが死んだあと、誰にも見つけてもらえずにそのからだは腐り、そうして誰にも邪魔されない環境で、ウサギはモゴモゴと人間の肉を食べ続けたのだ。その結果、顔の判別もつかないような死体ができあがった。なぜおばさまがそんなことをするのかはわからないが、それはもはやヤバイどころの話ではない。私は「げえええ」とひとりでつぶやいてしまった。

 それをどう表現するかといえば、「げえええ」という気分としか言い様のない気分のまま私は家に帰り、CIAに確認してみれば「そうそうあのひと亡くなったんだってねえ」との答えが返ってきて、その話がメガネの作り話ではないことが確定してしまった。CIAはその情報にはさほど興味がないようで、サプリメントの広告を熱心に見つめながら、「あっ、お土産あるから食べていいわよ。アンタの分取っておいたから」とテーブルの上を指差し、見るとそこには手のひらサイズのパンケーキが2つ乗っているのだった。柔らかく膨らみ、表面はすこしデコボコしながらも、しっとりと湿っていることをうかがわせる輝きを放つ茶色のパンケーキは、まさに私の想像したおばさまの腐った皮膚そのもので、いまにもウサギがどこからか現れて、テーブルの上にしっかりと座ってそれをかじりだしそうだった。私は妄想の中で、その光景をはっきりと見てしまった。あまりのことに動揺し、「やめめえええー」と悲鳴をあげながら、私はよろよろと自分の部屋へ逃げ込んだ。背後からはCIAの「ヒツジか!」とつっこんでいる声が聞こえたが、私がそれに反論することはなかった。CIAは諜報機関であり、その任務を遂行するためには必要のないもの、つまりはデリカシーを失ってしまっているので、その発言にいちいち怒っても仕方がないのだ。私はもうお菓子を食べるような気持ちにはまったくなれなくなって、そういう欲求はきれいさっぱり消え失せてしまった。特にパンケーキを食べる気にはなれなかった。

 やることもなく静かに自分の部屋のベッドで膝を抱えていると、最近起きた色々なことを思い出して不安になり、そうするとひとりでいることの寂しさも膨れ上がってきて、しかし情報収集マシーンである諜報機関CIAにはその不安を埋めることはできそうもなく、私はふと思いついて小さな声で「メエメエ」と鳴いてみた。これはなかなかいいものだった。自分が一匹のヒツジになったと思えば人間としての不安が薄れ、そして私の背後には同士であるヒツジたちの群れが存在するのだ。その共同体の中で考える必要のあることは、おいしい草が生えている場所はどこかということだけだった。そこには資本家などは存在せず、当然搾取もなく、貨幣経済も物々交換すらない。争いの存在しない、ただ鮮やかな緑色の草の生えている大地が広がっているだけなのだ。高度に発達した資本主義社会に特有の、存在しない価値を押し付け合い、未来の利益を奪い取って、あらゆるものの見た目の上での価値を必要以上に膨らませなければならないという強迫観念めいた空気など、もちろん存在しない。緑の革命だ。だんだんとコツをつかんだ私が、「やあやあ同士諸君!」という気持ちを込めて「メエエエー!」と鳴けば、野生のヒツジ10頭中6頭くらいは「メエエエー」と鳴き返すのではないかという領域まで達したころには気持ちも落ち着いて、そこでまた別のことに気づいてしまった。ウサギはどうしたのだろう。

 飼い主であるおばさまが死んだのだから、どこかに引き取られたのだろうか。普通、そうなると思う。そのとき、私はメガネの発言を思い出した。メガネは「ネズミか何かにかじられていた」と言っていた。ウサギではない。どういうわけか、メガネの話にもCIAの話にも、ウサギが出てこないのだった。ウサギが人間の肉を食べるなんて誰も思わないから、それで人肉そしゃくマシーンは見逃されて、噂にもなっていないのかもしれない。なんとなく、あの巨大ウサギは誰にも見つからずに、人肉そしゃくマシーンであることも疑われず、いまも宮殿のような家にひっそりと潜伏しているような気がしてならなかった。そして、例えば近所の子供が転んで泣いているのを見つけるとノソノソと近づいて、子供のちいさな指をモゴモゴと食べてしまうのだ。その想像には、実際に行われているものを撮影した監視カメラの映像を見ているかのような現実感があり、ウサギはいまこの瞬間もどこかで子供の指を食べているのだろうという確信が生まれ、それはまた不安に繋がっていく。その不安を振り払うためになんとかして別のことを考えようと、最近見た一番インパクトのある画像、すなわちセツナのやたら浅黒い乳首を思い浮かべてみれば、ただ気持ちが悪くなっただけだった。

 この不安は取り除かなければならないと考えた私は、宮殿へ行ってみることにした。ウサギがどこかへ引き取られ、今は過去を忘れてかわいらしいペットとして暮らしているという事実を知れば、私の不安も少しは解消される。そのためにはウサギのペット生活を指し示す何かを見つけなければならず、それが見つかる場所はきっとあの宮殿しかないのだった。もちろんそんな事実は見つからず、ウサギの食人行為を目撃してしまうかもしれない。そうなると、私はさらなる恐怖に襲われることになるだろう。これは一か八かの賭けだった。そして、私は追い詰められると一か八かの行動をとってしまうタイプの女の子だった。はっきりさせなければならない。ほかに方法はない。それだけを考えるようにして、こぶしを握りしめ、私は宮殿へ向かった。

 住人のいなくなった宮殿ははやくも雑草が伸び始め、そこは荒れ果てた廃墟を予感させる風景となっていた。いくつか見える窓は閉まっていて、電気もついていない。誰かがいる様子もない。この大きな建物に人間の気配がないというのは、それだけで不気味な雰囲気を感じさせるものだ。そこはもはや宮殿というよりは魔王城とでも言うべき場所になっていて、そしてその城に住む魔王とは、あの巨大ウサギにほかならない。ウサギが魔王なら私は何なのかといえば、魔王を倒す勇者などではなくて、何の装備もない、カッターナイフすら持っていない中学生の女の子なのだった。私は立ち尽くし、「やっぱり来るんじゃなかった」という怒濤のように押し寄せてくる後悔に翻弄され、なんとか自分を取り戻すとくるりと宮殿に背を向けた。

 ちょうどそのとき、少し離れたところで「ギィエエー!」という叫び声が聞こえ、そちらに目をやるとちいさな子供が地面に倒れているのが見えた。どうやら転けてしまったようだった。するとそこへ巨大ウサギがノソノソと近づき、おもむろにその子供の指をモグモグと食べ始める。ということはなくて、子供のすぐそばには母親らしき人物が立っていて、どういうわけか「うちの子になにするのよ!」というふうに私を思い切りにらみつけているのだった。「ええ? 私何もしてないのに。普通に立ってただけなのに。こんなに離れてるのに。なんでなんで? これなんで?」と理不尽な状況に混乱しながらも私はその場から逃げ出し、おかげで何も確認することはできず、私の不安は膨らんでいく一方だった。

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