金太郎飴と地味メガネ
結局それからの私はヤバイことに対する憧れがきれいさっぱりなくなってしまった。というわけではないのだけれど、ヤバイものについて考えるときに、なんだかモヤモヤとした疑問が浮かんできて、その疑問、つまり「自分は本当にヤバイものに憧れているのだろうか。この憧れは本物なのだろうか」ということを自分自身に何度問いかけてもはっきりとした答えは出ず、そうするうちになんだか熱中できなくなって、次第に私のなかにあったヤバイものに対する熱はぼんやりと薄れていったのだった。
この曖昧な状況をはっきりさせてしまおうと、私はデモンストレーションをしなくなったためにめっきり使わなくなった黄色いカッターナイフを自室の机のほとんど使用しない下から二番目の引き出しに封印することを思いついた。そのカッターナイフは私が憧れたヤバイものと、それにまつわるいままでの私との象徴となる品物だった。「もう私はカッターナイフを使わない。紙を切るときはハサミを使う」と心の中で誓いながらカッターナイフを放り込み引き出しを閉めれば、惜別の感情や後悔が生まれてくるわけでもなく、スゥーとからだにのしかかっていた重りがなくなっていくような気分になり、「ああ、私の憧れはこんなものだったんだなあ」と思い、そういうふうに客観的に考えることができるようになれば、「いままでなんて馬鹿なことをやっていたんだろう」という気持ちにさえなった。
そうした私の変化を、学校の親しくないクラスメイトたちは戸惑いと腫れ物に触るような態度で迎え入れ、唯一親しくしているよみちゃんでさえもどうすればいいのかわからない様子だった。
このよみちゃんは、最高にセンスがあるとしか言いようがない両親から与えられた名前をもち、そして、メガネをかけていて、それ以外顔のどこにも特徴がないという特徴をもつ、学校でも有数の地味系女子だった。勉強はそこそこでき、その趣味は普通で、流行っているアイドルや芸人、ミュージシャンのことでいつも頭の中をいっぱいにしている、つまりは本当に普通の女子中学生だった。ヤバイことにも興味はない。なぜ彼女が私の友人を続けているのかよくわからないが、私はこの地味メガネを気に入っていて、おそらくメガネのほうもそうなのだった。
「もうカッターでキチキチキチってやらないんだね。いつもやってたやつ」と彼女が控えめに問いかければ、「うんもうやらない」と私は答え、そうしたやりとりのなかで何かの手応えをつかんだらしい彼女はある日、「それならこれ見て。きっと楽しいよ。私、これで人生が変わった気がする。毎日充実するよ」と一冊の雑誌を取り出したのだった。その表紙には、「ヌーディスト特集!」と書かれており、「おいおいそれはヤバイだろ。学校にこんなもの持ち込んで、この地味メガネ正気か?」と私は思ったのだが、よく見るとそれは「ヌーディスト」というアイドルグループについての特集で、「あっ、そういういかがわしいのじゃないんだからね。ちゃんとした正統派アイドルなんだからね。アイドルというか、楽曲を聞いてもらえばわかるけど、本当はアーティストなんだよね。あんまりカッコいいから、アイドルとして扱われてるけど、実力派のグループなんだよ」とうつむき顔を赤くしながら慌てて言う地味メガネの姿はなかなか可愛らしいものだった。
ヌーディストは5人から20人ほどのメンバーで構成された男性アイドルグループで、なぜそんなに人数が不安定なのかといえば、メンバーたちがまるで金太郎飴を切り分けたもののように同じ顔をしているからで、つまり私には誰が誰だか見分けがつかず、人数の把握すらできないからなのだった。さらにこのアイドルグループはヌーディストの名前に恥じず、大体の写真で半裸になっており、どんなポーズになってもほぼ確実に片方の乳首は露出している状態で、実質いかがわしいグループなのだった。それをわかってから先程の地味メガネの表情を思い出せば、なにやら不気味に思えてくるから不思議だ。
地味メガネは雑誌を片手にヌーディストについて熱く語り始め、どうやらヤバイことに興味をなくした私を、ちょうどよいとばかりにヌーディストファンに引き込もうとしているようだった。私は金太郎飴に興味はないが、熱い情熱をもって語り続けるメガネの邪魔をするのもしのびなく、そもそも私は友人が喋りたいことは好きに喋らせてあげたいタイプの女の子だったので、ときおり相づちをうち、あくびを噛み締めながらメガネの話を聞いた。
ひととおり語り終えたのか、「どう?」と地味メガネが問いかけるので、「いや、どうもないよ」と短く答えると、私の答えを聞いているのかいないのか、「じゃあじゃあ、どの子がタイプ?」と尋ねてくる。唯一見分けがつくアイテムを装備しているメガネ系ヌーディストを指させば、地味メガネは「ああん!」とからだをよじらせ、「ちょっと影がある感じだもんね。好きそうだと思ったんだあ。カッコいいよね。うんうんわかるよ。でもでも」と真剣な表情になり、秘密を打ち明けるような口調で、「人気あるからね。競争率高いよ」と私に告げた。心底どうでも良かったので、「じゃあ、よみは誰が好きなの?」と聞き返せば、「うふーん」と鼻をならしながら地味メガネが迷いもなく指さしたのは、ヌーディストの中でもやや目立たない、金太郎飴でいうところのはじっこの方を切って何が描かれているのか判別しづらい部分のような印象の少年だった。名前を聞くと「セツナ君!」とメガネが嬉しそうに叫び、私はというと、最高にセンスのある名前を持ちながら、金太郎飴のはじっこのほうとして生まれてきたセツナに憐れみを覚え、それに憧れるメガネも名前負けしていてちょうどいいという感想をいだいた。そうしたいろいろな想いを省略して、「なんか、よみに似合ってる気がする」と私が言うと、「え、え、そう思う? はふんはふん」と地味メガネは少々おかしくなり、「よみ、何か感じるんじゃない? この人に。運命みたいなもの」と追及すると「か、感じる。私、運命、感じる」と言い始め、「おいおいこいつはマジなのか。かなりヤバイな」と思いながら、「この人と結婚するの?」と聞けば、「うん、する」と真顔の返事が返ってきた。私は友人なので、「それは無理だよ」と現実をつきつけ、地味メガネは「あ、う……」と返事をした。
そうして沈黙とともにヌーディストの話は終わり、「あ、そういえば」というメガネのひとことで次の話題が始まった。「ねえねえ怖い話って、大丈夫?」とニコニコしながら尋ねてくる。このメガネは何を言われても3秒以上は引きずらないメガネなのだ。ついこのあいだまでヤバイものに大変興味を持っていた経験のある私は、当然ながら怖い話の耐性をもち、聞かれるまでもなく大丈夫なのだけれど、地味メガネの語る怖い話の怖さには何の期待も持てなくて、怖くない怖い話は味のしないお菓子以下の存在で、例えるなら枯れ草を食べものとして食べるようなものだと考えている私には、メガネの話に興味を持つことはできず、しかし私はメガネの喋りたいことは喋らせてあげたいタイプの子なので、仕方なく「大丈夫」とうなずいたのだった。
「あのねえ、これは隣町で本当に起きた話なんだけど」とメガネは定番の出だしかつ、やや身近な場所を舞台にした話を始める。意外に期待できそうな雰囲気に私は「おや?」と思い、続きを聞くと、「その隣町に宮殿みたいなおうちがあるの」と言う。「えっ、えっ、その宮殿って!」と私が慌てて確認すると、それはまさに上流階級のおばさまの住んでいる宮殿で、「私、見たことある!」と言えば、メガネも「うん! うんっ!」とテンションが上がり、「あの家本当にすごいよね!」と私が言うと、「そうそう! あれは本当の宮殿だよね!」と嬉しそうに答えるので、私は冷静に「あれは本当の宮殿じゃないよ」と事実を告げた。「民家だよ。あんなところに宮殿はないよ」という言葉にメガネは「あ、うん……そうだよね……」とうなずき、「それでね」と続きを語り始める。「そこに住んでたおばさんが死んだの」
「は?」
と私が聞き返すと、また話の邪魔をされると思ったらしい地味メガネは強引に話し続け、「そのおばさんはダンナさんを亡くしてからずっと一人暮らしで」私が見たとき、あのおばさんは、病気をしている様子もなかった。いくら母親よりも歳上とはいえ、「もともと近所づきあいもしないひとで、ダンナさんが亡くなってから特にそれが酷くなって、大きな家のなかに引きこもりがちになって」ほんのしばらくのあいだに、ひとはそう簡単に死んでしまうものなのだろうか。こんなふうに死んだという情報が届いても、「原因はよくわからないんだけど、いつのまにか死んでたの。でも近所のひと、誰も気がつかなくて、死んでからけっこう時間がたってから見つかって」私にはどうすればいいのかわからない。どんなふうに受け止めればいいんだろう。「見つかったときには、そのおばさんのからだはグチャグチャに腐ってたの」と言った。
私が見たときには生きていたあのおばさまがいつのまにか死んで腐っていたという事実にも、それを怖い話として、私に語って聞かせるメガネにも、なんだか無性に気持ちが悪くなってしまい、私の胸の奥は重たくなり、何かが詰まっているような気分になった。「よみちゃん……」と力なくつぶやく私の様子を怖がっていると思ったのか、「えへへ」と笑いながら、「これだけじゃないんだよ」とメガネはうつむき、メガネを光らせていた。