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ティーパーティーと短い指の秘密

 さて、これはウサギを見つけて飼い主に返しました、はい終わり、という話ではない。その後の私はさまざまな思惑を抱えて暗躍することになった。

 まずはCIAのネットワークを駆使し、上流階級のおばさまについての情報を集め、おばさまの住所とその素性、すなわちダンナさんが亡くなったあとはかなりデカイ家にひとりで住んでいて、近所付き合いもほとんどなく、楽しみはあのウサギくらいしかないようだということを知るようになった。それだけではなく、学校が終わると隣町まで出掛けて、手に入れた情報通りの場所に、やたらデカイ、「ええ、うそでしょ? なにこれ、宮殿?」と言いたくなるような民家が存在することを確認し、その周囲をうろつくようにもなった。そして、それはただなんとなくうろついていたというわけではなく、キチンとした理由のある徘徊なのだった。

 つまり、おばさまの唯一の楽しみであるウサギを見つけた私は恩人とでも言うべき存在であり、その私がたまたま自宅の前に通りかかったのを見つければ、おばさまは「あらまあ偶然ねえ、こんなところで会うなんて。ちょっとお茶でもいかが? お菓子もあるわよ」と声をかけるに違いなく、そうして私のために催されるティーパーティーに於いて、私は件の高級なお菓子を思う存分味わうことになるはずなのだ。という予測に基づいた、綿密なお菓子ゲット作戦を実行するための伏線として、私は宮殿の周りをうろついていたのだ。徘徊の理由をひとことでもう一度まとめると、「お菓子を食べたいから」となる。

 生け垣越しにのぞいた宮殿の庭は手入れの行き届いた鮮やかな緑に覆われ、そこには白い丸テーブルとイスが置かれ、いまにもティーパーティーが開かれそうな雰囲気を漂わせていて、それはすなわち、もう準備はできていて、あとはおばさまが家から出てきて偶然私と鉢合わせするのを待つだけだということを意味していた。そうすればすぐにパーティーの開催だ。レッツパーリィ! そして、おばさまが家から出てくることはなかった。

 CIAの情報のなかには、おばさまは近所付き合いをほとんどしないというものも、たしかに含まれていたのだけれど、買い物もせず散歩にも行かず、こうも家から出てこないというのはいささか不自然であり、思うようにいかない現状に、私は苛立ちを募らせていった。「こんなに毎日通っているのに、なんで出てこないの! おかしくない!? いい加減ティーパーティーを開いて欲しいんだけど!」というのはあまりにも身勝手で理不尽な考えだったが、そう思いたくなるくらい頻繁に私は宮殿に通い、それでもおばさまに会うことはできなかった。おばさまの住所はその宮殿に間違いないし、ひとの住んでいる気配はする。庭の手入れの行き届いた様子からすると、まったく外に出ないというはずもない。なのに、どうしても会うことができないのだ。

 それならば、チャイムを鳴らして「遊びに来ました」と言えばいいではないかと考えるのはあさはかで、なぜならばひたすらヤバイことに憧れるイタイ子だとはいえ、私は中学生の女の子なのであり、うら若き乙女としてはひとの家に乗り込んで自らティーパーティーを要求するなどという厚かましいことはできず、それは自然な流れで自分以外のところから提案されるべきことなのだった。そもそもあれだけヤバイことに憧れていながら、これほどまでにお菓子に執着するのはおかしいという意見も見当違いで、お菓子とヤバイことは別腹なのである。人間とは多面性をもつ生き物であり、私は年相応すなわち中学生の女の子特有の面倒くさくも乙女な側面と、お菓子のために異常な行動力を発揮する子供らしい側面と、ヤバイことにひたすら憧れるイタイ子としての側面が同居する混沌とした存在なのだった。

 もとはといえばここまで私が執着する原因はCIAにある。私がひとりで食べるはずだったお菓子をCIAが無断で食べたことにより、失われたお菓子の非存在性が鮮明となり、その不在が力を込めずとも口の中でサラサラと崩壊していくいままで味わったことのない食感の記憶と共に、私をティーパーティーへと駆り立てるのだった。クッキーなのかなんなのか、高級すぎて名称すらわからないあのお菓子を、どうしてももう一度、味わわなければならない。そのような決意で私は徘徊を続けた。

 あるとき宮殿の庭にひとの気配がして、私がすぐさま遠慮なく生け垣に首を突っ込むと、探し求めたおばさまの姿が見えて、そこではまさにティーパーティーが開かれている最中の様子だった。参加者は上流のおばさまと巨大ウサギだけで、おばさまがゆったりとティーカップを傾けるかたわらで、巨大ウサギは相変わらず口をモゴモゴさせていた。コイツはいつでも口を動かしているウサギだった。私が呼ばれるはずの場所にこんなウサギごときが当然のように居座っているのは腹立たしかったのだけれど、そこにそのウサギがいるのはおばさまのペットなのだから当然のことで、しばらく眺めていてもおばさまが私の存在に気づくことはなく、これまた当然私がティーパーティーに呼ばれることはなかった。

 もはやここまでくると、おばさまは私に気づいていないのではなく、実は気づいていて、あえて私のことをスルーしているのではないかと普通の人間なら思うような状況だったが、残念なことに、私は普通の女の子ではなく、本当にいろいろと残念な子だったので、それに思い当たることはまったくなく、いつまでも飽きることなくティーパーティーを眺め続けた。そこにはお菓子に対する執着ももちろんあったのだけれど、この宮殿のような自宅に住み、手入れの行き届いた庭でティーパーティーを楽しむおばさまのライフスタイルに対する純粋な憧れによるものも大きかった。上流階級の暮らしは私にとっては別世界といえるもので、生け垣越しに見るその光景は、なんだかキラキラ輝いているようにも思え、しかもティーパーティー、ウサギと揃っていれば、この状況から有名な小説を思い浮かべざるを得ず、私の目に映る光景は別世界からメルヘン世界へと突入していくのだった。そのメルヘン世界では、おばさまの役回りは公爵夫人あたりで、そうすると主人公がいないことになる。「おやおやアリスがどこにも見当たりませんよ。どこに行ったのでしょう」「いるよ! ここにいるよ! それは私だよ!」と心の中で馬鹿げた会話をし、広げた両手をわしゃわしゃと動かし、妄想の中で精一杯アピールをしたのだが、それがおばさまに届くことは当然なかった。

 不意にウサギが動きだした。いつ見ても何かを考えているようではなく、口をモゴモゴさせるだけのそしゃくマシーンと思われていた巨大ウサギの突然の自由意思の発現は私の注目を集め、観察を続けるとノソノソとおばさまへ近づいていく。そしておばさまが差し出した左手の人指し指にキスをするように顔を寄せて、そのまま口をモゴモゴさせるのだった。その姿は愛らしいとしか言い様のないもので、「あらまあ素敵」などと私も心の中で思ったのだが、よく見ると何かがおかしい。「噛んでないか?」と思い、目を凝らすとウサギはたしかに指を噛んでいて、それは噛んでいるというよりもむしろ食べているのだった。おばさまの人指しゆびを。モゴモゴと。血も流れている。ダラダラと。だがおばさまは気にもとめずにのんびりとティータイムを楽しんでいた。ウサギも特に変わった様子はなく、ただ口を動かしている。何が起きているのか私にはわけがわからなかった。異常事態だった。

 生け垣から離れて頭を抱え、考えをまとめようとしていると、別のことを思い出し、その思い出した事実、つまりおばさまの左手の人指しゆびは第一関節までしかなかったということと、先程の光景を重ね合わせるうちに、私は胸の奥がじんわり冷えてくるような、底無しの気持ち悪さを味わうことになった。ウサギが人指しゆびを食べている。それが私の目撃したいまこの瞬間に始まったことだと、そんな絶妙なタイミングの出来事が起きているのだと考えるのは、それがそしゃくマシーンでもあるウサギというおよそ知能を持たないであろう生き物によってもたらされたということを踏まえるといささか無理があり、おそらくそれは以前から行われていた行為で、そうであるならば、おばさまの左手の人指しゆびが短い原因もウサギに食べられたからだというふうに考えることができる。そしていつでもやめさせることのできるはずのそれが続けられたということは、おばさまが望んで自分の指を食べさせたということにほかならない。あのおばさまは少しずつ指をウサギに食べさせ、そうやって第一関節まで短くしていったのだ。それが日常として行われてきたことだから、私が見たときもおばさまは指を食べられながら平然としていたのだ。なぜそんなことをするのかはわからない。だがおばさまは、それをやったのだ。自分の意思で。

 そう考えるともはやこの場にとどまることはできず、私は逃げるようにして宮殿から走り去り、途中何回かの休憩を挟みながら自宅へと帰りついた。出迎えたCIAに「あんたどうしたの? ひどい顔してるわよ」と言われてもうまく説明することはできず、仕方なく「この顔は生まれつきだよ! 母親譲りだよ!」と答えれば「まあそりゃあそうねえ」と軽く流され、「そうそうあんたにいいものあるから」とCIAが取り出したのはお菓子の箱だった。「あんた散々文句言うから、あのお菓子とは違うけど買ってきたのよ」と差し出すそれはクッキーで、茶色くて細長くしかもちょうどいい大きさをしていて、私にはどう見ても人指しゆびにしか見えず、CIAには悪意がないとはいえ、それはもはや悪意があるのと変わらない行為で、私は「ひいいいー! バカー!」と叫びながら階段をかけ上がるとバタンとドアを閉じて自分の部屋へと引き籠った。CIAは「なんなのよー?」とひと声かけて、あきれたのか部屋まで追いかけてくることはなかった。

 ひとり部屋の中で冷静に考えると、ウサギに自分の指を食べさせるというのは最高にヤバイ行為であり、ヤバイものに憧れをもつ私が歓迎すべきもののはずなのだが、メルヘン世界に突如として訪れたそれはにわかには受け入れ難いもので、落ち着いて考えてみても、やはり何かが違った。私が憧れたのは、リスカとか、タトゥーとか、ピアスとか、わかりやすく見た目のカッコいいもので、少しずつウサギに指を食べさせるという地味かつ意味のわからない行為ではないのだ。しかし自分のからだを傷つけるという点では同じで、タトゥーやピアスは時間がかかる場合もある。違うようでもあるし、同じようでもある。

 上流階級のおばさまがそれをやっているというのも引っ掛かるところで、ヤバイ行為というのは、私の中のイメージではそれなりにヤバイ雰囲気をもったひとが行うもので、だからこそ私は憧れていたのだが、それをティーカップ片手に実行するおばさまはいったいどういう存在なのか、どう反応すればいいのかわからない。

 はっきりとここが違うという部分を指摘することができず、それでも何かが違うと考えるうちに、あの指を食べさせている光景が鮮明に私の脳裏に焼き付くようになり、ほかのことを考えようとしてもチラチラと浮かんでくる。そのたびに、私はからだの中が重たくなり、のどの奥から何かが込み上げて、ギリギリのところで留まっているような気持ち悪さを感じた。どうしてもアレは受け入れることができない。生理的に受け付けない。理由はない。そう結論づけたとき、「そもそも私は本当にヤバイものに憧れていたのだろうか」という疑問も自然と浮かんできて、すぐには答えを出せなかった。

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