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閑話・ペコペコの日(午後)

 最大の難関と思われた50メートル走をなんとか乗り切ると、次の授業はマーブルペンを弄んでいる間に一瞬で終わってしまった。このころにはもう、私はペコペコ状態に慣れていた。もちろん、自分の席からの移動はいまだに避けていた。だが気持ちはペコペコに馴染んでいて、もしかすると、私は生まれたときからもともとペコペコだったのではないか、そういえばもっと幼かったころ、小さな私はやはりペコペコしていて、その音にはしゃぎ、キャッキャと笑いながら走り回っていたのではないかという記憶の捏造も行われていた。記憶の中のペコペコは忌むべきものではなく、むしろ喜ばしいものだった。そうしてあらためて考えてみると、ペコペコも案外悪くない、これからの私のチャームポイントになるかもしれないなどと思ったりもした。

 休み時間になると、動くことのできない私を心配して、メガネがやってきた。向かい合わせに座り、語り合う。メガネが口にするのは馬鹿のひとつ覚えのようにセツナの話だ。地味メガネによるセツナにまつわるとりとめのない話を聞き流し、頬づえをついて窓の外を見るうちに、私の脳裏には先程の体育の授業中の一場面が浮かぶのだった。

 そこにはひとりの少女がいた。その少女の肌は異様に白く、髪の毛は銀色で、顔は小さく、胸はどうやらほとんどないもののスラリと手足が長く、理想的とも言えるほどに調和の取れたその体型は、むしろ作り物めいた不自然さを感じさせ、リアリティのない存在感とでもいうべきものを放っていた。学校指定のクソダサジャージを着ている姿もなんだか決まっていて、むしろあえてジャージを着てハズしている感を出していて、そうした観点から見ると、あのクソダサジャージも意外とスタイリッシュに見えてくる、そんな雰囲気の少女なのだった。明らかに美人だ。しかも銀髪だ。あれはいったい誰だったのかメガネに尋ねてみると、「あ、知らないんだね。藤原カグヤさん。お母さんがイギリス人で、ハーフなんだって」と言う。カグヤという和風の名前は、いかにもハーフらしい。日本の文化の表面を少しかじったニワカ外国人が喜びそうな名前だ、という感想を私は抱いた。さらにメガネは続けて、「入学してからすぐに停学……っていうか、休んでたらしいからね。みんなあんまり知らないよね」と言った。「えっ、停学? 何それ?」と私が質問すると、メガネは教室を見回し、「あんまり話しちゃいけないことらしいけど」と小声で前置きをして、話し始めた。

「藤原さん、かわいいし目立ってるから、男子に目をつけられて、放課後に教室で襲われそうになったんだって」

「えっ? 襲われそうになったって何? ……そういうこと?」

「うん。みんなでレイプしようとしたらしいよ」

「嘘……」

「本当。6人くらいだって」

 私は言葉が出なかった。自分の腕をゾワリと冷たい空気が撫でていく。それは紛れもない恐怖だった。男性の集団に襲われて、レイプされる。そんなことが、現実に起きるとは思わなかった。ドラマや映画の中でしか起きないものだと思っていた。そして、そんなことをするのはわかりやすく悪人面をしたVシネマ俳優だけのはずで、それが同じ学校の生徒によって行われるなどとは想像すらしたことがなかった。次は自分が狙われるのかもしれないという過剰な自意識による危機感とともに、そんな恐ろしい目に会った藤原さんのことを思うと私の胸は締めつけられるのだった。

「それで藤原さん、抵抗して、教室の椅子を振り回して襲ってきた男子をボコボコにしたんだって」

「は? ボコボコにしたの?」

 予想外の展開に私は困惑した。

「そう。全員病院送りだって」

「えっ……。あ、でもそれなら藤原さんは無事だったの?」

「うん無事。何もされなかったみたい」

 という答えを聞き、藤原さんの貞操が守られたことに安堵し、冷静さを取り戻した私は、メガネの話に不可解な部分があることに気づいた。

「でもそれなら藤原さん、被害者だよね。なんでさっき休んでたとか、停学とか言ったの? 被害者が停学っておかしいでしょ?」

「うん、そう思う。でもやり過ぎだったみたい。全員重症で、いまでもふたり入院してるんだって。頭蓋骨陥没」

「ふーん」

 頭蓋骨陥没というワードに驚きはしたが、「当然の報いだ」とそのときの私は思った。むしろ「よくやった!」という気分になった。考えてみると被害者だからこそ、ある程度の期間ほとぼりが冷めるまで学校を休む措置は必要だろうし、メンタルケアもしなければならない。こうして私の疑問は解消された。

 銀色の髪をもつハーフでありながら襲ってきた男子をボコボコにする少女、藤原カグヤ。それはこう在りたいと私が想い描く理想の姿にも似て、憧れるには十分な存在だった。冷静になれば教室の椅子を振り回し、6人を病院送りにする少女など、どう考えてもまともではないことに気づくはずなのだが、頭蓋骨が陥没した入院中の男子生徒の存在は私の頭の中から消え去り、自らの手で自分自身を護り、戦い抜く、強く美しい少女のストーリーだけが残ったのだった。「カッコいい!」と私は思った。一方の私はペコペコのちんちくりんだ。私が狙われたとしたら、なすすべもなく蹂躙されてしまうだろう。

 カッコいい女性とは何か。そう考えて私の頭の中に浮かぶのは、例えばセレブでファビラスな姉妹なのだった。想像の中の姉妹は夜景を見下ろすホテルのスイートルームでワインを片手に窓辺に佇み、「強くなければ生きてこれなかった」とこれまでの道のりを振り返っていた。彼女たちと私との違いは恵まれたスタイルでも豊富な資産でもない。あの姉妹ならちんちくりんでもペコペコ状態でも変らないのだろう。違いは生き方だ。そんな気がした。

 藤原カグヤやセレブ姉妹のことを考えるうちに、「このままではいけない、ペコペコするからといって、自分の席に座ったままでは何も変わらない」という思いが私の中で募り、いても立ってもいられなくなり、昼休みが始まるとすぐに、私は席を立ち、教室を飛び出した。廊下を歩けば視線が集まっているような気がして、しかしここで引き返すわけにはいかないと、「ペコペコの音なんか誰も気にしていない。誰も気づいていない。聞こえていないんだ」と自分に言い聞かせて無理に足を進めた。実際にはペコペコの音は小さくなるどころか、どんどん大きくなっているようだった。

「聞こえていない聞こえていない聞こえていない」と心の中で専修念仏を行うように繰り返し、ぐるりと一周して教室に戻ってきた私は精神的なストレスによりグッタリとして自分の椅子に倒れ込んだ。ペコペコ音を立てながら、なかなかの距離を歩き回ったにもかかわらず、私の心にはやり遂げた気持ちは生まれなかった。代わりに「なんかこれ違うんじゃないか?」という気持ちが生まれていた。「聞こえていない」と何度も繰り返し自分に言い聞かせ、ペコペコ音がしているという現実をごまかすのはカッコいい人たちのやることではなく、そういう人たちはきっと、ペコペコしていようが何も変わらない、確固たる意思を持って生きているのだ。そこにはごまかしはない。

「私のやってるこれは違う。そういうことじゃないんだ」という気持ちがどんどん膨れあがり、しかしカッコよく、あるがままのペコペコを受け入れながらも自分自身は変わらない、そんな風に胸を張って歩き回ることはできないのだった。そういう生き方はしてこなかった。私はごまかさなければ足を踏み出せない。それはつまりカッコよくはなれないということだ。

 ペコペコにより、見たくない事実を突きつけられ、私は打ちのめされた。きっと私がそういうヤツだからこそ、ペコペコ状態になってしまったのだ。カッコいい人たちはそもそもペコペコにはならない。ペコペコとは象徴であり、私の精神自体がペコペコであることを意味するのだ。それにより、現実の世界でも現象としてのペコペコが引き起こされた。現象とは記号であり、それが象徴するペコペコというイデアを私自身が内包していたからこそ、それを意味する任意の記号としてのペコペコが私の元へ訪れたというわけなのだ。そんなことを考え、なんとしてもペコペコに抗わないといけないと思い、しかしごまかそうとすることしかできずに、あらためて自分がペコペコであることを思い知らされ、私の心はどんどん沈んでいった。もはやペコペコとは何なのかもわからなくなっていた。

 こうしてペコペコに馴染んできたという能天気な気分はすっかり消え失せてしまった。五時間目の授業が終わると、落ち込んだ私の表情を見て慌てて「大丈夫? 一緒に帰る? 私なら全然平気だよ」と言うメガネに首を振り、力のない笑みだけを返してとぼとぼと家路についたのだった。このときもやはり私のくるぶしはペコペコしていた。歩くたびに気持ちは沈んでいく。ペコペコ。

 自分の力ではもうどうにもならない。ペコペコは止まらない。このようなとき、例えば人は、神様にすがったりするのだろうが、私はいままでそういうことをしたことがなかった。というのも、特別、神の存在を否定する立場をとっているわけではないが、神がいるとするならばそれはこのクソみたいな世界を創り出した者であり、それはすなわちクソみたいであることに責任を有する者であるということであるから、「どの面下げて神を名乗ってるんだ。やることやってからほざけ、無能が」としか思えないからなのだった。頼りがいのある相手ではない。だがいまは、自分ではどうにもならないこのペコペコという未曾有の災害に見舞われたこのときは、何らかの神秘的なパワーに頼ってもいい気がした。

 帰り道をとぼとぼ歩く私に突然スポットライトが当たる。その光源は遥か上空に浮かぶ銀色の巨大飛翔体であり、飛翔体のハッチが音もなくスルスルと開くと、そこから白い羽根が舞い降りてくる。そしてその羽根の持ち主、翼を持つ女性たちがハッチからわらわらと現れ、タンポポの綿毛を思わせるやる気のない動きでゆっくりと落ちてくる。天使だ。さらにフワフワとあてもなく漂う天使たちを押しのけるようにして、青ざめた馬に乗った騎士が現れる。それは空中を駆け、一直線に私へと向かう。馬から降りた騎士が跪き、私のくるぶしに触れると、からだが軽くなり、足を踏み出すともうペコペコは聞こえない。代わりに天使たちの吹く歓喜のラッパが鳴り響くのだ。神の起こした奇跡だった。

 家に帰り着くまでそのようなことは当然起きなかった。私は「やはり無能か……」と心の中でつぶやきながら玄関のドアを開けた。リビングではCIAが煎餅をボリボリかじっていて、帰ってきた私を見て、「最近体重が増えてきたのよねー。やだわー。なんでかしら」と言いながら煎餅をひとつかみ口の中に放り込み、またボリボリさせるのだった。このような食べ方で煎餅を食べる人間を、私はCIA以外には知らず、またこのような食べ方をする人間に何を言っても意味がないので、特に何もコメントせずにリビングを見回した。テーブルの上にはCIAの情報源のひとつである図書館から借りてきたと思われる本が山となっていて、それらはすべてダイエット法に関する書物なのだった。何気なく目にしたタイトルに私は目を惹かれた。「初心者でもできる簡単ヨガ」と書かれている。その本を手に取り、「これ、私やる!」と言えば、「必要ないと思うけど、まあ健康にもいいらしいからねえ。私はやらないから持っていっていいわよ」とCIAが面倒くさそうに手を振った。「やらないならなんで借りてきた」というツッコミを飲み込んで、私は本を抱えて自分の部屋へと向かった。

 なぜヨガの本を自室へ持ち帰るのか。それはヨガこそは太極拳とならび、神秘的な要素を持ちつつも現実に実行可能な身近な健康法で、ペコペコをどうにかしなければならない私にうってつけのもので、きっと事態を解決してくれるはずのものだからだ。いまこのタイミングでヨガに出会えた偶然を噛みしめ、私はヨガの歴史に思いを馳せた。テストで大変残念な点数をとる私の実力はここでも遺憾なく発揮され、ヨガの歴史について頭の中に出てきたのは「インド」というワードただひとつだった。次にインドについて思いを馳せれば、出てくるのは「ガンディー」というワードだけなのだった。数は少ないが、材料は揃った。「ガンディーとヨガは深い関わりがあるはずだ」と私は思い、さらに想像を巡らせる。

 イギリスによる植民地支配により、極貧の生活を余儀なくされていたインドの国民を救うために立ち上がったのがガンディーだった。ガンディーは平和的暴力を掲げ、イギリス兵と熾烈なゲリラ戦を繰り広げる。しかしゲリラ戦に向かない地形のため、次第に追い詰められていく。そこでガンディーたちが使ったのが、インドに昔から伝わるヨガの奥義だ。鶴のポーズをとりながら、ガンディーたちはイギリス兵の放つ16ポンド砲を弾き返し、平和的暴力によってイギリス軍を駆逐し、インドをイギリスから取り戻し、その後千年続くインド帝国を築きあげるのだった。

「だいたいこんな感じのはずだ」と私は頷いた。大変残念な点数をとってしまう人間の考える歴史はこのようなものである。いずれにせよ平和的暴力によってイギリス軍を蹂躙するガンディーの姿は痛快の極みであり、私もそのようになろうと憧れとともに決意をした。ヨガの奥義を極めれば、例えば学校で男子生徒に襲われたとしても、平和的暴力で解決することができる。そのほかの問題もすべて平和的暴力で解決すればいい。何もかもが上手くいく気がした。

 そうして本を開き、「初心者でもできる」と書いてあるわりには思ったよりも文字が多いことを確認し、本を閉じて、私は眠りについたのだった。


 翌日学校へ登校し、教室に入った私のもとへメガネが駆け寄ってきた。一瞬何かを確認するように、ピタリと止まり、それから私の手を握って、「良かったね」と振りまわした。満面の笑みだ。「朝からご機嫌だなコイツ。いったいどうした? 大丈夫か?」と思いながら、「ハア?」と首を傾げれば、メガネは「ペコペコ! 音しなくなったんだね!」と言う。言われて足を持ち上げ、床に降ろしてみれば、音もなく着地する。ダンダン踏み鳴らしても、ダンダン衝撃が響くだけだった。「本当だ! ペコペコなくなったよ!」「うんうん! 良かったね!」と私たちは手を握り合い、喜びを分かち合った。そして私は教室の窓のほうを向いた。ペコペコが治ったのは、ヨガの神秘的なパワーのおかげかもしれない。数ページしか読んでいないが、神秘的な力とはページ数によって変わるものではない。「これは感謝しなければならない」と思い、遥か彼方、ガンディーが眠っているはずの方角へ向かって頭を軽く下げたのだった。ペコリ。めでたしめでたし。


 こうしてすべて解決したはずだと思いきや、そうではなかったのだった。そのことは後日わかった。

 学校へ登校し、廊下を何も考えずに歩いていた私に性的なテニス部員が声をかけてきたのだ。人と人との間の距離感というものをまったく理解しようとはしないこの種の人間とのコミュニケーションは私の最も苦手とするところであり、気軽に「ペコちゃん、おはよう」などと言われてもどうすればいいのかわからない。黙ってペコリと頭を下げるだけだ。

 ドキドキしながらやり過ごし、しばらく歩いた後で「ペコちゃん」の呼び名の由来に思い当たり、私は心の中で怒り狂う阿修羅の顔をしたのだった。

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