二人の日常3
第3話です
案の定、一時限目から授業の内容は右耳から入って左耳へ次々と抜けていってしまう。つい五分前に教師の言っていた内容すら、もう記憶の彼方へはじけ飛んでいる。ほかのクラスメイトはテスト前ということもあって、熱心に手を動かしノートをとっている。さすがに進学校の生徒だけあって、とても真剣に授業を受けている。教師の方にも、普段と比べて気合いが二割増くらい入っている。それに対して俺はというと、ノートをとる手は授業開始から三分経たないうちに止まってしまい、それでも必死で手を働かせていたはずが、気づいたらノートの二ページ先まで、「妹」の字で埋まっている始末だ。こんなノートを誰かに見られたら、俺は本気で精神の心配をされ、最後は病院に連れて行かれるだろう。このままの状態が続くとテストは絶望的どころか、精神状態がどうなるかすら怪しいので、今日のところは勉強は諦め、俺は早々と筆記用具を筆箱の中にしまった。
とりあえず、妹の機嫌を一刻も早く直すのが先決なので、俺は頭をフル回転させて、何か方法はないものかと考える。幸い、授業中の教室は自宅よりも静かなほどなので、集中力が切れるようなことはない。そして俺は妹の機嫌を損ねてから、初めてゆっくりと考える時間がとれた。
一時限目終了後、チャイムが鳴り終わったのとほぼ同時に、彼女が俺のクラスにやってきた。
いつもは上手いこと隠れてやりすごしているのだが、今日は考え事をしていたので、反応が遅れてしまった。彼女は俺の姿を見つけると、一直線でこちらに向かってくる。
「いえ~い! この私がお兄ちゃんに会いに来たよ!」
「お前にお兄ちゃんと呼ばれる筋合いはない。今すぐに出ていけ。」
こいつに構っている暇など今の俺には無いし、構っていても体力を消耗するだけなので今すぐに逃げ出したいが、一度こいつに捕まって逃がしてくれた試しはないので、諦めて彼女のどうでもいい話に付き合う。
「それにしても、よく朝からあんな元気に過ごせるよな。」
「私は毎日が月曜日のつもりで生活してるからね。」
また彼女のよく分からない話が始まった。
「どういうことだ? 毎日が月曜日だったら世界が滅びるぞ。」
「えっとねぇ… まず、一週間に同じ曜日は存在しないと仮定するでしょ?」
「…まあ、そうだな。」
「日本の学校は週休二日でしょ?」
「ほとんどの学校はそうだな。」
「それで、最初の仮定から毎日が月曜日だとすると、一週間は月曜日一日だけになるんだよ。」
何だか彼女の話についていけなくなってきた。精神的に馬鹿なぶん、学力が高いので、どうでもいい話がものすごいハイレベルな話になってしまうのだ。
「一週間が一日っておかしいだろ?」
「いや、一週間が七日っていうのは絶対じゃないの。一週間と一日がイコールで結ばれても別に不思議ではないんだよ?」
「…もう何を言ってるのかさっぱり分からないんだが… で? 結局何で毎日が月曜日なんだよ?」
「もー、理解が遅くて困っちゃうよ!」
むしろ困ってるのはこっちのほうなんだが…
「一週間が一日で週休二日ってことは、毎日がお休みでさらに休みが一日づつ蓄積されるんだよ? すごいと思わない?!」
彼女は目を輝かせながら言った。
「ああ… お前が言おうとしてることは分かった。だが、そんな考えで毎日過ごしてるのは後にも先にもお前だけだ。」
「そんなことないよ! 東京の人なら皆そう思ってるはずだから!」
「東京に憧れてるのはいいが、そこに住んでる人達もそんな馬鹿なこと考えてねえよ。あの人らは仕事と食事しかしてないから、そんなこと考えてる暇なんかないんだよ。」
「それはそれで東京の人に失礼だよ…」
東京の人に出会ったことがないのでよく分からないが、多分そんな感じだと思う。俺は社畜と化しているであろう彼らに、心のなかで静かに合掌した。
「…そういえば、朝聞き忘れたけどその顔どうしたの? あ、わかった! 妹ちゃんにやられたんでしょ? 昨日妹ちゃんの誕生日だったもんねー。きっとお兄ちゃんがやり過ぎて、妹ちゃんを怒らせちゃったんでしょ? 今日元気がない理由もそれだよね?」
見事に言い当てられて、言葉を返せない。普段はバカ丸出しなのに、異様に勘が鋭いので、彼女には油断ができない。それにしてもこいつが俺の妹の誕生日を覚えていたとは、驚きだ。教えた覚えはないのだが…
「ああ、その通りだ。しかしよく分かったな。本当にお前は勘が鋭いな。」
「え? ああ、うん! お兄ちゃんの考えてる事なんてすぐ分かっちゃうよ! まあでも、きっとすぐに妹ちゃんの機嫌は直ると思うよ。だからもっと気楽にさ、楽しく行こうよ!」
「ああ、そうだな… ありがとな。」
その後は、昨日観たテレビがおかしかっただの、この間食べたケーキ屋のモンブランがおいしかったなどといった、俺にとっては本当にどうでもいい話を延々と聞かされて、十分間の休み時間は終わった。
結局、一時限目中にいいアイデアは浮かばなかったし、休み時間は彼女のせいで潰れてしまったが、不思議といつも彼女と接した後に感じる疲れや気力の消耗はなく、代わりに言葉には形容できない、ふわふわとしたとした感情が俺の心の中に、これまた、ふわふわと浮かんでいた。
その後、二時限目からは授業の内容も頭に入ってくるようになったので、しっかりと勉強しておくことにした。一時限目の時の俺とは違い、
「まあ、何とかなるだろう。」
と楽観的に考えていたのだ。そして、二時限目の休み時間も、三時限目の休み時間も、彼女が俺の教室に来ては、(さっきから何度もいっているが)本当にどうでもいい話を、まるっきり自分のペースで、聞いている人の事など全く考えず、楽しそうに話し続けて、帰っていった。そんな姿を見ていると、こいつには悩み事などないのではないかとさえ思った。しかし何となく、羨ましいという気持ちにはならなかった。
ありがとうございました