二人の日常2
長い夢を見た
妹が生まれたときの光景だ
元気に泣き声を上げている
そこにいる誰もが、新たな命の誕生に歓喜している
だが、そこに俺の姿はない
俺はどこにいるのだろうか?…
長い、長い夢を見た
家に帰ると、妹が俺を出迎えてくれた。妹の体は、ふわふわとしたレースの付いたスカートと、白いエプロンで包まれている。そしてその頭上には、これまたふわふわとしたレースがあしらわれたカチューシャを、ひらひらとさせていた。俗に言う、メイド服とやらを身に着け、俺を待ち構えていたのだ。
時は三日ほど遡る。
妹の誕生日騒動から一夜明けた朝。まだ頬に痛みが残り、学校へ行く気力など無いに等しかったが、重い体を持ち上げ、とりあえず布団から出た。登校までいくらかの時間の余裕があったので、風呂に入って体を洗った。頭を冷やしたところで、何か良策が思いつくはずもないのだが、冷水を頭から思い切りかぶった。眠気覚ましにはちょうどいい。風呂から上がったところで、時刻もちょうどいいところだったので、着替えて、リビングで適当に飯をよそって食べる。
妹が二か月ほど前から、部活の朝練とやらで、ずいぶんと早く家を出るようになったため、ここ最近はひとりで朝飯を食べている。さすがに、朝妹がいないのにも慣れたが、やはり寂しさは無くならない。
そして朝食を終えた俺は誰もいない、静かなキッチンで食器を洗い、準備が出来たところで家を出た。
「妹よ、今日も、お兄ちゃんはがんばるからな。」
その声は、誰の耳に届くこともなく、ただ玄関に小さくこだましただけだった。
俺と妹の住むマンションから歩いて十分、標高百メートルに満たない丘の小坂を登ると、俺の通う高校に着く。県下一の進学校で、生徒数も多いこの高校には、個性的な面子が集まっている。中学校からの俺の親友曰く、俺は学校一の変わり者だそうだ。そんなことはないと思うのだが…
家を出てからずっとなのだが、俺の下がった気分が影響したのか、天気は今にも雨になりそうな、鉛色の空が横たわっている。雨に降られないうちに、速足で校門を通り抜ける。
校舎に駆け込もうとした寸前、後ろから誰かが走ってきた。
「おっはよー! 昨日はよく眠れたあ?」
唐突に声を掛けられ足を止める。その甘ったるい喋り方と声で誰かはすぐに分かるため、俺は思いっきり、心底嫌そうな顔で振り向いた。
「うわっ! その顔どうしたの? ものすごくおかしいよ! そんな顔で町を歩いたら、警察につかまっちゃうよ? …っていうか、朝一番の出会い頭でそんな顔するなんて、ひどすぎるよ!」
彼女は昨日の妹と同じように、頬を膨らませて怒っているが、気の抜けた顔と声のせいで、全くと言って良いほど怖くない。むしろ愛嬌すら感じさせられる。昨日の妹の顔を思い出すと、本当にこの差は何なのだろうかと思う。それにしても驚いたり、心配したり、怒ったりと感情の起伏が激しすぎてついていけない。
「一緒にいて疲れる相手に対して、なぜ愛想よく接してさらに体力を消耗させなきゃならないんだよ。雨が降りそうだから早く校舎に入らせろ。」
「一日一回君に会わないと私は死んじゃうんだよ! 人間一人じゃ生きられないんだからね!自分一人で生きてると思うなよぉ!」
何やらとんでもないことを言ってきた。それならこいつは毎週土日毎に死んでいることになるのだが、分かっているのだろうか。それにこいつはひとり暮らしで、逞しく生活していると思うのだが… これ以上話を続けても、余計疲れるだけなので無視して校舎に入る。
「あっ 待ってよう、もぉ~!」
いつもなら、もう少しこいつのバカ話に付き合っているのだが、今日はそんな暇はない。現状目下の問題について考えなければならない。しかし、登校中も妹の機嫌を直す方法はないかと考えていたのだが、学校に近づくにつれ集中力が途切れ、まともに頭が回らない。その上どうせ、こいつは休み時間の度に俺のところにやってきては、どうでもいい話を長々してくるので、学校でいい考えが思いつくはずもない。別のクラスでこれほどなら、もし仮に同じクラスだったとしたらと思うと、恐ろしくて仕方がない。
深いため息をついて、重たい足をなんとか動かして教室へ向かう。後ろで彼女が弾幕のように言葉を俺に浴びせているが、全く耳に入ってこない。もう授業が始まる前から早退したくなったが、テストも近いので、内容だけでも頭に入れておかなくてはならない。まあ、今日は授業を受けていても、ずっと考え事をして一日が終わってしまう気がするが。
それにしても、さっきからすれ違っていく生徒たちの突き刺さる視線が痛い。
「おい、あいつの顔…」
「どうせ妹にやられたんだろ…」
「今度は何やったんだ…」
周り中が俺の方を横目で見ながら、こそこそと話をしている。もしこれが根も葉もないただの噂話だったら堂々と抗議も出来るのだが、一応事実なのが、本当にどうしようもない。この後、単なる気休めにしかならないが、保健室で湿布をもらって授業を受けることにした。保健室の先生にまで「今回は何をやらかしたの?」と言われ、心が折れかけたのは誰にも言えない俺一人の秘密となった。いや、保健の先生との秘密か… 異性との秘密と言っても、ろくなものじゃないと今年めでたく四十歳を迎えた先生の顔を見ながら、俺は思った。