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「ずいぶん面白いことになっている。こんな立場でもなければ、本当に、面白おかしく騒ぎ立てるんだがねぇ」



 ジ地区をまとめる〈組合〉は様々な役割を持つ。

 例えば自警団の運営。――芸者や娼妓らの護衛と、客が騒ぎ過ぎれば止める役割を負っている。

 例えば芸者の育成や管理。――自力で稼げない芸者の卵を育てる一方で、育った芸者らが使い潰されないよう酒場との間に入り、給料の交渉などを代行する。

 そして調停。――〈花〉の縄張り争い、酒場同士、芸者同士などの諍いが起きた時、双方から事情を聴いて解決策を提示する。

 現在そのトップは、もと芸者の男が務めていた。

 灰色の髪の壮年の男で、その指先は弦を抑えてきたことを示していた。――もとはヴァイオリニストであると、カミコは聞いている。カミコがジ地区に出入りするようになったころにはすでに一線を退いていた。

 カミコはそんな男のもとに呼ばれて、彼の仕事部屋であろう場所で説教されている。面倒なので半分ほどは聞き流している。

「それで、結局なにがあったんだ。歌姫に聞いてもよくわからんのだが」

「歌姫が言いたくないことを、俺が言うのはちょっと」

 面倒なので適当に言って逃れたい。

 もちろん、組合長にもそれは伝わってしまう。

「あのなぁ・・・・・・自覚してくれんかねぇ。おまえらは、ジ地区の、人気芸者なんだよ。稼ぎ頭。その二人が喧嘩したって・・・・・・」

「客が好む話題だよ。集客力あるんじゃない?」

「そういうスキャンダルで集客してもね」

 この荒れた街で、彼はずいぶんとまともな感覚をしている。

 まわりが底辺ばかりだから、苦労も多かろうと同情する。するだけで、具体的になにか行動しようとは思わないが。

「いや、なに。男と女のことじゃないか。抉れてどっちかがどっちかを刺しちゃったとか、困る」

「俺と歌姫がそれやると思う?」

 客の間ではともかく、芸者たちの間では歌姫とカミコはそれほど仲が良くないと知られている。

「万が一というのがあるだろう」

「ないない。俺のために歌姫が自分の立場捨てるわけがない」

「しかしね、男女の仲ってのは・・・・・・」

「なんか変だと思ったけど、そういうこと?俺、歌姫含めて芸者に手を出したことないよ」

「・・・・・・」

「痴情のもつれじゃないから安心して」

 カミコは言いながら納得した。

 組合長まで出てきたのは、そういう疑いがあったからだ。この街で、男女の仲がこじれた末の事件はよくある。流血沙汰も多い。

 あいにく、歌姫とカミコの双方にもつれるような感情はない。

 いつどうやって勘違いが発生したのか知らないが、ジ地区の情報は噂好きの〈花〉たちによって巡っている。そして〈花〉たちはまやかしの色恋を売り物にしている。人間が二人以上寄れば、〈花〉の中では恋愛成立なのだ。仮に歌姫とカミコが同性だったとしても、同じように噂されたことだろう。

「おまえ・・・・・・芸者に手ぇ出してないって、ほんとかい」

「なに?俺そんなに評判悪かった?」

「評判が悪いわけじゃないが、時々に話題になるぞ。おまえと寝たっていう芸者が出てきて」

「勘弁してよ」

 同業者とねんごろになっても、それこそ組合長が懸念したような問題が起こりやすい。これを、まだ仕事を始めたばかりだったころのカミコに教えたのは、影鳥と悠江とモズである。しかも三人別々に、忠告してきた。色恋の騒動というのは厄介なのだなと幼かったカミコにも理解できた。

 そして、カミコは同業者らのことを、芸とその巧拙でしか覚えていない。見目や人間性に興味がないのである。それは歌姫に関しても同じだ。

「すぐそこで本職の花が咲いてんのに、なんでわざわざトラブルの原因を作りに行くんだよ」

 カミコにとってはこれに尽きる。

「そりゃ正論だが、物事正論ばかりでは動かんよ」

「で、そろそろ帰っていい?」

「反省しているふりくらいできんのかい」

「・・・・・・」

 面倒臭い。

 カミコはたいていの場合において感情を隠そうとは思っていない。

 カミコの内心はストレートに組合長へと伝わる。

 組合長は頭を抱えて長々とため息を吐いた。

 次の説教が始まるよりも先に、男に声がかかった。部屋に遠慮がちにやってきたのは少年で、カミコの存在を気にしながら、「時間です」と告げた。

 男は眉間にしわを寄せたままだったが、「すぐ行く」と答える。

「カミコ、ちょいと付き合え」

「何に?」

「後進の育成だ」

 心底面倒である。

 だが相手はジ地区の権力者の一人。

 カミコは組合長に続いて立ち上がった。






 広い部屋には三人の少年と一人の少女がいた。全員ヴァイオリンと譜面台を用意している。まだ自力で食べていくことが出来ない、芸者の卵たちだ。全員、カミコの方を気にしているが、カミコは何も言わなかった。

 ごみから作った粗末な楽器であれば、この街にはあふれている。街で育つこどもたちは遊びの一環として奏でることを覚え、才ある者が芸者の卵としてここに拾われて、訓練を受ける。

 ここにいる少年少女は、きちんとしたヴァイオリンを手にしている。つまり、見込みがあるから拾われて、楽器を貸与され、教育を受けているのだ。

 器楽奏者の育成には手間と時間がかかる。ジ地区の中では最も金をかけて育成している人材だ。

 明日の生活も保障されない街で、食うにも困る人々がいる環境で、それでも芸者が必要とされる。

 不思議なことだ、とカミコは思った。

 組合長は椅子に座り、少年少女ら一人ずつに演奏をするよう言う。

 少年の一人が短い曲を奏でた。様々な技術を要求される練習曲だ。細い指で弦を押さえ、弓をすべらせる。弦を行き来する指は、ピアノを弾くさまとも似ている。

 難易度は決して低くないはずだが、正確な演奏だった。組合長は良かった点と悪かった点を簡潔に述べる。

 四人ともが練習曲を披露し終えると、男はカミコを見た。

「おい、伴奏してくれ」

「え、無理」

 発展途上の少年少女に合わせるには、技量が必要だ。カミコにそういう技量はない。

 少年少女も怯えた様子である。彼らからすれば、カミコのような人気芸者は雲の上の存在なのだ。戸惑いもするだろう。――なぜ怯えが混ざるのか、カミコには理解できないが。

「こいつらが、ついていけなけりゃそれでいいんだ」

「それなら、まあ」

 カミコはアップライトピアノの前に座った。

 酒場で誰かと共演するときは、たいていの場合、ごく短い打ち合わせのみだ。その時に揃っている器楽奏者や歌い手が違うため、いちいち楽譜を用意していられない。

 ところがこれからカミコが合わせるのはヴァイオリニストの卵である。因って、即興的な事をしないよう、楽譜にちゃんと目を通す。

 もとは歌曲の歌唱部分をヴァイオリンで弾くようだ。ピアノの伴奏は変わらない。カミコも慣れた短い一曲だった。本来はテノールのための歌曲なので、カミコは好んで白道に歌わせている。白道は歌詞の内容について「頭が緩いんじゃねぇの」と言って好んでいないが。

「テンポは?」

「任せる」

 始まりは長調。明るい光の中、清らかな水が流れていく様がピアノによって描かれる。時折水が躍るかのような、軽快なテンポである。

 ヴァイオリンが歌い始める。楽天的な明るさの中に、少し心のざわめきがあるメロディーなのだが、芸者の卵の音はその情緒を現しきらない。技巧はあっても、酒場受けしないなとカミコは思う。

 二人目の芸者の卵は、テンポが整い切らなかった。仕事でも歩調の合わない芸者はいるが、それ以前の問題だ。手が震えそうなほどいらいらした。

 三人目はわりと無難で、しかし華やかさが足りない。

 四人目は感性が優れているようであったが、それを表現する技巧には欠けていた。

 どれも発展途上だ。そして成長しても、ジ地区のトップに君臨するような芸者にはならないだろうと思われた。

 レッスンの終わりが告げられ、少年少女が去っていく。カミコは疲労と苛立ちから、ピアノの前に座ったまま動けなかった。

「もっと才能ある子はいないの」

 生徒を見送り一服を始めた組合長に向かって、恨めしい声で訊ねる。

「最初はみんな、あんなものだ」

「嘘だ」

「あんなものだよ。努力して努力して、さらに努力して、一人前になる」

「嘘だ」

「・・・・・・まあ、超一流になる気配は、今んところないが」

「ほらみろ」

「だが光る才能があったところで、やることは変わらんさ。弾いて弾いて、弾きまくって、何かをつかめた奴だけが生き残る」

「あんたも?」

「俺は才能がねぇからこういうことやってんだよ。練習も好きじゃない。何時間も弾いてるやつは頭がおかしいと思ってる」

「その指でよく言う」

 男の指先はヴァイオリンを今も日常的に弾いていることを現している。指導の間は弾かなかったし、夜も酒場で興行していないということは、昼日中に聞かせる相手もなしに、孤独の中で奏でているのだ。

「弾くのは好きだが、芸を磨いているわけじゃない。そういう情熱は持てないんだ。――まあ、組合長なんて呼ばれる立場の人間は、これくらいの半端者がちょうどいいんだろう。自分でも性に合ってると思ってる」

 ――この男は、カミコが知る限り最もまともな組合長だ。

 ジ地区を強烈に支配した、前の歌姫の晩年頃からこの地位にあり、暴君と化していた彼女から、他の芸者を守っていた。上手く立ち回るだけで、逆らいはしなかった。だから庇いきれない芸者のことは何人も見殺しにしている。守った数の方が多いという、ただそれだけの正義だ。

 もしかしたら、とカミコは思う。

 ああいうことがあったから、彼は〈芸〉をやめたのかもしれない。

「才能ってのは大切だ。だが、きっかけに過ぎん。そのきっかけを握りしめて離さないやつが、時に化ける。さっきのガキどもも、もしかすると化けるかもしれん」

「ふうん」

「最初から弾けた天使様にゃ興味ねぇ話か」

「いや、参考になったよ」

「そうかい」

「聞いてみるんだけど、今代の歌姫は、どうだったの」

「最初から光ってた。光っているのに、誰よりも芸を磨いてた。恐ろしい気迫でな。――ついでに言えば、先代の歌姫もそうだったよ。どっかで捩れておかしくなったが、あのプライドを支えていたのは、紛れもなく努力だった」

「努力か」

 カミコにはそれが理解できない。

 ピアノを弾くのは本能と同じだ。練習を苦痛と思わない。痛みが伴わなければ何時間だって弾いていられる。

 きっと歌姫も同じだ。練習のしすぎを気にすることはあっても、歌うこと自体に苦痛を覚えない。

 けれどカミコのピアノは〈麻薬〉で、歌姫のそれは〈芸〉となる。

(何が違うのか)

 そっと鍵盤を撫でる。



参考曲


*歌曲集「美しき水車小屋の娘」より「何処へ」

シューベルト作曲。修行の旅に出た若者が一人で川辺を歩きながら「この道でいいのか」と問いかけている。



小説内の曲解釈は飽くまで個人的なものかつ物語上の演出あり、曲そのものを批判・否定するものではありません。

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