2~白皙の貴公子と黒髪の色男に守られて
ところが。
「どうしよう……まさか、前哨戦なんて、まったく想定外だぞ」
ウェラディアは少しばかり焦りを滲ませて、周りの参加者たちに視線を走られた。
みな、細身のウェラディアと比べるとひと回りもふた回りも背も体が大きい。
沢山の参加者に囲まれてしまうと、まるで大人の中に子どもが紛れ込んでいるかのようだった。
選考大祭への登録の始まりを待っていたところ、開刻を少し過ぎたのに、列が全然動かないなとは思っていた。
するとしばらくして緊急の触れが回ってきて、あまりにも参加希望者が多いことから、登録の前に剣術実技のレベルを確認することになったという。
漆黒の騎士は有事になれば、王の代わりにまず戦場に赴く。
それゆえに、剣技を求められるだろうとは想像していたけれど、本来は、学科試験があってから剣による武術実技の勝ち抜き戦があると聞いていた。
それが、前哨の模擬剣技で一定の剣技水準に満たない参加者は、漆黒の騎士選考大祭への参加資格を失うと聞かされ、参加希望者はみな王城の鍛錬場へと急ぎ移動させられたものの、ウェラディアは正直焦っていた。
実を言うと、師範以外の人とほとんど対戦したことがないウェラディアは自分の腕がどの程度のものか、よくわかっていない。
護身術程度の剣術は習っていたけれど、それさえ大した腕ではないかもしれない。
求められている剣術のレベルにもよるけれど――そう思いながらほかの参加者たちを窺っているところで、やはり動揺していたのだろうか。
参加者の一人にぶつかってしまい、見学者扱いされ、むっとしてしまったのが運の尽き。
あるいは、それさえ運命の織りなす綾に過ぎなかったのか――。
ウェラディアは自分を守って立つ背中に、その灰水色長上着の裾に紋章旗がはためく様を重ねてしまう。
何故――。
「それに、本当に腕が立つ剣士なら、こんな弱い者虐めのようなことは、絶対にしない」
淡々と言葉を繰り出す背中に、難癖つけてきた青年が顔色を変えた。
その体格のいい体に黒地に金の縁飾りの付いた仕立てのいい服を身につけているから、あるいは貴族なのかもしれない。
落ち着いてよく見ると、茶色の髪も、頬骨が張っているけれど卵形の顔立ちは王都でよく見かける貴族たちの特徴を兼ね備えている。
「誰が弱い者虐めだ!! こんな子どもみたいのだって俺は漆黒の騎士に相応しいとは思わないぞ!」
いきり立った貴族(仮)は、大きな体格にしては素早い動きで、地面に落ちた木刀拾いあげると、今度はウェラディアをかばってくれた青年に打ちかかる。
すると、かばってくれた背中――灰水色の長上着を纏うすらりとした青年は手にしていた細長い包みで襲いかかる木刀を受ける。包みは、形からすると、大剣だろうか。あっと声を上げる間もない出来事に目を瞠っていると、打ちこんだ木刀の方が負けて、真っ二つに割れ、欠片が飛び散る。
「ひゃっぁ!」
思わず、ウェラディアは甲高い声を漏らしてしまう。
まずい。と焦ったのも束の間、周囲はいきなり始まった喧嘩に夢中で、気づく暇もないらしい。
ほっと安堵していると、貴族(仮)は取り巻きらしいのを呼びつけ、何事か命令して、また、すらりとした青年に向き直る。
「その包み……大剣だな? 包みのままなんかじゃなくて、中を開けてみろ」
「断る。いまは木刀での模擬戦の最中だ。第一、他人から命令されて簡単に人目に晒したい剣でもない」
きっぱりとした拒絶は想定外だったのだろうか?
貴族(仮)は明らかにむっとした顔になり、鍛練場に戻って来た取り巻きから、自分の大剣を受け取って、すっと鞘から引き抜いた。
「そこまで言うのは、人に見せると欲しがられそうだからか? つまりさぞかし名のある剣なのだろうな……俺も名剣には目がなくてな……」
抜き身の真剣をゆらりと構えて、貴族(仮)が間合いを図る。
「もしなんだったら、おまえのその剣、買ってやってもいいぞ」
「洒落にもならないことを言う奴だな」
言葉を交わし合う最中も、二人の間に陽炎のような剣気が立ち上る。
まるで目に見えると錯覚してしまうほどの緊張感を耐えかねるように、貴族(仮)が先に動いた。大剣が振り下ろされるのを、大剣の包みで受け流し、青年は片足を軸に立ち位置を変える。その刹那、素早く二撃。大剣の包みを貴族(仮)の脇腹に打ちこむ。
電光石火の早業だった。
何、いまの……。
ちょっとした剣や木刀ならまだしも、あんなゆったりとした包みでできるものなの!?
この人――大層な手練れなのかもしれない。
ウェラディアは青年の背中を茫然と見上げ、ごくりと生唾を飲み込んだ。
そもそも腕に自信がなければ、他人を助けようなんて思わないのかも知れないけど。
自分が助けてもらったことを棚に上げて、どこか他人ごとのように分析する。
その間も剣と包みに覆われた大剣での攻防は続き、鈍い剣戟の音と土の上を滑るずさっという音とが響く。
いつのまにか、周りにいたほかの参加者も、自分たちの戦いを忘れて、ふたりの打ち合いに見入って、場内は静まりかえっていた。
すごい――本当に息をつく間もない。
どうしたらいいのかわからずに、いまだに地面に座り込んでいたウェラディアだったけれど、唐突に腕を引っ張りあげられて立たされ、はっと我に返った。
「はいはい、そこまでー。興奮してやり合ったところで、まだ本選は始まってもいないよ!」
ぱんぱんと手を叩いて、底抜けの明るさを帯びる声がお開きを知らせる。すると、場を支配していた緊張感を、まるで魔法を使ったかのように一気に解いた。。
隣りに立つ背の高い横顔に目を向けると、肩まで届くか届かないかの黒髪が風に揺れて、にこやかな笑顔に、面白がるような瞳が燦めいていた。
「邪魔するんじゃねぇっ、カルセドニー!」
ウェラディアに難癖つけてきた男が、唸るように叫ぶ。
「あ、キディン、そんなこと言っていいのかなぁ……親父さんから、推薦状もらうのにずいぶん苦労したみたいじゃないか。こんなところで揉めごとを起こして、本登録の前に、推薦状を取り上げられても知らねぇぞ、俺は。っていうか、ここで引かないなら、告げ口しに行って、そういうふうにしてやってもいいんだけど」
にやりと片方の口の端を上げた顔は、楽しそうに何かを企んで悪そうに見えてもなお、格好良い。
美形だ。
普段表に顕すことはないけれど、王女とはいえウェラディアだって年頃の娘にすぎない。
流行りの舞台で評判の俳優や、顔がいいと噂された貴族の絵姿を買いあさるのは、王女としては人には言えない、ささやかな趣味だ。
切れ長の瞳に、楽しそうに燦めくエメラルドグリーンの瞳。
整った鼻梁に高い頬骨に、ざんばらな黒髪がなびく様はどこか色男めいて、野性味溢れる色気が漂う。
ウェラディアを最初に助けてくれた青年もそうだけれど、王都で見かける長上着は、貴族の剣士がよく身にまとっているもので、長い脚で捌いて、裾が大きく揺れる様も含めて、長身によく似合っている。
カルセドニーと呼ばれた青年は、最初にウェラディアを落とそうとした男――キディンと知り合いのようで、どうやら何か弱みを握っているらしい。体格のいいキディンが顔を赤くして、ぐ、と言葉を飲み込む様に、少しばかり、溜飲が下がってしまう。
「いいか、本選で当たったときには、覚えてろよ!」
まるで三文芝居の悪役のようなセリフを吐いて、貴族(仮)のお坊ちゃん退場。
うん、これ、何かの劇に使えそう。
取り巻きを引き連れて去って行くキディンの背中を見て、そんなくだらない考えが頭をよぎる。
「あーあんた、いい腕してるなぁ……キディンの奴、あれでなかなか剣の腕だけは捨てたもんじゃなかったはずなんだけど」
褒めてるんだか褒めてないるだかわからない言葉を耳に流して、ウェラディアもはっと現実を思い出した。
「あ、ありがとう。君も……助けてくれて、助かっ……た」
ウェラディアは、カルセドニーともうひとりの青年に近づいて、感謝のしるしに右手を差し出した。すると、最初の青年――白金色の髪を後ろで革紐に一つにまとめた姿がぱっと弾かれたように振り返る。
その容貌にウェラディアは固まった。
この人も、すごく美形だ……!
大きな瞳を更に大きく見開いて見つめながら、ウェラディアの美形探知機能がうるさく騒ぎ出すのを感じる。
白皙の貴公子というのは、こういうのをいうのかもしれない。
物語の中で、初めてその言葉を目にしたとき、まだ幼いウェラディアにはそれがどういうものなのか、よくわからなかった。
王都のあたりでは、茶色い髪に茶色い瞳が最も一般的で、黒髪も少なくなかったけれど、白金色の髪はあまり頻繁に見かけない。
しかも、物思いに沈んだ月の精霊が持つ透明な勿忘草色の瞳は、青年の端正な相貌と相俟って、ひどく品良く麗しい。
黒髪の青年の野性味を帯びた鋭さと、品のよい甘やかな相貌――ふたりが並んで立つと、自分が少年の格好してることを忘れて、思わずじゅるりと涎が出そうだった。
違う。違うんだってば!
ウェラディアは妄想に浸りこみそうになる意識を必死に止めて、青年の薄い青紫の瞳と視線を絡ませる。
「えっと、君、名前を教えてもらってもいいか?」
頬を赤らめてにこやかに告げたはずの言葉に、眉根が寄せられ、端正な顔が歪む。
あれ? 何かおかしなこと言ったかな?
「おまえ……なんで棄権しなかった? あのまま打ち込まれてたら、あるいは骨折してもおかしくなかっただろうが!」
「え、いやだって、棄権したら、その時点で参加資格を失っちゃうじゃないか! 文試だってまだなのに、そんなのまっぴらごめん……」
びゅっ。
ウェラディアの言葉を遮るように、木刀が風を切って鼻先に突きつけられる。
「おまえの真剣さはわかった。だが、木刀だって当たりどころが悪ければ、命を落とすこともある。明らかに身の危険を感じたら、退く。剣を学んだ師匠に習わなかったのか」
「う……それは……」
もちろん習った。
ウェラディアが教わったのは特に、護身術に近いものだったからなおさら。
「まぁまぁまぁ、なんだかんだ言って、防戦一方でもちゃんと一定のレベルにあると認められてるんだから、棄権しない甲斐はあったんじゃないか。ほら、参加資格証書だってさ、おまえも」
間を割って紙を渡され、その文面にウェラディアは口元が緩む。
「本当か!? やったぁっ……あ、参加登録に行かないと……あ、でもそういえばお昼……」
遠くから風にのって聞こえてきた鐘の音に、急に空きっ腹を思い出した。
「いま行ったところで、参加登録はひどく並んでるぞ。先に昼を食べた方がよさそうだな」
ぐー……。
腹の音が響いて、カルセドニーの言葉に勝手に答えていた。
まだまだ続きます。
【次回予告】
第一章-3 推薦状の条件






