6~千年王城に潜む予兆
紋章旗という言葉を口にするのに、強い憧れに似た想いが溢れたのだろう。
カルセドニーの呟きは、どこか震えるような響きが籠められている。
ロードナイトにしても、同じ。
何故だろう。いつだって戦う気持ちに、変わりはないはずなのに、掲げられた旗の下で戦うとき、遠い故郷にやっと辿り着いた心地と、戦場でたったひとりの好敵手と見えたときのような――想いが湧き起こり、剣を持つ手が自然と戦き震える。
剣士達の腕を競い合い、その実力を誇示する武術大会は、王都に限らず、どこの領地でも定期的に見かける光景だ。そこでは、誰かに仕えている剣士が名乗りをあげるときは、必ず、主の紋章旗が掲げられる。
武術大会は剣士の名誉を競うと共に、主の名誉を競う場でもあるからだ。
「王家が所有する闘技場ともなれば、必ず、バナーホルダー――紋章旗を掲げる場所がある。おそらく、戦う剣士それぞれの推薦者の紋章旗が掲げられるに違いない」
「なるほど、お前のいう通りだな。というか、そうなると別の問題もあるよな」
カルセドニーはいま憧れのようなもの滲ませた眼差しに、ちらりと挑戦するような光を浮かべて上目遣いにロードナイトを窺ってくる。
その表情はくるくると変わって目まぐるしい。
なんだろうとつい引き込まれてしまう。
「別の問題? 紋章旗が掲げられると、何か問題があるのか?」
「そりゃあ、戦う相手のほうに、有力貴族の旗が下がっていたりして、そいつを倒したりすると、後々面倒かな~と」
「え、それってやっぱり恨まれたりするのか!?」
「有力貴族同士の派閥というかさ。そういうのは、まぁよくあることだろ? もし王城に仕官するなら、有力貴族の機嫌を損ねないほうが絶対いいに決まってる」
「そんなこといって、じゃあ相手のところに、四大貴族の紋章旗が下がっていたら、勝ちを譲ってやるのか?」
「まさか!」
そういってカルセドニーが悪巧みが成功した子どものようににやりと笑った。
黒髪に縁取られた顔の真ん中で、翠玉の瞳が光を受けた宝石のように、きらきらと輝きを放つ。
まだ知り合って間もないけれども、その企みを秘めた顔が、あまりにもこの男らしい表情に見えて、目を惹きつけられる。カルセドニーのベースに巻き込まれてしまう。
どこか口惜しい――そんなロードナイトの心情が伝わっているのかいないのか、カルセドニのーは口元に皮肉めいた笑みを浮かべて、もったいつけたように続ける。
「それに……」
「それに?」
「マナハルト四大貴族のうち、今回推薦状を出しているのは、ヒストクラーフとジルトレイシーの二家のみ。しかも、ジルトレイシーが推薦した剣士は、既に脱落している」
推薦者の名前が公表されていたわけではなかったが、さすがにこのあたりのものは、マナハルト四大貴族の動向に注目していたのだろう。どの参加者が四大貴族の推薦を受けて出場しているのか、初めからわかっていたに違いない。そして賭け屋が出場の受付番号と名前を合致させた表を張り出したころから、番号と本人の名前と推薦者とを把握していたのだろう。
「……つまり、残る四大貴族ははヒストクラーフ一家のみ……か」
「そして、さっき言ったように、王都の貴族同士は直接当たらないように配慮されてるなら、多分、先に当たるのは俺じゃないってわけだ」
してやったりといわんばかりに破顔する顔が、男の目から見ても、あまりにもいい笑顔過ぎて、小憎らしいやら、脱力したくなるやら、自分でもどうしたいのか、わからなくなる。
とりあえず、ロードナイトは困惑するまま、頭を抱えこんだ。
「それで先刻からにやにや笑っていたのか……」
「ここは高みの見物と決めこませてもらおうか」
そういって高らかに笑われてしまうと、憎たらしいのに、何故か憎めない。ロードナイトは持たないだけに、得な性格だと感心してしまう。
推薦者のこと、四大貴族に関わる派閥争い。王女殿下の動向と回りの貴族の思惑――渦巻く謎への懸念は尽きない。
けれども。
からからと笑う黒髪の青年を見ていると、悩んでいるのが馬鹿らしい気もしてくる。
ロードナイトはひとつ大きなため息を吐き出して、堂々巡りする思考を放棄した。
「まあ……なるようになるしかないな」
「そうそう。今から悩んだって仕方がないし!」
悩みの種を振りまいてくれた本人は、既に傍観者を決め込んでいる態だ。
「自分だって、陛下と会うの緊張するとか言っていたくせに……」
「う、折角忘れてたのに、思い出させるなよ!! やばい……眠れなかったら、どうしよう」
「それは……こっちこそ、高みの見物ができそうだな」
仕返しだと言わんばかりに澄ました顔で言い返してやる。
「おまえなぁ……」
苦い声は、部屋を照らすランプの灯りが届かない宵闇の中に掻き消えていく。
気づけば、話し込んでいるうち、辺りはすっかりと静まり返っていた。
夜の静寂に沈む千年王城は、参加者たちの期待も緊張も、その腕にやさしく抱いて佇む。
ひそやかに夜の帳が降りる中、半月を超えて満月に近づく十二夜の月が、春になってもまだ凍るような光を、玲瓏と王城に降り注いでいた。
城を巡る城壁――その幾重にも重ねられたひそやかな場処は、招かれた十六人の若い客たちからは遠く離れて、祭りのざわめきも届かないまま、静謐な空気だけが時間が止まったように留まっていた。
王が眠る奥城はともかく、貴族たちが泊まる棟では、未だ宴会のような騒ぎが続いている部屋も一つ二つあったけれど、本丸を囲む城壁の大部分は、平生よりもなお落ち着き払っているように見えた。
その静かな城の中枢部のさらに奥に、殆ど誰も足を踏み入れることのない塔がひっそりと佇んでいる。
漆黒の騎士を選ぶ祭りが開かれていることも、知りながらまるで知らないかのように、時の狭間に取り残されたような苔むした石壁に、無数の蔦が這う。
一日二回、衛兵が、人が入り込んでいないことを確認するために、扉の鍵が施錠されていることを見回りにやって来るだけ。それ以外、生きているものが訪ねてくることもなければ、物音らしい物音も聞こえない。
その忘れられた塔の屋上に、伝説がひとり立っていた。
何か、胸騒ぎを感じたように月を見上げて、じっと雲が流れるのを眺めている。
「漆黒の騎士が入れ替わるか……」
たとえばそれは、何かの予兆なのか、あるいは変化の兆しとはまるで関係がないのか。
月明かりが届かない暗闇に目を凝らせば、見極めることができると信じているかのように、闇に沈む王都を眺め、冷ややかな月の光を浴びる。辺りに漂う濃厚な声にならない声と存在しないものの気配に耳を澄ましている。
「新しい騎士が入れ替わる時、いつも何かが起きるというわけでもないが……」
ため息かと思えるほど掠れた声には、不安と期待が入り交じった落ち着きのない響きが滲んでいる。
千年もの間、続いてきた国は激動の時代もあれば、安穏とした時代もあり、塔はその変遷の殆どすべてを見守り続けて、建っていた。
「新しい何かが起こることを求めているのか……古い何かが甦ることを求めているのか……」
黒い影は自分の口から紡ぎ出される言葉が、己の意志を超え、まるで予言のようにも感じて、わずかに背の低い体を戦慄かせる。だからこそ言葉を恐れ、言葉を求めていた。
予言。
予兆。
風に翻弄される風見鶏のように、その、とらえどころがない気配をこそ、畏れていた。
川そばの丘の上に建つ城の上空は、いつも一定の風が吹き抜けて、風の道が絶えることはない。その早瀬にも似た流れに乗って、叢雲が、速い動きで天空の月を横切る。
少しずつ傾く月に照らされる中、青白い光すら届かない場所で、真白と漆黒の剣が交わるマナハルトの紋章旗が揺れていた。
城門の側で、高い尖塔の上で、見るものもないままはためき、掲げられた紋章旗を、伝説を体現する瞳は、暗闇の中に確かにとらえているようだった。
やがて一刻が過ぎて、空の一番暗いところを一筋、真っ白な閃光をたなびかせ、流れ星が過ぎるのを眺めると、人影は大きなため息をついて、塔の中へと消えた。
――祭りは後二日を残すだけになっていた。
【次回】こそ、やっと面接の話…
第九章-1




