2~奇跡も魔法も失われた王国
「王女さま、陛下からお誕生日のお祝いですよ。素敵なドレスとアクセサリー……いいですね~。城に戻れば、もっと色々買っていただけるんでしょうね!」
母親がいなくなったあと、小さなウェラディアの面倒をみてくれていた侍女から聞かされる言葉は、いつも他愛のない憧れに満ちていた。
けれども、侍女の羨ましそうな言葉は、いつもなにかしら痛みを伴って、ウェラディアに突きささる。
王女だからといって、なんでも手に入れられるわけではない。
どんなに綺麗なドレスを纏い、どんなに美しい宝石を手にしても、手に入らないものがある。
たとえば、ウェラディアはひとりで寂しくてやり切れないとき、どんなに待っていたって、白馬に乗った王子さまが迎えに来てくれる――そんな夢が叶う日は来ないともう知ってしまった。
王位継承権第一位を持つ王女には、素敵な恋を夢見る自由もなければ、自分より身分が高い誰かが、颯爽と現れて求婚してくれるなどということもない。
そもそもこの国には、王子さまがいない。
だからこそ、王女のウェラディアが王位を継がなくてはならないのだけれど、せめて夢を見るときだけでも、いつか王子さまが来てくれることを信じられたなら、ウェラディアのこの寂しさもいくらかましになったのかもしれない。
とはいえ、まだ小さいうちに母親が亡くなり、父王から引きはなされたときから、ウェラディアはひとりに慣れなくてはいけなかった。
どうして、お母さまがいなくなった寂しいときに、お父さまはそばにいてくれないのかしら。
お父さまが欲しい。
いちばん欲しいものが手に入るなら、綺麗なドレスや高価な宝石なんて、いらないの。
それでもウェラディアは、長い間父親と会えないまま、寂しい夜もひとりで眠らなくてはならなかった。
どんなに願っても、ドレスや宝石が手に入る代わりに、いちばん欲しいものは手に入らない。
それは子ども心にも、切ないまでに突き付けられた現実。
けれども、いつか――。
王子さまが迎えに来てくれなくても、ずっと傍らにいてくれる騎士と、そのうち出会える。
年に数回しか会うことのない父親。
諦めなくてはいけない普通の幸せ。
友達との他愛のない遊び。
手に入らないものを思うとき、ウェラディアはいつも、賢王のお話を読み返す。
いつか自分にも、この賢王のように、ずっとそばにいてくれる騎士が現れる――そう信じることだけが心の支えになって、まだ見ぬ騎士は、出会う前から淋しいウェラディアの心を救ってくれていた。
「そうよ、ウェラディア。おまえはいつか忠誠を誓ってくれる漆黒の騎士と出会うでしょう。けれども、そのためには、立派な女王になる勉強しなくてはね」
預けられた先――母方の祖母は、にっこり笑いながら、遊びたがるウェラディアを、勉強へと駆り立てた。
「おばあさま、でも今日は遠乗りに出掛けてもいいっておっしゃってたじゃないですか!?」
「もちろんいいのですよ、ウェラディア。おまえが、王位を継がないというのなら、馬番の子どもとでも近所の悪ガキたちとも遊びにお出かけなさい」
年老いてなお美しい顔で、にっこりと微笑まれながらもびしゃりと言われると、ウェラディアはしぶしぶと勉強部屋に向かうしかない。
なだらかな丘の上に建つ祖母の屋敷は、三階の勉強部屋から見ると、遠くまで幾重にも続く丘の道が誘うように広がっていて、ウェラディアは外に出たくてうずうずしてしまう。
「せめて剣術指南なら、もう少し楽しいかもしれないのになぁ」
「じゃあ、明日からは実技として、剣術の時間も増やしましょうか」
独り言に答えられて、ウェラディアは顔色を変えた。
「お祖母さまの鬼ー!!」
悲鳴をあげるように反抗しながらも、ウェラディアは祖母の愛情を確かに感じていた。
王位継承者として必要な勉強と心構え。
心と体との両方の身を守る術。
実際のところ、王都を離れていたことで、貴族の視線に縮こまることなく育ったことは間違いない。ましてや、剣術指南に必要最低限の剣術を教わることさえ、王都では王女のすることではないと見なされただろう。
父親がどう思っているかを気にすることはあったけれど、ウェラディアはだいたいにおいて、自分の育った環境に満足していた。
けれども、王都に常時不在でいる王女のことを、多くの貴族たちがどんな風に受け止めているかはうすうす知っていたし、どうにかしなければいけない――そう思っていたのも事実。
だから、マナハルト四大貴族といわれるヒストクラーフ、オールデュリーズ、ライド、ジルトレイシーと会う機会だけは、欠かさず出向くようにしていたけれど、それだけではやはり足らなかったのだろう。
『王女などお飾りでいい』
ウェラディアは今一度、聞かされた言葉を心に繰り返して、唇を噛み締めた。
もちろん、王城にもウェラディアの部屋はあるし、王本人とほんのわずかな高位貴族しか出席者がいないような国の行事には顔を出していたのだけれど、国民や大半の貴族は、そんなことは知らない。存在の薄い王女は、そのうちどこかに嫁いで、王籍を抜けるのだろう――そんな風に考えられているらしい。
けれども。
「どこかに嫁ぐなんて……まっぴらごめんだわ」
ウェラディアは諦めていなかった。
「お飾りの王女なんかにはならない」
透き通る蒼穹のような瞳に硬い決意を滲ませる。
廊下の陰でぎゅっと拳を握りしめると、まだあどけなさが残る愛らしい顔を毅然と上げて、城の奥へと歩いていく。
千年王城を謳われるマナハルトの城は、幾度にも重なる増築のために、複雑に広かったけれど、ウェラディアは迷うことなく足を進めて、古い奥城の半地下へと下りていった。
建国王と呼ばれるマナハルト一世王の時代に築かれた古い城。
歴史を語るようにすりへった石床が敷きつめられた廊下は、滅多に人が訪れないとあって少しばかり空気が澱んでいたけれど、リブヴォールドで作られた高い天井から射しこむ光は、どこかしら、ウェラディアが訪れたことを言祝いでいるかのように、真っ白い光のカーテンが荘厳なまでに紗を重ねて美しい。
建国王、教育王、復権王…――死してなお諡を受けて尊敬される王は数々いるけれど、ウェラディアは子どもの頃から、賢王と呼ばれる三世王に格別の想いを寄せていた。
臙脂の垂幕がかかる等身大の肖像は、時を経て色褪せ、顔立ちもぼんやりとしかわからない。それでも子どものころから何度もウェラディアは、この肖像画の前を訪れては、何か他愛ないことを話しかけていた。
茶色い髪をした年若い王――ウェラディアの遠いご先祖。
今のウェラディアと同じ、十七の歳に王位継承者として指名された賢王は、左手に真白の騎士、右手に漆黒の騎士を従え、まるで魔法を使ったとしか思えない策略で幾度も国難を退け、国の礎を築いたという。
それはマナハルトでは、伝説のように語られる物語。
いまはもう、奇跡をおこす魔法も伝説もどこにもない。
それでも――。
ウェラディアは腰に下げていた袋から、ナイフを取り出して、自分の蜂蜜色した長い髪に押し当てた。
ざくっといびつな音を立てて、金色のひとひらが床に舞い落ちる。
「魔法も伝説もなくても、私は王になるんだから!」
ざんばらに肩に散った髪を揺らして、ウェラディアは過去の肖像画に叫んだ。
これは、宣言にして誓い。
騎士の従騎士のような格好は女の細身でもよく似合って、一見すると少年のように見える。腰まで届くほどの長い髪を肩のあたりで切り、騎士たちがよくするように、短く後ろで結んでしまえば、なおさら。少なくとも、ほとんど顔を知られていない王女だと思われる心配はないだろう。
用意していた剣を腰に佩いて、いま一度、肖像画を見上げる。
「賢王デュライ……もちろん私の健闘を、祈っていてくれるわね?」
そういうと、遠くから聞こえてきた鐘の音に促されるように、暗闇に光のカーテンが射しこむ長い廊下を走り去った。
その背後に、金色の髪の欠片をちりばめながら――。
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【次回予告】
第一章-1 伝説の騎士を選ぶ祭り