2~オルタの考察
なんてことでしょう。
オルタは門番に許されて奥城のすりへった石床を歩き進みながら、いま口付けを受けた手の甲をそっと撫でた。その頬はまだ赤く火照っている。
半分ぐらいは姫さまの妄想にすぎないと思っていたけれど、あれは確かに、『素敵なんて簡単な言葉ではすませられないわ!』と言いきるだけはある。
怜悧な相貌で鋭い目つきに、探るような視線を向けられたとき、背筋をやわらかな羽根で撫でつけられたように、ぞわりと悪寒めいた震えが走った。
「わたくしはキディンさまも悪くないとは思うんですけど……」
オルタは誰もいない廊下でひとり呟いた。
ひっそりとした奥城の廊下は、片端に古めかしい型の鎧が飾られ、もう片端は窓から白い光が射し込む。
厚い石壁に仕切られた空間は、薄暗いのに明るい。
その細長い道ゆきの終点――地下へと続く扉は、オルタが予想した通り、鍵が開いていた。
下方へ続く階段はどこか遠い国の伝承にいう奈落という地の底へ続くかのごとく真に暗く、光を受けていた目には、一瞬立ち眩みがしたような錯覚を覚えるほど。
何も見えない。
壁に手をつきつつ慎重に下りていくと、やがて足先が一番下の段を踏み当てる。
手探りに壁に触れると、金属の把手の冷たさにさえ、どこかほっとする心地になって、軋む扉をゆっくりと開いた。
「あ……!」
息を呑んで眼鏡に覆われた茶色の目を瞠る。
眼前には、荘厳でいて静謐な光景が広がっていた。
滅多に足を踏み入れない奥城の半地下。
予想を遥かに超えた天井高い空間がポッカリと開けている。
そっと足を踏み入れれれば、歴史を感じさせる古めかしい空間に、つま先が震える。
まるで大広間のような広い廊下のような細長い空間を歩き進みながら、オルタはどこか奇妙な違和感を覚えていた。
歴代の王族とそのそばに仕える騎士の肖像画が飾られた場所だというのに、何故こんなに、秘やかなのだろう。
華やかで人目につく場所に設えられているわけでもなく、歴史を誇るように客人に自慢するようなこともなく、ただ折に触れて、王族だけが訪れる――ひっそりと荘厳に鎮められた場処。
何故――まるで、墓所のように寂寞とした奥に、誇るべき歴史を隠しているのだろう。
オルタは学識高い人々によくあるように、その謎を明かしたい衝動に突き動かされ、無意識に唇を噛みしめた。
その瞬間、いつもはおっとりとした印象を与える眼鏡の奥のまるい瞳が、理知の光を帯びて鋭く眇められる。
天井を支える柱と柱の狭間、長方形の先に半円を頭に抱く尖頭アーチで仕切られた壁に、いくつもの肖像画が並んでいるはずだけれど、光と埃を遮る天鵞絨のカーテンに阻まれて、中身を確認するにはひとつひとつ垂れ下がる組紐を引いて、カーテンを開かなければならなかった。
しかも、どの肖像画も訪れる人はないとみえて、カーテンを開く組紐にも、思わず手を出すのを躊躇ってしまうほど、厚い埃が降り積もっている。
王家はこの場所に使用人を入れていないのだろうか。
オルタは、失地王という不名誉な諡をいただいた王の肖像画の前で、ドレスの端を掴み、軽く腰を沈めて礼をすると、また時代を遡り始めた。
そういえば、このあたりの時代はクルムバートレインとは違う土地に遷都していたはずだけれど、肖像画だけ、後の時代になってこの場所に収めたのだろうか。
そんな考えが頭を掠めるけれど、その途端、鐘楼から響いてきた高らかな鐘の音に、びくりと細身の体が戦き震える。
はっと顔を上げると、天高い釣り鐘型の窓から、わずかに青空が覗いていた。
射し込む光と、光も射さない高さに暗く沈む天井と、鮮烈な青。
静かな空間にも遠く音を響かせる刻を告げる鐘。
千年という時を経た古城は、その装飾が少ない空間にもかかわらず、圧倒的な存在感で、明晰な思考さえ吹き飛ばしてしまう。
天井近くから降り注ぐ光は歴史を静かに謳いあげ、柱の影を落とし、対照をなすように古びた床は、沈黙のままに歴代の王たちの英雄譚をひたすら語り続ける。
その光の歌と影の物語の狭間に、うずくまる影がひとつ。
「……姫さま、やはりこちらにおられましたか」
ひそやかな声は、広い空間のなかでどこに響くでもなく、あっというまに掻き消える。
それでもびくりと膝を抱えた肩が震えるのを目に捉えて、オルタは、自分のまだ年若い主のそばに跪いた。
「アルトベルガー卿が……姫さまの後を追って奥城の門番と揉めておりましたよ。初めて拝見しましたが、姫さまのおっしゃるとおり、大変素敵な方でしたわ」
「カルセドニーが!? え、なんで?」
気にしていた知り合いの名前につられて、ぱっと顔を上げた少女の頬は、予想した通り濡れていた。
けれども拭うことはしない。
「姫さま、後をつけられたのでは? 奥城に入るところを見られたようですわ……機知に富んだ方のようですから、何か感づかれたかもしれませんよ」
「あ……そう……そうだったんだ……うん……」
いつになく反応の悪い少女に、オルタはゆっくりと頭を傾げる。
さて、どういたしましょうか――。
屈み込んだ姿はしばらく思案顔で動きを止めていたけれど、不意に、にまっと悪巧みを思いついたようにほくそ笑んだ。
先ほどまでの謎解きに魅入られた理知の光を潜めさせ、普段通りのおっとりとした空気を纏って。
「でも、わたくしもあの方なら、跪かれてみたいですわ……手の甲に口付けてくださり、レディなんて声をかけていただくなんて……」
「なんですって!!」
険を強めた声を聞いて、「あ、起きられました~?」と言葉を返すと、「どういうことよ!」と勢い込んで、喉元を掴まれた。
視線を交わす蒼穹の瞳には、もう強い光が戻っている。
やはり姫さまは、そのぐらい元気でおられないと、張り合いがありませんわ。
オルタは安堵しつつも、立ちあがり、ひよこのような金色のつむじを見下ろした。
もう一押ししておきましょうか。
眼鏡の奥で、まるい瞳を煌めかせる。
「さぁさ、こんな場所に閉じこもっている時間は終わりです。夜のためにその汚れた髪と体を綺麗になさいますか? それとも、その前にアルトベルガー卿たちに会いに行かれます? どちらになさいます?」
閑話休題その2オルターver.です。
この辺少しトロイのと
休日なので
21時にもうひとつ更新します~。
【次回予告】
第七章-3 ロードナイトの戸惑い




