1~賭け屋(ブツクメーカー)の瓦版に王女は悲鳴と共に踊らされ
『文試一位との噂の一九八番、
ロードナイト・ハーレニア、
辛くも一回戦を勝ち抜ける。
文試十位以内のうち、二人は早くも敗退。
やはり文武両道成り立たないか!?』
「次の試合で早くも文試一位も消えるのでは!?』
――って、何これ!? あ、痛た……」
城の自室の朝。
ウェラディアはテーブルに置かれた紙に目を止めて、震える声で叫んだ。
昨日やった二回の試合のせいで、体中のあちこちに痣ができ、こんなところにも……と思うような背中とかおしりとか妙なところが筋肉痛になって悲鳴をあげている。
くぅ……と涙目になりながらも、手にした紙を穴が空くほど見つめて痛みに耐えた。
「ああ、それ、街の賭け屋が出している瓦版ですよ。姫さまきっとご覧になりたいだろうと思って、集めておきました」
おっとりとした声で答えたのは、侍女兼家庭教師のオルタ。
家庭教師に相応しく抑えた濃い緑のシルクタフタのスカートは、質はいいものだけれども飾り気がまるでない。
暗い色だからという以上に、とても地味な印象に見える。
眼鏡をかけた細面にひっつめたブルネットの髪といった身なりは服装と同じく地味で落ち着き払い、やや老成して見えたけれど、実のところまだ二十二歳と、ウェラディアと五つしか違わない。マナハルトでは既に嫁き遅れと言われる年齢だとしても。
いまふたりは、部屋の中で軽い朝食を終えたところだった。
「ロードナイトが負けるわけないじゃない!! 顔立ちが麗しいだけじゃなく、剣術だって強いんだから!」
怒りのあまり、瓦版をぐしゃりと捻り潰すと、別な瓦版を手に、また顔を顰めた。
「姫さま、この場合、顔は関係なくありません?」
「関係あるわよ! なんといっても今度の漆黒の騎士は私の騎士になるんだから、絶対に顔がよくないといや!!」
悲鳴のような叫び声に、わずかにオルタが怯む。眼鏡をかけた奧で茶色の瞳が大きく瞠られた。
わかってる。
自分でもよくわかっている。
こんなことは、取るに足らない我が儘に過ぎなくて、実際の選考にはなんの関係もない。
それでも。
瓦版に描かれた似顔絵の数々を見て、ため息をつかずにいられない。
そうじゃないのよ……あの、無駄に顔が美麗なふたりのせいだわ……。
貴族たちはお金と手間をかけて暇を手入れしていることもあり、貴族的な顔立ちと言われるだけあって、品よく、整った顔をしているものも多い。
それでなくても、自分に最も近い武官の身内――ユーレガーなどは甘やかな美貌の持ち主だし、タムオッドだって壮年を過ぎてなお、魅力的な顔をしている。
だから、漠然と未来の自分に跪く騎士は、その誰にも負けない麗しい騎士だと信じていたのだけれど――甘かったのかもしれない。
前哨戦に居並ぶ筋骨隆々とした体躯に、あまりにも無骨すぎる顔を見て、半ばやはり自分の夢は、現実を知らないが故の妄想だと思い知らされ打ちのめされていた。
なのに、現実に、顔がよくて腕が立つ剣士の存在を知ってしまったから、諦めがつかなくなってしまった。
「顔がいい剣士ですか……それは中々、難易度が高いですわねぇ……こちらの賭け屋の瓦版には賭ける人に人気が高い方々の似顔絵が載ってございますが」
「どれ!? どんな人が、人気が高いの、見せて!!」
ウェラディアはオルタがテーブルに広げている瓦版を勢い覗き込んだ。
「う……何これ……」
「だから、賭ける人に人気が高い――つまり、一般の人々が予想する漆黒の騎士候補の上位ですわ!」
眼鏡をかけた顔におっとりと微笑まれると、怒りに震えているのがどこか馬鹿らしくなってしまう。
それでも、ウェラディアは瓦版を手にして、がっくりと肩を落とした。
「なんでみんなこんなにむさくごついの……あ、しかもこの人!!」
「どうかなさいました?」
オルタは、表情を変えたウェラディアの肩越しに手のなかの瓦版を覗き込んでくる。
ウェラディアは整えたばかりの美しい爪の先で、一番人気とされている男の頬骨の張った似顔絵を指差して、嫌悪に顔を歪めた。
似顔絵に描かれていたのは、間違いなく、剣の腕を確かめる前哨戦のときに、ウェラディアを見学者扱いした失礼な男の顔だった。
「あの剣士……やけに強いと思ったら、賭け屋予想の第一位の使い手だったの!?」
どうりで防戦一方の戦いだったのに、一定のレベルにありと判断されたわけだ。
もしかして、有名な剣士なのだろうか――。
そう思って、丸く愛らしい形をした蒼穹の瞳を訝しむように細め、記事を読み進める。
名前は――。
「んん? キディン・H・W・ヒストクラーフ――ヒストクラーフ!?」
思わず、声が裏返っていた。
「ああ、三男でいらっしゃいますよ。跡継ぎであらせられる一番上のお兄さまとはあまり似てらっしゃいませんよねぇ~。キディンさまは姫さまの好みじゃないかもしれませんけど、強面好きの女性には人気が高いんですよ~」
それは、なんといっても、ヒストクラーフの名前のせいなんじゃないだろうか――と思うのは穿ちすぎだろうか。ばっと見の記憶しかないけれど、確かにどこかしら貴族的な顔はしていたはず。
とはいえ、父親であるヒストクラーフ公爵の年老いた顔、そのつるりと禿げた頭ともったいつけたような顔を思い返しても、似ているといった印象は浮かばない。
そういえば、ヒストクラーフ公も『自分の息子が……』とかなんとか言っていた。
完全に聞き流していたけど、というか、あの、妙に如才ないという言葉がしっくりくるヒストクラーフ公爵から、どうしてあんな、やることなすこと力押しで。みたいな粗野な息子ができるのかしら。
ため息どころか、歯軋りしたくなってしまう。
「姫さま? どうかなさいました? あ、そうそう。キディンさまはおそらく姫さまの婚約者候補の中では、結構上位に名前が挙げられていると思いますよ。何と言っても年齢的にも釣り合いますし、ヒストクラーフ一族ですから!」
「は? 婚約者候補………………なんで!? 冗談言わないでよ!」
「冗談なんかじゃないですよ。おそらく漆黒の騎士選考大祭に出られてるのも姫さまの婚約者候補として箔をつけるのが目的だと思いますけど」
箔。箔ってなに……いやいや、そうじゃなくて顔以前の問題。いくら腕が立つ剣士だからって、取り巻きを引き連れて弱い者虐めする人なんて、婚約者としても漆黒の騎士としても、いや。論外だわ。
混乱した頭を振って、冷静さを取り戻そうと深呼吸を繰り返す。
「婚約者はさておき。私……もう少し姿見もやることも、すらりと洗練された方が騎士になってくれるとうれしいんだけど……そういえば、カルセドニーのはないのかしら?」
ふともうひとりの知り合いを思い出し、黒髪に縁取られた鋭い美貌を目蓋の奧に思い浮かべ、口直しならぬ、目直しする。
やっぱり格好いい――思い出した俤そのままの姿は飛び込んでこないものかとウェラディアは、何枚かの瓦版を、パラパラとめくりつづける。
「もうひとり――姫さまを助けてくれたというアルトベルガー卿ですね。素敵な方なんですか?」
「素敵なんて簡単な言葉ではすませられないわ!」
だん、とこぶしをテーブルに打ち付けてきっと眉根を寄せる。
その眼光の鋭さにオルタがじりじりと後退るそばで、今度は険しい顔一変させ、夢見るように言葉を紡ぎ始める。
「カルはね……
艶やかな黒髪は強い陽射しが落とした濃い影
切れ長の双眸は朝露を受けて輝く葉のような深い翠玉
見るものを切り裂くごとき怜悧な顔に
少し癖のある表情は、世の中を斜めに見るようなのに、
真摯な眼差しは、乙女の心を真っ直ぐに射貫くよう――
しなやかな黒豹を思わせるすらりとした肢体が
一瞬にして天空から吹き抜ける気まぐれな風のように動いて……
長上着の裾を捌きながら歩いてくるところは
歌劇の英雄さながらの麗しさなの――!」
潤んだ瞳を明後日の方に向けて見えないものを見る王女は、完全に何かのスイッチが入っていた。
「なのに、話す言葉は春の陽だまりを思わせる明るさと楽観を帯びて……いつも一緒にいると心が温かくなるし、すごく楽しい気分にしてくれるの!」
「それはまた……姫さまのポエムにしても、手放しの褒め言葉ですわね。ロードナイトさまの方はいかがでしょう? この似顔絵は、似ているんですか?」
「こんな白黒の似顔絵なんかじゃ、あの雰囲気は出せないわ……」
ふぅ……と大仰にため息を吐いて頭を抱える仕種は、やはり明らかに芝居ががっている。
「ロードナイトはね、
やわらかな満月の月明かりを集めたかのような白金色の髪は後ろでひとつに束ね
凍える夜の月光を精霊にしたような
打てば、キィンと高音が響くような近寄りがたい端正な相貌
白金色の睫毛に俯せられた涼やかな瞳は、ご令嬢が夢見る透き通った勿忘草色。
儚い憂鬱さを閉じ込めたかのような憂い顔にどんな深窓の令嬢も
ため息を漏らさずに入られない――
整いすぎて冷たくも見える静謐さ漂う美貌は、それでいてやさしげで甘やかにも見える
――な・の・に」
「なのに?」
まるで吟遊詩を謳い上げるかのように、朗々とふたりの外見の端正さを讃えていたウェラディアは、うっとりと夢見る表情を一変。
怖ろしげなものを見るかのような怯えと畏れの入り交じった顰め面になった。
「吐き出す言葉は絶対零度の冷たさで、突き刺さり、心を砕くわ……顔に騙されて近づいてくるご令嬢たちを泣かせるのが趣味みたい。恐ろしいわ……」
「こちらもびっくりのポエム全開ですわね」
恐ろしいのは、むしろいまの姫さまです。
オルタの顔にははっきりとそう書かれていたけれど、とうのウェラディアの方はまるで気づく様子はない。
「ふたり並んでいると、真昼の陽光に艶やかに花開く大輪の赤薔薇と、夜闇のさなか月の青白い光に浮かび上がる月下美人とを同時に眺めるが如くの贅沢な目の保養なのよ! 本当に素敵なんだから!!」
まるで芝居の長台詞のような一文をひと息に言ってのけると、さすがに苦しくなったのだろう。ウェラディアは思わず肩で荒い息を繰り返した。オルタはウェラディアの妄想をひきとって夢見るような言葉を続ける。
「そんな素敵な方たちなら、お二方のうちどちらかが漆黒の騎士に決まるといいですわねぇ……姫さま?」
オルタの何の気ない言葉に、ウェラディアははっと表情を強張らせた。
あの二人のどちらかが、漆黒の騎士に――。
それは自分が望む未来のはずなのに、ウェラディアは短くなった耀く金髪に縁取られた愛らしい顔を曇らせる。
「姫さま? どうかされました?」
侍女は首を傾げ、ウェラディアの顔を覗き込んでいた。
ウェラディアはその怪訝そうな顔に気づき、はっと弾かれたように顔を背けた。
「そうね……そうなったら……確かに顔は問題ないわ」
自分でもびっくりするほどの固い声が出て、ウェラディアは部屋を横切って、網目の格子模様に覆われた窓に手をかけた。
顔は、ね。
唇を固く引き結び、ぎゅっと胸の前でこぶしを握りしめる。
「顔のこと以外だと、何か問題があるんですか? 特にロードナイトさまは文試の成績も一位だったのですし、姫さまの推薦で出場なさってるのですから、陛下だってそのあたりは考慮されるのでは……」
「やめて!」
何の気ないオルタの言葉を、ウェラディアは鋭い声で遮った。
「公平に決まってこそ、私の推薦状で出てもらう価値があるのよ! 私の推薦状で出てもらったから選ばれるのだったら、そんなものなんの意味もないわ!」
「も、申し訳ありません、姫さま……そんなつもりではなかったのですが……考えが足りませんでした」
ウェラディアは菱形の格子模様に指をかけてぎゅっと力を籠める。
それに――。
カルセドニーのにやりと片方の口の端を上げたときの楽しそうな笑顔と、ロードナイトの何を考えてるのかわからない澄ました顔が交互に瞼の奥をよぎる。
あのふたりは、知らないのだ。
ロードナイトの推薦状が、王女ウェラディアのものだということ。
さらには――。
ふたりのそばにいるデュライ・ヴァーレルという少年従騎士が、王女だということを――。
もし、この二つの事実をあのふたりが知ったら、どうするのだろう……?
窓の外に広がる晴れた空は、自分の瞳の色よりもやわらかく春めいている。
その黄色めいた青色が広がる空を、ウェラディアは蒼穹の瞳でじっと見つめ、長いため息を吐き出した。
水曜日と木曜日、
話の方向性の確定のために
更新を休みます~(*u_u*)ペコ
次回金曜日
21時~22時半頃更新の予定
第六章-2 みそっかす姫の憂鬱




