2~一抹の不安と一抹の期待と
肩をすくめて、もう一度カルセドニーとやれやれといわんばかりの視線を交わすと、黒髪の剣士はロードナイトの怒りが簡単に終わるものじゃないと踏んだのだろうか。
手元の書類に視線を落として、すばやく話題を変えた。
その鮮やかな手口に感心する間もないくらい。
「そういえば、ロードナイトの最初の試合はと……お、次は試合かぶってないな、デュライもなしか。よしじゃあ二人でおまえの勇姿を見に行ってやるから、安心して勝ってこい」
「く る な 。自分の試合の準備でもしてろ。人のこと気にして負けても俺は責任取らないぞ。だいたいカルセドニー、おまえはお人好しすぎる。デュライ……だってあまり俺やカルセドニーに構うな!」
なんだろう、いまの私の名前のあとの沈黙は――私のといっても賢王の名前だけど。
カルセドニーへの親しさと比べると、ずいぶんな差じゃない。
「責任取らない、俺に構うなとかいっちゃって……変な気使わなくていいんだぞ、ロード。こいつ、いまうちに泊めてやってるんだけど、変なところに気遣いするんだよなー。デュライだってそんな気遣い、余分だと思うぞ。それに荷物は交代で見張っているほうが安全だっておまえが言ったんだろうが」
「……気遣いって、え? わ、俺?」
え、なんで? 意味がわからない。
混乱に固まっていると、よほどきょとんとした顔をしていたのだろう。
目線を向けると、ロードナイトはしまったとでもいうような渋い顔になって、ぱっと顔を背けてしまった。
「まったく……余計なことを~~」
苦々しい気に呟く横顔は、気のせいかもしれないけれど、わずかに赤らんでいるようなに見える。
カルセドニーの方は、一瞬、思惑ありげな目線を隣に立つ白金色の青年に向けると、ウェラディアに向き直り、ニヤリと笑ってみせる。
「まだ従騎士なんだから当然だろうが……おまえ、こういう闘技場での試合とか慣れてないんだろう? そういうときに人の世話とかしてると、やっぱり負けやすいんだ。それでロードナイトは、おまえには試合に集中させてやれと俺にも要請してきてだな……わっ、ちょっと待ておまっ……」
ロードナイトがカルセドニーの首に腕を回して、さっきされた仕返しとばかりに、締め落としにかかっている。
「死にたいのか? 死にたいんだな? よし、骨は城門前に放置しておいてやるから、安心して落ちろ、な?」
いつもは冷たい顔に薄ら笑みを浮かべ、優しい声で毒を吐かれるのは、ロードナイトの場合、むしろ怖い。
怖いけど、顔がにやけてしまう。
剣士たちの勝ち抜き戦は、地域によっては規模の大小にかかわらず、頻繁に開かれている。戦争は遠く、剣術は腕試しの色が濃いとあって、主の名誉と、ちょっとした小遣いを求めて参戦する娯楽に過ぎないけれど、腕に覚えがある者にとっては名を上げるいい機会だと聞いたことがある。
ウェラディアはもちろん、こんな勝ち抜き戦は初めてだけれど、ふたりはどこかで経験したことがあったのだろう。
なんだ。のけ者扱いされていたんじゃなかったのか。
安堵の息が口元から漏れでる。
「そうか、なんだ。俺のために……か」
祭りの空気もあって、確かに少しばかり浮かれていた。そんな自分は、こういった勝ち抜き戦に慣れているふたりから見たら、ずいぶん危うく見えたのだろう。
と言うか、もしやそうそうに勝ちを決めたらしいカルセドニーとまだ試合がないロードナイトには、先ほどの試合を見られていたのだろうか。
さっきの試合でも、決められると思ったところでうまく得点を稼げず、何度も首を傾げてしまっていた。それが自分の実力だと諦めかけてもいたけれど、それだけじゃなかったと言うことか。初戦に浮き足立って、集中出来ていなかったのではと問われているに違いない。
「ば、馬鹿、お前のためとか、そういうんじゃなくて~~つまり」
あ、あれ。
何だろう――顔を真っ赤にして目を俯せるロードナイト。
これはこれで、目の毒過ぎる。訳のわからない破壊力に心臓が鼓動を速めてしまう。
ロードナイトは頬を真っ赤に染めたまま、一瞬苦虫を噛み潰したような表情になったけれど、一呼吸息を吸い、覚悟を決めたらしい。すぐに肩の力を抜いて、ふ、と真顔になった。
「――おまえ、どうしても勝ち残りたいんだろう? 骨を折るかも知れないくらい打ち込まれても、降参しなかったぐらいだ。そのぐらい強い想いがあるなら、そのたったひとつの想い以外、考えるな。これは忠告だ。二度は言わない」
強い想い――。
ウェラディアの蒼穹の瞳をまっすぐに射通す勿忘草色の瞳にも、強い想いが顕れている。
ロードナイト自身だって、何か強い想いのために、この選考大祭にやって来たに違いないのに。
冷たい態度は、ロードナイトのやさしさなのかもしれない。
いま初めて思い至って、ウェラディアはさっきまで感じていた切なさが遠離るのを感じた。
「……なんだよ、それならそうと早く言えよ! いらない誤解をしたじゃないか!」
胸に暖かいものが湧き起こり、何故だか無性に、その腕にしがみつきたくなって――そうした。
「あ、ありがとう、ロードナイト!」
ウェラディアは思い切ってロードナイトの右腕に腕を絡め、ぎゅっと顔を寄せた。
王女ウェラディアの姿だったら、絶対こんなこと出来ない。
けれどもこの姿――従騎士のデュライだったら……男同士なんだもの。
このぐらい、普通だろ!
触れた腕は、衣服を通しても暖かく、いっぱいになった胸が溢れそうになる。
「いらない誤解って何が……馬鹿、やめろデュライ。くっつくなよ、鬱陶しい!」
言葉では抵抗しながらも、頭をわしわしと掻き混ぜてくる。
乱暴にも感じる仕種は、本人にとっては嫌がらせのつもりでも、もう親しさの表れにしか思えなかった。
「お、おまえ、カルセドニーの言うように、ずいぶんな猫っ毛だなぁ。梳いても梳いても指に絡まりつく……」
「ああ、なんだ。俺が触っていたとき、おまえも本当は触ってみたかったんだ?」
ちょ、これ……どうしたら……ヤバイ。
心臓がヤバイ。
「でもおまえ男色の気があると疑われているんだから、もっと気を付けないと――ほら」
カルセドニーはウェラディアを救う振りをして、遠くでひそひそと話すご婦人ご令嬢たちを指し示す。
「な……ばっ……っざけるな、カルセドニー!」
「あー俺のことは、カルと呼んでも構わないんだぞ、ロード」
その間も、ウェラディアはロードナイトの手に頭を掻き混ぜられていた。
ふぁぁ……こんな密着度の高い触れ合いに慣れていないウェラディアは、いまにももう真っ赤になって倒れそうだった。
どうしたら、いいの、これ――。
溺れそうな心地に動揺しながらも、触れてくる骨張った指を振り解けないでいる。
もう少し……もう少しだけ。
ウェラディアは自分にほんの少し、甘えることを許して、そっと金色の睫毛を俯せた。
ふたりの間にいると、妙に居心地がいい。
こうやって三人で話しているのが、もうずいぶん前からのことのように感じて、とても不思議な心地がしてしまう。
もちろん、いま感じているやわらかな空気は、ウェラディアが胸に抱えている秘密を明かせば儚く消え失せるに違いない。とはいえ、いくらふたりが目端が利くと言っても、ここにいるデュライという従騎士が、まさか王女だとは夢にも思わないだろう。
それを考えると、胸が少しばかり軋んだ音を立てる。
ふ、とロードナイトを掴む腕から、力が抜けたところで、灰水色の長上着を纏うすらりとした体躯が身軽なことに気づいて、あれ? と首を傾げた。
何か欠けている――。
大きな瞳を眇めてみたところで、初めて出会ったとき、助けてくれた場面が目蓋の奧によみがえった。
「あれ? そういえば、初めて助けてもらったときに持っていた大剣はないのか?」
「あ? ああ……いまのところ木刀による模擬戦で必要ないし、この人の多さだ。持ち歩いて盗まれでもしたら困るから、カルセドニーの家に置かせてもらっている」
「そうそう。こいつあの日に初めて王都に来たとかいって、この人出なのに宿とってないとか言いだして、しかも午後にはどこも空いてなくてさぁ……。仕方ないから、うちに泊めてやってるんだけど、王都と選考大祭を侮っているとし思えないだろ」
「初めてというか、慣れてなかっだけだ。それにあのときは、推薦状のこととか、ちょっとした不手際が重なったから、宿のことまで気が回らなかっただけで……」
「あ、そうか。カルセドニーの屋敷は王都の上街にあるんだ」
「ああ、そう。母親なんて、『おまえにしては上品な友達を連れてきたわね』なんて言って大喜びでさぁ~。こいつ、年配のご婦人には受けがいいの、納得って感じ」
それはそうなのかも。
渋い顔をするロードナイトを横目に眺めて、ウェラディアは苦笑いを漏らす。
そのとき、刻を知らせる鐘の音がカラーンカラーンと天空の高みから、響き渡り、ざわついた中庭に、一気に緊張が走る。
見渡す光景一帯が、水を打ったかのように静まり返る。
「次の試合が始まる時間だ」
ロードナイトが固い声で告げるから、ウェラディアも背筋をぴんと伸ばして、真っ直ぐに向き直る。
「俺は、次の試合、街の闘技場外なんだ。時間はまだ余裕があるけど、忠告に従ってロードの試合見ないで、早めに向かうことにする」
「そうか。俺も次は丘を下った第二衛兵鍛錬場の方だから、早めに着いておくか」
とはカルセドニー。
「俺は、中庭奧の仮説試合場だ……健闘を祈る」
その言葉を合図に別れると、ウェラディアは城門へと歩き出した。
見上げれば、尖塔の上にやはり、マナハルト王国の旗が翻る。
一抹の不安と一抹の期待と……。
ウェラディアの予兆を掻きたて、運命を指し示しながら、真白の剣と漆黒の剣が交わる紋章旗は、ただ風に揺れていた。
基本的には毎日22時更新の予定です。
【次回予告】
第六章-1 賭け屋の瓦版に王女は悲鳴と共に踊らされ




