2~泉のごとくつきせぬ謎
まさか、バレた!?
ウェラディアの心臓が痛いくらい大きく跳ねる。
「誰が、不敬罪だと!?」
ロードナイトが素早い反応で振り向くのに、ウェラディアは俯いて、顔があげられなかった。
どくどくと心臓が恐ろしい速さで脈を打ち、どっと背中に冷や汗が噴き出してくる。
どうして……どうしよう、ちょっと揶揄いたかっただけなのに――。
「なーんてな。何があったか知らないけど、そのくらいにしておいたらどうだ?」
一転して明るい声が耳に届き、ウェラディアは顔を跳ね上げ、瞳を大きく見開いた。
「カルセドニー……」
ロードナイトが緩急つけた声音に気を取られた、その瞬間。わずかな隙を見計らったのだろう。声をかけてきた青年――カルセドニーが、ロードナイトの腕をさっと引き上げ、壁際に追い詰められていたウェラディアを解放してくれる。
あっという間の早業だった。
「邪魔をするな、カルセドニー。こいつにはまだ聞きたいことが……」
「あのなぁ……不敬罪は冗談だけど、それ以上に――はっきり言わせてもらうが、はたから見てると、自分に付いてきたお小姓の少年を襲っているようにしか見えないぞ」
黒髪の青年は、半眼にロードナイトとウェラディアを交互に見つめて、わざとらしいため息をついてみせる。
「なぁ……っ!」
思わず甲高い悲鳴めいた声を上げた。唖然と顔を合わせるウェラディアたちを満足そうに眺め、黒髪の青年はしてやったりとばかりに破顔する。
「男色の噂がたっても構わないっていうんなら、さぁどうぞ。続けるがいい!」
「冗談だろっ! まだ不敬罪でこいつがしょっ引かれる方がましだ!」
「だから誰が不敬罪だ!? あー……もう俺もパス。大体、デュライ。おまえが変にもったいつけた言い方するのが悪い。試験のときに何か問題でもあったのかと焦ったじゃないか」
「なんだよ問題って……あ、おまえカンニングしたとかそういうことか?」
それなら大問題――と思っていると、怜悧な眼差しが一段と剣呑さを帯びる。
殺気。
ウェラディアはとっさに最も安全そうなところ――カルセドニーの背中に身を隠す。
何よ。怒りんぼなんだから。
「あんな難問だらけの試験……カンニングでどうにかなるのだったら、俺だってやりたいぐらいだ。まぁ、不敬罪もこいつの――デュライの身分によっては遠からずといったところだろうけど――そんなことより、ロードナイト。おまえ、文試の成績がひどくよかったらしいぞ」
「成績?」
そんなものが書いてあったのかといわんばかりに、ロードナイトが掲示板の方を振り向くけれど、もちろんそんなわけはない。
というか、いまカルセドニーも身分によってはとか聞き捨てならないことを言ったような気がするけど、それはそれで、多分突っ込まない方が安全な気もしている。
うん、多分。
「あー書いてない、書いてない。まぁ一応成績上位は、武術実技の勝ち抜き戦でだいぶ有利になってるらしいが、それ以上に、とっても噂になってるだけ」
カルセドニーの笑顔には、少しばかり揶揄が入り交じっている。
なのに、ロードナイトの方はウェラディアが言った時と違い、カルセドニーの口調には突っ込まない。
差別だ。
カルセドニーの体を盾にしながら、負け犬の心地で虚勢を張ってみせる。
「……注目されているのはだな、教えてやる。それは……おまえが試験で一番の成績だったからなんだぞ!」
「は?」
「そういう噂が流れているってこと」
カルセドニーが念押しするように、ウェラディアの――デュライの言葉を引き取って苦笑する。
ロードナイトは、何を言われているのかわからない――というより、なんでそんなことがわかるんだと言わんばかりに勿忘草色の瞳を瞠った。
「推薦者の中には、選考している者と縁のあるものが多いからな。添削が終わった昨日くらいから一部の貴族たちの間で噂に上がっていたらしい」
「それはまた……ずいぶんと、簡単に外に漏れるんだな」
詰る響きを隠すつもりはないようだ。整った顔にも明らかな嫌悪感を滲ませている。
いくらマナハルトは比較的、法の統制が行き届いているとはいえ、こんなことに正義感を見いだそうとするなんて、いまどき珍しい。そんな考えが頭をよぎってしまう。
「それはしょうがないんじゃないかぁ? バレて困るようなものすごく深刻な問題という訳でもないし、しかも高位貴族たちでさえ、ひどく注目しているんだ。何をどうしたって、こういうのは外に伝わってしまうものなんだよ」
ぐ、と言葉を飲み込むロードナイトを見て、世慣れた風なカルセドニーの説明に、やはりウェラディアが言うより、説得されたのがよくわかる。
何だか釈然としないけど、納得してくれたんなら、まぁいいわ。
これ以上、変に突っ込まれても怯んでしまいそう――ウェラディアはカルセドニーの背後で、何度も首肯してみせる。
「そんな状態なら、さっきの話じゃないが、カンニングとか試験の問題が漏れているとか不正は行われていてもおかしくないんじゃないか?」
「それはもう、あったかもしれないな」
「おい、本気で言ってるのか!」
ウェラディアの呆気ない肯定に、ロードナイトは語気を強めた。
カルセドニーの背後にいるウェラディアの腕を掴み、鋭い目線で睨みつけてくる。とはいえ、これに関してはウェラディアの方も覚悟を決めていた。
愛らしさが漂う顔をあげて、真昼の天空を映す透き通る蒼――蒼穹の瞳で真っ直ぐにロードナイトの目を射抜き返す。
「だから、合否だけで結果は発表されない。優劣は選考に関係がないということになっていたわけだ。問題はぎりぎりまでタムオッドが管理していたって話だけど、貴族たちの間では、ある程度どんな問題なのか予測されてもいたし……カルセドニーなんかは、むしろ恩恵を預かったほうなんじゃないか?」
「まぁな……そこは否定しない」
「それなら、事前に知っていた者と知っていない者との間で、ずいぶん差が出たんじゃないか? 漆黒の騎士を選ぶような国の一大事なのに……」
「だからみんな噂してるんじゃないか」
ウェラディアは飲み込みが悪いロードナイトに呆れたように、肩をすくめてみせる。
もったいつけたような仕種に、ロードナイトが顔をしかめるのが目に入ったけれど、仕方ない。
これはほとんどウェラディアの癖のようなものだった。
「だからとは、どういう意味だ?」
苛立ちと脅しが入り交じる言葉をよそに、ウェラディアは中庭で談笑する人々に視線を走らせた。
たいていの参加者は、自分の合否を確認して、落胆したり喜んだりしているだけだけれど、少し見なりのいい者――明らかに貴族の子弟らしい参加者になると、仲間うちで集まりあってひそひそと噂話に興じて、ときにはこちらに指差している姿さえ見受けられる。
いつも静かな城の中庭が、ロードナイトの存在にざわついた注目を向け、浮き足立った空気が流れていた。
「大貴族たちはみんな、成績の優秀者は自分たちの知り合いの誰かに違いないと思っていたみたいだから……」
「ああ……そうか。そういうことか、か……」
ようやっと得心した風に肩の力を抜き、ロードナイトは怒りを解いたようだった。
「まぁ、そういうことだ。試験のやり方や選考方法に問題があったとしても、こいつのせいでもないし……あまりいじめてやるなよ。仮にも推薦状を融通してくれた恩人なんだし」
そう言って、カルセドニーはまるで子どもにするように、ウェラディアの金色のひよこ頭を大きな手で、ポンポンと叩いてみせる。
「そうそう、恩人なんだし。だいたいこういうのは難しいんだ。学問は一定の水準であればいい。選考に直接の関係はないといっても、これだけ注目を集めているお祭りなんだ。優秀な成績で通ったっていえば、やっぱり何かしら効果があるだろう?」
「そういうこと。仮に途中で敗れたにしても、これだけ国中で騒いでる祭りなんだ。文試の成績がよかったとか、勝ち抜き戦で何回か勝ち上がったとか言ったら、どこかに仕官するときだって多分有利だろう? だから初めからそれ狙いで参加してるやつも少なくないんだ」
「カルセドニーの言う通りだ。もちろん陛下だって、優秀な者の名前は目にするんだろうから……」
「それは……そうだろうな」
今度はウェラディアの言葉にも、ちゃんと頷いてくれたから、ほっと胸を撫でおろした。
「まぁ、これで参加者が半分以下に減ってることを考えると、文試を通るだけでも名誉といっていいだろうけどな。俺だって一応ちゃんと通ったけどな!」
カルセドニーの体の影から離れて、誉めるがいいとばかりに腰に手をあてて胸を張る。
文試一位には遠く及ばないけど!
「それはおめでとうと言っておくが……受かったのは貴族からの推薦組だけなのか?」
いかにもどうでもいいという風にあしらわれたけれども、睨みつけられるのでなければ、まあ、いい。
ロードナイトは周りでざわめいている参加者を観察して、どうやらその身なりから貴族とそうでないものを区別しようと試みているようだった。
といっても、推薦者とおぼしき者はともかく、参加者たちはこれからの武術実技のために鎧を身につけている者も多い。
一部の明らかに貴族らしい者たちを除けば、皆、遠目には似たような服装に見えるから、簡単に見分けがつきにくい。実際、貴族と言っても、高位貴族から名ばかりの貴族まで色々だし、金持ち商人の息子なんかは、貴族にも負けないくらい仕立てのいい服を着ていたりするから、さらにややこしい。
「全部は知らないけど、そうでもないみたいだ。地域によっては、民間の学校で相当高度なことを教えているらしいから……。どちらかというと、そういう違いが大きかったって、お……推薦状を書いた人からの又聞きだけどな」
ウェラディアは思わず『おじさま』と言いかけて、口を噤んだ。
横目に隣りを歩く青年を見やって、自分の不自然な言い直しを気にとめていないのを見てとる。
内部事情をあまり詳しく話すと、またいまみたいに糾弾されかねない――さっき壁際に追いつめられたときの動揺を思い出して、思わず赤くなった頬を両手で抑えては呻きたい衝動に駆られてしまう。
あれはない。
男扱いされてるとはいえ、あんなに近づかれたら、こっちの心臓が壊れてしまうじゃないの!
それにしたって――。
赤くなったり青くなったりしているウェラディアなど放っておいたまま、ふたりの青年は、これからの武術実技の勝ち抜き戦について話をしている。
容貌の整ったふたりが並び立つ様に目を奪われながらも、ウェラディアは首を傾げてしまう。
いったい、なんなのだろう、この人は。
ロードナイトに初めて会ったとき、自分の窮地を助けてくれたとはいえ、推薦状を書こうと決めたのは一種の賭けだった。
文試はひどく難しいらしい。
事前から流れていた噂の通り、自分で解いてみても噂以上の難問だらけだった。
それだけに、推薦状のことも知らずに街に流れてきた人では、文試は無理だろう――そんな現実的な諦めが心の奥底に根付いてもいた。だから、ヒストクラーフ公爵に話しかけられたときも、真っ先に成績が悪い方の心配をしてしまった。
それが、一位で通ったという。
最初聞いたときには、年配の公爵に担がれているのではと疑っていた。
けれども真実、本当だとわかると、驚きを通り越して、今度は困惑に陥った。
当初、心に根付いていた諦めは、そのまま逆説的な疑問となってウェラディアに襲いかかる。
一体何故、この難しい試験で一位をとるほどの人が、推薦状も持たずにこの祭りにやってきたのだろう?
顰めっ面する横顔に、無言で問いかける。
けれども、もちろん答えはない。
聞いてみたいと思いはするものの、どことなく言葉にできないでいた。
理由はもちろんわかっている。
自分自身、深く突っ込まれても、王女であることを明かすことは出来ない。
かといって、あまり誤魔化すのは、信用を失うかもしれない。
雑談を交しているときも、ウェラディアの心のなかで、いつも微かな疚しさが疼いている。
目の前にいる青年が多くを聞かずに自分を信用して推薦を受けてくれたことはうれしかったし、助かってもいた。
それだけに、知りたいことを根ほり葉ほり聞くのは礼儀に反する気がして、ついいろんなことを聞きそびれ、いまに至っている。
しかも、カルセドニーと違い、ロードナイトには多くを尋ねてはいけないような雰囲気がいつも漂っていた。もちろんただの思い込みかもしれないけれど、機会を逃してしまったあとは、それも問いかけを躊躇ってしまう原因のひとつだった。
黙ったままの整った横顔は、淡い髪の色も手伝ってか、物あたり柔らかく見えて、ウェラディアはいつもやさしい言葉を期待しまう。
けれども実際にその口からの吐き出されるのは、いつも鋭い棘を含んで厳しいから、ついウェラディアの方も反抗的な物言いになってしまうのだ。
もちろん、次第に慣れたいまとなっては、どうでもよくなってきている。
子どもの頃から思い描いていた自分だけの騎士。
どんなときでもお姫さまの苦難に駆けつけて、身を挺して守り、自分のどんな我が儘も聞いてくれる――そんな甘やかな夢想の産物にすぎなかったお伽噺。
子どもの頃はともかく、いまはもう、願いはたいてい叶わないとわかっている。
王子さまは来ない。
魔法も奇跡もこの国には存在しない。
憧れの騎士など現実にはいない――。
いつからだろう。
年頃になれば、自分だけの騎士が現れるなどと、単純に信じられなくなったのは。
黒の記事選考大祭の話を初めて知ったときには、子どもの頃からの夢に焦がれながらも、現実にはそんな騎士などにないだろうと醒めた気持ちの方が強かった。
だからこそ、髪を切ったのだ。
なのに――。
「やれやれ」と呆れ混じりの言葉を吐くにロードナイトの隣りを歩きながら、ウェラディアは王城を巡る風を頬に受ける。
ロードナイトが、どこの誰なのかはいまは知らなくてもいい。
どんなかたちにせよ、もし、ロードナイトが城に務めるようなら、ちゃんと自分自身も、王女であることを打ち明けて、そのときにでも聞けばいい。
互いに様々な思惑を覆い隠しているにしても、いまはもうウェラディアはこのロードナイトという青年を信じたくなっていた。
「ほら見てあのふたり素敵じゃない? 私、応援しちゃおうかな」
「あら、あなた。自分の家で推薦している人を応援しなくて大丈夫なの?」
不意に貴族の娘らしいふたりが、頬を紅潮させて話す声が、耳に届いた。
ブルネットの巻き毛に大きな赤いリボン。もうひとりは明るい茶の髪を後ろで清楚にまとめている。
さっきから何度もちらちらとカルセドニーとロードナイトに視線を送り、話しかける機会を窺う様子には気づいていたけれど、いつの間にかずいぶんと近づいてきていたらしい。
見覚えはないけれど、どこの貴族だろう。
趣味は悪くない。
そう認めつつも、ウェラディアは見せつけてやるように、右手にカルセドニー、左手にロードナイトの腕を掴んで、両手に花とばかりにほくそ笑む。
「そういえば、ふたりとも抽選の結果はどうなった? そろそろ、試合の準備した方がいいんじゃないか?」
いかにも用がありそうに話しかける背後から、きゃーと悲鳴のような甲高い声がかかる。
「あ、ああ……そうだな。俺は、街の衛兵訓練所だったはず……」
「あ、悪い。そういえば、自分のはそこまでよく見てなかったわ。もう一度確認しないと」
動き始めたカルセドニーにつられて、ウェラディアとウェラディアに捕まえられたロードナイトの掲示板の方へと移動し始める。
娘たちの唖然とした視線の前を、ウェラディアはつんと鼻を上向けながら、通り過ぎた。
「ちょっと、あれ何なの? 従騎士風情が、どういうつもりなのよ!?」
「知らないわよ! あ、でもそういえばさっき、成績がいいって噂の白金色の人が、あの少年を壁際に追い詰めているの、私、見てたわ!」
「それ、どういうことよ? あの人、あんなに格好いいのに男色なの!?」
困惑した声に、あ、と思ったけれど、男なんかじゃないと誤解を解くわけにもいかない。
まぁいいか。
苦笑いを浮かべて、ウェラディアは自分が掴んだ筋肉質の腕の暖かさに相好を崩す。
「やめてよ、折角の楽しみが!」
「あんな見目麗しい方が少年愛なんて、冗談じゃないわ!」
再び聞こえて来た甲高い悲鳴は……
――聞かなかったことにしておく。
しばらくは毎日更新の予定です。
【毎日22時更新】
【次回予告】
第五章-1 祈りにも似た願い




