2~円舞曲の調べは、王女への福音
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優雅な円舞曲の調べが、宵闇が訪れたマナハルト王城の一角を麗しく流れていく。
昨日は若者の熱気とどよめきに満たされた大広間は、いまは燦めくシャンデリアに照らされ、品の良いテイルコートを揺らす紳士や軽やかな春の色彩に彩られたドレスを纏う淑女たちで美しく飾り立てられていた。
今宵は王女としてのたおやかな仕事をこなさなくてはならない。
夜会は、長年漆黒の騎士の任に着いてきたタムオッドの慰労と、今回の漆黒の騎士選考大祭の始まりを祝うものとして、王族と四大貴族、それに大領地の領主を中心に招かれている。いわば、マナハルト高位貴族と王族だけの集まりだ。
王位継承権第二位を持つユーレガーも、もちろん遠くの砦から戻り、しばらくは王城にとどまることにになっているらしい。父王の従兄弟の息子という遠い親戚は、少し癖のある茶の髪をきっちりと髪油で撫でつけて、折り返しの襟に房飾りのついた軍服の正装を身に纏っていた。
その装いは、ほかの貴族たちとは一線を画して、ひどく人目を惹きつける。
おじさまってば、相変わらず格好いい。
目の保養だわとばかりに、うっとりと蒼い瞳を潤ませていると、青年をすぎて壮年に足を掛けたユーレガーは、垂れた目の眦を更にさげた甘い相貌に笑みを浮かべ、ウェラディアに最敬礼の挨拶をしてみせる。
濃紺の軍服の裾を翻し、裏地の赤を一瞬見せつけがら、ゆったりと腰を折る仕種は、思わずためいきがでる優雅さだ。
子どもの頃から何度も会っているけれど、気品ある佇まいと気障で女たらしな仕種とが相俟って、妙に色気が漂う人だから、王城に来るときはいつも女性の輪に囲まれていた記憶しかない。
それでよくおばさまと身を固めたものだわ。
尋ねたところでいつも話を煙に巻かれてしまい、どういう経緯があったのだろうと、首を傾げてしまう。
「ウェラディアは亡き王妃殿下に似てきたなぁ……いまだに王妃の実家の……クルセイドの家に住んでいるんだって? そろそろ王城に戻ってきてもいいんじゃないか?」
ユーレガーの言葉に、ウェラディアは曖昧な微笑みを返すしかない。
周囲の声はともかく、実のところ、ユーレガーは最もウェラディアに王位継承者として振る舞うよう求めてくる人物のひとりだった。
「それに……髪を切ったんだって? オルタが嘆いていたぞ?」
急に整った甘い顔を間近に寄せられて、思わず胸が高鳴ってしまう。ウェラディアはつけ毛がとれないようにと、少し気を使いながら、心臓に悪いくらい心惹かれる顔から、後退ろうと試みる。
「いや、それはその……やむを得なくてですの、おじさま」
オルタめ……と心の中で悪態をつきながら、苦し紛れの言い訳を口にする。
「漆黒の騎士選考大祭は……いい機会だ。今度の漆黒の騎士は主に君に使えることになるだろう。漆黒の騎士が決まる頃には、おまえもこのクルムバートレインの王城に戻ってくることにしなさい」
ユーレガーの命令口調に、ウェラディアは大きな碧眼を更に大きく瞠った。
珍しい。いつもは、どちらかというとものやわらかい口調で話すことが多い人なのに。
「おまえの推薦状を持っているかどうかにかかわらず、漆黒の騎士に決まるものは、きっと優秀な青年だろう。おまえは回りくどい方法で名を上げるよりも、まず自分に仕えてくれるものとちゃんと話をするようになさい」
「おじさま……わたくしは……いえ、その……はい。城に戻ることについては、考えておきます。おじさまは、まだしばらく西南の砦から移ってくる予定がございませんの?」
「……そうだな。今のところは西南の砦――ソーンヴィクスドルフから動くことはないだろう。ウェラディア、陛下ともちゃんと話をするんだよ。ふたりとも実の親子なんだから……」
「ユーレガー卿、殿下をずっと独り占めされるおつもりかな?」
ふたりでいるところに、老年の貴族がするりと入り込んできた。
ローブを纏った恰幅のよい体格で、王族のふたりに一礼するのは、ひどく慣れた仕種に見える。それもそのはず。
「ヒストクラーフ公爵。お久し振りです。どうやらをお噂通り息災でいらっしゃるようですね」
ユーレガーが先を期して、余裕のある口ぶりで話しかける。
ヒストクラーフ家――。
オールデュリーズ、ライド、ジルトレイシーと併せてマナハルト四大貴族と称されるうちでも筆頭に位置する一族だ。
老境にさしかかった公爵は、頭髪こそ失われ――ありていにいえば光り輝く禿げ頭となっていたけれど、気のせいだろうか。そのつるりと丸まった頭さえ、むしろ凄みを増して威圧感を与える。
ユーレガーは片目を瞑り、ほら、とウェラディアにも促してくる。
「わたくしは先日お会いしましたね。ごきげんよう、公爵。どうやらご機嫌のようですけど、何か良いことでもあったのですか? 良いことなら、わたくしにも幸運をわけていただきたいですわ」
「いやいや、良いことがあったというなら、殿下の方じゃないですか? どこで、あの青年と知り合ったんです? どんな経緯で推薦されたんですか?」
「え、推薦……推薦って……?」
あの青年とは……ロードナイトのことだろうか。
推薦するような知り合いなどいないはずのウェラディアが、推薦状を使用したことをいってるのかもしれない。あるいはその話にかこつけて、すでに文試の採点が終わったけれど、あまりにもロードナイトの成績が低かったので、その推薦者であるウェラディアをも欠点をあげつららおうというのではないか――。
隙を見せれば、王位継承者としての資質を疑われる。
ウェラディアは一瞬、唇を固く引き結び、心を決めると、自分が魅力的に見えると研究しつくした笑顔を浮かべ、鈴を転がすような声で公爵に曖昧に答える。
その一瞬の鋭さを、隣に立つユーレガーに悟られたくことなど、気づかないまま。
「いったいなんのお話ですの? もったいつけてないで、もう少しはっきりとお話ししていただけません?」
「あ、いえ……もちろん殿下が問題をどうこうしたと言いいたいわけではなく……息子が言うには、大変難しい問題だったとのことだったのですが、殿下の推薦者が文試で一位だったと伺って……亡き王妃殿下のご実家の縁で推薦なさったのですか?」
少し剣呑な物言いだっただろうかとひやりとしていたというのに、帰ってきた予想外な答えに、言葉を失う。
頭の中が真っ白になった。
いま、このヒストクラーフ公爵はなんといったのだろうか。
「文試が……一位だった?」
「おや、殿下はまだ、ご存知なかったんですか……そういう噂ですよ。陛下も気になさっておられたようで……きっとこれで、殿下の目利きが確かだとの評判がたちますな」
陛下も気になさって――その言葉に、ウェラディアはふわっと気持ちが浮き上がるのを感じた。
お父さまが、私の推薦者のことを気にしている。
それも、私が推薦した人が文試で一位だったからという理由で。
いったいこれはどういうことなのだろう。
そう思いながらも、ウェラディアはあのとき、天啓を受けたかのように感じていたことを思い出す。
真白と漆黒の剣が交わる紋章旗が、目蓋の奥で翻る。
「そうそう、まさか……いえ失礼。さすが殿下が推薦された方だとわたくしも感じ入りましたよ」
話を影で聞いていたのだろうか。ジルトレイシー公爵が強引に間に入ってくる。
ジルトレイシーもマナハルト四大貴族の一つだけれど、ジルトレイシー公爵の方が幾分年が若いせいだろうか。ヒストクラーフ公爵と比べると、少し振る舞いに品がないように感じて、ウェラディアは口元を扇で覆い、ため息を隠す。
もっとも、白い芍薬を紋章とするヒストクラーフ家と、赤い薔薇を紋章とするオールデュリーズ家――いまここにいないけれど――の二家は、貴族の上に立つとされる四大貴族の中でも更に格が高いとされているから、それもやむを得ないのかもしれない。
まさかって何よ。
心の中で悪態をついてみせるけれど、口に出せるわけがない。
それに、少しだけ溜飲が下がった。
だってまさかとは、ウェラディアでも思う。
まさか、あの難しい文試で一番の成績だなんて――。
どうしよう――まさか、本当にこんなことがあるなんて、思ってもみなかった。
それとも、ふたりともウェラディアのことを担いでいるのだろうか。
思惑ありげに目線を交わしている年配の公爵を前に、そんな拗くれた考えが浮かんでしまう。
そもそも、有力貴族たちは問題の傾向をほとんど知っていたはずだ。それだというのに問題の傾向を知っていた貴族の子弟たちよりも優秀な成績なんて……ありえない。
「それはそれは……ウェラディアが推す若者には是非会ってみたいものだなぁ」
「おお、それはもちろん私もですが……何かの折りに選定に関わるようなことがあるときには、公平に願いますよ、将軍閣下」
「もちろん、ウェラディアが推薦しているからという意味でのえこひいきなど、私はしませんよ」
いやだなぁ~といって笑う色男の顔は、どう見ても軍を束ねる高位将軍には見えない。というか、あるいはその体格の良さや引き締まった体に気づかなかったら、武官にすら見えないかもしれない。
おじさまってば、この笑顔が曲者なのよね……。
ひっそりとウェラディアがそんなことを考えているとも知らず、ユーレガーとヒストクラーフ公爵は思惑ありげな視線を交わし合っている。
「発表はまだですが、うちの息子も無事、文試の方を通ったようでして……殿下の推薦者と当たるときには、どちらが勝っても、遺恨はなしでお願いしますよ」
「それはもちろんですわ」
ヒストクラーフ公爵はそのまま、ジルトレーシー公爵と話しながら立ち去り、いま知ったばかりの驚きの事実の吹聴を続けるらしい。好きなだけ、吹聴するいい。
なんといっても今宵は高位貴族と大領主ばかりが集まっているのだから、せいぜいウェラディアの推薦者の優秀さを印象づけてもらえるなら、むしろうれしい。
ウェラディアが頬を紅潮させて、鼻を高くしていると、不意にぽんぽんと頭の上を大きな手が触れた。
「おじさま……子ども扱いは止めてくださいませんこと?」
「んーそれはねぇ……ウェラディアが公爵が気にくわないことを言うかもと警戒したとき、周りに悟られないように完全に表情を制御できるようになったら、かなぁ」
ばれてる。と思ったときには言葉に詰まっていた。
「ふふふ、健闘を祈っているよ。色々と、ね」
遠離っていく背中に、何処までばれているのだろうかと冷や汗を感じてしまう。
それにしても、文試一位――。
考えただけで、ざわりと肌が粟立つ。
実際の公布は明後日のはずだけれど、もう結果が出ているのなら、有力貴族達の間にはきっと明日中に知れてしまうだろう。
あの澄ました顔が、どんな反応をするのかしら。
いつも冷静沈着で、感情を面に表さない青年の顔を思い出すと、その瞬間が楽しみで仕方ない。
これは絶好のからかいネタに違いないわ!
考えるだに、口元が緩むのが抑えきれなくて、その宵の夜会では、王女の様子がおかしいと噂されていたのを、ウェラディアが知るのはしばらく経ってのからことだった。
あしたは21時と23時に更新
です~。
【次回予告】
第四章-1 揶揄いの戯れは危険な香りを漂わせ




