1~難問のあとにまた難問!?
マナハルト王城の大広間。
いつもなら、盛装に身を包んだ貴族たちが舞踏を踊り、あでやかに笑いさざめく場所は、いまは緊迫した空気のなか、カリカリというペンを走らせる音だけが響き、はっきり言って殺気立っていた。
む、難しい。
ウェラディアは愛らしい丸顔の眉間に深いしわを刻み、蒼穹の大きな瞳をいやそうに眇めて問題を睨みつける。
ウェラディアだけじゃない。あまりの難しさに、話をしているわけじゃないのに、参加者たちが問題を目にした途端、呻くようなどよめきが走ったくらい。
なんなの、これ、ありえない……。
この選考大祭のお触れが出されてからというもの、上流貴族を中心に、どのような問題が出されるかは、事前にある程度予想されていた。ウェラディア自身、その貴族たちの予想情報を元に勉強していたはずなのに、解く時間に比して問題数が多いこともさることながら、一般では絶対に習わないような古い言語の問題などまであるなんて……。
文試の成績は問題ない。
そう確信していたウェラディアでさえ、これ、ちゃんと合格できるだろうか――思わず額から冷や汗が流れてしまうくらいの難しさに見える。
いくら参加者は貴族の子弟が大半とはいえ、これはないんじゃないの!?
誰よ、この問題作ったの――!!
心の中だけでも、怨みごとを叫ばずにはいられない。
いやいや、知っている。
ちゃんと聞いていた。
この問題は現在の漆黒の騎士タムオッドと、ウェラディアの父親にしてマナハルト国王とが相談した上で作成されたのだ。
とはいえ、ある程度の難易度を想定していた自分でさえ、こうなのだ。
推薦状の存在さえ知らなかった青年は、あるいはもしかしたらこの時点で足切りされてしまうのではないだろうか。
そんな不安に苛まれてしまう。
最初の前哨戦である程度絞られたとはいえ、まだ千人近い参加者がいるため、同じような光景は、城のいくつかある会議室と街の中心にある裁判所や集会所でも繰り広げられて、漆黒の騎士選考大祭に登録した全ての候補者が、最初の課題である文試と向き合っているはずだった。
カルセドニーはともかく、ロードナイトは大丈夫かしら。
あまりの難しさに悲鳴を上げる頭を押さえながらも、ほかの会場にいるふたりのことが気になって仕方ない。
カルセドニーは城の会議室、ロードナイトの方は街の裁判所で試験を受けているはずだった。
もし私の推薦状で出ているロードナイトが、ここで消えてしまったら――。
まずい。
ウェラディアは吹き上がってくる悪寒に耐えるように、頬をはたき、気合いを入れ直すと、今一度苦手な計算問題に向き直る。
やっぱり国王直属の配下になる者が、無知では困るということよね。
自分を納得させるように心に独り言を呟くと、再びペンをとる。
ロードナイトのことは、ともかくおいておこう。
いまはこの目の前の問題をどうにかしなきゃ――。
† † †
「お、終わった……なんとか埋めた……」
最後の最後で、あまり得意とはいえない歴史の問題がやってきたときには、もう頭が働くわけがない――そう思ったけれど、試験終了の鐘が鳴る前に、あっているかどうかはともかく、全ての答えを書き終え、鐘の音と同時にウェラディアは机に突っ伏した。
死んだ。もう動けない。
そう思ったけれど、そういう訳にもいかないのはわかっている。
俯せたまま盛大にため息をついてみせる。
裁判所のロードナイトも、終わった頃だろうな。
どうだったかと聞きに行きたい気持ちが疼いて仕方ない。
けれどもとてもそんな気分ではないのも事実。
おまけに、この後は王女としての仕事が待っている。
漆黒の騎士選考大祭での、いくつかの仕事の打ち合わせ――おもに顔見せの色彩が強いものだけれど、翌日には貴族たちとの会食、さらに明後日は夜会も待っているから、このところほったらかしていた爪だの肌だのの手入れをすることになっている。
どちらにしても、二千人を超える参加者の問題を添削するわけで、あちこちから掻き集めたらしい文官を総動員しても、すぐに結果が出るわけもない。
のろのろと起き上がり、ウェラディアはどうにか歩き出すと、まずは城の食堂へ出向いて軽食を食べ、そして奥城の自室へと戻っていった。
「本当に、この髪を初めて見たときは心臓が止まったかと思いましたわ……もう、陛下に何て言い訳すればいいものやら」
ウェラディアの侍女兼家庭教師のオルタは、部屋付きメイドの娘にあれやこれやと注文をつけたかと思うと、当てつけるようにトレードマークの眼鏡を押し上げ、ため息をついてみせる。
ひっつめから零れ落ちるブルネットの髪は、気苦労の演出だろうか。実際は、愚痴をいうことさえ楽しんでいるように見えなくもない。
私の髪が短くなっても、父上は気にしないと思うけど――という言葉を、ウェラディアは心の中だけに止めた。
もちろん、王族や貴族の令嬢たちはみな髪を長く伸ばしているけれど、ほとんど顔を合わせない娘の髪の長さを突然気にされても困る。それが紛れもない本音だ。
とはいえ、このところ男装姿で出かけてばかりで、ウェラディアの肌や髪はがさがさで荒れ放題。
疲れ切った体を風呂に沈めて、すみずみまで磨きあげると、鏡に映る丸みを帯びた姿は、幾分女性らしいみずみずしさを幾分取り戻して見える。
体中の雫を丁寧に拭き取ってから、上気する白い肌にさわやかなシトラスオレンジの香りがついた香油を塗りたてる。春とはいえ、まだ夕刻は幾分冷えたけれど、今日はゆるやかな室内ドレスを身に纏うだけで充分温かかった。
「ああ、もうこんな爪にひびまで入って……いつまでこんなことなさるおつもりなんですか? 姫さまの推薦状は、もう別の方に出されたんでしょう?」
「そうは言っても……武術実技はともかく、文試に通るかどうかわからないし……だってありえないほど難しい問題だったのよ!」
ばん、と傍らのテーブルに拳を打ちつけてしまう。
あんなの、反則じゃないのといいたい。
もちろん言えないけど。
普通の読み書きや算術レベルなともかく、法律、算術、言語、歴史――それに戦術理論。そのどれもが博士と呼ばれる人々が学ぶようなレベルの一端に届く問題が含まれていた。
貴族でも、学問が苦手なものは、おそらく太刀打ち出来なかっただろう。
それでなくても、武術実技が得意なものは、どちらかというと文官を馬鹿にする傾向にある。
マナハルトはこのところずっと平和が続いているから、文官の地位が低いという訳ではないけれど、騎士たち剣士たちというのは概ねそういうものだ。
「だってタムオッドさまは文武両道に秀でていらっしゃいますものね~」
オルタの声音に、憧れるような調子を感じ取って、ウェラディアもため息をついてしまう。
そうなのよね……国で一番の剣士といわれながらも、タムオッドは法律に精通し、交渉ごとがうまい。だからこそ長年王から重用されてきたのだろうし、マナハルトも栄えてきた。
「……だからといって……うう」
苦しみは、その栄えてきたマナハルトを担うことができるだろうかという懸念も含んでいる。
貴族に認められるために、王女の名前で推薦するものには活躍してもらなくてはならない。
それとは別に、その者が自分に仕えるなら、それはタムオッドをも凌ぐ能力を持っていて欲しい。
それはあまりにも贅沢すぎる望みだったけれど、マナハルトという国のことを考えれば、簡単に捨てるわけにもいかない。
「どうにもならないわよ、もぉ……」
思わず爪を囓りそうになって、ぱしりと香油で整えたばかりの手の甲を、オルタに叩かれてしまう。
「姫さま、悩むのは結構ですが、爪は囓らないでくださいませ! 四代貴族との会食の際に、欠けている爪でご挨拶なさるんですか?」
ささやかな自由さえ封じられ、恨みがましい目を向けてしまうけれど、言っていることはもっともだ。舞踏会ならば、手袋でごまかせるかもしれないけれど、会食はそうはいかないだろう。
「ちゃんと姫さまが捨て置いた髪も拾って付け毛に仕立て直しておきました。ほかの髪も混じってますが、ひとまず伸びるまでは持つはずですから」
「うん……ありがとう、オルタ」
ぶつぶつ言いながらも、自分の望みに従ってくれるオルタには感謝していた。
自分より五つ年上の娘は、非常な才女であることを買われ、ウェラディアの侍女兼家庭教師としてやってきた。
祖母の家系の中では比較的裕福な家の娘で、本来ならば、もうどこかに嫁いでいてもおかしくない。
なのに、家庭教師をしているウェラディアの去就がいつまで経っても決まらないから、ずるずると未婚のままで来てしまい、「私はもう嫁き遅れでいいですから、姫さまこそちゃんとした結婚相手を早く見つけてください」とまでいわれる始末。
結婚相手どころか……王位を継げるのかどうか――そっちの方が重要だと思うんだけど。
「ああ、本当に……短くなったら楽かと思いましたけど、姫さまの猫っ毛はこの長さでも絡まってしまうんですねぇ。同じ苦労をするなら、長い方がまだよかったのですけど」
ぶつぶつと蒸気に眼鏡を曇らせるオルタが、時折眼鏡を拭いてはまたため息まじりに愚痴を吐き出しながら髪を梳る。その感触に、ふ、とカルセドニーに頭をかき混ぜられたときのことがよみがえった。
『わぁ、おまえずいぶん猫っ毛だなぁ……こんなやわらかい髪、触ったことないぞ』
いま思えば、あれはあれで貴重な体験だったように思う。
兄弟姉妹はおろか、恋人だっていないウェラディアは、男の手にあんなことをされたのは初めてだった。いやいや、ちょっと待って。期せず頬に熱が集まる。
「姫さま? もしかしてのぼせられました? 大変すぐに氷嚢を…」
真っ赤な顔を覗き込まれて動揺してしまう。
「いいの、オルタ。違うんだってば、あ」
「きゃああ、姫さま!」
久しぶりに身につけたせいだろう。緩やかな室内ドレスが脚に絡まった。思いっきり裾を踏みつけて、空を泳ぐように体が傾ぐ。
びたーん。滅多にない音を立てて、オルタの悲鳴がつんざくなか、絨毯を敷いた床の上に顔から倒れ込む。
「い、た……うぅ……絨毯が敷いてあるところで……まだよかった」
じんじんと痛む顔をわずかに持ち上げると、オルタが慣れた様子でドレスの布を指につまみ、回り込んで助け起こしてくれる。
ありがとう――そういおうとして、オルタの両手に顔をがしっと挟まれて、眼鏡をかける才女らしい顔が間近になると、うまく声が出せなかった。
「なんてことでしょう……鼻の頭が真っ赤だなんて……ああでも不幸中の幸いかも。すりむいてはいないわ……よかったけれど、顔はやり直ししないと……」
「ちょっ、ちょっと、オルタ? 大丈夫ですかの一言ぐらい、心配する声をかけてくれてもいいんじゃないのー!?」
「だって姫さまのは自業自得じゃないですか……ドレス捌きを忘れるなんて、ああ嘆かわしい……こんなんで、どなたかにダンスを申し込まれたら、どうなさるのかと心配でなりませんよ」
ウェラディアは言い返せなかった。
ただ悔しそうな顔をして、もう一度化粧台までオルタに引きずられていくしかない。
「今に見てなさいよ……」
中々話の進みが遅くて私が苛々するwので
この後もう一度
多分24時半くらいに
もう一度更新にあがります~。
読んで下さってる方、
ありがとうございます(*u_u*)ペコ
【次回予告】
第三章-2 円舞曲の調べは、王女への福音




