1~いつまでも王子さまは来ない
王女など、美しいドレスを着て、にこにこと笑顔を振りまくお飾りでいい。
自分がいないところで囁かれていた廷臣の言葉に、当の王女、ウェラディアは固く唇を引き結んだ。
お飾りでいい――ですって!?
久しぶりに顔を出した王城のパーティーの席で聞かされた言葉。
「なんといっても、殿下は“みそっかす姫”ですしねぇ」
少し席を外したあと、艶やかな盛装に彩られた大広間に戻ってきたところの出来事に苛立ちを隠せない。
「やはり陛下も本当は王位を譲る気はないのでは……」
円柱の影に身を隠したまま、美しく高貴な人々の口から吐き出される毒にまみれたやりとりを耳にしてしまう。
華麗にして俗悪なるかな。
貴族たちの口さがない噂話は、とりとめなく続いてきりがない。
ウェラディアは、肩まで垂らした金色の後れ毛を揺らし、幾千もの水晶を集めた壮麗なシャンデリアの燦めきに目を細めながら、思案顔を可愛らしく傾げた。
広間の向こうで人と話す父王は、貴族たちの考えをどう思っているのだろう。
「お久しぶりです、殿下。お美しくなられましたな。年齢的にも、そろそろ嫁ぎ先を考えられる年頃ですなぁ」
「嫁ぎ先……ですか、わたくしの? ジルトレイシー公爵が、どなたかよい方でも紹介してくださるんですか?」
聞かされた陰口の延長のように話しかけてきた壮年の公爵に、ウェラディアは巨大な猫を背中にかぶり、にこやかな笑みを浮かべて、言葉を返す。
「公爵さまの縁者でしたら、きっと見目麗しい方を紹介してくださるでしょうから、わたくし、楽しみにしてますわ」
年老いてもなお、若かりし頃の甘やかな風貌の名残を見せる公爵の顔は、ウェラディアだって充分、魅力的だと思う。むしろ好みの顔に近い。
その言動を除けば―――。
冗談じゃなくてよ。
誰が、この国の後継ぎだと思ってるの!?
たおやかな仮面の下で怒りに煮えくりかえりながら、遠離る背中をきっ、と睨みつける。
老年の王に、子どもは王女ひとり。
しかも早くして亡くなった母親は、王妃としては身分が低く、何度も再婚話が持ち上がったのを王は無視しつづけ、いまだ王の子どもは王女のウェラディアしかいない。
王が執政に忙しい最中、王女の面倒を見られないからと、母方の実家に長く預けられていたのは、王女以外の誰かを跡継ぎに指名するため。
そんな噂が、まことしやかに囁かれていたのをウェラディア自身、知っていた。
「もうこの世界には、どんな奇跡も魔法もない……」
ウェラディアの母親――王にとって最愛の王妃が亡くなった日に、そう言って打ちひしがれた父親の背中を、ウェラディアは今も覚えている。
いまにもまだ動きだしそうな佇まいの母親が、浮き彫りの装飾を施された棺にいれられ、無数の花に囲まれていなくなったあの日、幼いながら、ウェラディアも知ってしまった。
どんなに強く願ったとしても、叶わないことがある。
叶わない願いは、心の中で澱のように吹きだまり、じゅくじゅくと膿んだように鈍い痛みを響かせては、心を蝕んでいく。
そんなとき、ウェラディアはいつも顔を上げ、空にはためく籏を見上げる。
春を呼ぶツバメが飛ぶ中、真白と漆黒の剣が交わる意匠のマナハルト王家の紋章籏。
ツバメは王家を、剣はふたりの紋章騎士を隠喩する。
その意匠さながら、二振りの剣は子どもの頃からいつも、ひそやかにウェラディアの心を支えてくれていた。
「お母さま、お母さまみて、あれ素敵、何かしら」
小さなウェラディアは馬車の小窓に必死に貼りついて、目に入ってきた光景に釘付けになっていた。
王都の大路を通り抜けるところで、裁判所の前で真っ白いドレスを着た女性が、男性にエスコートされながら、階段を降りてくる。
振り注がれる無数の白い花びら。
手に手を取り合って微笑み会う、幸せそうな男女の一対。
たくさんの人が祝福に微笑む姿を馬車のなかから眺めて、ウェラディアは晴れた空を映す蒼い瞳を輝かせた。
「まぁ素敵、結婚式ね……たくさんの人に祝福されて、幸せそう……白いドレスを着た人が花嫁さんよ。綺麗ねぇ。あの花嫁さんにとって、旦那さまが王子さまだったのね」
うっとりとした母親の声音に、ウェラディアも感化されてしまう。
白いドレスを着た女性が、隣にいた白いテールコートを纏う男性の腕に抱え上げられ、近くに置かれた馬車に乗り込む様子は、母親の憧れに満ちた言葉とともに、幼い少女の胸に刻みつけられた。
「ウェラディアも、ウェラディアもあんなふうに、花嫁さんになりたい! そうしたら、いつか王子さまが迎えに来てくれるんでしょう? ねぇ、お母さ……」
興奮して思いがけず呟いた言葉は、けれども涙を浮かべた母親の微笑みに、遮られてしまう。
「……ごめんね、ウェラディア。お母さまのせいで……お母さまが、男の子を産めなかったせいで、ウェラディアには、王子さまは来ないの……お母さまにとって、陛下は王子さまだったけど……ウェラディアは、好きな人と結婚することはできないかもしれない」
そう言って強く抱きしめてきたから、ウェラディアは自分がいってはいけないことを口にしたのだとわかってしまった。
「お母さま、お母さま泣かないで……いいの。ウェラディアは、このマナハルトの女王さまになるんだから、王子さまはいいわ。普通の女の子みたいなことはできないぞって、お父さまがおっしゃってたもの」
言われた言葉はまだよくわからなかったけれど、まだお伽噺に憧れるような年に、王子さまが迎えに来ないと聞かされるのは少し辛かった。それでもウェラディアは母親を悲しませないように、努めて明るい声で続ける。
いつまでも王子さまは来ない。
「でもその代わり、お父さまは教えてくれたのよ。いつかウェラディアが女王になれば、ウェラディアをずっと守ってくれる騎士に会えるんだって……それって、あの奥城の地下にある肖像画の――賢王のふたりの紋章騎士のことでしょう?」
「そうよ。今はもう、真白の騎士はいないけれど……タムオッドは知ってるでしょう? 彼はお父さまに忠誠を誓う漆黒の騎士。ウェラディアにもそのうちきっと、生涯の忠誠を誓ってくれる黒の騎士が現れるわ」
第三代マナハルト国王デュライ・エルト・フロイヤール・マナハルト。
後に賢王と諡された王の時代に創設された双の紋章騎士の位。
マナハルト王のそばに双の紋章騎士が並び立つ。
そのとき、いかなる敵もマナハルトを破るにあたわず。
伝説の如く、そう謳われる二人の騎士。
国と王の危機に颯爽と現れて、窮地を救う。
――その鮮やかな活躍の物語。
二人の紋章騎士が活躍する英雄譚は、幼いウェラディアにとって、何にもまさるお伽噺だった。
しばらくは毎日更新の予定です。
【毎日22時更新】
よろしくお願いいたします(*u_u*)ペコ
【次回予告】
プロローグ2~奇跡も魔法も失われた王国