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プリンスはだれか

作者: 竜月


 ついに来た。

 佐藤ヨシヤは紙コップの中のスポーツドリンクを一気に飲み干す。けれど喉の渇きは治まらなかった。気持ちが昂っている。

 声を張り上げてベンチを飛び出していくチームメイト。

 ヨシヤはそれにとてもゆっくりと続いた。

 空には雲一つなく、今日の気温は三十五度を超えているらしい。だがマウンドに立つヨシヤの体感温度はもっと高い。まるで空気が悪意を持っていじめているようだった。

 バックスクリーンを見た。初回にヨシヤ自らタイムリーを打って取った一点以来、両校はゼロを並べ続けている。

 そしてこれから相手高校の最後の攻撃だった。

 相手の応援席に目をやった。

 どれだけ離れていても十七年見続けた彼女の姿はすぐに見つけることが出来る。

 彼女は周りが大声で応援している中、一人深くうつむいて重ねた手を見つめていた。

 まるでグラウンドを見たくないかのように。

 心にチクンと針が刺さる。彼女がそちらの応援席にいるのは単に自分の高校だからと解かっていても、「オレよりもアイツを応援しているのか」なんて子どもっぽい嫉妬は心の片隅にくすぶる。

 次いで相手高校のベンチに視線を送る。

 この後打順を迎える二番、三番よりも先に、ベンチ前に立ちじっとバットを握っている四番、松井シュウジの姿があった。

 シュウジらしいその姿にヨシヤは小さく笑う。

 ――そんなに気負うなよ真面目クンめ。解かってるさ。すぐにお前に、出番を回してやるから。

 二番打者が打席に入る。試合前のミーティングでも「二番らしい二番」と評されていた巧打者だ。粘られると厄介だ。

 だが、打たれる気はしなかった。

 捕手のサインを確認して振りかぶる。左足を上げて、勢いと体重を加えて地面へ叩きつける。竹のようにしならせた右腕から、白球が放たれる――。


      ■□■


 最初に言い出したのはヨシヤの方だった。


「決着をつけないか?」


 カナのこと。

 そう続けた時、シュウジの顔がグッと強張るのが解かった。

 ヨシヤとシュウジとカナは、周囲も驚くを通り越して呆れるほど仲の良い幼馴染だった。小学校、中学校と一緒で、部活も野球部員とマネージャーの関係で、学校が終わってもいつも三人は一緒だった。

 高校はヨシヤが野球の推薦をもらったことで二つに別れてしまったけれど、三人の関係性は全く変わらなかった。

 ――いや、変わらないと、思いたかったのだ。


「今度の決勝、勝った方が甲子園。負けた方がカナを諦める。それでどうだ?」


 三人はいつも一緒で、ヨシヤとシュウジは当たり前のようにカナを好きになった。

 だが二人とも口には出さなかった。

 お互いがお互いの気持ちに気付いていたから。

 カナを想うように、友人のことも大切に思っていたから。

 いつまでも半端なモラトリアムでいたかったのだ。

 しかしそう上手くはいかない。絶妙なバランスだった関係は、実はほんのちょっと感情が乗っかっただけで崩れてしまうほど繊細だった。


「お前も解かってるだろ? カナは俺ら二人から距離を置き始めてる。このまま気を遣い合って誰の想いも届かないなんて俺はごめんだ」

「……解かった」


 こうして、モラトリアムは終わった。


      ■□■


「ストライク!」


 主審の手が高く上がった。

 三球三振。絶対の自信をもって投げたストレートは、たぶん140キロ中盤は出ていただろう。カットも許さなかった。それだけ会心の球だった。

 続いてバッターボックスに入るのは三番バッター。今日ヨシヤが許した四本のヒットの内、一本が一番、一本が六番、そして二本がこの三番だった。

 地方大会では五割を悠に超える打率と、チーム一の打点を稼ぐ長打力、盗塁も出来る走力にそれを活かした広いセンター守備。

 高校レベルではどこにも穴のないコンプリートプレーヤーだ。

 バックネット裏にチラホラといる大学関係者やプロのスカウトマンたちもヨシヤと彼を見に来たのだろう。

 だが、今のヨシヤにとっては単なる障害物でしかない。

 ――好勝負になんてしてたまるか。コイツのすぐ後で、シュウジが待っているのだから。

 捕手のサインに首を振る。ボール球なんて使っちゃいられない。ストレートの握りで振りかぶる。不思議なことに、投げる前からもう既にアウトローいっぱいのキャッチャーミットに収まっている気がした。


      ■□■


 カナに伝えに行くのもまたヨシヤの役目になった。

 言いだしっぺの責任もあったが、何よりシュウジではカナを目の前にしたら何も言えなくなる可能性が高かったからだ。


「決着をつけることにした」


 カナはそれだけで何の話が悟ったらしく、シュウジと同じように顔を強張らせた。


「このままじゃいけないって、カナも解かってただろ?」

「で、でも……」

「俺らは子どもじゃなくなったんだ、カナ。『二人のお嫁さん』にはなれないんだよ」


 それは、幼き日の無邪気な誓い。


『わたし、ふたりのお嫁さんになるね!』


 カナがそう言って、ヨシヤとシュウジは『イエーイ!』と揃って喜んだ。

 あの日はもう来ない。

 ヨシヤはカナに手紙を渡す。


「二人で決めた勝負の内容だ。カナはスタンドから見守っていてくれ」


 おろおろと躊躇うカナに無理やり紙を握らせて、返事を待たずに背を向けた。

 呼び止められることは、なかった。


      ■□■


「ストライックゥ!」


 主審の声が響く。三番の彼はヨシヤの渾身のストレートを五球ファールにしたが、六球目のチェンジアップに空振りして膝をついた。ライトスタンドから大きな溜息が聞こえて、それが彼への期待が大きかったことをうかがわせる。

 ――さあ、勝負だ。

 四番打者、松井シュウジがバッターボックスに入った。

 ライトスタンドがまた元気になる。シュウジは三番の彼と比べたらずっと未熟だが、数字には表れない勝負強さを持ったバッターだ。彼への期待の歓声が高まる。

 しかし、既にヨシヤの耳には入っていない。おそらくシュウジもだろう。ただ目の前の勝負に集中していた。

 前傾して、捕手とサインを交換する。この打席だけは、自分でサインを出させてくれとお願いしてあった。シュウジの顔を見ながら配球を考えて――ふと、ヨシヤは小さく笑ってサインを決めた。

 一球目。いつものフォームから右腕をしならせて投じる。


「うわっ!?」


 と声が聞こえるような空振りで、シュウジは派手に転んだ。

 ヨシヤが投じた球はカーブ。それも100キロを割るようなとびきり遅いやつだ。明らかに気負いすぎだったシュウジは全くタイミングを取れずに空振りした。

 ヨシヤは返球を受け取って、ロージンへ手を伸ばす動作で苦笑を隠す。


「……解かりやすい奴だな」


 あんなに力んでいたらどこに投げたって打たれない。それにそもそも、ヨシヤはシュウジの考えていることが何となく解かってしまうのだ。

 シュウジは真っ直ぐで素直で感情がすぐに表情に出るから、ちょっと駆け引きをすれば狙い球は解かる。逆にシュウジがヨシヤの考えを読むことは絶対に出来ないと断言出来る。ひねくれ者のヨシヤは、ポーカーフェイスと嘘が大の得意なのだ。

 再びシュウジに向き直る。

 シュウジはこちらがまだサインを決めていないにも関わらず既に構えていて、鼻息が聞こえてきそうな表情をしていた。

 ……仕方ない奴だ。

 ヨシヤはそっとグローブを掲げてシュウジに見せた。「何だ?」と言う顔をするシュウジに、グローブの手首に近い辺りを指し示す。

 そこには、小さなニコちゃんマークのシールが貼ってあった。カナが『緊張したらこれを見て、笑顔になってね』と中学時代に貼ってくれたものだ。もちろんシュウジのバットのグリップエンドにも貼ってある。

 シュウジはハッとしてグリップエンドを見た。しばらくそれをじっと見つめた後、大きく深呼吸をして、再びヨシヤに向き直る。小さく一回頷いた。

 ……手間のかかる奴め。

 捕手とサインを交換して振りかぶる。シュウジの体から無駄な力が抜けている。それでこそ――そう思いながら、投げた。

 ――キィン。

 アウトコースいっぱいのストレートは、バックネットへのファールになった。

 スタジアムのボルテージは最高潮を迎える。

 ノーボールツーストライク。遊び球を使う気はなかった。

 サインを決めて振りかぶる。シュウジもグッと構えに入った。


 思えば、なんとアンフェアな勝負だろう。


 シュウジが気付いていたかどうかは解からない。だが、この勝負は圧倒的にヨシヤが有利な条件で動いていた。

 まず直接の対戦結果ではなく試合の結果を問題にしているところ。これでは二人の力量や想いの強さに関係なく、結局はチーム力の差で決まる。

 ヨシヤの高校は甲子園に四年連続で出場している常連校で、シュウジの高校は彗星のように現れたスーパースターの三番と神がかって勝負強い四番の活躍で突如躍進した新興校だ。チーム力には大きな差があった。

 しかもヨシヤはまだ良いのだ。ヨシヤは投手だから。試合の大部分を自らコントロールすることが出来る。要は自分が一点もやらなければ負けないのだ。

 だがシュウジは違う。彼がいくら打とうと、それは一バッターの一安打でしかなく、ホームランでなければ彼一人で点を取ることは出来ない。守備では言わずもがなだ。

 だからヨシヤは勝負を提案した時から自分の勝ちを確信していた。6―0や7―0くらいのスコアを想定していたので1―0と言うのは驚きだったが、想定の範囲内だ。一点でも勝っていれば良いのだ。

 左足を上げて、体重を移動しながら地面に叩きつける。腰から肩、腕へと力が伝わっていく。先に肘が出て、後から腕が追ってくる。指先で強く縫い目を弾く。

 全身全霊の一球を投じた。

 シュウジも始動から最短距離でバットを出す。タイミングは完璧に合っていた。

 ……解かっていたのだ。こう言う結果になることは。

 最後にシュウジと対戦したのはいつだろうか。中学校まではチームメイトで、高校に入って最初に二年はシュウジの高校が早々に負けてしまったので、公式戦で戦うのは今日が初めてだった。

 練習で対戦したことは何度もある。だがそれも三年前の話だし、所詮練習は練習だ。

 つまり、シュウジがヨシヤの本気の球を見るのは今日が初めてと言うことになる。

 ――そして真実を言えば、この一球が初めてだった。

 今日の試合、ヨシヤはシュウジに対して一球も本気の球を見せなかった。相手の力みを利用して、中学までのイメージを継続出来るくらいの七分の球で打ち取って来た。

 十七年以上を一緒にいて初めて見せる、150キロを超えるストレート。


「――ッ!」


 シュウジの豪快なスイング。

 ――――――

 一瞬の空白の後、主審が、高々と手を挙げた。


「ストライッッ! バッターアウト! ゲームセット!」


 レフトスタンドから歓声が上がり、ベンチから仲間が飛び出して来た。野手たちもみんなヨシヤを中心にマウンドに集まって、喜びを爆発させた。

 そんな中、ヨシヤはシュウジを見ていた。

 シュウジはバットを握り締めたまま、青い空を見上げていた。零れそうになる思いを必死で堪えるように。

 ライトスタンドは、見れなかった。



 整列して挨拶を交わす。

 ヨシヤの前にはシュウジがいて、近づいて握手をした。


「おめでとう。凄い球だった」


 シュウジは笑ってそう言った。

 ヨシヤには解かる。彼の心中には嵐が吹き荒れている。けれど、ヨシヤを称賛する言葉は本音だ。彼は本気でヨシヤを祝福し、負けを認めているのだった。

 ヨシヤには出来ない。

 だから思うのだ。

 ……コイツには、勝てないって。


「サンキュー。後は頼んだぜ、王子様」

「は?」


 怪訝な表情を浮かべたシュウジから、ヨシヤはさっと離れて背を向けた。

 ホントはずっと前から解かっていた。

 お姫様のキスは王子にこそ相応しい。

 そして自分は、王子にはなれないと。

 だからこの勝負で決着をつけたのだ。

 ――ヨシヤが、ヨシヤ自身の想いに。

 カナには、シュウジに伝えたこととは逆のことを伝えてあった。


 ――「勝てば甲子園、負けたら君の元に残る」。


 ヨシヤは去る。

 二人を置いて甲子園へ。そしてゆくゆくはプロの世界へ。

 また二人の元へ戻って来る時には、自分もシュウジのような王子でありたいと、ヨシヤは願った。





無作為に選んだ「キス」「シール」「お嫁さん」をテーマにした三題噺です。

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