旦那様、夜這いいたします〜初夜のベッドには白銀の大型犬がいました〜
モフモフヒーロー好きの同志へ贈ります。
初夜の一大事。
花嫁となった私の元に、旦那様が訪れてくださいません。
「困ったわ……」
侯爵家の長女として生まれた私は、母が亡くなって嫁いできた義母と義妹に嫌がらせされていた。父が亡くなってからは、使用人以下の扱いを受けてきた。
――この結婚は、彼女たちからの最後の嫌がらせだろう。
『彼は女性が好きではないご様子。近づいてもすぐに、鼻の上にしわを寄せて去って行ってしまうの』
社交界の華と言われている妹、メレナが青い瞳を細めて笑った。
彼女ですら近づけないというのなら、私のことなんかもっと近づけたくないだろう。
お父さまが亡くなってからというもの、カビの生えたパンにカピカピになったハム。
使用人のほうがよほど良い物を食べている。
……うう、この結婚を彼女たちからの最後の嫌がらせにしたい。
ようやく解放されたのだ。実家にだけは帰りたくない。
しかし旦那様は私と距離をとりたがっているようだ。
結婚式でも、彼は私のことをじっと見るばかりで、近いの口づけすらフリだった。
披露宴の間はずっとそばにいてくださったけれど、屋敷に戻るやいなや彼は自室に閉じこもってしまったのだ。
白銀の髪に金色の瞳をした旦那様は、絶世の美貌を持っている。淡い茶色の髪に緑の瞳をした平凡な私では、釣り合わないだろう。
……でも、少なくとも鼻の上にしわは寄せていなかったもの。
そこまで嫌われてはいないはずだ。
不思議なことに、この屋敷には使用人がいないようだ。
そういえば、お風呂は二十四時間、魔石の力でいつでも沸いていると言っていた。
旦那様であるアルフレド・ラティス様は、伯爵家の三男。
伯爵家は長男が家督を継いだため、今は魔導具研究の功績により陛下から賜ったお屋敷に暮らしている。
――私の実家は侯爵家だ。家格の差があるリアーゼ侯爵家からの申し込みに、伯爵家の三男である彼は断ることができなかったのだ。
私が家を出たあとは、叔父が後妻である義母と結婚して家督を継ぐことになっている。
もしかすると、二人は以前から父に隠れて交際していたのかもしれないが……家を出されてしまった今となってはどうしようもない。
「お風呂に入ろうかしらね……」
私は用意されていた夜着を手にして、廊下を歩き出すのだった。
* * *
ヒタヒタヒタ。
ちょっと、ホラーみたいな音が、私のあとをつけてくる。
ヒタヒタヒタ――ピタリ。
立ち止まってみると足音も消える。
すでに外は暗い。
もしかすると、このお屋敷には亡霊でもいるのだろうか……。
ありもしない、そんな考えがよぎる。
だが、魔獣との最前線に行けば亡霊のような魔獣も存在するという。
あり得ない話ではない。
「メルティナ・リアーゼ様」
そのとき、優しげな声が背後から聞こえた。
振り返ると、そこには黒髪に赤い瞳をした美しい女性がいた。
輝く艶やかな黒髪は、まるでカラスの濡れ羽色のように七色に輝いている。
「……侍女?」
「夜だけではありますが、通いで侍女をさせていただいております。アンネリーゼと申します。メルティナ様、これからは奥様と呼ばせていただいてもよろしいでしょうか?」
「まあ! もちろんよ。このお屋敷には、誰もいないから、不思議に思っていたの」
「今まで、旦那様はほとんどお屋敷にいらっしゃらなかったので、ほとんどの者が通いなのですよ。奥様がいらっしゃいましたので、普通の使用人も用意しなければなりませんね」
「――普通?」
「まあ、うふふ。住み込みの使用人ですわ」
なるほど。確かに伯爵家であれば、通いではなく住み込みの使用人が『普通』なのかもしれない。
それにしても、赤い瞳なんて初めて見た。
しばらくの間、年数を重ねる前のワインみたいな紫がかった赤い瞳を見つめる。
「あの……私」
「初夜でございますね」
「え……ええ、あの」
「お任せあれ。旦那様の部屋の鍵はここに」
アンネリーゼは、ニヤリと笑うと私に鍵の束を見せてくる。
ジャラリと音を立てた鍵の束は、この屋敷がいかに広大かを指し示しているようだった。
* * *
ピカピカに磨き上げられる。
……何も塗ってもらえなかった。
貴族のお屋敷であれば、お風呂から上がったらクリームを塗られ、お粉をはたかれるはずだ。
お風呂の中の石けんにすら、香りがついていなかった。
やはり歓迎されていないのかとも思ったが、お風呂の中では念入りに磨かれ、マッサージまでついていたのだからそうとも言い切れない。
お風呂上がりには、甘いジュースまで用意されていた。
「ところで奥様にどうしても聞いておかねばならないことがございます」
「なにかしら?」
「犬はお好きですか」
「好きよ」
「――即答ですか。それはよろしゅうございました。ところで、カラスはお嫌いでしょうか」
「これ、アンネリーゼ!」
そのとき、男性の声が聞こえてきた。
それは、アンネリーゼとお揃いの黒い髪に赤い瞳の執事服の男性だった。
「あら、パティンソン。これは大事な質問よ」
「――カラスは、嫌いではありません。ゴミを散らかすのは困りますけど」
「「カラスが、お嫌いではない」」
驚いたような、うれしそうな、二人の声は重なっていた。
そういえば、二人はとてもよく似ている。
もしかすると、兄妹なのかもしれない。
「それなら、私たちはゴミを散らかさないですから問題ございませんね」
「私……たち?」
「アンネリーゼ!」
「まあ、うふふ。このお屋敷の周辺のカラスの話ですわ」
「そ、そう」
「では、頑張っていらしてくださいね」
廊下の一番端の部屋に着くと、アンネリーゼは鍵を差し込んで回す。
ほどなく、解錠され扉が開く。
「ご武運を」
私は背中を押され、よろめきながら部屋に入ってしまったのだった。
* * *
旦那様は、いない。
もしかすると、もうお休みになったのだろうか。
魔導具の発明に非凡な才能を発揮するという旦那様は、もしかして就寝が早いタイプなのかもしれない。
軽く部屋を見回してみれば、大きな作業台の上によくわからないパーツがたくさん並んでいる。
魔石の欠片に金色の光を放つ絵の具、何かの牙に何かの鱗。
これらを見ながら、どう手に入れたのかを想像するだけでも、一日楽しく過ごせそうだ。
壁を埋め尽くす本棚。
並んでいる本はどれも分厚くて、古めかしいものばかりだった。
「……旦那様?」
心臓が激しい音を立てている。
緊張しながら部屋の奥に進むと、壁で仕切られていた。
扉をそっと開けてみると、大きなベッドが置かれている。
――しかし、旦那様の姿はない。
私と同じ屋根の下にいることすらお嫌なのか。
それとも、恋人がいて、その人の元にいらっしゃったのか……。
そのとき、ベッドの上にある毛皮と思っていたものがピクリと動いた。
――犬だ。白銀の大型犬。
この屋敷に飼っているのだろう。
とても大きな犬。だから、アンネリーゼは、犬が好きかと聞いてきたのだろう。
「なんて可愛らしい。大人しいのかしら」
『……』
犬は金色の瞳をこちらに向けて黙り込んでいる。
ゆっくりと近づいていくと、新緑の香りが漂ってくる。
これは結婚式で、アルフレド様から香ってきたのと同じ香りだ。
彼が普段眠っている寝具から香っているのだろうか。
そんなことを思えば、ずいぶん大胆な行動に出てしまったことに思い至り頬が熱を帯びる。
「アルフレド様はいないのね。やっぱり恋人がいらっしゃるのかしら」
『わふ……!』
「あら、可愛らしい鳴き声ね。君の名前は?」
『……』
初夜は諦めるほかないだろう。
お相手がいないのだから、渾身の色仕掛けも意味を成さない。
廊下はもう、真っ暗になっているだろう。
使用人たちも、さすがに下がってしまったはずだ。
一人で真っ暗な廊下を通り、誰もいない慣れない部屋に戻る気にもなれなかった。
「そばにいてもいい?」
『……』
「寂しいの」
『……』
大型犬は、ベッドから降りると前脚でトントンとマットレスを叩いた。
まるで、ここに寝ればいいとでも言っているようだった。
「さすがに、旦那様の許可もなくベッドに上がるわけにはいかないわ」
『わふ……?』
――夜這いをかけてきたくせに? と大型犬が呆れたように言った気がした。
もちろん、犬がしゃべるはずはないので、私の思い込みであろう。
「でも、立ったままというのはつらいから、ソファーをお借りしましょうか」
あとでお叱りを受けるかもしれないが、私だって家に帰されたくないと必死なのだ。
一応、妻になったのだから、座るくらいは許していただきたい。
「あら、暖炉に火がついているわね」
必死だったため気がつかなかったが、暖炉には火がついたままだった。
もしかして、ずっと不在というわけではないのだろうか。
一晩帰らないつもりなら、火の始末をしないなんて不用心ではなかろうか。
そんなことを思いながら、ソファーに座る。
そういえば、ここ一週間、不安すぎて眠ることができずにいた。
急速に眠気が襲ってくる。
『わふ! わふ!』
大型犬が夜着の裾を加えて、ベッドのほうに引っ張っていこうとする。
もしかして、遊んでもらえると思っているのだろうか。
「あなたとは、仲良くできそうね」
フワフワとした毛並みを撫でているうちに、諦めたのか大型犬は床に這いつくばった。
なんて可愛いのだろう。
「ふふ、いつか大きな犬を飼ってみたいと思っていたの」
『……』
「旦那様は、恋人がいらっしゃるのね――それなら、お飾りの妻としてなら置いてもらえるかしら?」
『……わふ?』
「もう、戻る家もないし――温かいご飯を久しぶりに食べたけれど、とても美味しかった。お飾りの妻でも、食事くらいはちゃんと出るわよね」
『わふっ!?』
とりとめもなく大型犬に話しかけているうちに、暖炉の熱で身体は温まりポカポカしてきた。
私はウトウトと眠ってしまったのだった。
* * *
朝日が昇る。
いつの間に、ベッドに移動してきたのだろう。
朝日に照らされ、白銀と黄金、二色の月のような色合いの男性がベッドの端に腰掛けて私を見下ろしていた。
「……旦那様」
「……君は、思ったよりも行動的だな」
「あっ! 初夜!」
「――もう、朝になってしまった」
旦那様は、苦笑した。
急に幼く可愛らしく見えるその笑みを私は、ただ呆然と見つめる。
「あの……」
「君にとって、この屋敷にいる方が都合がいいのなら、好きなだけここにいればいい」
「えっ――あ、お飾りの妻……としてですよね」
「先に言っておくが、俺には恋人などいない。妻以外の女性に手を出すなど、下劣なことはしない」
「……」
「それからこの屋敷で、君の待遇は三食昼寝つきだ」
「……っ!」
まるで、昨日の夜、大型犬に話しかけた内容を聞いていたようだ。
いや、お飾りの妻と言ったから、答えただけなのだろう。
「仕事に行かねばならない」
「ずいぶん、お早いのですね」
「――日が暮れるまでには戻る」
「かしこまりました」
私はベッドから抜け出して、旦那様に礼をする。
「ふつつか者ですが、どうかよろしくお願いいたします」
「――ああ。ところで、君は犬が好きなようだな」
「……? ええ、好きですわ」
「それは良かった。君は化粧をしないし、いい香りがするし、俺もそばにいたい」
「……えっ?」
「……すごく、鼻がいいんだ。貴婦人たちの化粧の香りが、どうも苦手でな」
義妹が言っていた、鼻の上にしわを……という言葉を思い出す。
そういえば、彼女はいつも薔薇の花のような香りを漂わせている。
旦那様はすでに着替えをすませていた。
こんなに毎朝早いのなら、私も早寝早起きを心がける必要があるだろう。
「それでは、いってくる」
旦那様を見送ろうとしたが、手で制される。
「その格好で出歩くのはよろしくない」
「……っ」
確かに、昨日の夜に用意されていた夜着は、朝日に浴びればかなり透けている。
私は思わず胸元を押さえた。
「せめて、部屋の入り口まで」
「……ありがとう」
旦那様とも、案外上手くやって行けそうな気がする。
夕方までには戻ってくるというのなら、今夜も夜這いしてみようかと、私は心の中で思った。
朝日が差し込む廊下の窓から、二羽のカラスがこちらをのぞき込んでいた。
旦那様は眉根を寄せてカラスを睨めつけ、それからマントを外して私の肩から掛けた。
――旦那様が去って行く。
私は旦那様の凜々しい背中を見送った。
「そういえば、犬が見当たらないわね」
この家には、表には出せない秘密があるようだ。
私は犬と使用人を探し始める。
旦那様にはこれからいくら夜這いをかけても夜にはお会いできず、真実がわかるまでにはあと一月ほどかかるなんて想像もしないで。
* * *
「おかしいわ……」
私がお嫁に来てから、早くも一月がたった。
旦那様を探して屋敷内をうろつく真夜中。
見張っていたけれど、誰も玄関を出入りしていない。
旦那様は、屋敷の中にいるはずだ。
アンネリーゼにお願いしたら、鍵の束を貸してくれた。
一つ一つ、部屋を空けては閉じる。
どうなっているのだろう。
「ねえ、どこまでついてくるのですか?」
『……』
一方、大型犬は夜にしかいない。
屋敷を閉め切って、夜中と旦那様がお仕事にいってから、誰も出られないようにしていても、昼間は消えてしまう。
――つまり。
夜が明けようとしてくる。
大型犬の尻尾が、どんどん垂れ下がってくる。
私は一つの結論に達しつつあった。
「少し失礼します」
『わふ!?』
私は大型犬に抱きついた。
大型犬は、ギシリと固まり、動けなくなった。
「私のこと、お嫌いでないなら、逃げないでください」
『わ……ふ……』
美しい大型犬は、アルフレド様と同じ色。
この屋敷で飼われているのに、アルフレド様と一緒に過ごしているのを見たこともない。
犬は観念したように、力を抜いて私に寄りかかってきた。
「えっと……このお屋敷のごはんおいしいです」
『わふ』
「新しい普通の使用人も有能でやさしいです。夜だけの使用人たちも親切です」
『わふわふ』
それは良かったと言っているようだ。
「アルフレド様が、プレゼントを大量に贈ってくるのはちょっと困ります」
『わふ!?』
これはもう、確定なのだろう。
「そばにいてください」
『……』
「ふふ、いてもらいましたね。毎晩」
彼が夜になると姿を変える理由はわからないが、伯爵家のルーツは精霊と初代筆頭魔術師の恋物語にあるという。
たぶん、犬の精霊だったのだろう。
朝日が昇ると同時に、床に跪いて犬の鼻先に口づけする。
冷たく濡れた感触は温かく柔らかく変わり、大きな手に後頭部を押さえられ息が苦しくなった。
私の旦那様は、夜になると大型犬に姿を変える。
たぶんこれから先も、私の夜這いは成功しないに違いない。
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