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三百トルド 2

 「今日はワインを持参しました」

 クラーエスは手土産を取り出した。

「ブルムダール産のワインだね」

 ブルムダール産は瓶の色が深い緑色をしている。

「このワインは、三百トルドします。ここの扉を開ける鍵も、同じ額で買いました」

 塔の(あるじ)がえっと顔を上げた。

「ずいぶんと高額だ。恋占いをしてもらいたい若い女性たちがそうそう払える額とは思えない。少し、いえ、かなり、暴利では?」

「三百トルド?」

「はい」

「君、三百トルド払ったの?」

「はい」

 驚きに目を見張っていた塔の(あるじ)の顔がゆっくりとほころんで、とうとう耐えかねたようにくすっと声を漏らした。

「ふふふ……、すごいよ、君」

「は? 何がでしょう?」

「三百トルド払ったんでしょう?」

「それが代金だと請求された」

「いや、だから、うんー、君、一トルドも値切らなかったの?」

「ね、値切る?」

「そう。エリーザベトは三百まで値をつりあげたんだ。知らなかったよ。三百トルドは君の言う通り、暴利が過ぎる」

 塔の(あるじ)は笑みこぼれ、クラーエスはあまりのことに眉間に皺を刻んだ。

「道理であの婆さん、顔じゅうにんまりさせて金を受け取っていた!」

 思いつきでふらっと立ち寄った貴族の坊ちゃんは、いいカモにされたのだ。祖父が知ったらどれほどお怒りになるか。まさか銅貨で三百どころか銀貨で支払ったとは口にしたくもない。金貨を持ち合わせていたらと思うとゾッとする。

「くそー、酔ってさえいなければ」

 にこにこしていた塔の(あるじ)は、少しあらたまって、

「エリーザベトにかわってお礼を言うよ」

「いや、いりません」

 クラーエスは思わず、むっと言葉を投げた。

「本当に。感謝する。彼女はもともとさる貴婦人の占い師だったそうだよ。その貴婦人は謎めいた幻視者を連れていると思わせておくのが好きだったそうだ。本当のところエリーザベトは占いも幻視もほとんどできない。言葉や態度での駆け引きを磨いて生き抜いたんだ。僕もやられたよ」

「やられた、とは?」

「この塔の扉を開ける方法を販売する権利を与えてしまった」

「はぁ、それは……。しかし、よいのですか、あなたは」

 塔の(あるじ)はまた笑った。

「彼女が上手(うわて)だったんだ、仕方がない」

 クラーエスは納得しかねた。

「俺なら許さないところだ」

「ケネット通りは浮浪児の多い通りなんだ。彼女は僕が教えた魔法を売って、そのお金で子供たちに仕事をさせ、賃金を払うことで、みんなを養っているんだよ」

 そしてこの魔法使いは、背後であの占い師を援助していると言うわけだ。

「人の役に立ったのだと言われても、大して気分は良くありません。騙されたことに違いはない」

「確かにね」

 魔法使いはまたころころと笑った。

 この人物はエイジェルステット家の秘密と一緒に感情をあらわすことも封じている印象をクラーエスは持っていたが、どうやらそれは違ったらしい。意外に表情豊かだ。

 それに彼の笑顔には涼やかでいて華やいだものがあった。ひとり塔に引きこもって、人嫌いなのだろうとの最初の思いこみを綺麗にくつがえす笑みだった。

「ああ、困ったな。君には近づかないようにしようと思っていたのに」

 塔の(あるじ)が立ち上がり、クラーエスのそばにやってきた。

「確かに、エリーザベトもやり過ぎだね。三百トルドは払いすぎだ。手を」

 出してといざなわれ、何をするつもりなのかわからないままクラーエスが右手を差し出すと、塔の(あるじ)がその手に自分の手を重ねた。

 唇がかすかに開き、短い呪文が唱えられる。

 クラーエスの耳にかすかに届いた声は軽やかで美しい歌の節のようで、重なりあった手がふうわりと温かくなった。エイジェルステット家の人物らしい細くて長い、きれいな指が最後に何かの紋様をクラーエスの手の平に描き、魔法が終わった。

「これで君は、いつでも呪文なしでここの扉を開けられる」

 クラーエスは魔法を受け取ったらしい自分の手を見やり、軽く握り、ゆるめてみた。魔法らしい印はない。暖かみも消えていた。

「でも、警告もしておくよ。ここには二度と来ない方がいい」

「わたしはもしかしたらあなたを殺す。と、考えないのですか?」

「そんなことをしたら、姫は、僕ではなく、僕の物語に一生心を縛り付ける。そして君を許さないことにすがりつく。君が悔い続けることを強いる」

 塔の(あるじ)は椅子に座り直した。

「君がそういった古典大歌劇のような人生を送りたいのなら、止めはしないよ」

 エイジェルステット家の人々はどうしてこう信じがたいほど美しい容姿をしているのか。塔の(あるじ)の言葉はまるで女神の神託と響く。

「あなたは姫のことで王を脅迫できる。あの晩の姫の言葉は、そういう意味だと受け取りました」

「僕がアルムクヴィスト王家の安寧(あんねい)や王国の平和を破綻させる要求をすれば、王は迷わず僕を亡き者にする方を選ぶだろう。真っ先に暗殺の使者に選ばれるのは、もしかしたら君かもしれないね。君には僕を葬りたくなるにじゅうぶんな理由があると誰もが納得するだろうし、さっきは鍵も渡したんだから、いつでもここに侵入できる。もちろん王は、兵団を動かすことだってするだろう、必要に迫られればね」

 そうなれば今度はエイジェルステット家が黙ってはいまい。

「僕は平穏な人生を送りたい」

「だが、その気になれば、できる」

 魔法使いは仕方なさそうに首を振った。

「僕はささやかながらとても利己的な理由でこの塔にいるんだ。できれば一生穏便に居続けたいと思っている。大それた(たくら)みで塔を追放されたり身を滅ぼしたり……、そんなことは望んでいないよ」

「姫のことは?」

 クラーエスはさりげなく聞こえるよう(つと)め、たずねた。

「姫を要求はなさらないのですか?」

「僕には姫の夢は叶えられないし、僕の望みもそこにはない」

 口にした言葉をどこまで信じるか。言葉は心のすべてではないし、人の気持ちや心づもりは、いつの間にかかわってゆくものだ。

 クラーエスはしかし立ち上がり、

「その言葉、確かに受け取りました」

 手にした剣を胸前に持ち上げてみせ、

「失礼します」

 きびすを返すと塔を出ていった。


「……言葉を(たが)えたら、切る、ね」

 エリノルはゆっくりと窓辺へ寄り、暮風の凪いだ静寂の中に佇んだ。馬上にあるクラーエスのすっきりと伸びた背が遠ざかっていくのが見える。ふと涼風が流れ込んできた。

「姉上に怒られるかもしれないね」

 エリノルはかすかに困惑を含ませ、風につぶやいた。

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