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リンドブラードの塔の主 6


 「どうぞ」

 いざなわれ、クラーエスは塔の(あるじ)の部屋に足を踏み入れた。

 部屋は思っていたより広かったが、エイジェルステット家の方の住まいと思うと狭い印象だった。

 壁の燭台には蝋燭がともり、空気にはかすかに甘いような香りがある。夜のため窓には鎧戸がされ、暖炉ではよく火が燃え、美しい織りの絨毯と壁のタペストリーが石壁の冷気を遮って、豪華ではないがイェルハルド風なのであろう典雅なしつらえの、居心地の良さそうな部屋だった。

「昼間の番人の方ですね」

「見憶えておられましたか」

 (あるじ)は笑みを少し大きくした。

 うながされて椅子に座ると、香茶(こうちゃ)を振る舞われた。

「それで、ご用件は?」

 クラーエスははたと黙り込んだ。何をしに来たのだろうか、俺は。

 滅多にお目にかかれない塔の(あるじ)に会ったことをうらやましがられたが、自分はそうと知らなかったので直接対面したという気がしない。だからその感慨を得に来た。それも嘘ではない。

 だが。

 クラーエスは窮地に立たされた気分だった。英雄であられた祖父なら死んでも口にするまい。アールストレーム家の嫡男にふさわしくないと叱責(しっせき)される。

「いや、用と言うほどのものでもないのだが」

 言葉を探しながらクラーエスは塔の(あるじ)を見やった。

 何かが引っ掛かり、正面から見据えなおす。

 塔の(あるじ)も真っ直ぐにクラーエスを見返してくる。

 昼間の記憶のまま、この若者はやわらかな雰囲気だ。

 やはり冥衣(めいい)を着ている。

 だが。

「違うな」

 それはほとんど直感だった。かすかな違和感は、塔の(あるじ)の目の中にこそあった。

 昼間目を合わせたまなざしに比べ、今目の前にいる塔の(あるじ)のものは明瞭すぎる。ほほえみもつるりと朗らかすぎる。すべてが軽々しいのだ。昼間のあの若者の目の奥にあったものは、明るいうわべを裏切って、もっと遠くへすり抜けて鈍い色をしたものだった。

「お前、昼間会った者ではないな」

 クラーエスは立ち上がり、手を伸ばして目の前の塔の(あるじ)の腕をつかもうとした。

「何者だ!」

 そこからクラーエスの理解を超えたことが起こった。

 クラーエスの伸ばしかけた手が硬質の何かに遮られ、塔の(あるじ)の姿がかき消え、かわりにまばゆい光源があらわれたのだ。

 反射的にクラーエスは剣に手をかけていた。次の瞬間、光を裂いてあらわれたかに見えた何者かが、クラーエスをはじき飛ばした。硝子の砕ける高い音が耳の底に痛みを伴って残り、部屋の隅に転がった衝撃で瞬間クラーエスは自失した。近衛の矜持が剣を手放さなかったことは誇りに思う。痛みを無視して即座に身を起こし、状況を把握しようと素早く部屋を見回した。すると、

「君、怪我はない?」

 脇から声があった。膝をついたクラーエスの隣で、身を起こす者がいた。

「あなたは」

 塔の(あるじ)だった。クラーエスは思わず彼を凝視した。

 昼間会った時は任務中でもありこれほど近くでじっと見つめたわけでもなかったし、彼の方もクラーエスにそれほど関心を払ったようではなかったが、今は非常事態に取り乱したせいか感情もあらわにクラーエスを見ていた。

 美しいと同僚たちが言っていた言葉を、クラーエスはまざまざと実感していた。

 同時に、本物だ、とも。

「大丈夫です」

「そう、よかった」

 塔の(あるじ)は安堵して微笑んだ。

 クラーエスはことさら近衛らしさを意識して立ち上がり、静かに剣を鞘に収めた。もう一度部屋を見回して床に鏡の破片が散っているのに目をやり、これが割れたのかと認め、それからはたと塔の(あるじ)が立ち上がろうとしないことに気が付いた。

 彼はどこかぼうっと床に座り込んだままだ。

「どうしました?」

「なんの準備もないままいきなり魔法を使ったから」

 しばし、間があった。

「気力が抜けたんだ」

 クラーエスが手を差し出すと、塔の(あるじ)は素直にクラーエスの手をとって立ち上がった。そのまま身をかがめ、バラバラに脱げ落ちた刺繍のほどこされた上等な革のスリッパを揃えて足を入れる。

「ああ、破片に触らないで」

 動こうとするクラーエスを、塔の(あるじ)がとどめた。

 彼が持ってきたのは箒だった。だがただの箒ではなく、トン、と床に突き立てるようにすると、あとは自分で勝手に床を掃き、散った鏡の欠片をかき集めはじめた。

 火の粉を散らすように砕け散った鏡は魔力を一緒に散らしていて、破片に触れた者を闇の世界に閉じこめてしまうだろう。塔の(あるじ)はそう言った。

 酷いことをしてくれた、という非難の響きはなかったが、クラーエスは急いで言った。

「鏡が必要ならば手配します。俺、いや、わたしはただ、昼間会った人物とさっきの人物が別人に見えたので、それを確認したかっただけです」

「ふうん」

 塔の(あるじ)は目をやわらかくも妖しく細めてクラーエスを見る。しかしその奥には漠々と沈んだものがあるのだ。

 そうだ。この目だ。

「見破られたことはないのに」

「は?」

 塔の(あるじ)は束の間なにかを考え、すぐにふわりと笑んだ。

「ここには誰でも入ってこられるようにしているからね。万が一の用心だよ」

「客と直接対面しないようにしている、ということですか」

「うん」

 塔の上の(あるじ)は、辻占いの老婆の選別を通った訪問者を誰でも招き入れる。だが、鏡の魔法を使って歓待する。そういうことらしい。

 箒が掃除を終えた。塔の(あるじ)が鏡の破片を始末して、再び客に椅子を勧めた。

「さて、ご用件を」

 塔の(あるじ)のふとした顔の向け方や伸ばす指先、投げる眼差し、歩む一歩。そういった一つ一つの身ごなしの優雅さに、クラーエスの目がどうしても吸い寄せられた。すべてがどこにもまったく作為がないと感じられるほどに洗練されている。

 クラーエスは口を閉ざしてしまった。

「どうやら君は、何かを占ってほしいわけじゃないみたいだね」

 話をはぐらかす、というと言い方が悪いがとにかく、姫と自分の名誉をどう守ればよいか。クラーエスふるまわれた茶を飲んで間を持たせ、あれこれ思考を巡らせた。

 ところがクラーエスが言葉を見つける前に、塔の(あるじ)がふっと顔を曇らせた。

「間が悪いね」

 すっと立ち上がり、部屋の奥へと歩いてゆく。そうしながら右手を振ると、塔の(あるじ)が座っていた椅子に鏡があらわれた。

「鏡をいくつ用意しているのですか?」

「すぐに予備を作らないといけない」

 続いて左手を振ると棚に置かれていた小皿の薬草がうっすらと煙を漂わせて香りをたて始め、最後に、彼は奥の壁につるされていた厚いタペストリーをめくって、

「君も隠れない?」

 こちらを振り返った。

 今の今まで、そこにタペストリーなどなかった。窓があったはずだ。夜のために鎧戸がおろされていた。だが魔法使いはタペストリーを開き、クラーエスを振り返っている。

「客ですか? だったらわたしは失礼するが」

「今出て行くと、階段でウルリーカ姫と顔を合わせることになるんだけど」

「姫? 姫がいらしたのか?」

 塔の(あるじ)はゆっくりとまばたきをし、

「僕としては、君がここにいることを姫に知られたくない」

 クラーエスは立ち上がり、塔の(あるじ)がめくったタペストリーをくぐった。

 魔法だろうか。壁であるはずのそこは小さな隠し部屋になっていた。

 塔の(あるじ)も隠し部屋に入る。

 タペストリーが閉じられた。

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