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薔薇のお茶会 6

 クラーエスは席を立ち、硝子扉に歩み寄った。

 ゆるやかな歩みであらわれたエリノルもテラスに来ていて、クラーエスは彼のために、扉を開いた。

「ありがとう」

「今日は冥衣(めいい)ではないのですね」

 エリノルはちらりとクラーエスに何かを語りたいような目を向けたが、さっと吹き上がった風にやや長い髪が舞って顔にかかり、目を隠した。

 それを手でそっと整え、彼は姉と客へ朗らかな笑みを向けた。

「少し遅くなってしまいましたね。申し訳ありません」

 召使たちがすぐにエリノルの席とお茶を用意する。

「姫、こんにちは」

 姫はちょこんとうなずくようにこたえた。

「こ、こんにちは」

 そして心からほっとした。エリノルがあらわれて、ティールームが本当の正しい明るさを取り戻した気がしたのだ。

 姫は今でも、この方と視線を合わせるのは、少し、気後れがする。それに前回、塔に出かけてお会いした時は気まずい別れ方をしたから、今日の気後れはずっと強い。

 あの時は城にいらしたのに自分には挨拶もなく帰ってしまわれ、きっぱりと無視されたと思ったらすごく取り乱した。そう、取り乱してしまったのだ。

 だって、エリノルさまのご様子が、なんだかちぐはぐに見えるんだもの。お優しいのに、残酷。わたしは心をすべて差し上げているのに、この方はふいっと遠ざかる。わたしを試すように。だからあの日はどうしようもなくリンドブラードの塔に駆けつけてしまったのだ。やさしく扱ってくださらないと、わたしは恋の駆け引きなんて、まだわからないわ。

「エリノル」

 エリノルとマデリーネは軽く抱き合って、イェルハルド風の挨拶をし、イェルハルド語で短い会話を交わした。お二人のじゅうぶんに流暢な王国のウーデン語が、母語になると生き生きと聞こえる。

 姫は二人をじっと見つめた。

 エリノルさまは、こんな綺麗なお姉さまがいらっしゃると他の女の子では物足りなく感じるのかしら。たとえ身分が姫君でも。でも、ティールームへ入っていらした時は、真っ先にわたしをご覧になったわ。

 おふたりが会話をこちらの言葉に切り替えた。

「それにしても、あなたったらいったいどこからあらわれるの?」

「姫ご一行がいらっしゃると知って、聖衣(せいい)に着替えていたら遅くなってしまったのです。それで、正面よりこちらの方が近いのでよいかと思い」

「みんなびっくりするじゃないの」

「失礼しました」

 微笑むエリノルは歩むたびにふわりとなびく聖衣(せいい)をさりげなく整えるようにして、姉と共に椅子に座った。

 エイジェルステット家の方々がよく公式の場や儀式で身につける衣裳は聖衣(せいい)と呼ばれている。純白の絹地に、光の具合でかすかなオレンジ色とも黄色とも輝く絹糸で刺繍された聖衣(せいい)は、神との対面にふさわしい美しさだ。そのような儀式のための衣裳だからか、聖衣(せいい)にはあまり男女の区別がない。髪の長さがもっとあれば、線の細いエリノルは遠目には女性にだって見えるほどだ。ただエリノルが今着ているものは、聖衣(せいい)の略式。正式にはさらにトレーンを重ね、頭にはベールのある聖冠(せいかん)をかぶる。

「マデリーネさまとエリノルさまが並ぶと、……なんというか、壮観だな」

 アルノルドが小声でクラーエスに耳打ちした。

 聞きとがめた姫は急いでお茶の揺れるカップを取り上げて、縁にそっと唇をつけながら聞き耳を立てた。クラーエスは何と答えるかしら。クラーエスはしばらく黙っていた。答えない気かしら。姫がいらだちを覚えた頃、

「……ああ、そうだな……」

 小さな声がやっと聞こえた。

 召使がエリノルのカップをテーブルに載せながら「どうぞ、お楽しみください」とすすめる。

 さらに別の召使が歩み寄り、ちいさくたずねた。

「いつものスリジエをお持ちいたしますか?」

「ああ、そうだね。僕が正面から来ればよかったんだけど、お願いできる?」

「ただいま」

 クラーエスは思わずアルノルドに問うた。

「スリジエとはなんだ?」

 彼の声は自分で思っていたよりも大きく、聞き取った姫が振り返った。

「あら、クラーエス、知らないの? 今、王都でとても流行っているのよ。室内ではスリジエを履くの。足が楽で、いいのよ」

「イェルハルドの習慣らしい。淑女たちがマデリーネさまをまねて、履くようになったんだ」

 アルノルドが言い添えた。

 マデリーネさまも教えてくれた。

「イェルハルドではみんな室内ではスリジエを履くの。こちらでは、スリッパと言うのかしら。別れて住む家族や親族のためにもスリジエを用意しておくものなのよ。血縁でなくても、特別な人のためにそろえておくこともあるの」

「特別な人って、たとえば恋人?」

 姫は瞳を輝かせた。

「ええ。いつでもお待ちしていますという気持ちのお相手に。そして、いらした時には使っていただくの、歓待の意味をこめて。そうだわ、姫にも我が家のスリジエを用意しましょう」

 姫は頬を染めて喜んだ。

「うれしいですわ」

 やがてエリノルのスリジエが運ばれてきた。

 クラーエスはリンドブラードの塔でこれをエリノルが履いていたと思い出した。最初の夜に会ったとき、とっさの魔法を使って倒れこんだエリノルは、立ち上がるときにこのイェルハルド風のスリッパを履き直したのだった。革は繊細に(なめ)されており、刺繍が美しい。

「ありがとう」

 エリノルは典雅な革のスリッパに履き替えた。聖衣(せいい)の裾からわずかに足先がのぞく。

「エリノルさまは、今日はいらっしゃらないのかと思いました。いつもなかなか塔から降りてらっしゃらないんですもの。気が変わったのではないかと」

 膝の上に両手をそろえて、ウルリーカ姫は上目遣いに言った。

「本当にそうですわ。なかなか降りてきてくれないのよ」

「姉さんまで」

 エリノルは苦笑し困ったように肩をすくめて、姫は僕の味方をしてくださいますよね、と言いたげな優しいまなざしを送ってきた。

 あの夜のことはもう気にしてらっしゃらないんだわ。わたしが思ったほどひどい出来事ではなかったのよ。そう感じられて姫の心が軽くなった。

「マデリーネさまは今日、エリノルさまを塔から降ろす、どんな秘策を使ったんですの?」

 少し意地悪をしてさしあげよう。愛らしい(たわむ)れあいよ。気の利いた社交術のつもりで姫はマデリーネさまにたずねた。

「父も知りたがるわ。魔法使いがいつ降りてくるかは気まぐれだってぼやいてらしたから」

 ぜひ、聞かせてくださいませ。ぱちぱちとまばたきし、かわいらしくマデリーネさまを見つめる。

「秘策ではないけれど、ちょうど渡したいものがあったの」

「まあ、それってなんです?」

 あらかじめ用意していたのだろう。すぐに召使いがサイドテーブルからトレイを取り上げて女主人に差し出した。姫はちょっと眉をひそめた。

「まあ、鍵?」

 トレイには鈍い色をした簡素な鍵がのっていた。

「なんの鍵です?」

「殿下の秘密の部屋ですわ、姫」

 夫人は弟に鍵を差し出し、

「殿下がいらっしゃらない間、自由に使ってもよいとお許しいただいたわ」

「では後でゆっくり見せてもらいます」

「あら、いま見ましょうよ。そのためにエリノルさまはいらしたんでしょう?」

 ウルリーカ姫が急いで提案した。

「わたしも見てみたいですわ」

 エリノルさまが見たいと望み、わざわざ塔から降りてくるほど興味を持っているものだ。ウルリーカ姫もぜひ見たかった。エリノルさまと一緒に、ぜひとも。

「そうですわね。けれども、……」

 マデリーネさまがやんわりと言いかけ、姫はむきになった。

「わたし、ぜひ見たいんです」

 一瞬、姉と弟が目を合わせた。

「では。殿下が研究してらっしゃるものですし、一度ご覧になるのもご公務の一助になるでしょう」

「はい」

 姫はよろこんでうなずき、すぐさま立ち上がった。

「その前に、姫、ちょっと失礼してよろしいですか?」

 エリノルがテーブルに用意されていた、今淹れられたばかりの温かいお茶に手を伸ばした。カップから高貴な香りが立ち上っている。

「これはヘルゲ茶だね?」

「はい。ちょうど今年の新茶が手に入りましたので」

 壁際に控えていた召使が答えた。

「うん。いい香りだね。エルンストの淹れてくれるお茶はいつも美味しい」

 召使が目礼した。黒を基調にした衣裳の召使いたちの中で彼だけは白の胴着と濃緑の長エプロンを身につけていて、役割が異なると一目でわかった。彼はお茶専門で殿下の屋敷に仕えているのだ。

 エリノルはお茶を味わい、カップをテーブルに戻し、

「では、行きましょう」

 鍵を手に、立ち上がった。

「は、はい……」

 姫は叔父が何にどのような情熱を注いでいるかなど、たいして関心はなかったが、エリノルさまが見たいというものならば、純粋に自分も見たかったし、心から知りたかった。だからといって彼にお茶も飲ませないほど急かしたつもりじゃなかったのだ。

 やっとエリノルさまに会えて、優しく微笑んでくださったら気持ちが浮き立ってしまって、それでなんだか考えなしになってしまっただけ。

 お茶のことなんて誰も教えてくれなかった。そのせいで気の利いたことも言えなくて、いったいどのくらい物事にうとい女の子と思われてしまったか。

 違うのに。もっと、わたしはなんでもわきまえているし、エリノルさまのことなら何でもわかるのに。なんだかエリノルさまがそばにいらっしゃると、全然うまくいかない。

 姫は悲しく悔しく思いながら、エリノルの後ろをついて行った。

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