薔薇のお茶会 3
「姫、よくいらしてくださいましたわ」
王弟夫人は心から歓迎してウルリーカ姫を出迎えた。
さりげなく流行をとり入れた品のよい衣装をお召しの夫人は、ウルリーカ姫から見ても美しく、金の薔薇とささやかれるお方が人々の期待を裏切ろうはずのない輝くように麗しい女性なのだった。
金の薔薇さまは数々の伝説に彩られていた。
内外の名のある男たちがこぞって恋人になりたい妻に迎えたいと申し出、張り合いがこじれて某氏らは決闘におよんだとか、ある男が自殺に追い込まれたのは少々情熱が過ぎたせいだとか、ひそかに王妃にとの期待もあったのだとか、人々の口はさまざまに語る。
口から飛び立つ言葉は自由の翼を持つもの。
耳目はより華やかに飛翔する言葉に集うもの。
それに比べれば現実など味気ないもの。
結局、とびきりの男性陣の魅力的なプロポーズの中から金の薔薇さまが選んだのは、王の弟、ウルリーカ姫の叔父上、エドヴァルド殿下で、以来ウルリーカ姫はこの貴婦人と親しく交流を持つようになったのだった。
けれども、この方がエドヴァルド叔父さまと結婚されるとなった時、ウルリーカ姫は正直、なぜよりによって叔父さまなのかしら、と首をかしげたものだ。だって二人は十歳ほども年が離れているし、エドヴァルド叔父上は眠たそうなたれ目をした冴えない容貌なのだ。太ってはいないのがせめてもの救いというもの。叔父が若かった頃は臣下の一部から王位に推され、期待も高かったという人もいるけれど、姫には大げさに話されているだけとしか思えない。なにしろ叔父は最近ではすっかり飽きてしまったのか、国政にはまったく関心がなく、もっぱら退屈な文化関係の団体の総帥を務め行事に参加し、いくつかの王立団体の名誉総裁を引き受け、どこかの遺跡の遺物を蒐集し、希少という以外に何の価値があるのかわからない風変わりな古書を買い求め、学者ぶった著作活動を趣味としている風なのだ。
金の薔薇さまほど美しい女性なら、お相手にはこの世で最高の男性を選べたはず。もっと凛々しくて颯爽としていて、きっぱりとかっこいい、とにかくすべてにおいて男らしい完璧な方を。ウルリーカ姫にはそう思えて仕方がなかった。
だから、「エドヴァルド殿下はご容姿はまあ人並みだけれど、地位と名誉と、なにより資産を、たっぷりとお持ちだからね」という女官たちの噂話を耳にした時、姫はこっくりとうなずいたのだ。
そういうことね。よくわかったわ。これが大人の世界というものなんだわ。
ウルリーカ姫はしつけられたとおり、出迎えてくれた王弟夫人に正しく会釈した。
「お招きいただきまして、ありがとうございます、マデリーネさま」
ご夫人は優しい笑みで、
「今日はささやかなお茶会なのですから、型どおりのご挨拶はここまでにしましょう」
殿下は地方で開かれている南方の大河沿いに栄え滅んだ古代文明イェスタの研究会に総裁としてご出席で、しばらく屋敷に不在なのだそうだ。だからぜひ遊びにいらして、と招待状にしたためてあった。
「それから、姫、今日は弟も塔から降りてきますの。もしかしたら席をご一緒させていただくかもしれませんが、よろしいかしら?」
とたんにウルリーカ姫の頬が赤く染まり、大急ぎで頷いてみせた。
「も、もちろん、かまいませんわ。それにしても、急ですこと」
招待状を読んだ時にはもしかしたらエリノルさまにお会いできるかもとどうしても思ってしまい、ドレスやアクセサリーは侍女たちをあれこれ指示して、細やかに気を遣って選んできたのだ。
エリノルさまはなかなかリンドブラードの塔から降りて来られないけれど、実の姉のところにはいらっしゃるんじゃないかしら。
そうよ、いらっしゃるかも。
ええ、きっといらっしゃるわ。
期待は確信に早変わりし、姫は自分がもっともかわいく見えるようにと、お肌の色艶や髪型や爪の手入れから身にまとうすべてにあれこれ気をもんで、選びに選んだのだ。
望みが本当のことになり、姫の心は躍り上がった。
それなのに、マデリーネさまの姿を見ていると、別のドレスの方がよかったと思ってしまうのだ。
エリノルさまと釣り合うような、もうちょっと大人っぽいものにすればよかった。最後まで迷ったもう一着の方だったら最新の流行も入っていたのに。こんなドレスでは自分がみすぼらしく見られているようでみじめな気分だわ。もっと見立てのセンスのいい侍女がいれば、こんないたたまれない思いをしなくてすんだのに。
「さあ、どうぞ」
夫人が姫をいざなう。姫は乱れる気持ちを精一杯おさえて玄関ホールを入っていった。
姫はティールームに案内された。開かれた扉の内、まず目に映るのは、つやつやした緑。珍しい植物の一群だ。鉢植えが床に置かれ、天井から吊され、花をとりどりに咲かせている。植物はすべてイェルハルドのもの。故郷イェルハルドを遠く離れた奥方のためのティールームは、温室造りになっていた。奥に見えるのは壁一面の硝子の扉窓で、ここから殿下ご自慢の庭園が見えるようにしつらえられている。
ウルリーカ姫はなんとなくクラーエスを振り返ったが、彼はそのとき姫からすっかり目を離し、マデリーネさまに付き添って最後に扉を閉じたところだった。
「……なの………お願いね」とマデリーネさまがいい、「わかりました、奥方様」とクラーエスが答えたのだけが聞き取れた。
クラーエスったら、近衛がちゃんとわたしを最後までエスコートしなくてどうするのよ。仕方のない人。
気分を害して視線をそらそうとした刹那、姫の目にあまりにも意外なものが飛び込んだ。
マデリーネさまがご自分の手を差し出し、クラーエスがそれをうやうやしく取って、白い指先に口づけしたのだ。ティールームの片隅で、二人して目立たぬよう、素早く、そっと。クラーエスがマデリーネさまの手を下ろすと、二人の指先が、今の出来事を惜しむようにゆっくりと離れていった。
姫は言い知れない衝撃を受けてしまった。
あの朴念仁のクラーエスが。
しとやかなマデリーネ様が。
これは重大な裏切りではないの。
何に対しての裏切りか、姫はすぐにはわからなかった。息をつめたままでいるうちに、じわじわと答えが思い浮かんだ。
クラーエスのわたしに対しての裏切り、マデリーネさまの叔父に対しての裏切り。そう、それだわ。
姫はぞっとして唇を噛んだ。なんて汚らわしい。
「姫、どうぞ」
召使に着席をうながされ、ウルリーカ姫は体がふるえるのをこらえ、椅子に座った。クラーエスとアルノルドは姫の背後、壁際に並んだ。
「近衛のおふたりも、今日はごく内輪のお茶ですから、どうぞお座りになって。姫、よろしいでしょう?」
マデリーネさまに着席をすすめられ、クラーエスたちは礼儀正しく感謝をし、姫の許可を求めた。椅子はもちろん、最初から近衛の分も用意されている。姫は許可する場面だとわかったので「よろしくてよ」とうなずいた。
「今日はヘルゲ茶にしてみましたの」
マデリーネさまも召使に椅子を整えてもらい、楽しそうに姫の相手をはじめた。
ティールームは天井が高く、色調も統一された明るい部屋だった。調度も品よく、少人数で親しく談話するのにふさわしい雰囲気だ。陽光がたっぷりと降り注ぎ、薔薇が見事に咲いている庭の様子がよく眺められた。
「本当はぜひ扉を開けてテラスでお茶をお召し上がりいただきたかったのだけれど」
マデリーネさまは残念そうに閉じた扉を見やりながらおっしゃった。
「風が出てしまって」
硝子越しの日差しは気持ちよく温かいが、薔薇を揺らす風の具合はお茶を楽しむにはやや強いようだと、ここからもわかる。
「でもせっかく薔薇が見事に咲いているでしょう? ぜひご覧いただきながらと思って、こちらにしてみましたの」
風が吹き付けて硝子がカタカタと不吉に鳴り、ウルリーカ姫はぎゅっと身を硬くした。
召使がお茶の用意を調える。陶器のふれあう軽い音。夫人と姫、近衛たち、それぞれの手元へ運ばれたカップから立ち上がるほのかな香り。おいしそうなお菓子。
話題もあれこれと楽しく移り変わる。人々が夢中の歌劇や最新流行のドレス。先日起こった楽しい出来事やちょっとしたうわさ話。姫が大好きな作家の一番新しい悲恋の物語。
けれども、姫にはティールームがすっかり翳って、すべてが薄汚れた偽物めいて見えていた。
何もかもうわべだけ。裏切りや醜い秘密を閉じ込めた場所。
わたし、ここにいたくないわ。どこか、きれいで本物の場所へ行かないと。このままでは息が詰まってしまう。
誰か気づいて。
夫人は、姫が大好きな作家の次の物語が発表間近とベルツ卿が宣伝していたと話しはじめ、「そうなんです。美しい姫の窮地を素敵な王子様が助けに来てくれるお話なんです」とウルリーカ姫もなんとかそれに応じていたが、すぐに笑みを浮かべることも出来なくなっていた。
「どうかなさったの? ほとんど何も召し上がってらっしゃらないようですわ」
ようやく夫人が声をかけた。
「ご気分がすぐれないのですか?」
クラーエスも姫にささやきかけた。
姫はとたん、ぎゅっと目を閉じた。
ええ、そうよ。とても気分が悪いわ。だって。
クラーエスは知っているはずでしょうに。
ウルリーカ姫の瞳が硝子張りの大きな扉をとらえた。
ずっと、ずっと、誰か早く気がついて、と思っていた。
わたし、閉じた扉を見るのはイヤなの。あなたはそれをよく知っているでしょう、クラーエス。どうして気をつけてくれないの。あなたはこれくらいすぐに判らなくてはいけないのに。
マデリーネさまは弟も来るとおっしゃったのに、どうしてあの方はいらっしゃらないの。わたしがいると知って、姉との約束を破ったのかしら。そのうち「今日は忙しいので参れません」って伝言が届けられるんだわ。
急にその通りのことが起こるような気持ちになって、悲しみに胸が痛み、庭で揺れる薔薇がにじんで見えた。
閉じた扉は嫌い。だって。
だって……。




