第1章9 【 世界が割れた音 】
最初に変わったのは、音だった。
倉庫の中の空気が、ぎし、と軋んだ。
まるで見えないガラスが、巨大な力で押し広げられるみたいに。
「……来たな」
男は、唾を飲んだ。
目の前の少年――
さっきまで必死に状況を睨んでいたはずの”彼”は、もういない。
立っているのは、空っぽの人間の形をした何かだった。
目に光が無い。
呼吸はしているのに、意識がそこにない。
だが――
世界のほうが、そいつを中心に歪み始めている。
「馬鹿な……」
男の空間固定が、悲鳴を上げた。
固定されていたはずの空間に、
細い“線”が走る。
それは、亀裂だ。
「俺の能力は……切れない……切れるはずが!」
その瞬間。
音もなく、空間が”割れた”。
倉庫の床、壁、空気そのものが、
ガラスのように裂ける。
だが破片は飛び散らない。
切り分けられて、ずれるだけ。
「……あ」
男の腕が、遅れて落ちた。
切断面は、血すら出ない。
空間ごと、分離されている。
「な、なん……」
恐怖が、ようやく彼の頭に浮かぶ。
「断絶者……!」
その存在は、
敵の叫びにも、悲鳴にも、反応しない。
ただ、歩く。
一歩。
また一歩。
近づくだけで、
男の能力が、勝手に壊れていく。
固定された空間が、意味を失い、ほどけていく。
「待て……待ってくれ!」
男は必死に後ずさる。
「俺は……俺は!ただ、観測したかったんだよ……!」
だが、断絶者は止まらない。
彼が歩いた軌跡に、
現実の境界が残らない。
”ここ”と”そこ”の区別が、消えていく。
男の周囲だけが、
世界から切り取られたみたいに孤立した。
「やめろ……!」
最後の瞬間。
男は、理解した。
これは、怒りでも正義でもない。
ただ、”条件を満たした結果”だ。
そして――
音もなく、
男の存在は、空間ごと、消失した。
後に残ったのは、
静かな倉庫と、無傷の人質。
そして。
中央に立つ、
意識のない少年だけだった。
数秒後。
少年は、ふらりと膝をつく。
「……え?」
自分の手を見て、呟く。
「……なにが……起きた?」
だが、誰も答えられなかった。
ただ一つだけ、はっきりしている。
世界は今、確実に――一度、壊された。




