7.たたりもっけ
異ヲ中央警察署は、不気味のそびえ立つ数々のビル群に埋もれるような形で建っている。ビルのせいで日中陽が当たることはない――そもそもスモッグのせいで年中ほとんど曇りなのだが――。そのせいか、周囲の他の建物より一回り陰気に見える。
ぽつぽつと、空から小粒の雨が降ってきた。異ヲの街全体にうっすらと紗がかかってゆく。<送り火>や<提灯火>、<叢原火>などは我先にとどこかへ飛んでゆき、通りから伸びる小汚い路地では<傘化け>が、本来打たれて嬉しいはずの雨から逃れようと、自分の住まいへと急いでいる。また別の路地では、通常の三倍程の大きさの身体を持つ巨大なカエルを、<雨降り小僧>が不思議そうに眺めている。
文車妖妃たちを乗せた護送車が、通りを突き進んでゆく。水たまりの水をはね飛ばしながら。その水が通行人にかかろうがお構いなしだ。
車内にて、両手に手錠をはめられた文車妖妃は、対面に座っているコンコと弥奈を見ていた。二人とも不安と恐怖でいっぱいという面持ちだ。特にコンコはこれまでの行いがあるせいか、捕まる怖さをなまじっか知っている分、これまでとは明らかに違う警察の対応に顔全体が引きつっている。普段なら、両脇に陣取る体格の良いSATIの隊員に、色目の一つでも使うだろうが。
やがて護送車は異ヲ中央警察署へと到着した。どんよりとした空よりも更に陰気な地下駐車場へと入ってゆく。
三人は手錠をかけられたまま、SATIの隊員たちに囲まれて、エレベーターに乗せられた。明らかに古く、途中外から何度も金属の軋む音がして、エレベーター全体が時折ぐらぐら揺れる。
「一度業者に診てもらった方がいいわよ」
文車妖妃が言った。
返事は、なし。無表情の隊員たちはただまっすぐ前を見つめるのみだ。
数十秒ほど上昇した後、エレベーターは十階に到着した。
開いた扉の向こうには、紫煙まみれの空気と汚れた床と喧噪に包まれた某課……ではなかった。(異ヲの街にしては)清涼な空気と清潔な床と壁の廊下。傍らには観葉植物まで飾られている。三人は廊下を歩かされ、椅子と机以外何もない簡素な部屋に入れられた。三人を入室させると、SATIの隊員たちは扉を閉めた。ガチャッと鍵がかかる音がした。
「極刑なんて勘弁してよ……」
コンコが言った。
「ねぇ、ねえちゃん僕たちどうなっちゃうの?」
文車妖妃は弥奈の頭を両手で撫でつつ、「何とも言えないわ。でも、ただの犯罪者扱いじゃないってことは確かね。心配しないで、きっと何とかなるわ」
「その自信の根拠は何なのよ」
問うコンコに、文車妖妃は答えた。
「妖怪の矜持って奴かしらね」
コンコは意外そうな顔をした。文車妖妃の性格を鑑みるに、矜持といったような言葉を使うのは極めて珍しいことだ。
「あたしは、人間にどんなことを言われようがされようが、基本はどうとも思わないわ。別にこの異ヲの街を変えたいとも思ってないし、差別を受けてる妖怪を救おうとも思わない。でも、そんなあたしでもさすがに、今回みたいに、ナメられるのは勘弁できないのよね」
文車妖妃は笑みを浮かべた。人間が夜間に見れば、たちまち卒倒してしまうような壮絶な笑みだ。妖怪であるコンコと弥奈にとっては、それはすこぶる魅力的な笑みに見え、つかの間二人は彼女の笑みに見とれた。
その時ドアが開き、背広を着た人間の男が入ってきた。
「古本の妖怪はどいつだ」
「あたしだけど」
「ついて来い」
男は体半分を部屋に入れたまま、顎をしゃくって退室を促している。
弥奈とコンコを振り返る。二人は、追い詰められた小動物のような表情を浮かべている。それを見て文車妖妃は苦笑を一つ。「そいじゃ行ってくるわ」と、近所に買い物に出かけるかのような軽い挨拶を二人に送った。
背広の男に連れられ文車妖妃が案内されたのは、同じ階の突き当りにある大きな部屋だった。ドア上部のプレートには“応接室”とある。
室内には革張りのソファが二つと、高価そうな机が一つ、壁には異ヲの街のシンボルマークを織ったタペストリーが飾られている。その隣には“猩々(しょうじょう)よく言えども飛鳥を離れず”という文字が、掛け軸にでかでかと書かれている。口先だけで行動しない奴は鳥獣に変わりないという意味だ。有言実行と書けばいいところをあえてこの言葉を選ぶあたり、妖怪に対する差別意識が如実に表れている。そして、
「はじめまして。文車妖妃くん、だったね」
机の向こうの椅子がくるりと回って、一人の老紳士が現れた。嫌味の無いぱりっとしたスーツを身にまとい、白髪交じりの髪をしっかりとセットした、いかにも温和そうな人物だ。
「私はこの街の市長を務めている者だ。さぁさ、そこにかけてゆっくりしてくれ」と言って市長と名乗った老紳士は、ソファの片側を文車妖妃に勧めた。
文車妖妃はその言葉に応じソファに腰かけた。全身を緊張させ身構えたままで。本の知識と経験から、目の前の人物が人間で最もたちの悪いタイプだと判断したからだ。
「ゆっくりしたいとこだけど、これがあっちゃあね。お茶を出されても上品に飲めないわ」
両手を突き出しながら言った。手錠の鎖がジャラジャラと鳴った。
市長はくっくと笑った。そして文車妖妃の向かいに座りつつ、言った。
「その心配は無用だ。薄汚い妖怪に出す茶など、ここには無いからね」
そうらやっぱり。文車妖妃は心中でえずいた。案の定たちの悪いタイプだ。
「あんたの妖怪に対する姿勢は、その一言でよおく解ったわ。で、あたしをここに呼び出した訳をお聞かせ願いましょうかね市長さん」
「その前に、だ」
そう言いつつ市長は足を組んだ。
「一つ聞きたいことがある。君は一体、どこまで知っているんだね」
「どこまで? さてねぇ、何について訊かれてるのか分かんない以上は、答えようがないわね」
「とぼけるのはやめたまえ」
市長の目がすぅと細められた。そしてやおらジッポライターを、懐から取り出した。
カシャ、シュボ、カシャ。カシャ、シュボ、カシャ。カシャ、シュボ、カシャ……。
カバーを外し、火をつけ、またカバーを閉じる。
考えるまでもなく、文車妖妃は理解した。答えなければ燃やす、というこれは脅しだと。
文車妖妃はため息を一つ付くと、手錠をかけられたまま懐に手を入れた。一瞬市長が警戒の色を示した、「ここから逃げようなんて思ってないから」と、彼女は言った。
「教えといてあげる。あたしは火にも水にも弱い。消すなんて、簡単にできるわ」
その言葉に、市長は納得したそぶりを見せた。
文車妖妃は懐から、例の焼けた紙片を取り出した。
「あたしが“これ”に関わったのは、報酬が欲しかったからよ。ここ最近、呪いの連鎖とでも言うべき怪事件が起きててね。その被害者の一人から、希少本を報酬に依頼を受けて、色々調べた結果、これに行きついた。ただそれだけの話よ」
「どうだか。妖怪は嘘が上手いと聞く」
「そりゃ人間もお互い様でしょ。あの狐のコンコはしょうがないとしても、少なくとも、今この場であんたを騙すつもりは一切ないわよ」
「……いいだろう。それで、君はどこまで知っているんだね」
市長はライターをポケットにしまうと、あごで壁の掛け軸を指した。
――猩々(しょうじょう)よく言えども飛鳥を離れず――
文車妖妃は市長の目を見つめた。彼の目は年齢を感じさせないほどの輝きを持っていた。だがそれは純真というよりは、野心の輝きに近いものだった。
「分かったわ」
そう言うと、文車妖妃はソファから立ち上がった。そして部屋の中をゆっくり移動しつつ、言葉を紡いだ。
「あの病院で、不自然な爆発が起こった瞬間、裏に何かあるなとは思ったわ。コンコを使って病院内の調査を始めた直後のドカン。あたしたちを、あるものと一緒に葬るつもりだったのは明白よ。あるもの――それがこれ」と、机の上に紙片を置いた。
「本ってのはね、単に文字が書かれてる紙の集まりじゃない。そこにはそれを記した著者の念や想い、ある意味魂ね。それが宿ってる。その魂は、例え本が焼けて紙切れ一枚になっても、消えることはない。あたしはそれを、完全じゃないけど読み取ることが出来る。古書の妖怪として、ね」
そこで言葉を切り、市長の顔を見た。一切の表情を彼は消している。
文車妖妃は続けた。
「あの病院に行く前に、ちょっと図書館に行って調べてみたのよ。気になることがあってね。ここ数年の、異ヲの街で生まれた子供について。結論から言えば、普通だったわ。普通。先天的異常のある子供の出生率さえも。だから逆に怪しいと思っちゃってね。果たしてこれは本物のデータなのかって」
文車妖妃は窓ガラス越しに異ヲの街を見た。
「大気汚染、水質汚染、土壌汚染……、こんな汚染まみれの環境で暮らしてて、そんなことあり得ると思う? 奇跡でも起きない限りそんなことは不可能よ。データは改ざんされていた。“異常”として生まれた子供たちは、どこへ行ったのか……言いましょうか?」
ゆっくりと市長の背後に近づき、言った。
「痾ジの森に埋めたのよね。それも、奇形児として生まれた赤ん坊を」
市長は一切の心の機微を表さないまま、自分の手の爪をいじっている。
「あの病院の地下で、あたしは見たわ。何百という数の赤ん坊の“怨念”をね。その昔、貧しさから間引かれた子供は<たたりもっけ>という妖怪になって、家に宿り災いを引き起こすと言われていた。まさか、現代でお目にかかることになろうとはね。一連の呪いの連鎖は、痾ジの森の木材を介して、たたりもっけが起こしていた、というわけ」
文車妖妃は、再び市長の向かいのソファに座り、「そして、これ」と、例の紙片を市長の目の前にかざした。
「あの病院は、この街における出産のほとんどを請け負ってる。あんたたちは、病院側に依頼して、環境汚染が原因で生まれた奇形児を、秘密裏に処分していた。安楽死を選ぶと、子供が生涯受け取るであろう障害年金と同じ額の金を支払う、と両親に持ちかけて。……ここからは想像だけど、当然反対する人もいたはず。でも、特に最近だけど、この街の人間たちは周囲の目や、世間体といったものをひどく気にする。『ヒトの形をしてない自分の子供をご近所様に見られるなんて耐えられない』、あるいは『この子に辛い人生を歩ませるなんて耐えられない。これはこの子のためなのよ』、みたいな感じで首を縦に振ったんでしょう。あたしには理解できないことだけど」
紙片をピンと指で弾いた。それは市長の膝の上に落下した。
「爆発が起きたのは薬品保管庫だった。でもあんたたちの本当の狙いは、隣の資料室だった。それが保管されてた、ね。大方、あんたたちの算段はこんな感じだったんでしょう? とある妖怪が人間様の高潔かつ厳格な“決まり”を破って、妖怪立ち入り禁止の病院に侵入した。そのワルイ妖怪はあろうことか、薬品保管庫に鬼火か何かで火を放ち、残酷にもか弱き病人がいる病院を焼き払ってしまった。善良なる市民の味方である警察は、この不届き千万の妖怪を逮捕、あわよくば退治。警察の活躍と妖怪の愚行はニュースとなり、異ヲの住民は、妖怪に対する嫌悪と差別意識を、いつものように抱くのでした……めでたし、めでたし」
室内に沈黙が下りた。窓の外にしとしとと降っていた雨は、いつしか勢いを増していた。遠くで雷が鳴っている。
そして沈黙は、パチパチパチという、社長が手を叩く音で去っていった。
「ハハハ。君、小説家にでもなった方がいいんじゃないかい」
「あたしは別に――」
一旦言葉を区切り、文車妖妃は頭をポリポリとかいた。
「あんたたちを糾弾するつもりはないわ。どこまで知ってるかと訊かれたから、知ってることを答えたまでのこと」
市長は力を抜いたように、ソファに深々と座り込んだ。
「そうだろうね。例え、仮に、その話が事実だとしても、私たちを罪に問える証拠は無い」
逆に文車妖妃は、上体を前に出した。
「その通りよ。実際の所、さっきまでの話の三割は、あたしの想像が入ってるし、それに何より、しがない古本屋の店主に過ぎない妖怪のあたしが何を叫ぼうが、人間たちがまともに聞くわけないでしょ」
「そうだろうねぇ」
「でも、あたしも霞を食う仙人じゃないし、それなりに欲を持ち合わせているわけ。ゴッホの手紙初版本だけじゃ、満たされない程度の、ね」
「ほう。まぁ、発言の自由はこの街の住民全員に与えられた権利だからね。どうぞ」
「じゃあ……」
文車妖妃は市長に顔を近づけ、耳打ちした。
その瞬間、稲光が異ヲの街上空で発生し、激しい雷鳴が轟いた。文車妖妃の言葉はその音にかき消された。しかし、
「ハハハ。何を要求してくるかと思えば、そんなことかね。いいともすぐにでも許可を出そう」
市長の耳にはしっかりと届いていたようだ。
「感謝するわ。あたしからは以上よ。そっちからは? 刑罰を受ける必要ありかしら。もしあるんなら、あの子鬼の弥奈って子だけは見逃してあげて。あ、狐の方は特に問題無しだから」
すると市長は立ち上がり、人の良さそうな笑みを浮かべ、
「いやいや、文車妖妃“さん”。今回のことは、大変申し訳なく思っております。不慮の爆破事故に“偶然”巻き込まれただけでなく、治安維持のためとはいえ、全く関係のない二人の妖怪までも、こちらの誤認によって、警察に連行してしまうとは。今後、こういったことのないように、組織内の教育を徹底する所存でありますからして、どうぞ、今日はお帰り下さいませ」
そして深々と頭を下げた。腰の角度からなにもかも完璧な姿勢。何度も何度も繰り返した末会得した完璧さであろう。文車妖妃は、ここで初めて怒りがこみ上げてくるのを感じた。
「お得意の“謝罪コメント”ね。その面の厚さだけは感心するわ」
文車妖妃は立ち上がり、踵を返して部屋を出ようと……「あ、そうそう」したが立ち止まり、振り返ってこう言った。
「言い忘れてたわ。フクロウに気を付けなさい」
「道中お気をつけて」
顔を上げる市長。しかしその視線の先には、閉じつつあるドアがあるだけだった。
ライターを取り出し、火を点ける。
カシャ、シュボ。
再び、稲光が生まれた。それは市長の横顔を一瞬、昏く照らした。彼の口元は、笑みの形に歪んでいた。




