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4.フクロウの鳴き声 

 その後は大変だった。突然号泣し意識を失った文車妖妃の姿を見るやいなや、不安と心配からか弥奈も号泣開始。さすがに気絶はしなかったものの、傍にいたコンコを大いに困惑させることになった。コンコはコンコで、溶解人間の襲撃から文車妖妃のこと、さらに弥奈の大泣きと、想定外の出来事が立て続けに起こったせいで、頭痛とめまいに襲われてしまった。


 とにかくこのままとんずらするのはさすがにまずいと思い、気つけ代わりにターウィン家の冷蔵庫から、銘柄もよく判らない洋酒をしっけいし一杯あおった。アルコールのおかげでどうにか錯乱状態から脱したコンコは、電話で警察に連絡。警察が到着する間、とにかく泣きじゃくる弥奈をなだめようと、知っている限りの冗談やほら話、子守唄等々を聞かせ続けた。警察が到着した時、弥奈はすっかり泣き止んでいた。文車妖妃には、弥奈が引きちぎったカーテンが毛布代わりにかけられ、コンコは疲労と悪酔いで満身創痍という有様だった。


「普通ならしょっぴかれても文句は言えない状況だぞ。ただでさえお前は、妖怪で、その上信用がないんだから」


 警察のパトカーがひしめくターウィン家前の路地。一人の恰幅の良い制服警官に、コンコは説教を食らっていた。いつもなら得意のマシンガントークでけむに巻くところだが、アルコールが十分抜けきっていないため、垂れた耳を生やした人間の姿でしょんぼりしている。


「事の顛末は分かった。後で詳しく署で事情聴取を受けてもらう」


「ちょっとちょっと待ってよぉ。何で私だけなのよぉ」


 救急車の後部座席に腰かけて介抱を受けている文車妖妃と、連れ添ってる弥奈を指差しつつ、コンコが言った。


「まともな目撃者がお前しかいないからだ。あの、着物の妖怪は衰弱してるし、子鬼はあれにぴったりくっついて離れようとせん。ターウィン夫妻は、主に奥さんの方が錯乱状態で、到底話を聞けそうにない」


「そんなぁ」


 何度も――主に詐欺罪で――警察の厄介になっているコンコ。いくら容疑者ではなくても、警察の門をくぐるのは非常に気分が悪い。


「文句は言わせんぞ。判り切ってることだが、お前は妖怪、俺たちは人間だ」


 種の違いは絶対的であり、決して覆すことはできない。コンコは制服警官の言い回しに若干腹を立てた。そのたるんだ尻に牙を食い込ませてやろうかと思ったが、一時の対抗心のために臭い飯を食う羽目になることがどれだけ愚かしいことか、コンコはこれまでの経験で嫌というほど痛感してきた。だから、こくんと一度頷くだけにした。


「ねえちゃん、大丈夫?」


「そう思うならもうちょっと小さい声で喋ってよ、もう」


 一方救急車の社内では、ようやくまともに話せるようになった文車妖妃が、すがり付こうとする弥奈を押しのけていた。


「応急処置はしました。……あくまで人間方式ですが。もしも後遺症が残るようなら、病院に行ってください。出来る限りの治療はします」


 と、傍の救急隊員が話しかけてきた。文車妖妃はその言葉の裏に差別的感情を読み取ろうとしたが、幸い何も読み取れなかった。同情の感情も。この隊員はただ己の仕事をこなそうとしているだけだ。人間妖怪の区別なく。文車妖妃はこの隊員を信じることにした。


「あぁ、これ」と、文車妖妃は自分の左肩に巻かれている包帯を指差し、「ありがとね。してもらっといてなんだけど、あたしの傷は“あたし流”の治療でしか治んないのよ」


 文車妖妃は懐から一冊の本を取り出した。ゴミ捨て場で拾った本だ。タイトルは『一から始める家庭の医学』。文車妖妃はページをめくり、裂傷の項目が書かれてあるページを一部破ると、それを自分の左肩に押し当てた。


 しばらくして巻かれてある包帯を取り去った。傷は完全にふさがっていた。


「あれ?」


 救急隊員は素っ頓狂な声を上げた。


「あたしは書物の妖怪なんだ。だから治療も書物で行う。もしなんだったら、同僚の隊員たちにも話しといてよ。また厄介になった時のためにね」


「は、はい」


 文車妖妃は立ち上がると、弥奈を連れて救急車から降りた。


「ちょっとふぐっちぃー!」


 途端、コンコが駆け寄ってきた。


「酒臭いわねぇ」


「だまらっしゃい、飲みたくて飲んだわけじゃないわよ。倒れたあんたを助けるためだったの。一体どうしたっていうのよ突然倒れちゃって、めちゃんこ心配したんだかんね」


 コンコは涙目になっている。いけ好かない奴ではあるが、こういうところが、文車妖妃がコンコを嫌いになり切れない所以だ。


「そうだよホントに心配したんだよっ」


「倒れたことを悪いことみたいに言わないでよ。あたしだってまさか倒れるとは思ってなかったんだから」


「一体何を感じ取ったの?」


 コンコが尋ねた。文車妖妃は周囲を見渡した。野次馬がそこら中にいる。その視線の三分の二は、人間の中に混じってる文車妖妃たち妖怪に注がれている。気にはならないが、気に食わない光景ではある。文車妖妃はコンコと弥奈を連れて、早足で現場から離れた。


 五百メートルほど歩き、パトカーの光が届かなくなった所で、文車妖妃は足を止めた。そこは小さな公園だった。


「何を感じたのか話すわ」


 文車妖妃は傍の古いベンチに腰掛けた。その隣に弥奈が、弥奈の隣にコンコが腰かける。キィと、ベンチが軋んだ。羊雲とスモッグの煙とが混ざり、グロテスクな模様を空に描き出している。時刻はもうすぐ逢魔が時。妖怪にとって、最も心地よく力がみなぎる時間だ。


「見えたのは森だったわ。鬱蒼としてて、とにかく暗かった。緑の木々が生い茂る豊かな自然って感じじゃなくて、黒くて異界みたいな森。それから圧迫感ね。体中を締め付けられるようなとんでもない圧迫感。小さな箱の中に閉じ込められたような……そんな感じの。怖かったわ。とにかく怖くて、寂しかった」


「寂しかった?」


 弥奈が言った。


「ただの寂しさじゃないのよ」


 文車妖妃は自分の肩を抱きながら言った。その手は小刻みに震えている。


「この世で一人ぼっちになったら感じるかも、という程の強烈な寂しさ。それが何十何百って伝わってきたの。一気にね」


「だからふぐっち気絶しちゃったんだ。自分の限界超えちゃって」


「恐らく。正直あたし、どこぞのバカな人間が、例の物件で自殺でもしたんじゃないかってくらいに思ってた。でも、あの寂寥感たるやそんなもんじゃなかったわ。数も大量だったし。それにあの半分溶けた子供……。コンコ」


「はいよ」


「こりゃ一筋縄じゃいかないかもよ」


「降りるっていうの? 『ゴッホの手紙』は諦めるって?」


 文車妖妃は不敵に笑った。


「そんなこと一言も言ってないでしょ。めったに味わえない“ゴチソウ”のためよ。俄然燃えてきたわ」


「そうこなくっちゃ」


 コンコはベンチの上に飛び乗ると、狐の姿に戻って器用にその場で一回転してみせた。


「でもぉ、私はちょっと抜けるわね。さっきのことで警察に事情聴取受けにいかなきゃなんないの。ごめーんね」


 と、ウィンク。対する文車妖妃はため息。


「人間の、特にお役所仕事ってのはどうしてこうもめんどくさいのかしら……。分かったわ。じゃあ弥奈」


「なあに?」


「ちょっとお仕事頼まれてくれる?」


「……ご褒美は?」


 文車妖妃はコンコを睨んだ。どうやら非常によくない影響を弥奈に与えているらしい。前は非常に素直だったが、このところ小賢しい手段を学びつつある。


「まったくもう。何がいいの?」


「『千一夜物語』読んで!」


「げっ」と、文車妖妃は顔をゆがめた。


「あれ長いし不味いのよねぇ」


「じゃあお仕事引き受けてやんなーい」


「分かったわよ。読んであげるから頼まれてちょうだい」


「はーい!」


「コンコ、例の呪われた物件が建ってあった場所、分かる?」


「ええ。西南のGハ通りの入り口から、五ブロック進んだところ。瓦礫の撤去作業がそろそろ終わる頃ね」


「解ったわ」


 そして文車妖妃は弥奈に耳打ちをした。話を聞き終えた弥奈は、「がってんっ」と敬礼し、一目散に異ヲの街の市街地へ駆け出した。


「じゃああたしは少し調べることがあるから、今日はここで解散ね」


「あぁんもう、付き添ってくれないの? か弱い乙女が、一人でむっさい男だらけの所に飛び込もうとしているってのに。乱暴されちゃうかもしれないわ。あちしの身体が汚されちゃうぅん」


 さながら悲劇の戯曲のヒロインのように、よよよとその場にはんなりと横座りをするコンコ。


「バカ言ってなさい。どうせ内心じゃ嬉しい癖に」


 コンコはぴょんと飛び跳ねて、


「久々に若い男のフェロモンにありつけるからねぇ。あ、でも気が滅入ってるのは本当よ。色々と警察にはご厄介になって来たからね」


「さいで」


 文車妖妃は立ち上がると、若干おぼつかない足取りで、市街地の方へと歩いてゆく。


「どこで何を調べる気?」


「さぁね、あたしにも分からないわ。知りたきゃフクロウに訊いて」


「フクロウ?」


 コンコは周囲の街路樹を見渡した。


 ほう、ほう。


 どこからともなくフクロウの鳴き声が聞こえてくる。


 そして見つけた。植木のてっぺんで、二つの目を淡く光らせている。その様子がまるでこちらを監視しているかのようにコンコには見えて、えもいわれぬ寒気がした。


「ちょっとふぐっち、あんた……」


 振り返ったが、文車妖妃の姿は既にそこにはなかった。


 再び植木のてっぺんを見上げた。フクロウの姿も消えていた。


 コンコは冷たいものが背中を伝うのを感じた。コンコは駆け足でその場から離れ、そのまま警察署へ向かった。


 少し離れた所、公園のすみに設置されたモニュメントの上。一羽のフクロウが、走り去るコンコの姿をいつまでも見つめ続けていた。

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