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2.異ヲの街

 どこの誰が言い始めたのかは知らないが、異ヲの街は時に“黒真珠”に例えられる。光沢のある黒いビル群が立ち並び、特に月夜、月光を浴びて黒く光る街並みは、確かに黒真珠を連想させる。


 しかし、そんな洒落た形容をかますのは、大抵は一度も街を訪れたことのない者か、夢見がちの思春期の若者(特に女性)、ナルシストの作家、そしてこの街の富裕層の住民ぐらいだ。一日でもこの街に滞在し、その空気を味わってみれば、黒真珠という形容の浅薄さ、中身の無さに気づくだろう。


 黒真珠でなければ何なのか。そう疑問に思ったならば、尋ねてみるといい。異ヲの街の人口三分の一を占めている貧困層の住民に。彼らは決まってこう言うはずだ。“黒い血”に決まってるだろ、と。


 異ヲの街の中心街には、大きなショッピングモールがある。赤レンガを敷き詰めた地面を、おびただしい数の人間が歩いていく。怪物の唸り声にも似た足音を響かせながら。今日も異ヲの街は、あまり浴びたくない、できれば飲みたくない雨が降り注いでいる。人間のおよそ四分の一はマスクを着用し、さらにそのおよそ三分の一はサングラスまで着けている。


 そんな人々の頭上、ショッピングモールを覆っているアーチ状の天井からは、コンクリート中のカルシウムが溶け出してできた酸性雨つららが無数に垂れ下がっており、汚れも酷い。そこで<あかなめ>と<天井下がり>は清掃作業をしていた。あかなめはこびり付いた汚れを舐めて落とし、天井下がりは酸性雨つららを一本一本やすりで削り落としている。それぞれが十人ずついて、ローテーションを組んで作業をしている。


 地面の排水溝からは絶えず蒸気が立ち昇り、その中で<煙羅煙羅えんらえんら>が楽しそうに踊っており、ある回転寿司屋では<小豆はかり>が、小豆を量る要領で、全く同じ大きさ重さのシャリを握り、職人に手渡している。行き交う人々の中にも、人で非ざる者たちが混じり、往来を闊歩している。


 ある子鬼が、ケーキ屋のショーウィンドウ越しに、パフェの食品サンプルを物欲しげな顔で見つめていた。腰みの一丁で、お世辞にも清潔とは言えない身体だ。しばらくすると、ケーキ屋のオーナーと思しき人間が出てきた。彼は子鬼にゆっくり手を差し伸べると、だしぬけに小さな角をひっつかんで、ぽいと路地裏へ投げ捨ててしまった。驚いた子鬼は「きゃっ」と叫んで、そのまま逃げてしまった。その様子を咎める者は、誰一人としていない。せいせいした、とでも言わんばかりの顔でオーナーが店内に戻ってゆく。店内では、人間だけが豪華なスイーツに舌鼓を打っている。店員も全員が人間だ。


 カランと音を立ててドアが閉まった。そのドアの上には『Human Only』の文字が、憎々しげに自己主張をしていた。


 異ヲの街に住む妖怪たちにとって、理不尽は日常だった。だから悲しいほどに慣れてしまっていた。異ヲの街の貧困層とは彼らのことで、社会的地位は人間に比べ格段に低い。


 先ほどの子鬼が暗い路地裏を駆けてゆく。一見絢爛豪華なショッピングモールだが、少しでも路地裏に入り込めば、そこは一気に腐敗の様相を呈する。酸性雨によって溶けかけているコンクリートの壁、地を這う蛆、宙を舞う蠅の大群。腐汁のような臭気がそこら中に立ち込め、黒いカビがそこら中に生えている。


 子鬼は裸足のまま路地裏を駆け抜け、人間の居住区との境界線までやってきた。周囲を見回す。目の前にはこれ見よがしに豪華な屋敷が建っている。その反対側には、みすぼらしい木製の民家。木材は腐りかけ、そこかしこからツタが伸びまくっている。子鬼は境界線を沿うように走り、一軒の古本屋へと飛び込んだ。名前は『文妖堂ぶんようどう』。


「ねえちゃーん!」


 飛び込むなり子鬼は、椅子に座り読書をしていた着物姿の女性に抱き付いた。えんえんと、袖に顔を埋めて泣きじゃくる。


 着物姿の女性は「またなんか悪戯したの?」と、怒り半分心配半分といった声色で訊いた。子鬼はぶんぶんと首を振る。ついでに鼻汁を着物に擦り付けた。


「あぁもう勘弁してよ……」


「悪戯して、な、いっ。人間、がっ……。ケーキ屋、パフェおいし、そうっ、だっ……だからっ」


 女性はため息一つ。


「なんとなく解ったわ」


 そして懐からちり紙を取り出すと、子鬼の鼻をかんでやった。


「いいかい弥奈やな。あんたはちっさいけど立派な妖怪なの。大方こうでしょ。食いしん坊のあんたは、よりにもよって人間様以外立ち入り禁止の甘味処のガラスにへばり付いて、よだれでもたらしながら物欲しそうに食品サンプルを見てたんでしょ」


 弥奈はうんうんとしゃくりあげながら頷いた。


 文車妖妃はあからさまにため息をついた。


「だって、だって……」


 仕切りに両目を腕でこすり泣きじゃくる弥奈。これでも曲がりなりにも鬼の仲間だろうか。本当に情けない。いつまで経っても幼くて、それでいて愚かしい人間に非常に近い欲を持っている。だから始末に負えない。その始末に負えない者が今、目の前で大声をあげて泣いている。その大声だけはさすがは鬼と言わざるを得ない。下手すると近くの本棚がぐらぐらと揺れそうなほどの音量だ。


 彼女は致し方なくとっておきの方法をとることにした。


「本読んでやるから、ね」


 これがそのとっておきの方法だ。というより、これ以外の方法を彼女は持ち合わせていない。


「……乱歩がいい」


「はいはい。じゃあ持ってきなさい」


「うん」


 弥奈は目じりに溜まった涙をごしごし腕でふき取ると、笑った。半分泣いていて滑稽な顔になってしまったが。


「まったく……」


 と呟くと、女性は再び本を読み始めた。弥奈は推理小説が並べてある本棚へ行き、吟味を始めた。


 そんな弥奈の様子を、着物姿の女性の妖怪――<文車妖妃ふぐるまようび>――は神妙な面持ちで見つめていた。


 


「『小林君、そんなところで、何をしているんだね。』聞きおぼえのある二十面相の声が――」


「ちょいとお邪魔するわよぅふぐっちぃ」


 不意に降ってわいた粘っこい声に、文車妖妃は顔をしかめ、弥奈はぶぅっとふて腐れた。文妖堂の入口に、一人の女性が立っていた。腰をくねらせ人差し指を口に当て、派手なラメ入りのチャイナドレスを身に着けている。その様は娼婦か、あるいは頭のネジが飛んでしまった人にしか見えない。


「ちょっと、今いいとこだったんだかんねっ」


 文車妖妃の朗読を、それもかなりいい場面でぶった切られた弥奈は、文車妖妃の膝から飛び降り、ピョンピョン跳ねながら非難した。読んでもらっていた本が、江戸川乱歩の名作『怪人二十面相』ということもあり、苛立ちもひとしおだ。


「あぁんもう、弥奈ちゃんてばほんっと可愛いっ。食べちゃいたい」


 身体をくねらせつつ、その女性は言った。


 文車妖妃はため息を一つ、あからさまに嫌な顔をして椅子から立ち上がった。めんどくさい奴がまた増えてしまった。


「で、今度はどんな話を持ってきたってのよコンコ」


 コンコと呼ばれた女性は「んふふ」と笑うと、店内に入ってきた。本棚に陳列してある本を、まるで愛撫するかのような手つきで撫で上げてゆく。その姿が、不意にかき消えた。


「曲がりなりにも客商売なんでしょ。もうちょっと愛想良く接客しなさいよね」


 変わりに一匹の<篠崎狐>が、トコトコと歩いてきた。このコンコは、一言でいえば銭の化身で金食らい子。その執着の力たるやまさにトリモチ級で、その昔、古いお堂で寝ていた時に火事に遭い、危うく火だるまになりかけたが、ご自慢の髭と毛並みが焦げてもなお、お札だけはしっかりと両手で抱き寄せていたそうだから筋金入りである。


「生憎ふうてん狐にくれてやる笑顔は持ち合わせていないの」


「だったら……作ってあげましょうか? 布団の中、でぇっ!?」


 コンコ突然悲鳴を上げて飛び上がった。その後ろでは弥奈が、はたきを逆に持ってしてやったりという顔をしている。


「こ、ここはいかん、いかんぞこれは。クソガキィ……」


 コンコは天井の梁の上で、両手で股間を押さえてプルプル震えている。


 付け加えておこう。コンコはオカマである。


「うるさいやい。ねえちゃんを誘惑しようとしやがって」


 勝手なことを言ってくる弥奈。誘惑だと、冗談じゃない。


「ねぇホコリ落ちてるからさっさと降りてくれない?」


「くぅぅ……あちしはこんっなにもふぐっちのことを想ってるっていうのに、どうしてなの? どうしてなのよっ? 取ればいいの? タマ取っちめぇばいいわけっ?」


 さめざめと泣くコンコ。正直うっとおしい。出来ればこの手でソレをもぎ取ってやりたいが、さすがに実行に移す前に取りやめた。男性の局部から発生する痛みは、とても口で言い表すことのできぬ程のものであると、どんな本にも例外なく記載してあるのを、文車妖妃は記憶しているからだ。


「はいはい話は聞いたげるから。早く降りてらっしゃいよ」


「そうこなくっちゃぁ」


 即、嘘泣きをやめたコンコは、しなやかに文車妖妃の机の上に着地し、前脚でひげを整えつつ、話を始めた。


「呪われた物件ってのがあってね」


「ありきたりね。月並みもいいとこだわ」


 文車妖妃は立ち上がり、一番近い本棚へ向かった。


「確かにね。で、その内容もありきたり。そこに住んだ人間が次々不幸になったり、病気になったり、死んじゃったりしてる」


「ますますありきたりね」


 文車妖妃が戻ってきた。手にはポーの『黒猫』。その表紙を見せつけるように、机の上に置いた。正直興味は全くわかない。そういった手合いの祟りや霊障の類は、妖怪にとってみれば別段特別なことではないし、大抵そういった目に遭う人間の方に罪があるからだ。


 コンコは『黒猫』に一瞥を送り、「ここまでなら、そうね」と言ってニヤリと笑った。


「その家に憑りついた悪霊やら魑魅魍魎の類、あるいは……コレみたいに何かしらの恨みを抱いて死んだモノの怨霊か」と、『黒猫』を指すコンコ。


「取り壊しちゃえばいいじゃん。そんなお化け屋敷」


 弥奈が言った。


「事はそう簡単じゃないのよオチビちゃん。そんなことが立て続けに起こったから、その物件を紹介してた不動産屋そのものの評判も落ちてきちゃったの。当然取り壊し。これで万事解決――」


「しなかったわけね」


 文車妖妃は顔を上げた。『黒猫』は膝の上で畳まれている。


「えぇその通り。そこの元住人が不幸な目に遭ったってのはさっき話したわよね。こういう場合は大概、引っ越せば収まるもんだわ。ところが収まらなかったの。あろうことか、続いちゃってるのよ。今現在も」


「どういうこと?」


 弥奈が近寄ってきて訊いた。コンコは得意げにフンと鼻を鳴らした。


「問題の物件が取り壊されたのは、今から一か月前。最後の住人は、ザナ・フリーマンとその妻アビィ・フリーマン。夫は銀行員、妻は主婦。特にこれといって問題の無い普通の夫婦だったわ」


「普通に見える人間が一番危険だって聞くけど」


「あら。どこのひねくれた哲学者様からの受け売りよ」


「誰でもいいでしょ。続きを話して」


「その物件――中庸の極みって言える一軒家よ――にフリーマン夫妻が住み始めて、まず最初に起こったのは、金縛り。二人とも同時にね。常に誰かから見られてる気がしたり、ドアが勝手に開いたり、ラップ現象、エトセトラ……。怪奇現象のフルコースの後、夫の肺炎。妻が包丁で大けが。飼い犬は変死し、どこに飾ろうが観葉植物はすぐに枯れ果てる。ここにきて我慢の限界になって、二人は家を出た。ところが……」


「不幸が、終わらなかったのね」


「えぇ。夫は職場をリストラされた直後、交通事故で死亡。遺された妻の唯一の希望だった赤ん坊は、流産。彼女は二日前に自殺したわ。流産した子供の姿を見て、こう……」


 コンコが右手を、頭の上をくるくる回した。


「なっちゃってね」


「どんな姿をしてたの」


「助産婦曰く、骸骨」


「何ですって?」


「骨だけで生まれてきたんですって。その赤ん坊」


 目が一つだの頭が二つだの、手足がないだのそういった人間の奇形児は知っているが、肉がないものはさすがに初耳だ。


「しかも一分間くらい、動いて、あごをパクパクさせて何か言ってたって。ま、産んだものが肉なしじゃ、流産扱いせざるを得ないわよね」


「ふぅん。それは面妖ね」


 そして文車妖妃は再び本を読み始めた。


「あらぁん、ちっとも面白くなさそうじゃない」


「実際にそう思ってるからね。人間が骨の赤ん坊を産もうが自殺しようが、あたしにはどうでもいい話よ」


「そのどうでもいい話に、ご褒美がついてくるってことなら、ちっとは面白くなるんじゃない」


「褒美って?」


 文車妖妃が顔を上げないまま聞いた。


「『ゴッホの手紙初版本』」


 文車妖妃の手が止まった。


「問題の物件に住んで、ヒドイ目に遭った人間たちの中に、希少本のコレクターがいるのよ。自分の身に起きてる問題を解決してくれたら、一冊無償で差し上げますって言ってくれてね。どう? ふぐっちはその本を読む、で私はそれを高く売り飛ばして儲ける、お互い得してうぃんうぃんじゃない」


 文車妖妃は本をたたみ、立ち上がると、二階への階段を駆け上り始めた。


「ちょっとどこ行くのよ」


「よそ行きの服に着替えるためよ」


 コンコの顔がにまぁと歪んだ。


「てぇことは、引き受けてくれるのね。うっふふふ」


 文車妖妃は書物の妖怪。文車妖妃にとって読むという行為は人間の食べる行為と同義であり、生存のための必須行動、並びに至高の娯楽享楽でもある。『ゴッホの手紙』とは、画家ゴッホが生涯を通じしたためた、血の滴るような情熱でもって書かれた告白の記録である。即ち文車妖妃にとって、血の通った“美味い”文章をじっくりたっぷり味わえる至極のごちそうとなる。おまけに、下手な改ざんや修正がほぼされてない初版本ときたら、それはもう絶品に違いない。


 文車妖妃は市松模様の着物に着替えながら、早くもその“味わい”を考え、悦に浸った。

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