1.フクロウ
彼は自分がどこにいるのかはっきりと解っていた。群生した植物、立ち並ぶ木々、地に転がる岩には碧い苔がびっしりと生えている。彼は森にいた。いや正確には、森の土の中にいた。
彼の記憶するための器官は、まだ十分に発達していない。だから、彼は一体どうやってここへ来て、そしてどうして土の中にいるのか、ぼんやりとしか思い出すことができない。一番最初に覚えているのは、粘液にまみれた真っ暗で狭い通路を移動していることだった。その後、彼は閉じたまぶた越しにまぶしいものを感じた。まぶしいもの……彼はそのまぶしいものの名前が“光”だということは知らなかった。誰からも教えられなかったからだ。
手足を動かそうとしても、全く動かない。体中全ての関節が、石膏で固められたように硬直してしまっている。口は開いている、そこに大量の泥が入り込んでいるのだが、苦しさは全く感じない。彼は呼吸をしていないからだ。
彼は死んでいた。その身体は既に腐敗が進み、土中の微生物や虫によって、分解作業が行われている。落ちくぼんだ眼窩の奥に、カブトムシと思われる巨大な幼虫が鎮座しているのが解る。彼にとってそれらの生き物たちは、嫌悪の対象では全くなかった。何故こんなにも自分の身体に集まって、そして食い荒らしているのか、そこに恐怖は一切なく、純粋な好奇心だけが存在していた。
すると、旺盛な食欲を見せていた彼らが、突如一斉にいなくなった。眼窩の底の幼虫さえもが逃げ出した。彼はその理由をぼんやりとだが理解した。自分の身体の周りから、奇妙な気配が迫ってくる。ゆっくりと、雨水が土に浸透してゆくかのごとく、じんわりと、彼に向かって全方向から気配は移動してくる。やがてその気配は、彼の身体をすっぽりと包みこんだ。
彼の自我はじわりじわりと、その気配の中に溶け込んでゆき、ついには跡形もなく消え去った。
かつての彼の自我を取り込んだ気配は、地中から這い出し、しんと静まり返った暗い森の中へと消えていった。
ほう、ほう。
どこかでフクロウが鳴いていた。