ようこそ、おじキャバへ
社会人になって数年が経つと、ふと立ち止まって考える瞬間がある。
このままでいいのか。もっと他に自分らしい場所があるんじゃないか――そんな思いが、ふいに胸をよぎる。
でも、答えはなかなか見つからない。
AIがキャリア診断してくれても、ネットに情報はあふれていても、本当に信じられるのは“誰かの実体験”だったりする。失敗も、遠回りも含めて語られる、リアルな声。
これは、とある会社で開かれる“懇談会”、通称「おじキャバ」での、ちょっとした心の変化を描いた物語を短編で描きました。
「またか……おじキャバ」
拓実はスマホの通知に目をやりながら、つぶやいた。
今月も開かれる、会社の“懇談会”。建前は「親睦を深める場」、だが実態は自腹強制参加の飲み会。
ベテラン社員達が若手社員を囲み、若手への接待という名目で自分達の昔話を延々と語る――そんな場を、拓実は皮肉まじりに“おじキャバ”と呼んでいた。
ベテラン=キャスト。若手=客。ただしホスピタリティではなく、説教と焼酎がメインメニュー。
拓実、28歳。仕事も慣れてきたが、未来が見えなくなることも多い。
今日もまた、適当に笑って乗り切るだけか――そう思っていた。
だが、その夜は少し違った。
「お、拓実くん。来たな。まあ座れ」
営業部の安藤課長が、焼き鳥を片手に笑っていた。安藤はいつも明るくて、人付き合いもうまい。けれど今日は、少し違う表情をしていた。
「なあ、正直どうだ? 今の仕事、楽しいか?」
「……まぁ、やることはやってますけど、なんとなく将来が見えなくて」
「わかるよ」
安藤はグラスを置き、少し声を落とした。
「俺さ、30ちょっとで一回、会社辞めようと思ってたんだ。やりたいこともなくて、でもこのままずっとここにいていいのかって、ずっと悩んでた」
拓実は少し驚いた。安藤は、順風満帆な会社人生を歩んできたように見えたから。
「結局、辞めずにここに残った。タイミング逃したのもあるし、ちょっとずつ面白さも見えてきたから。でも、あのとき本気で考えたことは、今でもよかったと思ってる」
安藤はビールを一口飲み、拓実を見た。
「会社に残るのも、離れるのも、どっちもありだよ。ただ、どっちにしても、“なんとなく”じゃ後悔する。ちゃんと自分の頭で考えて、自分の意志で選んだなら、それが正解になる」
「……はい」
「酔っ払いの戯言だとバカにされてもいいさ。こういう場でしか話せないこともあるからな」
安藤は笑ったが、その目にはどこか本音の影があった。
帰り道、拓実はふと立ち止まり、夜風を吸い込んだ。
会社を出るのも、残るのも、キャリア。
大事なのは、自分の意思で選ぶこと――そんなシンプルなことを、“おじキャバ”で教えられるとは思っていなかった。
「……俺もいつか、人気キャストになれるかな。。」
背中を押す言葉を、今度は誰かに渡せるように。
拓実はゆっくり歩き出した。