7.誤算と決意 前編
隣国のパーシヴァル殿下とベリンダたちが学園に登場し、いよいよ物語の始まりとなる私の死というきっかけが近づき常に警戒する日々が始まった。
学園に行かないという選択も考えたけれど、状況もわからずにいるほうが怖くて何より不安だ。
運命的な出会いでベリンダが現れた以上、どれだけ私が理由をつけてもずっと学園に行かないことは不可能なのではないかと思った。
そして、引っ張り出されたその日に誰かもわからない人に殺される。
その可能性も否定できないため、普段から注意深く観察し情報を得て対策を立てるほうがきっといい。
運命に立ち向かうべきだろう。
私はきゅっとスカートを握った。
精一杯の抵抗として、いざという時のお守りとして武器にもなりそうなアクセサリーをポケットに忍ばせ戦う覚悟はできている。
「フェリシア。ウォルフォード様がものすごくこちらを見ていますけど」
ジャクリーンに話しかけられ視線を上げると、彼女は戸惑ったような顔でちょっと苦笑して見せた。
「そうですね」
デュークがじっと私を何か言いたげに見るのも相変わらずで、その視線を感じるたびに私の心臓はとくとくと早鐘を打つ。
今も感じるその視線にそっと息をつき、意識を閉ざすようにゆっくりと瞬きをした。
かなりの熱視線は気になるけれど、視線が合ったからといってデュークが何かアクションを起こすわけではない。
正確には話しかけたそうにし、動こうとしているのはわかるのだけど、どちらかが話しかけられてできていない状況が続いていた。
「放っておいていいのですか?」
「いいんです。用事があるのならあちらから話しかけてくると思いますし、それがないのでしたら気にしなくても大丈夫です」
もう、自分からは動かないと決めている。
視線に気づかないふりをするのは、見てしまうと心が動いてしまうから。長年の恋心は根強くデュークを求めてしまうのだ。
だから、私は心を動かされたくなくて見ないという選択をするしかなかった。
「あら。フェリシアがウォルフォード様のことでそんなふうに言い切るなんて珍しい」
「……ただ、デューク様にそこまで深い意味はないかと思うので。お忙しいでしょうし」
デュークを好きな心が悲しみと怒りを訴える。
そんなに視線を向けてくるくらいなら、記憶を思い出しデュークのための行動をやめてから一週間、さらに疲弊し気持ちが乾いたと言いながらも好きな心がデュークを求めていた今までに、デュークから何らかの行動をしてくれていたらよかったのにと思ってしまう。
――早く、解放されたい……
ヒロインが現れてしまった今は未来の怖さのほうが勝って近づくのを億劫にさせて、単純に関心を喜んでいられない。
もしここで応えてしまったら、デュークが好きな私はさらに想いを募らせる。
そんな中、物語のように惹かれていくかもしれない二人を間近で見る自信はない。
――本当、なんで今なの……
こんなふうに少しでも意識すると気持ちが荒れてしまう。
もう疲れた。これ以上一喜一憂したくない。
だけど、話せない分を穴埋めするように手紙が届くようになり、届くと私の心は喜んでしまう。
なるべく失礼にならない範囲でやり取りが続かないように言葉選びをしているのだけれど、それでも手紙はやってきて存在感を示し、好きがなかなか薄れてくれない。
物語のヒロインであるベリンダとデュークが出会ってしまった今は、嫌でも現実を突きつけられているようで正直二人が一緒にいる姿を見るのはつらい。
物語と同じようにデュークは彼女とくっつき、そして自分は盛り上げ役の死に役なのだと思うと悲しくて。
落ち込む気持ちが、今の楽しささえも消してしまいそうで極力関わりたくなかった。
「ですが、あれは……」
「ジャクリーン。デューク様の視線は気にしないでください」
「まあ、そうよね。用があるなら自らフェリシアのところに来ればいいだけのことよね。今までフェリシアがそうしていたようにね!」
ジャクリーンとはさらに仲良くなって、今は互いに敬称なしで呼ぶ仲だ。
ちくっとデュークに対して嫌みを告げるそれは、私の立場を慮ってのこと。絶対的な自分の味方の存在に、ざわざわしていた心が少し凪いだ。
「デューク様の性格上周囲を振り切ってまでは難しいかと……」
「まあ、隣国関係は気を使うのでさすがにそれをしたらダメよね。ちょっと同情します。殿下もかなり疲れているようでしたし」
水の出し方や交通ルールなど、文化の違いもあって使っている物を含めた説明が思ったよりも必要になっている。
ベリンダの事故も認識の違いと不幸が重なって起こったようだ。
「少なくとも私からはもう動きません。それよりもデューク様の態度も関係してか、周囲のほうが私たちの動向が気になるようなのが困ります」
「フェリシアがウォルフォード様のもとに訪れなくなって一か月、その変わりようにほかの女性がそばにいるとなるとどうしても気になるのでしょうね。しかも、ウォルフォード様はフェリシアをしょっちゅう熱い眼差しで見ているし。今までの関係性が変化したのは誰が見てもわかりますので」
「そう、なんですよね」
そのため、デュークを挟んで私対ベリンダの構図が出来てしまった。
ここにきてデュークは何やら熱っぽく私を見るし、彼の周囲にはヒロインとなるベリンダがいる。
正確には彼の、ではなく彼らなのだけど、あまり人と、特に女性と話さないデュークが私以外の女性と話すことが周囲の関心を引いた。
デュークの立場を私はわかっているつもりだ。周囲の好奇心による噂のように、私の代わりに彼女と話しているなどとは思っていない。
この国の王太子クリストファー殿下の側近として、隣国の王子パーシヴァル殿下の従妹であるベリンダをデュークが気にかけるのは当然のことだ。
パーシヴァル殿下も彼女も国賓となるのだから、心を配り安全にこの国で楽しんでほしいともてなしているにすぎない。
しかも、デュークは彼女が来訪したその日に彼女の危機を救ったヒーローである。ほかの側近よりも二人の関係が強調されるのは当然のことであった。
「あまり気にせずフェリシアはフェリシアの思うように動いたらいいわ。今まで頑張ってきたのだもの。これからはフェリシアの好きにしていいのよ。少なくとも、私はフェリシアを応援しているからね」
「ありがとう。ジャクリーンと友人になれて、そして好きなこともできて今とっても楽しいの。だから大丈夫」
興味本位の人もいるけれど、周囲の大半は心配してくれている。
私がデュークのことを好きであることは態度で周囲も知っていたし、婚約しているので当然のように受け入れられていた。
よくデュークのもとに通っていたのは事実なので、通わなくなって一か月はどうしたのかと聞かれることはあってもここまでではなかった。
――なかなか思うようにはいかないものね。
デュークを諦めたいのに心を乱される。
前世の物語の記憶がちらちらと脳裏をよぎり、二人を同時に視界にとめると突きつけられる。
けれど、そればかりを考えていられない。
隣国というワードを思い出した時から隣接している五つの国の歴史とこの国との関わり、我が家やウォルフォード公爵家にどんな関わりがあるかどうか含め情報収集はしていた。
そして、今回の国際交流の国のことも当然調べてあるけれど、交流を絶っていたこともありわからないことが多かった。
だけど、新たな記憶を思い出し、来訪者が誰かがわかった後すぐに情報は仕入れてある。
このたび、この国にやってきた人数は十五人。男とあったので、身分がはっきりしているパーシヴァル殿下はさすがに除外。女性も除外すると十人。
性格まではわからなかったけれど、家柄や彼らの関係性はある程度はわかった。
さらに詳しいことがわかるように情報ギルドにも依頼してあるので、その情報が揃えばもう少し見えることがあるのではないかと思っている。
いつ、誰が、私を殺そうとするのかと考えると怖くて、恋心だけでなく背後から忍び寄る恐怖に心がすくみ上がりそうになる。
そのことばかり考えていると、物語に呑み込まれてしまいそうだ。
だけど、現実と物語はどこまで同じになるのかわからない。
もしかしたら私が変えた行動によってそういうことが起こらないかもしれない。
ただ、やはりベリンダを見ると心が乱れる。彼女が悪いわけではないのに、その存在を必要以上に意識してしまう。
だから、なおさらデュークと視線すら合わせないように気を配るようになった。