6.予定調和と熱視線
白雲がなびく青空の日。
隣国の第三王子パーシヴァル殿下たちが交流のために学園にやってきた。
先日の逢瀬に遅れたことについては、私が店を出た一時間後にデュークが直接侯爵家に謝罪に来た。
その時、私は不在で工房に出向いていたので、帰ってから贈り物とともに手紙を受け取り知った。
貴族として必要な誘いと私の手紙の返信だけだったデュークが自ら手紙を残したのである。なんと、待ちながらその場で書いたようだ。
なかなか帰ってこないので諦めて帰ったようだけれど、まさかデュークがそのように動くとは考えもしなかったのでびっくりした。
そして、その行動は婚約破棄をすると決めた私からすれば、もうただただ複雑だった。
出会ってしまったヒロインの存在はどうしても気になって、でも来てくれたことはやっぱり嬉しくて。
今までのデュークなら来ていても伝言のみ、もしくは私の「帰る」の言葉にそれなら仕方がないと後日謝罪があるかだと思うと、遅刻の謝罪についての手紙を読みながらぐるぐるした。
待たせた上にこんなことになって申し訳ないこと、また日程を改めたいこと、最近どうしているのかと、そしてまた手紙をもらえると嬉しいとたどたどしい言葉選びに泣けてきた。
しかも、私に渡そうと思いプレゼントを買いに出た先でのベリンダとの遭遇。
その時に選んだという可愛らしいガラス細工の小物入れを何度も眺めながら、涙が流れるのを止められなかった。
婚約破棄すると決意したはずなのに、この一か月、何度も勝手に期待してはすり減っていった心は、デュークが自分のためにと思った行動を見せられると簡単に揺れる。
死ぬことと、婚約者であることは関係あるのだろうかと性懲りもなく考えてしまう。
眠りながらも明日からベリンダがいるのだと思うと、デュークはどう動くのだろうかと気になって。
くっついていくところを見たらショックだし、私が死なないとそういうこともないのか、未知数で不安ばかり募る。
なかなか寝付けないまま朝を迎え、準備をして階下に下りると侯爵家でデュークが待っていた。
どうやら迎えに来ることは家族には伝えていたようで、私は面食らってしまった。
家族もきっと私が喜ぶと思って了承したのだろう。
「デューク様……」
「フェリシア」
名前を呼び、互いに見つめ合う。
それから、デュークはがばりと頭を下げた。
「昨日は遅れて申し訳ない」
「いえ。事情はお伺いしておりますのでお気になさらないでください」
「だが……」
そこでデュークは私を探るようにじっと見た。
濃紺の瞳は私が見たことのない色をしていて、なんだか今までと違う胸の騒ぎ方をした。
私はふぅっと息を吐いてそっと目を伏せ、ゆっくりと瞼を上げた。
視線が合うとふわっと緩まる眼差し。じっと見つめる濃紺の瞳に囚われる。
「それよりもお怪我は大丈夫でしょうか?」
「ああ」
「馬車に轢かれそうなところを助けたと聞きました。とても勇敢な行いだと思います。ですが、同時にもしがあったらと心臓が止まるかと思いました。デューク様も相手の方もご無事でよかったです」
夜、いろいろ不安を抱えながら考えた。
二人が出会わなければどれだけ良いかと思ったけれど、そこで出会っていなければベリンダは馬車に轢かれていたかもしれなくて。
物語を知っている私からすれば、作られた出会いのようでとても悲しい。
けれど、誰かが命を落とすようなことはやっぱり嫌で、もしそこでデュークが行かなければ劇的な出会いとはならなかっただろうけれど、ベリンダが不幸に遭っていたかもしれない。
もしくは、彼女側の人が助けていてどのみち命に影響はなかったかもしれない。
かもしれないは想像するとどこまでも広がっていき、次々と確証がないのに不安要素を作っていく。
だから、怪我もなく無事であることが何よりだと思うようにした。
作られた出会いでもなんでも、不幸の上で自分が楽になるのはまた違う。
何より、諦めようと思っていてもとても大好きな人だ。怪我や苦しい思いをしているところなど見たくない。
そして今。
あんなに会いたかった人が、今までになく歩み寄られていると感じられる距離にいる。
「心配かけさせてすまない」
「いえ、無事でおられることが何よりです。それにこうして会いに来てくださっただけで十分です」
本当、それだけで十分だ。
元気な姿を見て、その瞳に自分を映し柔らかに細められるだけで胸がじわりと温かくなる。
やっぱり好きは消せないのだと諦めの境地になった。
私はどうしてもデュークが好きなのだ。
不器用なところも、真面目なところも、じっと見つめられ静かに話を聞いてくれるだけで、その瞳に自分が映っているだけで満たされる。
でも、やっぱり死に役盛り上げ役になるのは嫌だ。
私の恋心と死に役になることはまた別の話。
学園に行く馬車の中でもぽつぽつとデュークから振られる会話に、嬉しさとなんとも言えない寂しさを押し隠し私は久しぶりにデュークとの時間を過ごした。
複雑な思いで、それでも一緒にいる時間は幸せで、いつもより口数が減ってしまった私に代わり、なんとか会話をしようというのが伝わってくる。
その彼の話によると、学園に着くと朝から隣国のパーシヴァル殿下たちの案内があるとのことだった。
このたび第三王子であるパーシヴァル殿下が来たのはクリストファー王太子殿下と同じ年であるからだ。そのため、側近の中でもデュークともう一人、テレンス・ゴッドリッチ侯爵令息がメインで相手をすることが決まっているとのこと。
三か月ずっとべったりだというわけではないが、最初は案内とともに気を配ることも多くなるだろうと馬車で聞いた。
何せ相手の性格がわからない。どこまでこちらが介入するかは様子を見ていくしかない。
そして、その話の中にベリンダについてはなかった。それが良いのか悪いのかわからないまま、私は静かにデュークの話を聞いていた。
学校に着いたら準備があるとのことだったので、急ぐなら早く行けばいいのになぜかそわそわと留まろうとするデュークの背中を押してから私たちはあまり話せていない。
あの朝の馬車の時から、デュークは積極的に話しかけようとしてくる。だけど、何か話して心が乱されるのはもう嫌だった。
好きを再確認したからこそ、もうこれ以上期待して落ちたら自分の心が壊れてしまいそうで。
なのに、その日からちらちらとデュークの視線を感じることが増えた。
振り向くとじっと見つめられ私が視線を外す、もしくはデュークが誰かに呼ばれるまで外されない。
その頻度は日に日に増していった。
――なんで、見るのかな……
今まで感じたことのないデュークの熱い視線。
明らかに何か言いたげな眼差しを前にすると、私の心はどうしても揺らいでしまう。
以前の私が欲しいと思った関心が、気持ちを捨ててしまおうと思ってから向けられている。
けれど、デュークのことで揺らぎたくない私はそれに気づかない振りをしていた。
現在、彼のそばには物語のヒロインであるベリンダ・マッケラン令嬢がいる。
心は更地になってまた好きを確認したからこそ、より彼女の存在は刺激される。物語と現実がいよいよ迫ってきていて、見るだけでつらい気持ちになった。
期待しなくなっても、婚約破棄すると決めても、私の心はまだデュークが好きで。
彼女の存在はどうしても無視できなくて。
これ以上、惑わされ必要以上に心を揺さぶられ傷つきたくなかった。
ベリンダは隣国のパーシヴァル殿下の従妹で、王都に到着して馬車に轢かれそうなったところを助けたのが、私との約束の前にプレゼントを買おうと出かけていたデューク。
私のための行動とヒロインとの出会い。
無事でよかったという気持ちは本当だけど、どうしても運命的なものを感じてしまう。
危険を顧みず人を助ける人で強く優しい人だと再確認でき、自分の恋心はやはり間違っていなかったことへの安堵は確かにあった。わざわざ買いに出てくれた事実も嬉しい。
だけど、作られたような劇的な二人の出会いを噂で語られるのを聞くたびに気持ちは冷めていく。
助けたデュークと助けられたベリンダの距離は縮まることは必須で、出会いも二人のために用意されたようなものだと、物語を知っているだけに素直に喜べないプレゼント。
婚約者の私にとっては虚しいだけの設定で、好きは募っても事実と現実に心は冷えていく。
物語のヒロインのベリンダの登場は、デュークは婚約者のものではなく、彼女のものなのだと突きつけた。
彼らの出会いが宿命なのなら、私の死も規定に乗るかもしれないということ。
ここにきて死への恐怖に足が竦む。
隣国の王子との交流、ヒロインの登場。予定調和のロマンスな出会い。
なぜ、私が男に殺されなければならなかったのか。ただの事故か故意か。
それはいつだったのか。
誰なのか。
ベリンダの登場で思い出した物語によると、私はどうやら国際交流が行われているこの三か月の間に死ぬような出来事に巻き込まれるようだ。
そして、人気のないところで出血多量で死んでいたようだ。
それだけ? である。
私が死んだことによる後悔から始まる物語なので、盛り上げ役要員の死に方なんて詳しく説明されていなかった。
どこから血が出ていたのか、どういう状況なのかわからないが、他殺だと思えるからデュークは後悔しながら犯人を見つけようと躍起になった。
心許ない情報だけれど、人気がないところに行かなければ避けられる可能性が出てきた。特に男性と二人きりになるようなことは避けるべきだろう。
「なんとか乗り切って、婚約解消しないと」
ヒロインが登場した今、デュークが私に対して気持ちがないのならいつまでも彼を縛っているのはダメだろう。
二人の恋の始まりが私が死んだことがきっかけだったとしても、互いに惹かれる要素があるから恋に落ちたのだ。
幼馴染で婚約者だから気にかけてくれているのなら、私は好きを封印してデュークを解放すべきなのだ。
そう思わないと、この先二人が惹かれていくところを見る自信がない。
それがどれだけつらいことでも、生きてさえいればきっと楽しいことがある。
そう信じて、とにかくこの三か月を死なないように乗り切ろうと私は気合いを入れた。