23.死に役になんてなりません
開かれた音楽室にキャラメル色の髪の女性が姿を現す。ひょこっと顔を出した際に、柔らかな髪がふわりと肩から落ちた。
青の双眸が窓辺に立つコーディー・アドコックを捉えると、すぅっと細められた。
「コーディー! ここで何をしているの?」
「ベリンダこそこんなところでどうしたんだい?」
可愛らしい声で問われたコーディーは、砂糖漬けしたようなどろりと甘い声音でベリンダの名を呼び、声と同じような眼差しで彼女を捉えた。
愛おしさいっぱいのコーディーの表情に、ベリンダは安堵の息をつくと音楽室に足を踏み入れた。
「会場にパーシィたちもいなかったし、何よりあなたがなかなか帰ってこなかったからどこにいるのかと思って。探したのよ」
もうっ、と拗ねたようにベリンダはぷくりと唇を尖らせる。
「ここにいるのがよくわかったね。捻った足は大丈夫だった?」
「ええ。一瞬痛くてもしかしてと思ったのだけど勘違いだったみたい」
「それは大事にならなくてよかった」
きょろきょろと周囲に視線をやったベリンダが、コーディーの足下を見て一瞬口端を引いたがすぐに戻して目を丸くした。
彼女から見えるのは女性ものの靴だ。よくよく見れば、普段は整列してある机もコーディーの周囲だけ何かあったのか大きくずれている。
「コーディー、その靴は?」
「ストップ! こっちに来てはダメ。ベリンダに迷惑をかけるから。あと、そこの扉を閉めてくれる?」
足を進めようとしたベリンダをコーディーが制止する。
「わ、わかったわ。コーディーは大丈夫?」
「ああ。これもベリンダのためだ」
「私のため?」
扉を閉めて再度向き直り小首を傾げるベリンダに、コーディーは彼女から靴を隠すように立った。
「ベリンダは彼女を邪魔に思っていたのだろう? 毎日、毎日、フェリシア・オルブライトさえいなければと言っていたから」
「でも、だからといって」
ベリンダが顔を伏せ、ゆっくりと顔を上げたその瞳には涙を溜めている。
その姿にコーディーはうっそりと笑んだ。
「じゃあ、ベリンダはどうしてほしかったの? ずっとこの国に来て彼と会うことを楽しみにしていたし、デューク・ウォルフォードは自分のものだと言っていたよね? 自分たちの仲を引き裂くことは許されないって。そういう運命だって」
「ええ。デュークは私のものなの。それは絶対なのよ。なのに、彼は私の手を取らないし見ようともしない。こんなことおかしいわ。きっと憎きフェリシアが何かしたに違いないのよ。だって、私は愛されるべくして生まれてきたの。そうでしょ?」
ベリンダは考えるように人差し指を口に当てて、うるうると涙を溜めてコーディーに上目遣いを向けた。
コーディーはにっこりと微笑み、愛おしそうにベリンダを見つめる。
「ベリンダは愛されるために生まれてきたのは確かだね」
「ふふっ。ありがとう。コーディーならわかってくれると思ったわ」
理解不能な恐ろしい二人の会話に思わず身体を震わせると、私の背後に同じように身を潜めていたデュークがそっと抱きしめてきた。
その温もりに安心して、ぐっと入っていた肩の力を抜く。
一人じゃない。寂しく死ぬことはない。
ベリンダにこちらのことを気づかれてはいけないので、無言で視線を交し互いに頷き合った。
現在、私たちは彼らから見えない場所に潜んでいる。
なぜこうなったのかというと、三十分程前に遡る。
「俺はもう間違えない。だから、あなたは俺のためにここで一度死んでもらってもいいですか?」
コーディーのとんでもない発言の後、打ち合わせ通り音楽準備室に潜んでいたデュークが飛び出してきた。
「ふざけるな!」
後退ると同時に現れたデュークに腰を抱かれ、コーディーから隠すように私の前に立つ。
その手にはすでに剣を持ち物語のように前へと突き出した。
シオドアがパーティー当日の空き部屋の確認をしてきたため、デュークは音楽室のことを教えてその上で監視する体制を敷いていた。
何を企んでいるのか確認と場合によっては聴取をするつもりで動いていたが、私が決着をつけたいと言ったことによって急遽畳みかける布陣に変えた。
同じように準備室の扉から出てきた騎士たちは、コーディーの発言に信じられないと驚きながらもすぐさま周囲を取り囲んだ。
距離を詰められればすぐに逃げる約束と、少しでも危ないと判断すれば助けが入る手はずになっていた。
予想通りの場所で隣室にはデュークたちがいると知っていたため私は怖くても毅然としていられたが、さすがに堂々と死んでくれと言われれば危機感を覚える。
「ああ、やっぱり出てきましたか? あなた方が動いていることもわかっていた。むしろ、動いていると見越しての発言なんですけどね」
なぜそんなに落ち着いていられるのか。
デュークが現れても驚きもせず、何もしないと意思表示するかのように両手を上げて淡々と話すコーディーは不気味だ。
自己申告を信じるのなら、物語で私を殺した相手だ。
ベリンダに傾倒していることといい、彼の前世も今世も何を望んで動いているのか全く理解できる気がしない。
「どういうことだ?」
「オルブライト嬢が死んだふりをしてくれたらそちら側が望むものを提供できると言ったら?」
「そんなわけのわからないことをさせられるわけがないだろう!」
聞いたことのない鋭い声でデュークがキレた。
その姿を頼もしく思い彼の背中に守られながら、物語で『死に役』だったと知っている私は彼が言わんとすることがわかった気がした。
私を物語と同じように殺したと見せかけたとき、ベリンダをうまく誘導して決定的な言葉を引き出す自信があるのだろう。
つまり、ベリンダがここでの前世の記憶か私のように物語の記憶を持っているとコーディーは認識している。
――ベリンダも転生者で、しかもひどいタイプのやつ……
ベリンダの性格が前世からそうだったのかまではわからないが、これはこれでかなり複雑だ。
彼らが物語以降どのような結末を迎えたのか今までは知りたくなかったけれど、こうなってくると気になる。
実際のところは憶測だけれど、少なくともいつもベリンダのそばにいるコーディーだからこその確信があっての提案。
想定より流れが大分変わってきているけれど、私の、私たちの目的は変わらない。
そっちが自由勝手に策略するならば、こちらも遠慮なく好きにするまでだ。
ただ、私を殺した人物だけでなく彼女もこの国から追い出す理由ができるのなら聞く価値はあるが、コーディーの意図がわからないことには乗ることはできない。
「そうすれば彼女の悪意を白日のもとに晒せるのでしょうか? もしそうだとしても、彼女は追い詰められてしまいますがいいのですか?」
コーディーはこちらの思惑をわかっていて乗ってきたようだし、本気でそうするつもりであった場合、わざわざ愛する人を追い込む理由がわからない。
「ああ、俺はね。ベリンダが愛おしくて仕方がないんですよ。手を貸さないと彼女はただのおバカさんで恥知らずのまま何も変わらず俺を見ない。もしくは盛大な過ちを犯して破滅して俺の手元に残らない。それは困るんですよね」
「勝手だな。そうなる前に止めるべきなのでは?」
「中途半端に止めたところであんたと共にあることが運命と信じている限り俺のものにならない。俺は彼女のすべてをものにしたい。だったら、俺しか頼る者がいない環境を作らなくては」
そこで、ふふっと笑うコーディーは薄暗い眼差しで扉の向こうを見た。
――や、病んでいる……
本来の気質もあるのだろうけれど、前世でベリンダのために行動したのにかばわれもせず、目の前でくっつく過程を見せられておかしくなってしまったのではないだろうか。
コーディー・アドコックは物語で『盛り上げ役』であり『道化』だ。
だからといってベリンダのために人を殺すとか意味がわからないし、殺されたのは私。もちろん同情なんてしない。
だけど、ここまで彼を狂わせたのはベリンダで彼女は罪深い。
今回は私を殺すつもりはなくて、コーディーはベリンダ捕獲に向かっているのなら話に乗ってもよいかもしれない。
信用はできないが、こんなおかしな人物が今後一切学園に、この国に訪れることはデュークが許さないだろうし、ベリンダも道連れにしてくれるならそうしてもらいたい。
追い詰める機会があるならそれに賭けてみるべきではないだろうか。
デュークからしたら理由がわからないことだと思うけれど、私はデュークを説得しコーディーの案に乗ることになった。
絶対危険なことはさせられないとそれだけはデュークは首を縦に振らなかったので、私の靴だけを入ってきたところから見てそうだと勘違いさせるように置いた。
なので、『死に役』は私の靴である。
私もたとえ演技でも『死に役』で過去私を殺したことのある人のそばに無防備にいるのは無理だ。
そうして事前にデュークが動いてくれていたことで周囲の協力を得ることができ、誘導するように一人でやってきたベリンダは、見事に勘違いしてコーディーに狂った心情を吐露する。
「もちろんだよ。俺はベリンダのためならなんでもできるから」
前世では私を殺し、今世では彼女を孤立させるため。
コーディー・アドコックの伯爵家は事業に成功し、隣国の中ではその辺の貴族の追随を許さないほど金銭的に困らない家だと聞いている。
シオドアもベリンダを甘やかし彼女がうまくいっていると勘違いさせる要員として、そのお金関係で彼に使われていたのかも知れない。
もしかして、ベリンダが男性たちを侍らせているのはパーシヴァル殿下の従妹であることも大きいだろうけれど、コーディーの仕業もある?
そこまで考えて、ぞぞぞっと悪寒が止まらなくなった。
――言葉が出ないっ……
ベリンダがデュークに固執する理由まではまだわからないけれど、前世で互いに歪め合った結果が今に繋がっている。
それに巻き込まれている現在。
「私の味方はコーディーだけだわ。大好きよ」
「でも、国を出てウォルフォードと恋人関係になりたいんだよね?」
「だって、そうなる運命でそれが最高の幸せになるはずなんだもの。それを彼女がずっとずっと邪魔をしてくるのよ。フェリシアなんてただの幼馴染なだけじゃない。たまたま近くにいたから婚約しただけのはずなのに、どうしてデュークはあんな子を気にかけるのかわからないわ。そうよ。今日のことも絶対おかしいのよ!」
「そう運命ね。だったら、これでいいんでしょ?」
コーディーがにぃっと口の両端を引くと、ベリンダも鮮やかな笑顔を浮かべた。
「ええ。フェリシア・オルブライトは死ぬ運命。そして私こそがデュークの隣にいるべきなのよ。死んでからもずっと存在を匂わせるなんて許されない。そうでしょ?」
直接彼女の口から引き出せた!
死を願われている立場でかなり気分は悪いけれど、これで彼女をこの国から強制退場させられると私は背後にいるデュークを見た。
デュークは険しい顔でベリンダたちを睨んでいたが私の視線に気づくと悲しげに眉を下げ、唇を噛み締めるとぎゅうっと私を抱きしめた。
どくどくとデュークの心臓の音が響く。
「死ぬってどういうこと?」
「……えっ? コーディーがあの女を殺したのではないの? あなたならそうすると思ったから様子を見にきたのよ。私のためなら何でもしてくれるもの。ねえ、もったいぶらないで何をしたか話して」
ベリンダのその言葉に、私を後ろから守るように抱き込んでいたデュークの腕がぴくりと動いた。




