1.やめてみよう
「やっぱり、ふざけた設定!?」
侯爵家の屋敷に戻った私は、一人になってぽすぽすとクッションを叩いた。
本当はぼすぼすといきたいところなのだけど、ほっそりした腕ではぺこんとクッションがへこむのみ。
先ほどは恋心に引きずられ少しセンチメンタルな気分に浸っていたけれど、時間が経つと徐々に腹が立ってくる。
転生先が死に役の盛り上げ要員って、全くもってよろしくない。人の人生をなんだと思っているのか。
転生前の記憶は全体的におぼろげで、思い出した物語もざっくりとしたものだ。
その上、それは私が死んでからのデュークたちの恋物語で、ただただ悲しくなっただけだった。
しかも、なぜ私が死ぬことになったのかがわからないまま。どうやら隣国が絡んでいるらしいくらいの情報しかなかった。
恋愛ベースの物語だとしても、敵を討ったならそこは解明してほしかった。
「死に損でしかないのよね」
私は悔しさできゅっと唇を噛み締めた。
それから努めて大きく息を吐き出す。
全く役に立たない情報だけれど、知らないまま何も対策せずに死ぬよりはマシだと思うことにする。
あとはこことまた違った世界で生きていたのだとわかるだけで、どういう人生を過ごしたのかもおぼろげだ。
そのため転生したから性格が前世のものに成り代わったとか、能力が上がったとか、情報を知ったことでこの先の人生を謳歌できるとかいうのも全くない。
フェリシアは私で、デュークのことがずっと好きだった記憶も想いもそのままだ。
けれど、性格は現在の私よりもさばさばしていたようだというのはわかる。
健気な尽くし系であった私も自分で、恋心も自分のものなのだけど、このままでいいのか、良くないよねと突き上げてくる感情は経験したことがないものだった。
私はルノセクト国の裕福なオルブライト侯爵家の末子として生まれ、ウォルフォード公爵家長男であるデュークとは互いの両親の仲が良かったことで幼馴染として頻繁に顔を合わせていた。
十歳の頃、相性が悪くないなら婚約しましょうと、互いの両親が乗り気で私たちは言われるままに婚約者となった。
出会って一緒に過ごすうちに、私はデュークを好きになっていたからむしろ喜んだ。
大人びて落ち着いた雰囲気で、ときおり気遣われる優しさに、幼いながらに憧れきゅんきゅんしていた。デュークは私の王子様だった。
声に出して好きだと本人にも周囲にも言ったことはないけれど、態度でバレバレだった。
そして、デュークは誰に対しても大きな反応を示さず、なら私でいいじゃないかしらと主に母親たちの意向でトントン拍子に決まっていった。
軽いように見えるけれど、身分や政治的な面でも悪くない話であったし、私たちの相性も見ての判断で誰も反対しなかった。
そんな感じで、何不自由のない環境で好きな人と婚約していずれ公爵家の夫人というかなり恵まれた人生であったのだけれど、ここにきて大きな問題が発生した。
「やっぱり無理。なんで私が死なないといけないのでしょう」
ヒーローの影のある部分、ヒロインに惹かれる理由付けに死ぬ役なんてごめんだ。
物語は幼馴染で婚約者である私が殺されて本格的にスタートする。
いなくなって初めてどれだけ婚約者が自分のためを思って動いてくれていたのかに気づいたヒーローが後悔し、敵を討ち強くなろうとするなかでヒロインと心を通わせ癒やされ幼馴染の敵も討ってハッピーエンド。
はっきり言ってふざけている。
デュークの死んだ婚約者である私は、物語に深みを持たせるための死に役だ。
しかも、なんでヒロインに喜んでいると思うと言われないといけないのか?
好きな人が自分の敵を討つために危険な目に遭う姿を見て嬉しいと?
そこには寄り添うようにずっと女性がいて頑張れと応援すると?
自分には見せてくれなかった苦悩や笑顔、気を許したような表情。それらを見せつけられてどこを喜べと?
ぽすっとクッションを叩き、悔しさに涙で滲んだ顔を隠すように押し付けた。
一度流れると、こみ上げる悲しみで涙が止まらない。
「どれもこれもふざけてる」
後悔されても後の祭り。
だったら初めからしっかり見て相手をしていてくれたらと思わずにはいられない。
忘れられるよりは気にかけてくれているのは嬉しいと思ってしまうこの恋心は厄介だけど、敵討ちなんて結局のところ自己満足である。
しかも、彼らの絆を深くするためのファクター。
物語として私はそれだけのために死んだといっても過言ではない。なぜ、死んだのか。なぜ、自分が殺されたのか。
何も解明されないまま(実際には描写がないだけかもしれないが)敵を討って、それで私の気持ちが晴れると思うのはどうしてなのか。
「虚しい人生ね……」
死んでも報われない想い。
この気持ちが届かなかったとしても、誰に対しても反応が薄い人なので気にしていなかった。
婚約者としての時間を作ってくれるだけでよかった。満足していた。
いずれ家族として大事にはしてくれるとまっすぐにデュークを想い信じ、今まで献身的に尽くしてきた。
だけど、それもいうなら私の勝手な自己満足だ。
それを受け取ってもらえない、響かないからといって拗ねていたら、物語のデュークに抱いた文句と一緒だ。
「そうね。まずは頑張ることからやめてみよう」
頑張っても届かない。
頑張っても他人のものになるなら、そしていずれ殺されるというのなら、なんのために生きているのだろうか。
まずは気持ちの整理のためにと、紙とペンを出して私は机に向かった。
想いを吐き出すように、少しでも軽くなるように、小さく深呼吸を繰り返しペンを走らせた。
デュークの行動に合わせて動くのをやめる。
(多忙なデュークにスケジュールを合わせるのはなかなか大変で、一日のスケジュールはデュークに合わせて組んでいたと言っても過言ではなかった。好きでしていたことだけれど、そのため無理をしていた時間帯も結構あった)
稽古にタオルを持っていくのもやめる。
負担にならないように飲み物や軽食を持っていったりしていたが、それらも一切やめる。
(感謝の言葉をいつもくれるけれど、実際のところデュークにとってはどっちでもよさそうなので、やめたところで気にされないだろう)
自分から手紙を書くのもやめる。
自分から会いにいくのもやめる。
話さないデュークに話題作りをしていたがそれもやめる。
(これもデュークはどっちでもよさそうだ。あれ、なんだか書いていて虚しくなってきた)
壁の花もやめる。
(壁の花になるとわかっていてパーティーに参加なんてもうしない。エスコートに喜び、顔が見られるからとそれだけで満足なんてしない。虚しいだけなのはもう嫌だ)
遠慮するのもやめる。
(今までの全部に繋がるけれど、好きだとどうしても遠慮してしまった。だけど、どうしようとデュークは変わらないのなら気を使うだけ無駄だ)
……やめる。
……やめる。
……やめる。
…………――――。
――――――婚約者をやめる。
最後が一番大事なことだった。
物語の死に役なら、デュークと距離を置くことで死が遠ざかるかもしれない。定かではないけれど、その可能性もなくはないと思う。
だから、少しずつ距離を置き、自然な形で婚約破棄に持っていくのが目標だ。
そこでペンを止めて、改めて紙を眺める。
やめることばかりだ。
書き連ねて、なんだか虚しくなってきた。重かった心にぽっかり穴があいたみたいにすぅすぅする。
私はデュークが一番で、デュークばかりを見つめて彼の背中を追って過ごしてきた。
デュークがそう頼んだわけではない。私が望んだことでそうしてきて今まで幸せだった。私は満たされていた。
だけど、物語を思い出した今はもう無理だ。自分が可哀想すぎる。
だから、最後にデュークを好きなのをやめると付け加えた。